アートサロン 「19世紀の画家という職業」(2015.02.28)
2015年 03月 04日
IBSインターカルチャーHP: http://www.ibs-ic.com/
よろしかったら、時々チェックしてみて下さい。他ではないようなカルチャー講座、きっと見つかりますよ。
今回のタイトルは「19世紀の画家という職業」。
レポートをどうまとめようか思案していて、アップが遅くなってしまいました。<(_ _)>
印象派が台頭してくるほんの少し前までフランス画壇を席巻していたのはアカデミズムの画家たちです。ただ、西洋絵画の美術展において、印象派ばかりが目につく日本では、あまり知られていませんよね。私も、とりたてて西洋美術史を勉強したことがないので、アカデミズムと聞いても、ピンときませんでした。それをフランス語でレクチャー、と聞いて、日本語でもよくわかってないものをフランス語で?と(笑)、少々冒険ではありましたが、まっ、好奇心も手伝って参加してきました。
講師は、昨年、同じIBSのアートサロン「違った視点で絵画を楽しむ」のお話をしていただいたフランス人のムッシュー。正味2時間のサロン。
cf : アートサロン 「違った視点で絵画を楽しむ」(2014.06.07)
さて、内容なんですが、フランスでは、画家や彫刻家になるには、それまでCorporationという同業組合(ギルド)しかなかったのですが、17世紀、ルイ14世の時代に入ると、Académie royale de peinture et de sculpture(=王立絵画・彫刻アカデミー)という組織が作られます。この組織は、フランス革命後、ナポレオンによってAcadémie des Beaux Arts(=アカデミーデボーザール)に生まれ変わりますが、この芸術アカデミーの規範の下、影響を受けた画家たちの作風をアカデミズムと呼ぶわけです。
アカデミズムの筆頭に上げられるのはルブラン(1619-1690)。プッサンの弟子でもあったルブランは鏡の間を始めとするヴェルサイユ宮殿の内装も担当しています。アカデミーの創設メンバー。
こちらは、代表作のうちの一枚:「ダリウスのテント」1660年
次に挙げられるのはニコラ・プッサン(1594-1665)。歴史画や宗教画を多く残しました。
代表作のうちの一枚:「サビニの女たちの略奪」1633-35年
Ecole des Beaux Arts(=エコールデボーザール)はアカデミーの附属美術学校になります。当時から入学するのも大変な倍率だったそうです。芸術エリート集団。画家の地位も向上して行きます。
ここでの授業ですが、特徴はデッサン(輪郭と光の陰影)に重きが置かれました。手本となる絵(=彫刻の印刷物)の模写→石膏像のデッサン、裸体(生体)デッサン、動物、特に馬のデッサン、布類のデッサンへ。(風景画等は除外)
デッサンの例をご紹介します。
おもしろいのは、裸体(生体)デッサンのモデルは20世紀まで男性のみだったということ。つまり、ボーザールは女人禁制でした。
ボーザールのアトリエ風景。
アカデミージュリアンでのアトリエ風景。
また、歴史画と宗教画(神話画)が中心。これらが最高の絵画と見なされていました。
講師のDさんも2年半在籍していたというこのEcole des Beaux-Arts(=エコールデボーザール)、ちょっとご紹介しますね。
正門:
*左側はPierre Puget(=ピエール・プジェ 1620-1694)、彫刻家
中庭
講師のDさん、あぁ、ここでデッサンしたなど、かつての日々を思い出されたご様子。長時間続く、苦行以外の何物でもないという授業も多かったそうですが。
さて、ボーザールには、ローマ賞(1663-1968)という美術コンペがあったそうです。条件は男性、30歳未満で独身。
優勝者は5年間ローマ(メディチ荘)で学ぶことが出来、サロン(=公式展覧会)への出品を含めて将来が保証されたということです。
*メディチ荘(=ヴィラ・メディチ):ナポレオンが所有するに至った際、在ローマ・フランス・アカデミーとなる。ローマ賞の受賞者はここに住み、著名な画家たちの指導を受けることが出来ました。
一次試験はデッサン。
迫力のある構図(動きを感じます)、絶対的な美しさ&なめらかさ(まさに流麗)、たゆまぬ修行から得た(半端ない)デッサン力。完璧な絵画とでも言いましょうか。
こちらは1801年のローマ賞:アングル「アガメムノンの使者たちを迎えるアキレウス」
あのドガやマネ、セザンヌ、モネ、ルノワールさえ、落選したと聞きました。芸術も時代なんですねぇ。
それからサロン(=公式展覧会、美術展)ですが、画家たちにとっては、一大イベント。
応募作品は数千点にのぼりました。
さて、ナポレオンが設立した、このアカデミーですが、彼のお気に入りだった画家たちがいます。
一人はAntoine-Jean Gros(=アントワン-ジャン グロ)、もう一人がDavid(=ダビッド)。
ナポレオンは自らの政治的権力を誇示するのに、彼等の絵画を用いました。
グロ「アルコル橋上のナポレオン」1801年
ダビッド「サンベルナール峠を越えるボナパルト」1800年
最後に19世紀当時の画家の収入ですが、平均で年間2.520.000円だったそうです。
*パリで暮らす一般労働者階級(夫婦+子供5人)の年間経費(食費・暖房・家賃)は平均472.000円
びっくりすることをもう一つ:
上記のダヴィッドの作品「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」1804年
いやはや、19世紀の画家さん、最高?(笑) その陰には、尋常じゃないデッサン修行ありですね。
IBSの大変楽しいアートサロンでした。サロンで使用した画像を各自、メモリーにコピーさせていただけたので、こうして、何枚かを(ほんの一部です)ご紹介することが出来た次第。
充実した内容に感動しました。4月半ばに後半のお話(第2部)があるそうで、これまた期待しちゃいます。
IBSのカルチャー講座万歳。ヽ(^。^)ノ
しかも、参考にして下さったとか。
光栄です。今思い出しても、これは、珠玉のサロンでした。
とても興味深い内容と資料の共有ありがとうございます
随分前の記事ですが、とても詳細のわかる素晴らしい記事、ありがとうございました。
こちらの後編の記事もぜひ拝見したいのですが、リンクが切れているようでした。
もうみられないのでしょうか?
もしデータなどで保存してあればぜひ拝見したいです!
リンクを復活させましたので、よろしければご覧ください。