ふれあいウォークの後、成就院へ(2015.01.06)
2015年 01月 06日
ほんとに久しぶりに参加しました。なんと、昨年5月以来。火曜は仕事で仕方ないんですよ。
午前中は風が強かったものの、青空も広がり、時々薄日も射したりしてまずまずのお天気だったのですが、午後からやおら雨。予報通り。でも残念でした。
結局、午後のコースは大幅変更になり、だから早目にゴール・解散(長谷の御霊神社で)となったわけです。
終了後、成就院を訪れました。何故かと言うと(笑)、あとでご説明しますね。
御霊神社からだと、成就院のアジサイ散策路を下から上る形になります。半年振りに歩協に参加し、10kmほど歩いた後の上りはいささか、しんどかったです。
はい、上りきったところからの眺め。
山門をくぐって、まずはお参りしました。
境内に不動明王像があって、縁結びのパワースポットとして、いつのころからか有名になりましたよね。若い方々がよくスマホで写真撮ってたっけ。
仏殿前のお花。
実は、12月初旬に京都・永観堂で、初めて「三鈷の松」を目にしたのですが、この成就院にも境内にその三鈷の松があるらしいのです。
cf : 京都三日目 永観堂禅林寺(2014.12.03 part4)
山門から中の境内に松は見当たりませんでした。それで、お寺の方に伺ってみたところ、山門を出て左手の外側にありますよ、とのこと。
三鈷の松です!
お寺の方がおっしゃったように、辺りにこの松の葉が沢山落ちていました!
いくつか拾ってきました。
三鈷の松とは、一体なんぞや?(調べました)
元来は高野山の金堂と御影堂の前にある松の木=三鈷の松。
弘法大師が唐より帰国の際、明州の浜から、真言密教を教え広める根本道場として伽藍建立に適した場所を示したまえと、密教の法具の一種である「三鈷杵(さんこしょう)」を投げたところ、紫雲に包まれて東の空に消えて行きました。大同元年(806年)のことでした。その後、帰朝されたお大師さまがその三鈷杵を探されたところ、弘仁7年(816年)、紀伊の国・紀ノ川の上流の山=高野山にある松の枝に光を放ちながら掛かっており、その地に伽藍を建立することを決心されました。その松は三鈷杵と同じく三葉の松で、「三鈷の松」として祀られるようになったそうです。
だから、この松の葉=縁起物で、お守りとして大切にされるんですね。了解です。
皆さんも、鎌倉・成就院に行かれることがあったら、思い出して、この松の葉、探してみて下さいね。♪
雨が断続的に降り続き、さすがにここから歩きで鎌倉に戻るのはためらいました。江ノ電乗車~。
本日のウォーキング、終了です。