稲村ガ崎 西田幾多郎博士遺宅「寸心荘」へ(2016.12.12)
2016年 12月 13日
稲村ヶ崎から七里ヶ浜に向かう際、R134沿い、海側に、西田幾多郎博士の歌碑があることはご存知ですよね。
確か昔、ご紹介したことがあると思うのですが。
cf : 極楽寺 十一人塚-稲村ガ崎へ(2011.11.21 part4)
歌碑はあの時確認して知っているんですけど、西田博士が京都大学を停年退官された後、お住まいになったという稲村ガ崎の旧邸が一体、何処にあるのか、急に気になって。。。(^^;)
確か歌碑の説明板に、当地を見下ろす場所にってありました。高台ってこと。でも何処??
と言うわけで、江ノ電・稲村ガ崎駅下車です。
こちら、歌碑になります。
向こう側に江ノ島が見えています。昨日はダメだったけれど、空気が澄んでいる時には江ノ島の右手に富士山もくっきり見えます。とっても風光明媚な場所。いい場所、選んでますね。
この記念碑は昭和26年に博士の偉業を記念するため、博士の同郷の友人・鈴木大拙博士や門下生らの発起により建設されました。
(発起人には、久米正雄、川端康成、里見弴という鎌倉文士達や有島生馬、小野竹喬をはじめとする画壇人も名を連ねています、総勢30名)
また、賛同者は、総計245名で、日本画家、洋画家、作家、芸術家、哲学者・思想家などで占められ、うち文化勲章受章者が56名いらしたそうで、驚きますね。
除幕式もさぞかし盛大に執り行われたのでしょう。
設計はコルビュジェの弟子・坂倉準三。鎌倉で、坂倉準三といえば、閉館になった、八幡様の境内にある近代美術館。建築家だけれど、彫刻も手がけたんですね。
それにしてもおもしろい形。永遠の美=永遠の女性を象徴しているそうです。
さて、それでは、西田博士の旧邸へ。
実は西田幾多郎博士は、かつて学習院の教授もされていました。
学習院のHPには、昭和51年秋に、第1回卒業生である令孫の西田幾久彦氏が博士の旧邸(鎌倉・稲村ガ崎)を学習院に寄贈されたこと、翌52年に、これを「学習院西田幾多郎博士記念館」と呼称し、関係資料の蒐集保存と調査研究を行って、教育研究の場として利用していること等、記載がありました。通称「寸心荘」と呼ばれているようです。
歌碑から、徒歩15分ほどかしら。鎌倉静養館が見える踏切を渡り、山に向かう小径を進みます。
最後の分岐のところに、こんな標識がありました。
こちら、門から玄関を拝見して。
左側を見ると、広い敷地の中に趣ある木造の二階建ての日本家屋が。
博士の名言:「衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある」を思い出しました。
博士のお墓は北鎌倉・東慶寺にあります。西田が急逝した時、同郷の友人・鈴木大拙(歌碑の発起人筆頭)は、遺骸を前に座り込んで号泣したそうです。(その鈴木大拙博士のお墓も同様に東慶寺)西田が禅に踏み込んでいったのは大拙の影響なんですね。
こちらは帰り道で。
おまけは、歌碑がたつR134沿いで咲いていたサザンカ。
京都市 哲学の道 と
安曇野市 高家公園 にも
石碑があり 特に、
高家公園 の
【 無事於心無心於事物となって考へ物となって行ふ 西田幾多郎書. …】 に惹かれる。
≪…「衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある」…≫の涯に、
【 物 】を[数の言葉(自然数)]とすると
⦅自然数⦆の≪…精神…≫になれるのは、絵本 「もろはのつるぎ」