無量寺の庫裡?裏の庭園跡(2018.01.15)
2018年 01月 15日
別館後ろの岩盤前辺りですが、13世紀末頃に創建されたとみられる安山岩の礎石建物の遺構が発見されています。その西側には山裾の岩盤を直接穿って造られたとみられる池の遺構も。中央付近には中ノ島も彫られていたそうです。
北側の山裾からは遣水を呼び込み、池底には相模川周辺から持込まれたと考えられる玉砂利が敷き詰められていたんですって。
こちらの画像、遣水はこんな具合にきていたのかしら??
今じゃ、池の遺構は埋め戻されて石畳が敷かれています。だけど、画像には写ってませんが、左にももう一つ、中世のやぐらが顔をのぞかせているんです。(右の3つは岩崎氏による防空壕)
つまり、やぐら、岩盤の庭&岩盤を穿った池ときたら、多分皆さんもピンときますよね。
そう、鎌倉の奥座敷、瑞泉寺の岩庭です。全く同じ要素と思われませんか?
この無量寺跡の池遺構は、その瑞泉寺より70年前のものだそうです。夢窓国師による瑞泉寺の岩庭は鎌倉に残る唯一の鎌倉時代の庭園とされ、のちの天龍寺の庭園や西方寺の庭園のルーツとされますけど、それより70年前に、既に同様の庭園が生まれていたんですね。
へぇ~と感心してしまいます。
更に驚くことは、池の畔にあった庫裡とおぼしき建物は火災にあって全焼していて、かわらけを大量に含む土で埋立てられているのだそうです。池の上も同じ土ということで、それはつまり、建物と池が同時に廃絶しているってこと。かわらけの形式から、その火災の時期は14世紀の第2四半期前半だそうです。14世紀の第2四半期前半といったら、もしかして1333年の鎌倉幕府滅亡の頃??興味は尽きません。