今月のガイド終了(2018.01.22)
2018年 01月 22日
先週あった遺跡めぐりの個別ガイドはお陰さまでどうにか無事に終了しました。
移動距離が長いわりに時間が制約されていて、やきもきしましたが、遺跡を勉強するよい機会にもなりました。
鎌倉は埋蔵文化財包蔵地が市内全域の60%以上もあるんです。だから、深さ60cm以上掘り起こす、新築や立て替え等の土木工事の際は届け出が必要。個人宅の場合は、鎌倉市が発掘の費用を負担してくれますが、法人の場合、費用は全額法人側。大変です。
それとね、届け出の順番があるから、たとえば、個人宅で、そんなに待ってられないという方、いらっしゃいますよね。順番を急ぐならば、やっぱり個人宅でも自らお金を出さなければいけないそうです。それ何百万円単位ですって。驚いてしまいます。まっ、1度調査してあれば大丈夫とのことですけど。
永福寺跡では、頼朝公の時代の地層は60cm下で二階大堂や薬師堂、阿弥陀堂の前に広がる瓢箪池は30cmのかさ上げですって。でも、大倉幕府跡付近は3mも掘り起こさないと、鎌倉時代初期の地層は出てこないそうです。それ、大変な作業ですよね。おまけに、一般の個人宅だと、敷地面積が限られるから、なかなか全容解明には至りません。大倉幕府跡には、寝殿造りの建物跡発見が期待されているけど、それは一体いつになるのやら、なかなか難しいのが現状のよう。
そうそう、これまで考古学の分野からは、鎌倉が別荘地として栄えていた頃(近現代)の様子等、発表されることはなかったということですが、平成23年に実施された今小路西遺跡の発掘調査では、その時代の、たとえば、磁器を中心とする食器類(海外からの輸入品も含む)、ガラス瓶、玩具、金属製品、木製品が出土したそうです。
海外からの輸入品を含むという点で、やはり明治以降富裕層が多く別荘を持ったという鎌倉の特徴がみられると、伺ったような。。。
別荘地時代の鎌倉研究には文献やら写真やら、今に残る建築が不可欠ですけれど、こうした考古学的資料も今後増えてくるかもしれないですね。
さぁ、来月は再び個別ガイドもありますが、史跡めぐりCにスタンバイです。私は15日出番。今回は鎌倉じゃないんです。国府津から曽我の郷へ。勉強が。。。(汗)