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金沢八景 姫小島水門跡ー東屋跡ー明治憲法草創の碑(2016.06.17)

さて、金沢八景・文庫の散策も佳境に入りました。
琵琶島神社の後は、姫小島水門跡に寄ります。
この日は、こんな地図を参考に歩きました。
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今の瀬戸橋からすぐの場所、そうあのジャカランダの木があった場所から目と鼻の先。
cf: 毒虫!に刺されたのは何処で?(2016.06.09)
ジャカランダ、まだきれいでした!
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見えてきました、姫小島水門跡になります。
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瀬戸の内海が埋め立てられる以前、この辺りには中之島=姫小島があって、新田開発に取り組んだ永島段右衛門は、姫小島の両側に水門を設け、海水の浸入を防ぎ、干満時には入江にたまった河川の水を外海に排出するようにしていました。
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室町時代には、この地の伝説「照手姫の物語」で、この辺りが登場します。それで中之島をいつしか通称「姫小島」と呼ぶようになったのだとか。
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バイパスの建設により、昭和39年(1964)、撤去されましたが、当時の資材の一部を使って、両側にあった水門のうち、東側の一門が復元されています。
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創建当時の石柱、わかりますか?(両端)
大きな柱ですが、どこで誰の手によって造られたものかわかっていないそうです。
門扉は木製。数年ごとに交換していた模様。上部に支える金具があり、門扉下部が外海側の前方のみ開くようになっています。解説板には、江戸時代の汐除用水門で、このように下側が開くような合理的発想と独創的な構造は大変貴重で、この地に高い経済力と技術力があったことを証明しているとありました。

夏を思わせる、ヴィヴィッドカラーが素敵な、ノカンゾウの花を最後に。
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お次は車屋跡。
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この場所は、料亭東屋の跡。明治20年(1887)伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅らが明治憲法制定のため草案を起草した場所。
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瀬戸橋の左側です。
瀬戸橋近くには、東屋をはじめ、「千代本」、「扇屋」など大きな割烹旅館があり、多くの文人墨客が訪れたそうです。

現在の瀬戸橋から平潟湾を。
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琵琶島神社の堤がわかりますか?
→は、その「千代本」です。(閉店しているようですが)

そして、明治憲法草創の碑。
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昭和10年(1935)、金子堅太郎の書によるこの碑が東屋の庭に建てられましたが、東屋が廃業して、一時は、野島の伊藤博文の旧別荘に移されていたそうです。

では、お次、龍華寺、ラストですよ~。
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by b_neige | 2016-06-19 21:23 | かながわ散策 | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)