ビブリアロケ地(建長寺境内、半僧坊大権現への参道)へ(2013.02.09)
2013年 02月 10日
その2回とも、何段もある、急な階段を下りながら、あぁ、上りはさぞきついだろうなぁ、と思っていたわけですが、今日は、初めて麓からのチャレンジ。
建長寺の山門をくぐり、本堂にお参りをし、法堂の雲龍図にご挨拶。方丈には入らず、唐門の前を通り、右手の半僧坊方面に向う道へ。看板があるのでわかりやすいです。
少し行くと、この道、先日の鎌倉ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」第4話に出ていた道になります。
(TVより)
この場所、なかなかいわくつきの場所なんです。(これから、ご説明しますね。)
まずは、ドラマで近道になると言っていた道。
(TVより)
注:河村瑞賢とは?
江戸時代前期の大商人・土木事業家。伊勢国に生まれる。13歳の時江戸に出る。明暦の大火(1657年)の際、木曽の木材を買占め、莫大な財産をつくる。のちに幕府の令により、江戸と東北地方を結ぶ東廻り航路・西廻り航路を開く。淀川や安治川などの治水工事、越後の鉱山開発などで功績をあげ、死の前年、旗本に取り立てられた。
この階段をこの先もう少し上がっていくと、瑞賢の墓。
瑞賢は、建長寺裏に別荘を持っていたご縁で、命日の6月16日には、墓前で法要が営まれるそうです。
そして、この階段の脇にある建物ですが、(画像の右側)
(TVより)
当時の「招寿軒」
(昭和40年に火災で焼失しましたが、再建され残っています。)
作家・葛西善蔵と浅見ハナの物語をご紹介しましょう。
私小説家・葛西善蔵は1919年(大正8)、実家青森に妻子を残し、持病の喘息の療養のため建長寺の塔頭・宝珠院の庫裡(くり)で生活を始めます。
食事の世話は、茶店「招寿軒」の浅見ハナの仕事でした。1924年(大正12)の関東大震災で宝珠院が倒壊し、善蔵は借金を残したまま鎌倉を離れて東京に移ってしまいます。
ハナは、その借金の取立てで上京するのですが、そのまま善蔵と同棲したということです。
葛西善蔵の作品『おせい』、『暗い部屋にて』などに登場する「おせい」は「ハナ」がモデルになっています。
葛西善蔵は昭和3年、42歳で亡くなりました。67編の小説を残し、そのうち27編が宝珠院で書かれたそうです。
昭和56年、弘前市にある菩提寺徳増寺の墓所から分骨されて、この先にある回春院の墓地に善蔵の墓がつくられました。
以上、ちょっとしたご紹介でした。
このあと、はぁはぁ言いながら半僧坊へ。更に、急な上り階段を勝上嶽(しょうじょうけん)展望台へ。
富士山は頂上のみが雲の上にほんのりうっすら見えました。(写真じゃ到底無理かなぁ。)
真正面に大島が見えましたが、今日は今ひとつくっきりとは見えません。
稲村ケ崎方面です。
天園ハイキングコースを十王岩の先辺りまで進み、そこから建長寺境内へ下りる古道へ。そう、朱垂木やぐら経由です。
そして塔頭・回春院へ。
今日、最初にご紹介したあの分岐点に再び戻って、散策終了~!
おまけ: 三日月堂花仙でお茶休憩。