明王院口から天園ハイキングコースへ(2012.09.05)
2012年 09月 06日
鎌倉駅から太刀洗方面行きバスに乗車。十二所で下車します。
まずは、この街道沿いににあるらしい大江広元邸跡の石碑探し。(この碑は初めて)
大江広元は、1184年源頼朝に招かれて鎌倉に下向し、公文所(のちの政所)の別当となりました。1185年の、頼朝による守護・地頭の設置は広元の献策に従ったものとされています。頼朝の政務全般を補佐。幕政の中心として活躍、幕府の基礎を固めた人物です。
私、大江広元さま、ファンです。(^^ゞ
十二所のバス停からすぐの緑色の小さな橋を渡り、右に歩いて行くと碑があります。
明石橋のガソリンスタンド脇の道を入っても同じことです。
実は、初め分からなくて…。街道沿いかと思って、ちょっとうろうろ。
地元の方にお尋ねするハメになりました。(^^ゞ
広元は愛甲郡毛利庄(厚木市周辺)を拝領します。これを相続した四男季光は「毛利氏」を名乗りますが、宝治合戦で敗北。毛利氏はほとんどが滅びてしまうのですが、四男経時の家系が生き延びて毛利元就の祖になるわけです。
毛利氏の長州藩は明治維新の際、大きな役割を果たしましたね。頼朝公墓の近くにある大江広元と毛利季光の墓は、江戸時代に長州藩によって建てられたそうです。
それにしても広元邸、頼朝が開いた大倉幕府(今の清泉小学校辺り)から結構遠いんじゃないかしら?一番の重臣だったのに、こんなに離れていて大丈夫だったのかしら?
よくわかりませんが、いつもは幕府につめていて、ここは別邸のような感じだったのかもしれませんね。
さて、明王院の冠木門前の細道を右に少し進むと、左手にこんな小さい看板があります。
すぐ分かれ道があって、また左に。
それにしても、またまた今日は暑い日で、この難所?で汗がしたたり落ちます。カコクです。(>_<)
でも、幸いにも長くは続きません。
鎌倉の山はそんなに高くないのです。ちょっとガマンすればOK、OK!
尾根に出ると、まずは竹の道が。
ここを過ぎてまもなく、また分かれ道です。
先ほどの大江広元邸跡辺りからもよく見える山の上です。
お酒のちっちゃな瓶が置かれていました。どなたかがお供えされたのでしょう。
大江広元さまのお墓。私も墓前に手を合わせます。
再び前の道に戻って、今度は右側の道を進みます。
しばらく歩いたところに仙人草(センニンソウ)が咲いていましたよ。
ちなみに、センニンソウは毒草であり、牛や馬は食べないところから、別名「馬食わず」とも呼ばれるそうです。
真っ白な4弁花。いい香りがするんですけどね。アップで。
下までここから10分ほどだったと思います。
瑞泉寺口に到着。
白いフヨウを楽しみに、次は瑞泉寺を訪れますね。
続く