極楽寺 熊野新宮-針磨橋-阿仏尼邸旧蹟(2011.11.21 part2)
2011年 11月 23日
右手に八百屋さんが見えるところまで来ました。道の角には「熊野新宮」の道標が建っています。
まぁ、おつきあい下さい。
突き当たりに熊野新宮。
熊野新宮・・・・・鎌検公式テキストより
1269年の創建とされ、新宮社ともいわれる。この地には以前、熊野新宮のほか、八雲神社と諏訪明神が祀られていたが、いずれも関東大震災で倒壊したため、1928年、熊野新宮に合祀された。
鎌倉時代、極楽寺全盛期の頃、ここは極楽寺の鎮守として大きなお社が建っていたようです。また、鎌倉幕府滅亡後も、1335年には、足利尊氏の弟、直義から土地が寄進されています。足利からも保護されたんんですね。
古いお社です。拝殿の立派な彫刻が目を引きます。
極楽寺駅に戻り、今度は稲村ガ崎方面に道を下って生きます。
ほどなく鎌倉十井の一つ、針磨橋。
別名、我入道橋とも。極楽寺川に架かる橋で、その名の由来は、昔、辺りに針金を磨いて針を作る老婆が住んでいたことにあるとも、近くに我入道という僧侶が住んでいたからとも。
鎌倉時代、七里ヶ浜は砂鉄の採集場でした。特に極楽寺川、音無川の河口で砂鉄が採れたそうです。そのため、鎌倉では刀などの鍛冶産業が発展しました。(名刀正宗の五郎入道正宗)今でもその技術が受け継がれています。(正宗工芸)
針金を磨いて針を作っていた老婆というのも真実味がありますね。
ここで、私大チョンボ。
橋の道標?○○橋という石標の写真撮るの忘れてしまいました。最悪~。
実は、この道、過去に2回歩いているのですが、先程の道端に建っている針磨橋の石碑でさえ、2回とも気がつかなかったんです。よそ見していたのでしょう。やれやれ。
次に、行きますね。この石碑の角を右折して、江ノ電の踏み切りを渡ったすぐのところ、左手に「阿仏尼邸旧蹟」の碑が建っています。
次回はまず、阿仏尼のことをレポートしますね。
話は変わりますが、鎌倉の島森書店本店の週刊ベストセラーズ1位に「鎌倉小町百六番地」という本が入っていました。鎌倉駅前が遊び場だった作者が戦前の小町通りでの体験を生まれ育った者の目から残しておきたいと書かれたということです。さすが鎌倉市民の注目度、高いですね!史跡とはまた違う観点から見る鎌倉、興味あります。一度読んでみたいと思います。
読んだら、取り換えっこしましょう。(笑)