残雪の二十五坊跡(2014.02.12)
2014年 02月 13日
北鎌倉からだと、建長寺の先、巨福呂坂を下りた辺り。小町通りからだと、鶴岡八幡宮の脇の県道を北鎌倉方面に向い、鶴岡文庫を過ぎた曲がり角。こんな碑が立っています。
鎌倉時代、二十五菩薩にちなんだ二十五坊と別当(長官)坊があったということです。
つまり、鶴岡八幡宮(寺)に仕えた僧侶(=供僧)の住まいがあった場所です。
注:供僧とは、神社に奉仕する社僧のこと。
鎌倉時代には鶴岡八幡宮別当が東大寺・東寺などの別当を兼ね、日本仏教会の中心の一つになっていたんです。
幕府滅亡後は衰え、室町時代には7坊にとどまりましたが、江戸時代に12坊まで復活。ただ、明治の神仏分離令により、廃されました。
この碑のところから奥へ進んでみましょう。右手に広がる土地に注目。
つまり「古都保存法」発祥の地というわけです。この騒動を記念する碑などが立っています。
以前、鎌検の勉強で訪れました。今日ここに来てみたわけは、先日鎌倉歩協で新宮神社から天園ハイキングコースに入っていきましたが、もしかしてこの奥からも上って行けるのでは、と考えたからなんです。
この史跡を右手に見ながら、どんどん奥へ進みます。
さて、道なりに行くと、先の方になにやら隧道が。
それにしても、なんて長い隧道。50m位ありますよ。びっくり。微妙に上り坂になっていて、向こうに出口が見えています。この山を越えた向こうに家があるなんて!
北鎌倉の小倉邸を思い出しました。(でもあそこの隧道はせいぜい10数mだったけれど、ここはすごい!)
残念ながら、ここから天園には上がれないよう。戻るしかないですね。(>_<)
新宮神社への道は、冒頭の碑の一本先の道。やっぱり天園へは、そこからしか上がれないのかしら?
続く
ドキドキしながら読みました!
ここまで挑戦されるとは!
本当に尊敬します!
残念でした。
ところで、新宮神社からの天園への道は公暁悲劇の道とか。ご存知でした?いささか不気味な道ですねぇ。。。(>_<)
今日は、何度も訪れている円覚寺で初めての場所を発見しました。
龍隠庵という塔頭。
上まで登ったら、さらに山に登る道があり
伝って登るためのロープも見えましたが
「立入り禁止」のようで残念でした。
毎日の発見、素晴らしいです。(^^)/
龍隠庵の一番上にある平和観音の先です。
鎌倉のお寺に行くと
「山に登れる道はないかしら?」とさがしてしまいます。
「発見」できた時の嬉しさは最高です。
今日は鎌倉歩協の例会でしたが、早々と中止が決まりました。
ヒロリンさんは、今度はどこを歩かれるのかな?