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松平頼重建立ー英勝寺の山門(2016.10.07)

英勝寺の山門の写真が必要になり、ヒガンバナの花時を逃した(>_<)英勝寺へ。
ヒガンバナは、刈り取られてはいなかったけれど、全部萎れてました~。(^_^;) なんとも致し方ない、とにかく来るのが遅すぎですよね。来年は早めに来ようっと!

さて、山門の写真でございます。
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建長寺の山門、円覚寺の山門、光明寺の山門、そしてここ英勝寺の山門、4寺の山門に上らせていただきましたが、大きさ的には、この英勝寺の山門が一番しっくり?きます。なんかやさしい感じがして好きです。ただし、山門の楼上の雰囲気とかは円覚寺!これは譲れません。(笑)

こちら側からはどうでしょう?
松平頼重建立ー英勝寺の山門(2016.10.07)_e0245404_13414365.jpg
この山門ですが、英勝院の一周忌のために高松12万石初代藩主になった松平頼重が建立しました。
 *頼重は水戸初代藩主徳川頼房の長男。頼房の生母はお万の方。(妙本寺に杉並木を整えられた方で、妙本寺墓苑には、頼房と紀州初代藩主頼宣によるお万の方=養珠院の供養塔あり)
 *つまり頼房の生母はお万の方なのですが、家康との子「市姫」を亡くしたお勝の方(=英勝院)の養子になったんです。だから頼重にとっては、英勝院はおばあちゃん。そのおばあちゃんに頼重は(その弟の光圀も)とても助けられたんです。(→母が頼房の正式な側室ではなかった為、堕胎を命じられるも、頼房には隠したまま、英勝院が手をまわして育てる)
特に頼重は光圀より早くに生まれるも、水戸藩の嗣子には結局、光圀が入り、出家するはずのところ、英勝院の計らいで讃岐高松12万石の藩主となっています。

山門には頼重の感謝の気持ちがこめられているというわけ。そう思って眺めるとまた格別でしょう?? (^_^;)
ついでに?付け加えておきます。水戸藩は光圀が継ぎましたが、その後継者には頼重の子孫が入り、そして、頼重の後継者には光圀の子孫が入り、家督を継いでいます。頼重も光圀も優れた人物で、おばあちゃんの英勝院もさぞや、安堵したことでしょう。
山門には英勝院が生前希望していた、後水尾上皇による扁額「英勝寺」がかかっています。

ところで、ヒガンバナが終わった英勝寺の境内、めぼしいお花がありませんでした。
この山門の前にあった、名残の酔芙蓉くらい??
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あと、白いシュウメイギクが咲いてたんですけど、カメラ目線じゃなくて…、ほらね。
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残念~。(>_<)
上の境内の竹林をどうぞ。
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きれいにお掃除されてました。まだ落ち葉の季節には早すぎかしらね。

おまけ:寿福寺前の道ばたで。
松平頼重建立ー英勝寺の山門(2016.10.07)_e0245404_1349445.jpg
もう一枚は、英勝寺前の踏切で。
松平頼重建立ー英勝寺の山門(2016.10.07)_e0245404_13494592.jpg
秋の風情たっぷりでしょう?。
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by b_neige | 2016-10-12 06:38 | 鎌倉歩き | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)