金沢文庫 生誕800年記念 特別展「忍性菩薩 関東興律750年」(2016.11.13)
2016年 11月 14日
境内から、現代の隧道を抜けて、2時ちょっと前に会場到着。
まずは、掛け軸になった忍性菩薩の頂相。
2幅ありました。奈良(忍性は奈良に生まれ、東大寺で出家。23才の時、西大寺を中心に活躍していた叡尊に出会い、弟子入り。関東へ活動の場を移したのは40才以降)の大福田寺のものと、こちらの称名寺収蔵のもの。
(忍性さんは真言律宗のお坊さんですが、禅宗のような頂相風の掛け軸なんですね)
それでは、多分この特別展の目玉の一つである、忍性菩薩坐像(称名寺所蔵)をご紹介しましょう。
会場には、この忍性菩薩坐像とほぼ同じ大きさと思われる、忍性の師・叡尊(興正菩薩)の坐像もありました。こちらも大きな鼻。忍性さんと違うのはたれ眉でした。
忍性菩薩像の横には、極楽寺の大きな五輪塔の中に納められていたという骨蔵器も置かれていました。(極楽寺所蔵)銘文入りです。忍性の遺骨は本人の遺言により三分され、奈良の額安寺、竹林寺、そして、鎌倉・極楽寺に埋葬されました。(ガイドさんから、それぞれのお墓、骨蔵器の写真を見せていただきました)
次に、忍性菩薩が、鎌倉に招かれる前、常陸三村の三村山清涼院極楽寺(茨城県つくば市三村)を拠点に活動しており、おそらく開眼法要に携わったのだろうと考えられる蔵福寺の阿弥陀三尊像を拝見しました。画像がなくて残念ですが、大変美しい仏さま。脇侍の観音・勢至菩薩が優美でした。
阿弥陀三尊の隣には茨城県・観音寺の如意輪観音様が置かれていて、真言律宗では聖徳太子信仰があり、聖徳太子と如意輪観音が同一視されていることを教えていただきました。
このコーナーの古文書で印象に残っているのは、後醍醐天皇が忍性に菩薩号を与えた勅書写。極楽寺所蔵となっていました。お初でした。また、忍性さんの書状も何通か、並べられていました。
必見だったのは、極楽寺のほら、転法輪印を結ぶお釈迦様。極楽寺の、今はもうない多宝塔に祀られていたとのこと。
そのお隣、文殊菩薩坐像。(極楽寺所蔵)
文殊菩薩は知恵の仏ですが、同時に下層階級の人々を救う仏でもあり、非人や癩病患者=文殊菩薩の化身と見なされたそうです。これらの人々を救う活動こそが、解脱への道であり、忍性、叡尊らは、こうした弱者を救うことで、自らも救われるという運動を起こしたのです。
さて圧巻は極楽寺所蔵の清涼寺式釈迦如来立像+十大弟子像と称名寺所蔵の清涼寺式釈迦如来立像+十大弟子像。
極楽寺のこのお釈迦様は最初のパンフレットをご参照下さい。それと、もう一枚、横からの画像。
お顔の感じはどうでしょう?極楽寺の方がほっそりすっきりしたお顔立ちに見えますよね。対して、称名寺の方は少し大陸的な感じ。(ただ、清涼寺のお釈迦様に似ているのは称名寺の仏さまだそうです)
十大弟子に関しては、どのお像がどなたか、という説明はありませんでした。私が知っているのは、般若心経に登場する舎利子と、ハンサムだという阿難陀さん。(^^;)
忘れてはいけないのが、奈良の唐招提寺所蔵という、東征伝絵巻(一部)。忍性菩薩が関東での活動の集大成として、鎌倉で編纂に当たり、唐招提寺に寄進しました。
日本に律宗を伝えた唐僧・鑑真の伝記を絵巻化したものになります。展示されていたのは巻2。海難事故で海に投げ出されている鑑真和上が確認出来ました。
その他、聖徳太子の南無仏像(2才像)やら、六波羅探題の制札やら、足利尊氏の制札やら。
ガイドさんのご説明はなんと、2時から3時10分まで。とても判りやすくて、自分一人で鑑賞するよりずっと、ずっとよかったです。
また、極楽寺の清涼寺式釈迦如来立像と十大弟子、転法輪印のお釈迦様は極楽寺の収蔵庫で2度ほど拝見したことありましたが、こちらの展示会での方がライトの関係もあるのでしょう、隅々までよく見え、嬉しかったです。
忍性さんが鎌倉の拠点とした極楽寺と称名寺は、兄弟のような寺院となって共に活動しました。忍性は87才で入寂します。その多大な功績から、あこがれていた行基菩薩と同様、「菩薩」号を贈られ、「忍性菩薩」と呼ばれることになりました。