松平頼重建立ー英勝寺の山門(2016.10.07)
2016年 10月 12日
ヒガンバナは、刈り取られてはいなかったけれど、全部萎れてました~。(^_^;) なんとも致し方ない、とにかく来るのが遅すぎですよね。来年は早めに来ようっと!
さて、山門の写真でございます。
こちら側からはどうでしょう?
*頼重は水戸初代藩主徳川頼房の長男。頼房の生母はお万の方。(妙本寺に杉並木を整えられた方で、妙本寺墓苑には、頼房と紀州初代藩主頼宣によるお万の方=養珠院の供養塔あり)
*つまり頼房の生母はお万の方なのですが、家康との子「市姫」を亡くしたお勝の方(=英勝院)の養子になったんです。だから頼重にとっては、英勝院はおばあちゃん。そのおばあちゃんに頼重は(その弟の光圀も)とても助けられたんです。(→母が頼房の正式な側室ではなかった為、堕胎を命じられるも、頼房には隠したまま、英勝院が手をまわして育てる)
特に頼重は光圀より早くに生まれるも、水戸藩の嗣子には結局、光圀が入り、出家するはずのところ、英勝院の計らいで讃岐高松12万石の藩主となっています。
山門には頼重の感謝の気持ちがこめられているというわけ。そう思って眺めるとまた格別でしょう?? (^_^;)
ついでに?付け加えておきます。水戸藩は光圀が継ぎましたが、その後継者には頼重の子孫が入り、そして、頼重の後継者には光圀の子孫が入り、家督を継いでいます。頼重も光圀も優れた人物で、おばあちゃんの英勝院もさぞや、安堵したことでしょう。
山門には英勝院が生前希望していた、後水尾上皇による扁額「英勝寺」がかかっています。
ところで、ヒガンバナが終わった英勝寺の境内、めぼしいお花がありませんでした。
この山門の前にあった、名残の酔芙蓉くらい??
上の境内の竹林をどうぞ。
おまけ:寿福寺前の道ばたで。