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梅香る三渓園に鎌倉ゆかりの史跡を訪ねる(2016.03.04)

3月4日は鎌倉ガイド協会のツアーに参加。でも鎌倉じゃありません。横浜・根岸の三渓園へ。サブタイトルに旧東慶寺仏殿と天授院(旧心平寺地蔵堂)の特別公開とあって、これは何をおいても行かなければと。(笑)

JR根岸駅集合でバスに乗り、本牧市民公園前下車。まずは八聖殿を訪れました。
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建物の2階には名前の由来となった八人の聖人が展示されています。(仏教的に言うと、魂は抜いてあるそうです)
昔々訪れた時は、それしかなかったように思うのですが、現在は郷土資料館になっています。
たとえば、根岸湾は現在すっかり埋立てられていますが、以前は、この八聖殿・三渓園は崖上に位置していて、崖下は海でした。
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根岸湾の埋立ては昭和34年から約12年にわたって行われ(今は工業地帯)、海の景色が大きく変わったことが分かります。

これは、三渓園の展望台から見た景色。
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道路から手前は陸地だった部分。向こう側はすべて埋立て地というわけ。
崖の名残はまだ残っています。
八聖殿から三渓園南口に向う時の道沿い右側。
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埋立てってすごいことです。

さて、三渓園は、生糸貿易で財を成した実業家・原富太郎(三渓)の元邸宅。53000坪という広大な園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物(国重文は10棟)が点在しています。
ガイドさんと一緒に沢山の建物を見て回りましたが、ここでは、2つのみご紹介しますね。

まずは内苑にある天授院(てんじゅいん 国重文 大正5年移築)。
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この建物は鎌倉の旧心平寺地蔵堂とされています。建長寺創建の折、巨福呂坂上に移して再建されましたが、後に廃寺、地蔵堂のみが残りました。三渓は、その地蔵堂をこちらに移し、養祖父善三郎の持仏堂として使用していたそうです。(天授院という名称は、養祖父善三郎の法号から)
心平寺と聞けば、鎌倉通なら、すぐ「済田地蔵」が頭に浮かびます。
一寸八分の小さい地蔵を信仰していた済田左衛門が無実の罪で斬首されかけたのですが、何度刀を振り下ろされても、左衛門の首には届かず。彼は、日頃信仰していたその小さな地蔵を髪の髻(もとどり)の中におさめていて、刀がその小像にあたり、つまり地蔵像が左衛門の身代わりになって命拾いしたというわけです。左衛門は地蔵の加護に感謝し、心平寺地蔵の頭中に、その小像をおさめ、かつ、建長寺が創建された時、さらに小像を仏殿本尊の胎内にうつしたと伝わります。

この小さなお地蔵さま(=済田地蔵)は建長寺の秋の宝物風入れの際、展示されますが、とても人気があります。国宝の開山・大覚禅師(蘭渓道隆)の頂像や法語規則よりずっとね。
ということもあって、この建物、興味がありました。いつもはお堂の扉も閉まったままですが、特別公開。残念ながら中には上がれませんでしたが、それでも満足しました。
茅葺き、寄棟造。

内苑では、この他に、臨春閣(りんしゅんかく 国重文 三渓は豊臣秀吉が建てた聚楽第の一部「桃山御殿」と思っていましたが、その後の調査で、紀州徳川家の別荘「巌出御殿」ではないかとされています)、旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう 国重文 豊臣秀吉が母親=大政所のために大徳寺に建てた寿塔(生前に長寿を願って建てる墓)の覆堂)、聴秋閣(ちょうしゅうかく 徳川三代将軍家光が上洛した際、佐久間将監に命じ、二条城内に建てさせた茶亭)等、見学しました。

外苑の旧東慶寺仏殿に向う途中、三渓園のシンボルである三重塔に寄りました。ここからの池を見下ろす風景。
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そして、臥竜梅。(竜が地を這うような枝振りの梅の古木。一本じゃありません)
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三渓園の梅は、明治38年に川崎の小向の梅林から700本、横浜市磯子区の杉田梅林から400本を移植したそうです。現在は約600本の白梅、紅梅が見事な花を咲かせています。
(観梅会は確か3月6日までだったかな)

臥竜梅から目と鼻の先、旧東慶寺仏殿(国重文 明治40年移築)になります。
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東慶寺は江戸時代、徳川家の庇護を受けて、広い寺領を所有していましたが、明治に入り、かけこみ寺法も廃止され、急速に衰退して行きました。
どのような経緯があったのでしょう、茅葺き、寄棟造の堂々たる仏殿です。
この旧東慶寺仏殿に限り、三渓園の特別顧問という方からご説明を受けました。戦時中、この建物の屋根に爆弾が落ち、被害を受けたことなども教えていただきました。
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そうそう、内部にも入りました。禅宗様式。関東大震災後に補強された箇所など拝見しました。
床は四半敷き(しはんじき)。
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縁にたいして45度になるように斜めに敷いた石敷きのこと。
天井は格天井(ごうてんじょう)でした。
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さて、外苑では、その他、旧矢箆原家(きゅうやのはらけ)住宅(国重文の合掌造民家 昭和35年移築 )、旧燈明寺(とうみょうじ)本堂(国重文 室町時代前期の建立 昭和62年移築)、鶴翔閣(三渓が住まいとして建てた、延床面積950m2の大きな建物)等、じっくり拝見しました。

南口から入園して正門で解散。半日ツアーだったんですが、13:30になっていました。
三渓園には昔々2、3度来たことがありますが、これほど園内を隈なく歩き回ったことは初めて。池の畔のみフラットな歩道ですが、他はアップダウンが多い上、決して歩きやすい道でもなく、結構疲れました。

感想: 歴史を大切にする心、文化を愛する気持ちを持つこと、肝に銘じました。
それにしても、三渓さん、莫大な財産をお持ちだったんですね。生糸貿易、おみそれしました。

おまけ: 正門付近からの景色になります。
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逆光で写真、難しかったです。<(_ _)>
by b_neige | 2016-03-05 19:45 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

湘南七福人めぐりpart3(2016.01.07)

湘南七福人めぐり、昼食後の3寺になります。

逗子・福祉会館から、五番目のお寺・仙光院(毘沙門天)まで、結構な距離がありました。
桜山中央公園に上がり、逗葉高校の前を通って、イトーピアの瀟洒な住宅地を歩きます。
途中、冬紅葉がきれいな場所がありました。
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仙光院には、上の墓苑から入りました。(かなりの勾配の斜面にお墓が並んでいます)
本堂は一番下。
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開基は鎌倉地方に真言宗を広めた長覚(ちょうかく)。真言宗の名僧だそうです。
こちらのお寺も戦火や山火事で、現在のお堂は大正年に再建されたもの。

お堂の中の毘沙門天さまです。
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りりしいお姿でしょう。財宝を守る神さま。四天王のお一人=多聞天とも呼ばれ、特に勝負事にご利益があるとして崇められています。

境内には畠山地蔵が安置されていました。
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源頼朝の時代、有力御家人であった畠山重忠の念持仏。きれいに彩色された大きな仏さまでした。(鎌倉時代のものとは思えないほど)

ここから、また少し歩きました。おもしろかったのは、途中、クラブツーリズムの団体さんとすれ違いました。おそらく、七福神めぐり?(バスから降りて、歩かれていました)こんなところまでいらっしゃるとは。

さて、6番目のお寺は長柄御霊神社から
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そう遠くない、長運寺(布袋尊)です。(長運寺は長柄御霊神社の別当寺でした)
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頼朝の御家人であった長江太郎義景=鎌倉権五郎景政の子孫、が衣笠城の不動を分祀して、お寺の山号を「景政山」としました。(長江一族の多くは、三浦氏と血縁関係を深めたため、宝治合戦の折、頼朝の法華堂で殉死)

お祀りされている布袋尊になります。
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七福神の中で、唯一実在した人物とされます。中国・唐代末期の僧でした。福徳の神、弥勒菩薩の生まれ変わりと伝わります。

長江交差点バス停から京急バス乗車で、旧役場前下車。最後、七番目のお寺、玉蔵院(恵比寿)へ。
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昇堂して、ご住職さまのお話を伺いました。お寺の歴史やら、仏さまのことやら。
開山・開基は奈良・東大寺別当・良弁(ろうべん)僧正。それ故、古刹。

お堂の中には沢山の仏さまが祀られていました。
恵比寿は、ご本尊(大日如来さま)の右側に。(写真、無理でした)
七福神の中で、ただお一人、日本の神様。漁民とのつながりが深く、豊漁、商売繁盛、海運の神様として信仰されています。(右手に釣り竿、左脇に鯛を抱えるのが一般的)

以上、湘南七福神めぐりでした。(解散は15:00頃だったと思います)
徒歩距離9kmと聞いていましたが、どうしてどうして、私の万歩計では12kmありました。歩くだけの鎌倉歩協の七福神めぐりと違って、ご説明があった分、時間もかかり、少々疲れました。

七福神めぐり、今年は1月早々に2度も!はてさてご利益はいかに??(笑)
ガイドは女性のTさん、毎度の人数確認、お世話になり、ありがとうございました。ほとんどが初めてのお寺ばかり。楽しかったです。
by b_neige | 2016-01-10 07:21 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

湘南七福人めぐりpart2(2016.01.07)

神武寺駅から、徒歩5分程、東昌寺(福禄寿)です。
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こちらのお寺は鎌倉と所縁があるんですよ。前身は東勝寺。
東勝寺と言ったら、もうご存知ですよね。
北条氏の菩提寺。ちなみに開基は2代目執権北条泰時、開山は退耕行勇。
1333年新田義貞による鎌倉攻めで、高時以下一族800名余が自刃し、伽藍も焼失してしまったお寺です。
この時、住職であった信海和尚が、ご本尊の大日如来(平家供養の為、頼朝が造立と伝わります)を火中から運び出し、池子に逃れて再建しました。(江戸時代に「東昌寺」に改名)
本堂です。
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大日如来が祀られていますが、頼朝公由来のものではなく、再造立されたものと伺いました。 

境内には他に、阿弥陀堂があって、大変大きな(像高約260cm)丈六阿弥陀如来坐像が祀られていました。江戸時代・宝暦6年(1756)造立、仏師は鎌倉扇ガ谷の三橋宮内忠之、市重文。
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これよりましと思うので、GAKKEN MOOK鎌倉仏像めぐりより、画像、スキャンします。
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堂々とした風格、素晴らしかったです。

あとは、墓苑に、鎌倉幕府・政所の執事を務めた二階堂行盛のお墓と伝わる五輪塔(国重文)がありました。
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以前は行盛の開基といわれる慶増院(葉山)にあったそうです。
球形の水輪に梵字「バン=大日如来」が刻まれています。

そうそう、肝心な湘南七福人ですが、本堂内、右脇に福禄寿が祀られていました。
ただね、どうにも見えないんですよ。角度だと思いますが、残念。他のお寺では七福神さま、拝見出来たのですが。
関西宝塚の名刹清荒神(きよしこうじん)より勧請され、招福、長寿祈願として祀られています。

さて、ここから結構歩きました。30分ほど。途中、曹洞宗のお寺、海宝院前を通過。ガイドさんから、石原良純さんの墓地があると伺いました。四脚門の立派な山門、大きなお寺でした。

やっと到着、四番目は寿老人を祀る光照寺です。
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この辺りは、「沼浜」といって、源頼朝の父、義朝が常住した場所だと伺いました。
義朝が平治の乱で敗死した後、長男・悪源太(源)義平(よしひら)は、平清盛を暗殺しようと単身京都に潜入しましたが、六条河原で斬首されてしまいます。
* 頼朝には9人の息子がいました。
<義平、朝長(ともなが)、頼朝、義門(よしかど)、希義(まれよし)、範頼(のりより)、今若=全成、乙若=義円、牛若=義経>
義平は悪源太(源)義平と呼ばれます。 悪=強い人への褒め言葉。ものすごく強い、恐ろしいほど強いということ。
父・義朝が上京したまま、留守が続く中、領地争いをしていた叔父・義賢(よしかた)を討っているのです。平治の乱でも大活躍したのでした。
(ちなみに、平治の乱に参加したのは兄弟のうち上の4人。朝長、義門はこの平治の乱で亡くなっています。頼朝→伊豆に流罪)
光照寺は、そのヒーロー、義平を供養するために建てられたと伝わる由緒あるお寺です。(義平が生き延びていたら、と考えるとおもしろくなりますね)

こちら、本殿。
寿老人は真ん中にお祀りされていました。 画像、はっきりしなくて<(_ _)>
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さて、光照寺から、またまた歩きました。再び30分ほどかな。
福祉会館で昼食休憩。12時15分でした。
(あと、もう3寺)

by b_neige | 2016-01-09 07:09 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

湘南七福神めぐり(2016.01.07)

つい先日鎌倉・江の島七福神めぐりをしたばかりですが、湘南七福神めぐりというツアー(鎌倉ガイド協会)を発見し、珍しさに惹かれて参加してみました。8年ぶりの企画なんですって。

こちらは、途中のお寺にあったポスター。(全部真言宗のお寺)
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お正月10日まで、普段は閉められているお堂を開けて下さるそうです。
場所は、逗子・葉山。
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一日で全部歩いてまわるには遠すぎということで、今回は電車(京急)とバスの乗り継ぎです。

逗子駅東口集合9:30、13名で出発しました。
最初のお寺は逗子駅にほど近い、逗子・延命寺(弁財天)。
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以前にも、訪れたことあります。
cf: 葉山文化財研究会-葉山。大山詣での道3(2013.11.27 part3)

鎌倉の杉本寺と同様、歴史の古いお寺です。開基は行儀菩薩。創建は奈良時代(天平)。
延命寺は明治29年(1896年)の火災で大部分を焼失、大正12年(1923年)の関東大震災直後に再建されました。現在の本堂は昭和52年(1977年)に新造されたもの。

昇殿して、ご本尊の大日如来さまを拝見しました。行基菩薩が彫ったとされる延命地蔵は向って左手に祀られています。平安時代に、弘法大使(空海)が立寄り、その延命地蔵の厨子を設けた(だから厨子→逗子の地名に)ということでしたが、そのお厨子なのかどうなのか??お地蔵さまは小さかったです。ただ、ガイドさんのご説明によれば、右側にもお地蔵さまが祀られ、以前はそちらが、延命地蔵とされていたとか。その後、鑑定の結果、左の方が年代が古いということで、現在は、左側の小さいお地蔵さまの横に延命地蔵と記された札が置かれています。(ここらへんの経緯、???)
本堂では、懸仏のような、板に鋳造された銅造阿弥陀三尊像も拝見しました。鎌倉時代後期の作だそうです。元は亀が岡八幡宮に祀られていたものだとか。逗子の重要文化財サイトから画像、お借りしました。
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下の画像は、本堂の前のお大師さま。真言宗のお寺には必ずありますね。
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2匹の犬はお大師さまをお護りしながら高野山へと導いた四郎(右)と九郎です。

そして、弁財天ですが、本堂の右手前(三浦道香主従のお墓の隣)のお堂に。
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高野山より勧請したもので、脇に大黒天と毘沙門天、手前に十六童子が見られる弁財天(音楽、弁才、財福、知恵の霊感あらたか)。
大変可愛らしい感じがして、必見です!

さて、ここから徒歩15分ほど、お初のお寺、宗泰寺(大黒天)になります。
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江戸時代と明治期に火災にあって、歴史等、詳細は不明だそうです。
でも、製作年代が推定される仏像が残って、お堂に安置されています。
現在のお堂は昭和40年に再建されたもの。
正面に大黒天が祀られていました。
写真、あまりはっきりしないのですが、
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信貴山成福寺より勧請したもの。小槌を高く振り上げた、財福、福徳を招く霊験あらたかな大黒さまです。

三番目のお寺へは、京急乗車。「新逗子駅」から一駅、「神武寺駅」へ。
続きます

by b_neige | 2016-01-08 16:03 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

ガイド協会史跡めぐり-特別鑑賞!紅葉の谷戸 古刹庭園とやぐらを訪ねる(2015.11.26)

26日(木)、ガイド協会の11月史跡めぐりCに参加しました。
今年5月に放送のNHK「ブラタモリ#5 鎌倉」で紹介された浄光明寺の庭園が拝見出来るという事で、大分前から申し込んであったんです。
タイトルは、「特別観賞!紅葉の谷戸 古刹庭園とやぐらを訪ねる」。
cf :NHK「ブラタモリ#5 鎌倉」」(2015.05.09)

9時半までに西口集合でしたが、珍しく早目に到着。この日、朝は小雨模様でした。
キャンセル、もしかして多かったかもしれません。
すぐに15人で出発となりました。(最近は20人じゃないみたい)

まずは、寿福寺に向かうトンネル手前(刃稲荷側から)の鐘鋳畑やぐらを見ました。(外観のみ)
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前から知っていたやぐらですが、このやぐらに名前がついているとは。
寿福寺の鐘を鋳たところと考えられているんですって。
道路を隔てて西側のお宅のお庭にもいくつかのやぐらが垣根越しに確認出来る場所です。

浄光明寺を通り越して、その先にある妙伝寺まで来ました。
実は、以前、このお寺を探してウロウロしたことがあります。鎌倉十井の一つ「泉の井」の先辺り。結局、探せずじまいだったので、この日、嬉しい発見でした。
こちらがご本堂。
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昭和49年にこちらに移ってきたお寺です。それよりずっと以前、中世には、こちらに多宝寺というお寺があったのだとか。
一昨年、有志会で浄光明寺から裏山に上がり、多宝寺長老・覚賢塔という巨大な五輪塔を拝観したことがあるのですが、ちょうどこの場所は、その五輪塔の麓にあたるのだと思います。(浄光明寺からじゃなくて、こちらのお寺からも、あの五輪塔まで上って行けるのかも)
cf : 有志会 二十四地蔵尊めぐり(2013.04.18 part2)
あの有志会でリーダーが説明して下さった通り、この多宝寺の裏山は馬蹄形をしていて、山腹には、多宝寺跡やぐらと呼ばれる多くのやぐら群が見られるそうです。
その最前部に位置すると考えられている大型やぐら(ご本堂の右手奥)を見学しました。
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さて、その後は来た道を戻り、浄光明寺の向かい奥の東林寺跡やぐらへ。現在は、浄光明寺お檀家の一般墓地となっている場所です。
以前、やはりガイド協会のやぐら巡りで拝見したことがあります。
cf : ガイド協会史跡めぐり-瓜ヶ谷やぐら(2011.11.17 part2)
あの時と同様、舟底形天井のやぐらやアパート式やぐらを見てまわりました。

そして、浄光明寺へ。
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まずは、非公開の池泉式庭園を拝見します。
お約束事!写真は撮ってはいけないということ。(残念~)
でも、今年5月にNHKで放送された時の画像があります。(TVより)
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岩壁を垂直に掘削した切岸を背にした庭園。切岸の地層と上から生える「ビャクシン」が織りなす景観には驚かされます。優美じゃありません。研ぎ澄まされた美しさというか、野性味というか…。武家の古都・鎌倉に似つかわしい庭園だと思うのですが、如何でしょう?
(私はこちら、2度目の拝観となりますが、主人に見せてあげたくて、今回参加した次第)
珍しいですよね。てっきり梅かまくらの時だけの拝観と思っていました。さすがガイド協会です。

こちらの画像は客殿前から、庭園のビャクシンが生える切岸を写したもの。ちょっとだけですが、ビャクシンが写ってます。
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上の境内の収蔵庫でご本尊の阿弥陀三尊像も拝ませていただきました。(お寺の方から、阿弥陀さまが伸ばしてらっしゃる爪もよくご覧下さいとのこと。水晶でなく木製!ではありますが、お爪、下方から、確かに拝見出来ました)

さて、浄光明寺をあとに、相馬師常のやぐらへ。こちらも前にガイド協会さんで見学済。
被葬者が判明している極めて稀なやぐらということです。

この日の2番目のメインでしょうか、海蔵寺へ向かいます。(私、とてもご無沙汰してます)
紅葉ゾーンにさしかかりました。
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こちらは海蔵寺の駐車場入口付近で。
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山門前到着~!
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入口付近、紅葉が見頃になってきています。(また来ないと!)
境内へ。
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境内の中から山門方面を眺めると、こんな具合。
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なかなかの美しさです。カメラマンも何人か。
鐘楼辺りの紅葉。
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大勢の拝観者です。もしかして、このツアーの参加者たち?

本堂脇から上がり、池泉式庭園を拝見しました。
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裏山から湧き出る清水が心字池を満たしています。名物のカワセミはいなかったけれど、いつ見ても趣のある美しい庭園。(昔、やはり晩秋の頃と早春の頃、見せていただいています)
一同、しばしうっとりお庭を眺めます。

その後は海蔵寺本堂脇のやぐらや、十六の井を見て、お寺をあとにしました。

最後に2つのやぐらをご紹介しておきます。
海蔵寺に向かう途中、左手に流鏑馬の武田流の金子家がありますが、そのお隣のやぐら=「金子家やぐら」(仮称)です。門の跡がはっきり残っているのが見てとれます。

それと、「智岸寺谷やぐら」
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このやぐらはこれまで気がつきませんでした。場所はね、どう説明しましょう。海蔵寺から駅に向かい、阿仏尼の供養塔手前で右に曲がり、左手。(その先にはアメリカの雑貨等売っている小さなお店あり)これまで、一回だけ、その前を歩きましたが、全く気がつかなかったやぐら。(竹藪の中ですもの)
更にびっくりすることに、大きなやぐらなんです。昔、智岸寺があった場所ということでこの名称。墓石(人見氏)があることから人見やぐらとも。江戸時代中期に一部改造されたようです。

以上、午前中の半日コース、寿福寺前で解散11:40でした。
このコース、ブラタモリの影響もあってか、超人気で、早々と満員締切となったそうです。最初パラパラ降っていた小雨がいつのまにか上がり、すっかり青空に。
最初からいいお天気だったら、もっとすごい参加者で行く先々で大混雑だったかも。(グループごと、拝観の順番が違ったようです)
ガイドは元気なTさん、社会科の先生だった方。色々発見もあったツアーで、楽しかったです。
ありがとうございました。
by b_neige | 2015-11-28 07:05 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

ガイド協会史跡めぐり-歌あはれ その人あはれ!-憂愁の若き将軍・源実朝-part2(2015.10.30)

フレンドリー鎌倉でトイレ休憩の際、またご説明がありました。
これから歌の橋へ向いますが、歌の橋は道沿いで交通量がある為、団体で立ち止まっての説明が難しい由。
その「歌の橋」と碑になります。
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建保元年(1213)2月、謀反の罪で捕らえられた渋川刑部兼守は明朝処刑されることを聞き、荏柄天神に10首の和歌を奉じます。たまたま荏柄天神に参籠していた工藤祐高がその渋川刑部の和歌を御所に持参し、将軍実朝にみせたところ、実朝は大変感動し、その罪を許したそうです。この時、渋川刑部は荏柄天神のご利益と感謝し、お礼に二階堂川に橋を架けました。それが「歌の橋」と伝わっています。
新編相模国風土記稿の中に、当時の橋は三間(約5.5m)とあり、現在の橋とほぼ同程度と考えられるそうです。

その荏柄天神社への参道も歩きました。
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白旗神社脇、高台にある頼朝公墓にも寄りました。
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大倉幕府が置かれていたという清泉小学校辺りのサクラ道。
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大倉幕府は養和元年(1181)6月、新御所が完成し、頼朝公が移り住んで以降、承久元年(1219)実朝公が暗殺されるまでの39年間、この一帯に置かれていました。御所は同年12月24日の火災で全焼。以後、宇都宮辻子御所に移ります。

鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場沿いの実朝桜となかなか気がつかない歌碑。
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歌碑には、風さわぐをちの外山に空晴れて 桜にくもる春の夜の月 とあります。
この歌碑はまだぴかぴか。平成23年(2011)、実朝桜が植樹された時のもの。

国宝館前に立つ実朝公歌碑。
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(以前にもご紹介しています)
cf: 七夕まつりを待つ鶴岡八幡宮(2014.07.02 part3)

山はさけうみはあせなむ世なりとも
君にふた心わがあらめやも

この歌碑は当初鎌倉ペンクラブにより計画されましたが、のち社団法人・鎌倉同人会の参同も得て、鎌倉文化連盟により昭和17年に建立されました。

鶴岡八幡宮境内にもう一つある実朝公ゆかりの歌碑。(白旗神社前、柳原神池畔)
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歌あはれ その人あはれ 実朝忌 (菅裸馬) 鎌倉同人会により昭和36年建立
菅裸馬(すが らば)は本名を菅礼之助といって、東京電力会長になるなど、戦前・戦後の財界で多彩な活躍をした人。

ガイドさんからは、実朝が渡宋を試みた理由などもご紹介がありました。大佛次郎や小林秀雄、太宰治らによる見解なども。
この辺りは、個人的にも、疑問に感じていた箇所。
実朝は東大寺大仏の再建にあたった宋の技術者である、陳和卿が建保4年(1216)6月に鎌倉へ下ってきた際対面します。陳和卿は実朝の前にひれ伏して、前世において実朝が宋の医王山の長老であったと述べるのですが、実朝は自らも以前そのような夢を見たことがあったと告げます。実朝は陳和卿にしばらくの間鎌倉に逗留するよう命じ、その交流を重ねる中で渡宋計画が現実化して行くのです。
疑問1.
仏師である陳和卿に造船を??もちろん、陳和卿が造船術にも航海術にも長けているかのように自らを見せかけたのかもしれませんが、大江広元も横についていただろうに、どうも腑に落ちません。
疑問2.
宋で仏法を学ぶ、という理由、というか、渡宋を思い立った理由が読めません。+の要因から?それとも現実逃避という-の要因から?
和歌に長けた実朝ですが、和田合戦以降、作歌も思うようには出来なかったようです。心、ここにあらず。感動がなければ、心を揺さぶるような歌詞も出てきませんよね。この頃の実朝には精神的な悩みもあったのかもしれません。

ガイドさんのお話の中に、井伏鱒二が小林秀雄の作品「実朝」を手にした時、戦時中に鉄兜を拾った思いだった、と語ったとありました。(「実朝」、読んでみようかな、と)

そして、最後は大階段へ。
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承久元年(1219)正月、右大臣拝賀の儀式の際、実朝公は大イチョウの陰に隠れていた公暁に暗殺されました。
幕府の催事や年中行事なども、八幡宮を中心として行われていたそうです。大イチョウは倒れて今はもうありませんが、ひこばえ(→)が順調に大きく成長しています。

ここでツアーはお開きに。
ガイドさんのありがたい詳しいご説明に、ひたすら感謝の半日でした。大変素晴らしくて勉強になりましたが、移動の道々、伺った駄洒落話がとってもおもしろく(笑)、 忘れません。はいっ。
by b_neige | 2015-10-31 07:15 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

ガイド協会史跡めぐり-歌あはれ その人あはれ!‐憂愁の若き将軍・源実朝‐(2015.10.30)

鎌倉ガイド協会の10月Cコース、「歌あはれ その人あはれ!‐憂愁の若き将軍・源実朝‐」に参加。
(実朝が創建したという十二所の大慈寺跡を訪れるそうで、実は、大慈寺跡の碑はまだ実際に見たことがないんです。それと、その後の光触寺の特別拝観というのが魅力で、参加してみた次第)

そうそう、タイトルにある「あはれ」ですが、歌あはれの「あはれ」は褒め称えるという意味合いがあり、「あっぱれ」から来ている「あはれ」なんですって。

さて、ガイドさんの他14名で出発。東口からバスに乗って、「十二所」で下車。少し戻って、イエズス会鎌倉修道院の門付近でまずはガイドさんよりご説明を伺います。
今日のガイドさんはMさん、昔、海蔵寺・英勝寺・寿福寺の特別参拝の折、お世話になりました。超が山ほどつく位歴史にお詳しくて、ご説明も盛り沢山です。
ガイドさんがこの日、ご紹介下さったのは、
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甲斐善光寺に祀られている最古の源実朝木像(左)と実朝亡き後、出家した正室・坊門信子が京都へ戻って、菩提寺として創建した大通寺にある源実朝像。
ネットより、画像お借りしました。
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甲斐・善光寺・県指定文化財
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京都・大通寺(通常非公開のお寺・実朝像は本堂のご本尊の脇に祀られています)

イエズス会の門の前の小径を少し入った場所に立つ「大慈寺跡の碑」。
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大倉新御堂とも称し、「君恩父恩」(後鳥羽上皇・源頼朝)に報謝するために、源実朝の立願で創建されました。
また、建保5年(1217)5月、宋の能仁寺から請来した仏舎利は半年の間京都に置かれたということですが、実朝公により、鎌倉の勝長寿院経由、こちらの大慈寺に安置されました。(後年、北条貞時により円覚寺舎利殿へ)
碑は個人宅の角に立っていますが、この付近は五大堂明王院の東側にあたり、ここら辺り一帯が旧蹟と伝わります。十二所ですから、大倉幕府から随分離れた場所になります。

光触寺へ移動。
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境内の一遍上人。
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別段、実朝とのつながりはないのですが、このお寺に大慈寺・丈六堂のご本尊であった阿弥陀如来像の仏頭がお祀りされているのです。いつ伺っても閉められているご本堂の扉が開けられていました。(昇殿特別拝観) カメラはもちろん不可で<(_ _)>

以前(2011年の春だったと思います、震災前でした)、同じガイド協会のツアーで十二所果樹園を訪れた際に、このお寺も特別拝観させていただきました。だから今回2度目ですが、仏頭のことは記憶になく。。。(>_<) 今回、あの伝説の頬焼阿弥陀如来さまも含めて、間近で拝見し、しっかりお参りしました!(仏頭は1mほどあるでしょうか、とても大きく立派なものです)

その後は大江広元邸跡の碑やら見ながら、歌の橋まで徒歩で移動。
途中の犬懸橋辺りの滑川沿いで。
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黄葉が始まっています。
こちらはフレンドリー鎌倉のグランドで。
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大イチョウは僅かに黄変していますが、右奥の木は既に紅葉がきれいでした。
続きます
by b_neige | 2015-10-30 18:27 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

ガイド協会史跡めぐり-田谷の洞窟に涼を求める(2015.08.26)

今朝は昨晩からの雨が残って、午前中激しい雨との予報。でもうそみたいに、8時過ぎにはあがってしまったんです。それで、申し込んであったガイド協会の史跡めぐり(半日ツアー)に参加することにしました。
タイトルは「田谷の洞窟に涼を求める」なんですが、一昨日、昨日、そして今日も涼を求めなくても全然大丈夫という空模様。涼しいったらありゃしない。(笑)実際、今朝は長袖の上着がほしいほどでした。

9時半までに、大船駅南口改札、大船観音側の歩行者デッキ集合。最後のグループ、5人で出発です。戸塚バスセンター行きに乗って、「辻前」下車。10分程だったと思います。まずは、八幡神社というこの辺り(金井)の鎮守さまを訪れました。
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ブラタモリじゃないですけど、この鳥居の前には、その昔、川が流れていて、中央に見える石材は橋の名残なんですって。
そして、鳥居は大正12年のものだそうで。
ここを歩いて行くと、朱塗りの両部鳥居があって、歴史のありそうなお社が見えてきます。
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お社の前の2基ある燈籠が一番古いものとか。江戸の終わり頃、元治2年(1865)と伺いました。
拝殿(木鼻)や、拝殿と本殿の仕切りに施された彫刻(翁と嫗(おうな))は大変凝った立派なものでした。

お次は、玉泉寺(臨済宗円覚寺派)。山号 宝陀山常光院玉泉禅寺 本尊:聖観音菩薩、薬師如来
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中興の祖である、大用国師(誠拙周樗)は、こちらに不顧庵、忘路亭という茶室を建てて隠居していましたが、臨済宗の重鎮として、多忙を極め、京都の天龍寺・相国寺に招聘されるなど、留守にすることが多かったそうです。そこで、国師はこの辺り(金井)の村人に、爪と歯及び写経を入れた壷を与えたと伝えられ、村人は塔を建てて、この壷を納めました。→爪牙塔。
境内を見下ろす場所にその塔があります。
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大用国師は大変、竹を好まれたということで、花入れの台座が竹の意匠になっています。

なお、この大用国師は鎌倉・円覚寺ゆかりのお坊さまだそうです。江戸時代後期、当時退廃していた円覚寺を建て直され、僧堂を再建された「中興の祖」というべきお方とか。それもあってなのか、この爪牙塔には屋根がついていて、前円覚寺管長による「如在」というお墨書が揚げられていました。

実がたわわになった、ひと際大きな栗の木、ここから真正面に見下ろせます。
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かつての金井村の領主のお墓も見学。
古そうな宝篋印塔も並んでました。
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これは、四方竹という、幹?が四角い竹。
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鎌倉・浄智寺からのものだとか。細いと、あまりよくわかりませんでしたが、太い竹だと確かに四角いと感じました。画像では、どうでしょう?

さて、ここから20分ほど歩いたでしょうか、田谷の御霊社(祭神 鎌倉権五郎景政)へ。そう言えば、先ほどから歩いている場所、鎌倉市じゃありません。横浜市なんですよ。
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栄区。(昔は、鎌倉郡〇〇だったそうで)
大船駅からバスだから、気分的には鎌倉エリアですね。

はい、到着。
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本日のメインである、田谷の洞窟=定泉寺から、この神社の裏山に通じる山道があると伺いました。(和田合戦の際、和田義盛の三男、朝比奈義秀がここから落ち延びたとも。鎌倉幕府滅亡の際にも、落武者が逃れたという伝説が)
裏山には、先ほどもご紹介した四方竹の竹林が広がっています。

こちらは、石段を上がって、拝殿右側にある、横浜市指定の名木古木「ケヤキ」。
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立派な巨木でした。
こちらの神社、鎌倉・長谷の御霊(ごりょう)神社と同じ祭神をお祀りしています。だから、屋根の上には同じ神紋!
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それでは、お待たせしました。最後になります。田谷の洞窟へ。
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定泉寺です。(真言宗大覚寺派) 山号寺号 田谷山定泉寺 本尊:阿弥陀如来
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境内は、鎌倉幕府の有力御家人であった和田義盛の子・朝比奈三郎義秀の館跡と伝わります。
そして、真言宗のお寺ですから、境内にはお大師さまが。
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洞窟の拝観受付横の休憩所?で、まずは、ご法話をお聞きしました。
こちらのお寺の縁起など。また、三蜜瑜伽(ゆが)という言葉=「言葉」と「行い」と「心」を一つにして、こだわることなく、とらわれることなく、おいかけることなく、全てを水に流して、生きていくという、そんな内容のお話。

そして、一同、洞窟に向います。残念ながら、写真はここまで。
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人口洞窟。瑜伽洞(ゆがどう)=通称、田谷の洞窟。
こちらの洞窟の歴史は寺建立より古く、原型は古墳時代の横穴墓穴とか。鎌倉時代初期、鶴岡八幡宮元二十五坊の修禅道場として開創されたと伝わります。上中下の三段構造。内部には行者道という順路が定められていて、道に迷うようなことはありません。入口でろうそくに火をともして入りますが、中は電灯が設置され、歩きやすいです。丸く掘られた広めの空間が17ヶ所ほどあって、そこが修行場と伺いました。その広めの空間やそこに至る通路の壁面、天井に、曼荼羅、十八羅漢など彫られています。
全長1kmほど。内部の気温は一年中通して16℃。
内部は撮影不可なので、ご紹介できませんが、ネットで探してみると、こんな画像がありました。
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これは、五大明王のところだと思うのですが…。
西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所、四国八十八箇所の札所が全ておさめられています。(全部で百八十八箇所のお札所)すごいでしょう。

一番好きだった場所は、四国八十八霊場のドーム。五大明王の修業道場も身が引き締まる思いでした。霊水が湧いているお水大師のところもよかったです。(「足柄山の山姥と金時」は見逃してしまい、残念)

洞内には、音無川など水が流れていて、湿気があるため、やわらかい地層でも彫り物がこれだけきれいな状態で残されているというご説明でした。プロの職人さんではなく、修行者=行者自ら、ノミを持って、壁面に刻んだ仏さま。洞内に残る無数のノミ跡に驚きます。

洞窟を出た後は、朝比奈弁財天、子安地蔵尊(無数の小さな水子地蔵が並んでいます)の前を歩き、本堂でお参り。
祀られているご本尊、厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師さまを拝観しました。厄除け木魚もたたかせていただきました。21返たたくと厄除けになるそうで。大変立派な木魚に、いささか恐れ多かったです。

以上、私にはどこもお初のなかなか珍しいミステリーツアー、丁寧なガイドさん(Mさん)のご説明も分かり易く、退屈しませんでした。きっとものすごく準備されているんだと思います。頭が下がります。ありがとうございました。
by b_neige | 2015-08-27 07:25 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(2)

ガイド協会史跡めぐり-鎌倉史に残る女性たちを訪ねて、今は昔、三つの尼寺物語(英勝寺)(2015.07.07)

7月7日のガイド協会ツアーの続きになります。
東慶寺から亀ヶ谷坂切通経由、英勝寺へ。こちらは、途中見た、とある民家の玄関先で咲くノウゼンカズラです。
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沢山花をつけて見事でした。

さて、英勝寺到着。まずは、この日のメイン、山門をご紹介しますね。
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こちら側が正面口。扁額が見えるでしょう?
この山門は、東日本大震災の年(4年前の2011年)、5月に元の場所に元の部材で復興再建されました。間島弟彦(まじま おとひこ)氏によるところが大きいことは、以前のレポートでお伝えした通り。
cf : 御成小学校正門脇にある「間島君旌徳(しょうとく)碑」(2012.02.08 part2)

禅宗様式で正面三間(約6.4m)一戸、二層の門です。これまで建長寺・円覚寺・光明寺のそれぞれの山門に上りましたが、規模としては一番小さいです。
ここのお寺の山門登楼は、ガイド協会でも初めてのこととか。ガイドさんを先頭に、狭い急な階段を上ります。(上り口は仏殿側でした)
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何段登ったかしら?
上層はそんなに広くありません。私たち13人のグループでしたが、お祀りされている仏さまの前に座って、ガイドさんのご説明を伺いました。ちょうど13人でいっぱいいっぱいな位の広さでした。
中央に阿弥陀如来像、脇侍として、向って右、観世音菩薩、左、勢至菩薩。その両脇に十六羅漢(11体)が祀られています。(4体は国宝館に納められていて、残り1体は失われています)
お寺のHPから画像、お借りしました。
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感じ、掴めますでしょうか?(実際の方が数倍も素敵です!)
十六羅漢さまはそんなに大きくはないのですが、お顔がどれも美しく、歴史も感じられて、素晴らしかったです。

上層の廻廊に出て、撮った扁額です。
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後水尾上皇宸筆。(ただし本物じゃありません。本物は国宝館)
横から見たところ。
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山門廻廊を2周!しました。こちらは後ろに見える仏殿です。
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ちょっと見下ろす感じですね。
こちらは、廻廊4隅に付いている装飾。
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宝珠でしょうか?意匠がおもしろいです。格狭間風という輪郭をもつ花頭窓も味わいがありました。写真は近すぎて無理でしたが、こちらの画像に写っています。祠堂(英勝院の御霊屋)前から望む山門。
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窓、いいですよね。

上ってきた階段を下りました。(ほんとにほぼ真下に下りる感じ)
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やれやれ、無事に全員、下りることが出来ました。
言い忘れましたが、この山門は神奈川県の重要文化財。復興前に指定されたんです。珍しい例と伺いました。仏殿側から、もう一度山門を。
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有難い登楼でした。

この日は、仏殿にも入らせていただきました。以前、やはりガイド協会のツアーで仏殿を拝観したことがあります。だから2回目。
cf: ガイド協会史跡めぐり-英勝寺(2012.02.20 part3)
天女や鳳凰の天井画など、堂内の美しさは相変わらず。
今回は、比較的ゆっくり時間があったので、阿弥陀如来さまの脇侍である、観音菩薩さまと勢至菩薩さまが浄土へのお迎えの為に、上体を前向きに倒されているお姿など、じっくり観ることが出来ました。
通常は小窓(引戸になったガラス戸)を開けて、仏さまを拝むだけなので、このような機会は希です。この英勝寺の仏殿、ほんとに美しくて好きです。

あとは、袴腰の鐘楼やら、上の境内の竹林やら、金比羅宮の横から見える英勝院のお墓やら、ガイドさんに連れられて見学。
こちらは、上の境内への石段脇に咲く、名残のアジサイです。
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英勝寺の拝観通用門側から仏殿を。
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この右側のハスをアップで。
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3日目のハスでしょうか。もうハスの季節突入なんですね。とっくに??(^^ゞ

一つ、これまで知らなかったものがありました!
仏殿の外に何気に置かれた、この石、何かご存知ですか?
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鎌倉十橋の一つ、勝の橋(寿福寺の前に石標が残っています)の石材なんですって。英勝院はお勝の方とも呼ばれていました。その由縁で、こちらに置かれているのでしょうか。ちっとも知りませんでした。(新しい発見は嬉しいです)

寿福寺前の勝の橋の石標のところで、ツアーはお開きに。
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ガイドはM氏。ゆったりとしたガイドさんで、午前中、ゆったりのんびり楽しく過ごせました。感謝です。
by b_neige | 2015-07-08 20:54 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)

ガイド協会史跡めぐり-鎌倉史に残る女性たちを訪ねて、今は昔、三つの尼寺物語(東慶寺)(2015.07.07)

実は先週4日(土)実施のガイド協会7月Cコース「鎌倉史に残る女性たちを訪ねて」に申し込んであったのですが、その日雨で断念してしまいました。英勝寺の山門に登楼するということで楽しみにしていたんですけどね。。。
仕方ないわと、あきらめていたところ、本日火曜日、珍しく一日フリーになり、第2回目のそのコースに参加することが出来たんです。やったぁ~!

かつて鎌倉尼五山の第2位だった東慶寺と現存する鎌倉唯一の尼寺、英勝寺を訪れるツアー。 最後のグループ、13名で出発です。(参加200名弱、全部で11グループありました!)

まずは東慶寺へ。久しぶりです。
この日はまず、山門下でガイドさんから、お寺の歴史やらのご説明をたっぷり伺ってから境内へ。
山門前のアジサイはさすがに終盤でしたが、遠目にはまだまだ観賞に耐えます。
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受付横に生けられていたアジサイ。
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これは柏葉アジサイでしょうかね。
鐘楼の前で、ガイドさんから、吊るされている梵鐘が材木座の補陀洛寺から移されたこと等、ご説明がありました。
年明けに、暁の鐘を撞かせていただいたこと、思い出します。
cf : 東慶寺での暁の鐘(2015.01.01)

ガイドさんと、境内奥にある開山・覚山尼や第5世用堂尼(後醍醐天皇の皇女、この方が入寺されて以後、松ヶ岡御所と称されました)、第20世天秀尼(豊臣秀頼の娘、豊臣家が滅び、尼僧になることで生き延びます。千姫を養母に持ち、徳川家の手厚い保護を受けたことで、お寺に貢献しました)のお墓を見学。

その後松ヶ岡宝蔵を見学するまで、結構な待ち時間があり、各々境内を観てまわりました。
以下、その時撮った写真です。

鎌倉はここ1週間、連日梅雨空で、雨に打たれているせいか、ナデシコは今ひとつ元気がなくて。
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なでしこジャパンは、残念でしたね。
名残のアジサイです。
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こちらのアジサイ、素敵でした~。
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真ん中に一つ白い花、可愛いでしょう?
ヤブカンゾウです。
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金仏さまの後ろの畑には、半夏生の群生が。
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赤花インドハマユウやら、姫緋扇水仙やら、オレンジのグラジオラスやら、アジサイやら、いろんなお花がきれい。
ちょっとアングル変えて。
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東慶寺は東国花の寺百ヶ寺です。

宝蔵前、左側さざれ石脇に咲く紫の桔梗と、
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右側、大きく育ちつつあるシュウメイギク(まだ葉のみ)の植え込みの中で咲く白い桔梗。
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白色が浮いてしまって、<(_ _)>
円覚寺塔頭・帰源院にある夏目漱石の歌碑には、「佛性は白き桔梗にこそあらめ」とありました。佛性、感じますでしょうか??

e0245404_18254228.jpgさて、松ヶ岡宝蔵に入館し、「東慶寺文書展」(4/29~8/30)を観ました。
ご存知ですか?
東慶寺は縁切り寺として世界記憶遺産の登録を目指して、この度(2015年6月16日)ユネスコに申請書を提出したんですよ。
縁切り寺って、世界に2ヶ所しかなかったんですって。(もう一つの縁切り寺は群馬県太田市にある徳川・満徳寺。明治時代に廃寺)
宝蔵で、現存する縁切文書を拝見しました。(常設の文書の他に、漱石の父がかかわったとされる、「てる」の文書やら、徳川満徳寺の「きく」の文書やら。江戸時代の印章の展示がおもしろかったです)

東慶寺文書は、関東大震災で大半が失われ、慶応2年の上下2冊が残存するのみ。そのうち縁切文書は660点余とか。状態が悪いもの(虫食いとか)が多く、修復作業にとりかかっているそうです。世界記憶遺産登録に向けて、万全にしないとね。

そうそう、宝蔵では聖観音菩薩立像も拝観しました。(お寺のHPより)
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この像はかつて西御門にあった鎌倉尼五山第一位太平寺のご本尊でした。
室町時代、鎌倉に攻め入った里見氏によって、この像と住持・青岳尼が阿房国に持ち去られてしまいます。(青岳尼は還俗して里見氏の正妻になりました)
太平寺は廃寺。この像がお祀りされていた仏殿は廃寺後、円覚寺へ移築されました。舎利殿(国宝)がそうです。
そして、この青岳尼の妹が、東慶寺第17世の旭山尼、というご縁で、だからという訳でもないのでしょうが、この像は後に鎌倉に戻り、こちらのお寺に安置されています。

東慶寺に随分長く居ました。帰り際、金仏さまを望んで。
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アジサイシーズンが終わって、どうにか一息ついた感じの、緑濃い境内でした。
(次は英勝寺に向います)
by b_neige | 2015-07-07 18:49 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(0)