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湯河原 城願寺本堂内部の絵物語(2017.02.06)

城願寺のご本堂の長押の上に掲げられた絵物語は10数枚ありました。
いくつかご紹介しますね。

◎源頼朝土肥の館より出陣す

◎石橋山での佐奈田与一義忠の奮戦

◎大杉の洞穴に潜む頼朝主従
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これは、ご存知、梶原平三景時が蜘蛛の巣ばかりで何もいないと言って、頼朝を助けたエピソードになります。

◎ししどの岩窟の頼朝主従
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これは、頼朝が髻の中に入れていた「聖観音像」を、首を取られた時に、源氏の大将として恥ずかしいからと、取り出し窟の中に置いたままにしたエピソードです。→この聖観音像はのち、鎌倉の頼朝のもとに戻り、持仏堂の本尊に。

◎食糧を運ぶ実平の妻
◎土肥実平の焼亡舞(じょうもうのまい)
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山中に逃げた頼朝主従を探し出すことが出来ず、伊東へ引き上げる伊東祐親は実平の館に火を放ちます。山上からそれを見ていた実平が歌って舞ったというエピソード。
(土肥祭で今日も披露されています=延年の舞)

◎頼朝主従小道地蔵堂に隠る
◎大庭景親純海上人を拷問す
◎純海上人小道地蔵尊の霊験を説く
◎源頼朝公鎌倉に純海上人を召す
◎小道山頼朝寺の建立
頼朝主従は山中で、小道地蔵堂の床下に隠してもらい、九死に一生を得ます。堂主の純海和尚は拷問を受け、気絶。追手の大庭景親が去った後、頼朝が変わり果てた和尚の姿に涙したところ、涙が和尚の口に入り、和尚は息を吹き返しました。頼朝は鎌倉で政権を握ると、純海和尚に寺領を与え、お堂を建て、頼朝寺(頼朝山小道寺)の称を送ったと伝わります。

◎源頼朝主従岩の港より安房へ落つ

◎土肥次郎実平手植の柏槙

長押の上なので、ずっと見上げていると首が..。(´д`)

「城願寺」は、源頼朝公、土肥実平公 出陣の地。
湯河原 城願寺本堂内部の絵物語(2017.02.06)_e0245404_21584379.jpg
四季彩の町、湯河原には鎌倉幕府開運街道=ハイキングコースが設定されています。
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by b_neige | 2017-02-09 16:46 | 旅行 | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)