カテゴリ:奈良のお寺( 14 )

奈良の旅2日目 唐招提寺(2015.11.19)

では、今回の奈良の旅、最終レポートになります。唐招提寺です。
観光バスでの7時間、一日コースの締め。お寺に到着したのは、おそらく4時前後だったかと。着いた時はまだ明るさを感じましたが、さすがに11月も中旬過ぎ、お寺を後にするときは、ほの暗く、夜のとばりが降りる頃でした。

唐招提寺、多分修学旅行以来になるのでしょうが、その記憶が完全に脱落している私にはお初のお寺になります。
(前回、2年前だったか、平城宮跡拝観後、予定していたのに、お財布を車に置き忘れ、拝観がかなわなかったお寺)

実は、唐招提寺は、写真などから、是非訪れてみたかった、お気に入りのお寺です。

南大門から境内へ。南大門の写真、撮り忘れ~。正面が気になって。。。<(_ _)>
玉砂利の参道の先、その正面に見えるのが金堂(奈良時代 国宝)です。
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本瓦葺のきれいなお堂、まさしく「天平の甍」。
時間が遅いので、拝観者の姿はあまりなくて、静寂な境内でした。
この金堂は平成の大修理(平成12年から約10年間)を、6年前に終えたばかり。
お堂の中の仏さま方を拝観させていただきます。
(お寺のHPより)
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中央に本尊・盧舎那仏坐像(奈良時代)、右に薬師如来立像(平安時代)、左に千手観音立像(奈良時代)(いずれも国宝)
ほの暗いお堂の中、厳かな雰囲気に包まれて立ち並んでらっしゃる仏さまたちは、それぞれ3mを越す大きさ。圧倒されますよ。
ご本尊・盧舎那仏さまの光背には、化仏の数、なんと864体ですって。(1000体あったそうですが)
それから、一番左の千手観音さま、やはり腕がほんとに沢山。実に953本ですって。(こちらも本来は1000本あったようです)。
よくお見かけする千手観音って、実際はこんなに腕の数、多くありませんよね。この仏さまの迫力には、鳥肌が立ちました。
(初日に訪れた入江泰吉記念写真美術館でこの千手観音の写真を何枚か拝見していましたが、ここで、さすが入江泰吉さんと!写真も素晴らしかったです)
この3体の仏さまには、言葉をなくすほど感動しました。
周囲にはこれまた奈良時代の国宝、四天王さまたちがずらり。いやはや、唐招提寺金堂のすごいこと。
立ち去りがたかったです。また、来なければ!!

金堂の仏さまたちのインパクトが強すぎたのか、次に金堂の後ろの講堂を拝観したのですが、お目にかかったはずの仏さまが思い出せません。ありえない話です。
一日の終わりで、集中力がなくなっていたのかも。<(_ _)> (やっぱりほんとまた行かなくっちゃ!)

唐招提寺は、ご存知、鑑真和上(688-763)のお寺です。
朝廷の招請に応じ、天平勝宝5年(753)、6回目にしてようやく苦難の末(視力をうしないながらも)、日本の地を踏まれました。
境内の奥、御影堂にその鑑真和上像(国宝)が奉安されているのですが、年間数日しか拝ませていただけません。この日ももちろん閉扉。
代わりに、開山堂にお祀りされた鑑真和上の御身代わり像を参拝しました。
(お寺のHPより)
開山堂です。(元禄時代 平成25年に改修工事を終え落慶)
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そして、御影像(国宝和上像を忠実に踏襲したもの)平成25年制作(鑑真和上円寂から1250年目)。
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彩色の上から「蜜陀僧油=荏の油に黄色もしくは橙赤色の粉末の一酸化鉛を加え、煮沸したもの。平安初期まで盛行」が塗布されて、肌の質感が出されています。とても上品な像でした。

校倉造り、本瓦葺の宝蔵と経蔵(奈良時代 共に国宝)の脇を通ります。外から見上げるのみ。
小さい方が経蔵で、
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唐招提寺で最も古い建造物だそうです。(日本最古の校倉)

唐招提寺、時間がもっとあったらよかったのですが、これで拝観終了となりました。
残念だったのは、御影堂の鑑真和上像ですが、通常は6月の御命日を含む3日間しか公開されていないところ、この秋から御影堂の修理が始めるため、修理直前の11月21日から23日の3日間だけ特別公開とあったんです。この日は19日!無念とはこのこと。(>_<)

近鉄奈良駅に戻ったのは5時過ぎでした。
主人が、大学が同じで上司だった方とお会いする約束があるということで、またちゃっかりお伴。
ならまちで再び美味しい夕食をいただきました。奈良、バンザイ!

奈良の旅(完)
by b_neige | 2015-11-27 17:07 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅2日目 薬師寺(2015.11.19)

奈良の旅2日目、では「薬師寺」のレポートです。

南門脇の受付から境内へ。
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左側の西塔(さいとう)は見えていますが、東側の東塔(白鳳時代 国宝)は平成21年より解体修復中。残念ながらシートにすっぽり覆われています。(修理完了は平成31年だから、まだ少しかかります)

この先の昭和59年に復興されたという朱塗りの中門には、平成3年に復元された二天王像も祀られていました。法隆寺で日本最古の仁王門を見ましたが、こちらは平成の仁王門。
いかにも新しいので、あえて写真は撮りませんでした。
(お寺のHPより)
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極彩色の二天王さま、それなりにお美しかったですよ。

中門・廻廊からみて左の西塔(さいとう)。
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変なアングルからですみません。<(_ _)>
昭和56年に復興されたもの。修復中の東塔と対になっています。一見六重に見えるのですが、三重塔。各層の下に裳腰(もこし)と呼ばれる小さな屋根がついているんです。

こちらは、東塔の4枚からなる水煙部分(塔の最上部)の一枚。(絵葉書より 一部分)
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一枚(両面)に6人の飛天(合計24人)が透かし彫りになっています。
以前、サントリー美術館で見て(もちろんレプリカでしたけど)、大変きれいでした。
Cf : サントリー美術館 「天井の舞 飛天の美」(2013.12.27)
東塔修復中の今だからこそ可能な、「東塔水煙降臨展」、境内で開催中(10/1~1/3)でしたが、バスツアーのプログラムには入っていなかったようで、実に残念でした。実物を拝見できるまたとないチャンスだったのに...。(涙)

正面の金堂。(西塔と共に、享禄元年(1528)焼失)
管主(かんす)であった高田好胤(たかだこういん)師のご努力(写経勧進)により、昭和51年4月、復興。
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内部には、薬師三尊像(白鳳時代 国宝)がお祀りされています。
(お寺のHPより)
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優美なお姿でした。
お台座も白鳳時代で国宝。とても凝った意匠で素晴らしいものでした。ギリシャの葡萄唐草文様と4面のそれぞれ中央に彫刻された、青龍[せいりゅう](東)、朱雀[しゅじゃく](南)、白虎[びゃっこ](西)、玄武[げんぶ](北)が印象に残っています。

その後、大講堂(平成15年復興)も拝観。弥勒三尊像(白鳳~天平時代 重文)、仏足石(天平時代 国宝)、お釈迦様の10弟子など拝観しました。
実は、この日朝から法隆寺、中宮寺、慈光院と拝観し、そろそろ疲れてきました。薬師寺は建物が新しいので、どうもテンションがあがらず…。<(_ _>

お次は、建物の歴史としては、古い東院堂(鎌倉時代 国宝)です。
(お寺のHPより)
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奈良時代に建てられましたが、天禄4年(973)に焼失。鎌倉時代の弘安8年(1285)に再建。
ちょうどこの時期、ご本尊の聖観世音菩薩像(白鳳時代 国宝)がご開帳されていて、外から撮らせていただきました。
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光り輝く、上品な美しい仏さまでした。四方から鎌倉時代の四天王像がお守りしています。

さて、これで薬師寺の白鳳伽藍をすべてまわり、北受付から今度は玄奘三蔵[げんじょうさんぞう]院伽藍に向います。玄奘三蔵とは、「西遊記」で有名な三蔵法師のこと。薬師寺は法相宗の大本山。玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たるんです。それで、ご分骨を拝受し、平成3年こちらの伽藍を建立されたそうです。
(お寺のHPより)
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このお堂の北側にある大唐西域(だいとうさいいき)画殿で、11月30日までなんですが、故平山郁夫画伯が描かれたシルクロードの「大唐西域壁画」が一般公開されていて、拝見させていただきました。

(写真:(C)平山郁夫 提供:Kodansha/アフロより 中央三面は「西方浄土須弥山」)
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7場面・13壁画の超大作。玄奘三蔵の中国からインドまでの旅を辿っています。(=玄奘三蔵求法〈ぐほう〉の精神)を描いたもの)
天井にはラピスラズリで描かれた群青の夜空。右側(東)に金色の太陽、左側(西)に銀の月もありましたよ。
平山画伯が約30年かけて、描いたシルクロードの世界、圧巻でした!
そう言えば、平山画伯は薬師寺壁画ですが、鎌倉建長寺でお馴染みの小泉画伯は東大寺、奥田元宋画伯は銀閣寺の襖絵です。まだ拝見していません。東山魁夷 画伯が描かれた唐招提寺の襖絵は、いつだったか、横浜美術館の東山魁夷 展で見せていただいたんですけどね。(収められたお寺で拝見したいものです)
それでは、この日のラスト、バスは唐招提寺に向います。
by b_neige | 2015-11-26 16:11 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅2日目 慈光院(2015.11.19)

人気ナンバーワンの1日観光コースで、法隆寺、中宮寺拝観のあと予定されているのは、「慈光院」です。その後、薬師寺と唐招提寺。
思うに、この真ん中の慈光院は、参加者の各々にちょっと一服して、やれやれと一息ついてもらおうという、バス会社側のご配慮かもしれません。(笑)
慈光院=ある意味、お茶室です。

細い石畳の参道を上って、こちら山門、「茶道石州流発祥之寺」とあります。
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そして茨木城楼門から見た慈光院書院。
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茅葺きの農家風の外観です。
この楼門も同様に茅葺きで味わいのあるものでしたが、写真、撮り忘れ。<(_ _)>

書院の左側にある一般玄関より一同、中へ。
お寺のパンフレットとお干菓子が配られて、ほどなくお抹茶も。
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(お干菓子は開基、片桐石州の家紋である「鷹の割羽違(たかのわりはちがい)紋」をかたどったもの)
お抹茶をいただきながら、ご住職にお寺のご説明を伺います。

寛文3年(1663)、当地の大名であった片桐石州が父貞隆の菩提寺として自分の領地内に建立したお寺。片桐石州は茶人で、徳川四代将軍家綱をはじめ各地の大名に茶の道を説いたそうです。このお寺も、境内全体が一つの茶席の風情になるように考えられているんですって。

こちらは、書院の前に広がる庭園です。
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サツキの刈込のほか、ツツジ、クチナシ、カシ、カナメ、サカキ、ツバキ等、数種類の木々を寄せ植えにした大刈込が見られます。多くの種類の木々を用いたのは、茶席の庭として季節ごとの風情を楽しめるようにしたものだそうです。(禅寺の庭園ではありますが、石はわずかしか置かれていません)

ただ、この左側(東面)の景観ですが、遠くに大和の山並みが連なって美しいのですが、手前には街並みも広がっています。う~ん、なんとも。。。
山々はなだらかで、高さが一様であることから、垣根に見立てて、青垣の山並みと呼ぶのだとか。
私はあえて写真を撮らなかったのですが、お寺のHPに写真がありましたので、ちょっとお借りします。
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平成9年から植樹中ということですが…。右側も木があった方がいいですよね。

お寺のHPに昭和30年ごろの景観の写真がありましたので、お借りします。(新潮社刊「入江泰吉の奈良」からの転載だそうです)
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さすが、入江泰吉さんの写真、素敵です。(この景観の変化をどのように受け止めればいいものか...)

ご本堂(方丈)も拝観しました。
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新しいそうです(昭和59年)。天井には墨絵の「雲龍図」が。
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前田青邨門下の入江正巳画伯に描いていただいたそうです。
このお堂に入れていただき、手をたたくと、龍がキュッと鳴くんですよ。それも、たたき方によって、鳴き方?も違ってきます。おもしろかったです。
そう言えば、昔、鎌倉・妙本寺二天門の龍は鳴き龍と言われてましたが、二天門修復後はどうなってしまったのかしら。うっかりしていました。今度、試してみようっと!

こちらは、書院と本堂をつなぐ廻廊から見た3畳のお茶室です。
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それとその右側の五葉松。
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立派な枝振りですね。

慈光院、お手入れされた美しい境内がとても素敵でした。予約すると、こちらで精進料理もいただけるそうです。あぁ、近くに住んでいたらなぁ。。。
慈光院の場所: 奈良県大和郡山市小泉町865 
(お寺の行事としては、観月会が毎年中秋名月の夜に行われます)
by b_neige | 2015-11-25 06:20 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅2日目 中宮寺(2015.11.19)

法隆寺夢殿がある東院伽藍から、日本最古の尼寺・中宮寺へ。
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中宮寺って、夢殿の東隣にあります。こんなに近いとは知りませんでした。

中宮寺: 聖徳太子が母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために建立しました。(太子創建7ヶ寺の一つ)
当初は太子の宮居であった斑鳩宮を中央にして西の法隆寺と対照的な位置にあったそうです。(現在の東方500m程)
それが幾多の変遷を経て、現在の法隆寺東院の山内子院に移り、ここに後伏見天皇8世の皇孫尊智女王が住職に迎えられ、以来、尼門跡斑鳩御所と呼ばれるようになって、現在に至ります。
*門跡とは? 皇族や貴族が住職に就いた場合の呼称。そのように格式の高い特定のお寺を門跡寺院と称します。

拝観入口から表御殿の脇を通って本堂へ。途中で見かけた珍しい木。
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「あんらじゅ」ですって。初めて。

こちらが本堂です。高松宮妃殿下の御発願により、昭和43年5月に落慶しました。
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池の回りにはヤマブキが植えられ、いかにも尼寺という、やさしげな風情をかもし出しています。
そして、このお堂の中には、あの有名な「如意輪観世音菩薩」さまがお祀りされているんです。

石段を上がり、靴を脱いで、お堂へ。正面はこのような感じ。
(絵葉書より)
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真ん中に安置されているのが、国宝、菩薩半跏像=如意輪観世音菩薩(もしかして弥勒菩薩という説もあるそうです。それで?国宝指定の際の呼称は、ただ菩薩半跏像と)
(絵葉書より)
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東洋的微笑=古典的微笑=アルカイック・スマイルの仏さま
エジプトのスフィンクス、ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼ばれる仏さまです。

お体の色は黒く光っておられるのですが、これは下地の黒漆の色で、当初は全身が鮮やかに彩色されていたそうです。また、宝冠や胸飾り等、華やかな装飾具を身につけてらしたと推測されるものの、今日では、わずかにその痕跡が認められるににすぎない、というご説明でした。

いかがでしょう?個人的には、如意輪観世音ならば、確か腕は6本ですよね。京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を思い浮かべて、どちらかというと、弥勒菩薩さまじゃないかなぁと。。。
cf : 京都 太秦の広隆寺へ(2012.03.16)
でも、寺伝では如意輪観世音なんですって。
広隆寺の弥勒菩薩さまと中宮寺の如意輪観音さま、比べてみます。
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同じ半跏思惟像です。制作年代も飛鳥時代頃。どちらも聖徳太子創建のお寺の仏さま。
材質は広隆寺像がアカマツの一木造り、中宮寺像はクスノキの寄木造り。ひと目で違うのは、広隆寺の仏さまはほんとに細く華奢な感じがするんです。中宮寺の仏さまは、それよりはふっくらしているようにお見受けします。
ただ、どちらの仏さまも気品があって、とても美しいです。はっとするくらい...。
(またお会いしたいものです)

堂内には、天寿国曼荼羅繍帳(国宝)のレプリカ(本物は奈良国立博物館にあります)
も置かれていました。
御妃・橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)は、聖徳太子亡き後、宮中の釆女たちに命じて、天寿国という理想浄土のありさまを刺繍せしめられました。
(絵葉書より 一部分のみ)
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この中の赤衣の像が、太子ではないかと伝わります。

本堂を出て、再び法隆寺東院伽藍へ。来た道を引き返し東大門から南大門前へ出ます。
あっという間にもうお昼過ぎ。ここで昼食休憩が入って、午後一番に訪れるのは、慈光院になります。
by b_neige | 2015-11-24 19:36 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅2日目 法隆寺(2015.11.19)

奈良の旅、2日目は観光バス!
法隆寺→中宮寺→慈光院→薬師寺→唐招提寺というまさに奈良観光の王道をいく、7時間の一日ツアーです。
観光バス1台での出発でしたが、ピーク時には2台出るそうですよ。この日は40名ほど。

まずは法隆寺へ。多分、中学の修学旅行で訪れているとは思うのですが…。それ以来初めて。そして、中学の時の記憶ですが、どう考えてみても恥ずかしながらないんです。
思うに、修学旅行って、友人とたわむれるということじゃないかと。。。(汗)

奈良市内から1時間はかからなかったと思います。斑鳩(いかるが)の法隆寺(聖徳太子が父、用明天皇のために建立)に到着。
ガイドさんによれば、その昔、斑鳩という翼にまだら模様がある小鳥が多くいて、地名になったとか。

南大門から入山しました。永享10年(1438)に再建されたもの。国宝
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まっすぐ進むと正面に中門(飛鳥時代)が見えます。国宝
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その向こうに五重塔が。
こちらは、その中門の左右に立つ日本最古の金剛力士像(奈良時代 国重文)。
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中門からは入れません。左側にある弁天池の脇から廻廊(飛鳥時代 国宝)へ。ご存知、エンタシスの重厚な柱が並ぶ廻廊です(東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵をつなぐ)。
五重塔や金堂などに目を奪われ、写真、すっかり忘れてしまいました。<(_ _)>

まずは金堂を拝観。飛鳥時代(国宝)
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内部には、聖徳太子のために作られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代 国宝)、
(絵葉書より)
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その右側に太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代 国宝)、左側に母である穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)が並んでいます。
この三つの仏さまをお守りするように、日本最古の四天王像(国宝)が四隅に。
ここの仏さま達、そんなに大きくない、というか意外と小さいんです。特にお釈迦様。お顔立ちは面長、でもきりっとした感じ、気持ちが引き締まるような。とてもよかったです。
お座りになられている台座は福智院の地蔵菩薩さまと同様、裳懸座(もかけざ)。

それから日本最古の五重塔へ。高さ約32.5m。飛鳥時代(国宝)
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一番下の屋根と裳階(もこし)の間で、軒を支える邪鬼。(四隅にあります)
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五重塔の最下層の内陣も見学しました。(北面のみ)
お釈迦様の涅槃の塑像群(奈良時代)で、手を挙げてらっしゃる阿修羅様が右奥に確認出来ました。

さて、次に大講堂(平安時代 国宝)でご本尊の薬師如来三尊像(国宝)を拝観し、再び東の廻廊から外へ。
こちらはその廻廊の窓。
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紅葉はまだ始まったばかりと言う具合でした。

先ほど脇を通った左の弁天池と対照的に右には鏡池がありますが、その畔に立つ句碑。
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ご存知、柿食えば~、という正岡子規による超がつくほど有名な俳句です。
ただ、この俳句、法隆寺ではなく、東大寺近くの宿屋に泊った際作られた、という説もあるそうで。。。ちなみに、法隆寺には柿の木はないそうです。(笑)

その後、大宝蔵院へ。ここは平成10年に落成した法隆寺の宝物庫。飛鳥時代から近世に至る、日本を代表する宝物類が並んでいます。その数たるや膨大で、とてもじゃないけど、時間が足りません。ガイドさんが教えて下さった、見どころの「夢違観音像(悪夢を良夢にかえてくれるという)」(白鳳時代 国宝)、玉虫厨子(飛鳥時代 国宝)、百済観音像(すらりとしたお姿)(飛鳥時代 国宝)のみ拝ませてもらいました。
こちら、百済観音像(ポスターより)
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さて、これで西院の拝観を終了し、夢殿がある東院へと向います。
振り返って見る法隆寺・西院の伽藍。
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東大門(奈良時代 国宝)をくぐって、正面に見えてくる夢殿。
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聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建立された東院伽藍の中心となる建物です。(奈良時代 国宝)
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ちょうどこの日は、夢殿のご本尊である秘仏・救世観音像(聖徳太子等身と伝わります)(飛鳥時代 国宝)の秋のご開帳日(10/22-11/22)にあたり、色々とエピソードのある救世観音様、拝ませていただきました。

*救世観音像は天平11年(739)、夢殿と呼ばれる東院に安置され、以降長い間、秘仏でした。
明治時代、東洋美術史家のアメリカ人、フェノロサが調査のため法隆寺を訪れ、封印がとかれたわけです。凡そ500ヤード(1ヤード=91.44cm)の長さの木綿の布にくるまれていたそうで、何故に??ミステリーは尽きません。

さて、これにて法隆寺拝観は終了。広さ18万7千m2の境内、国宝・重文だけでも約190件、点数2300余り。1400年に及ぶ歴史は、半端じゃありません。時間がなくて、残念でした。今度拝観する時は、一日かけてもいいかもしれません。

お次は、聖徳太子が母のために建立したという尼寺、旧斑鳩御所・中宮寺に移動です。
by b_neige | 2015-11-24 07:01 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅1日目 今西家書院→福智院→入江泰吉記念奈良市写真美術館(2015.11.18)

元興寺から今西家書院へ移動。
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興福寺の別当職であった大乗院家の坊間を務めた福智院氏の居宅ということです。重文。
(大正時代に清酒「春鹿」醸造元・今西家の所有となりました)
室町時代初期の書院造り。
ガイドさんがいらして、説明を伺いながら、各お部屋を見学します。

きれいな唐破風。色がおかしくて、すみません。<(_ _)>
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こちらは書院(上段の間)の障子。
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一つの敷居に二枚の障子がはまっています。猫間(ねこま)障子です。閉めた時、一枚の大きな障子に見えます。確か、京都・東福寺の龍吟庵で見たような。この障子、好きです。
また、現在は畳が敷かれていますが、本来は板の間でした。

壁には和紙を何枚も重ね貼りしているそうです。

こちらは下段の間。
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お伴の者の控えの間。天井も低く、狭くなっています。

お茶室。
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庭から出入りする形。
こちらがお茶室から眺めるお庭。
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右側の木、ハガキの木と呼ばれるタラヨウ(多羅葉)です。モチノキ科。
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葉が肉厚で光沢があります。葉を傷つけると、その部分が黒くなるので、文字が書ける仕組み。郵政省で「郵便の木」指定を受けているので、切手を貼って、実際に出せるそうです。
(注:定形外なので52円では無理。またサイズが小さすぎても不可 12×9cm以上)
そうそう、このお茶室の天井は杉の網代編み。中央に龍が描かれていました。
(画像、ネットからお借りしました)
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この他にも、太めの杉の枌板(へぎいた)で網代に編み込んだ天井の間、煤(すす)竹を張った棹天井の間など、楽しめました。

美しく手入れされた庭園もよかったです。
こちらも、そう観光客が多い場所じゃありません。ゆっくりくつろげます。

さて、和モダンな感じのおしゃれな書院を堪能した後は、福智院へ。徒歩すぐなんですが、ならまちではなく高畑地区。
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ひどい雨でした。(+o+)
拝観者は私と主人のみ。お堂に上がって、お寺の方からご説明を伺いました。(お茶と飴のお接待あり)
ま正面にご本尊の地蔵菩薩坐像が祀られています。鎌倉時代、建仁3年(1203)造立 重文
(お寺のHPより)
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大きさはうまく伝わらないかもしれませんが、とても大きいんですよ。天井に届きそうな位。
(お寺のHPより)
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このお地蔵さま、光背に沢山の化仏をつけています。上の方ははめ込まれているようにも見えましたが、下の方は、木製の釘でとめられていました。
(お寺のHPより)
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本当にすごい数で圧倒されます。その内側には、一番上に釈迦如来、左右3体づつの六地蔵、最下部には冥官坐像(右が閻魔王、太山王)が確認できます。全部で567体の仏さま。
それは、釈迦滅後、56億7千万年の後に下生すると云う弥勒の信仰の数字に合致するそうです。
びっくりです。総高:約7m
台座は珍しい裳懸座と呼ばれるもの=坐像の裳裾が台座に垂れ下がる形。

お寺の歴史も伺いました。元々は興福寺大乗院の地蔵堂。明治の神仏分離令による廃仏毀釈で荒廃したのですが、昭和に入り、文化財保護法の適用を受けて解体修理が行われ、美しい本堂が甦ったとのこと。
寺紋はこれも初めて、「マカラ宝印」です。
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マカラとは、鰐、象、龍が複合した神話上の聖獣。印の真ん中には「卍」があります。お釈迦さまの胸などに表される瑞兆の相で、吉兆の印なんですって。

高畑地区は、閑静な住宅街。この先の志賀直哉旧居を目指しましたが、大分日が落ちてきて…。道沿いの民家の柿の木。
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夕方です。
主人が、そこより入江泰吉記念奈良市写真美術館に行ってみようということで、最後はそちらに。
仏像にしろ風景にしろ、奈良の写真家と言えば、入江泰吉氏。
今年は生誕110年にあたるそうです。「回顧 入江泰吉の仕事」と言う展覧会が開催されていました。
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入江泰吉「石舞台よりニ上山」
カラーもいいですが、モノクロ写真も味わいがあって感銘を受けました。

その後、バスでホテルに戻り、急いで、今度は主人の友人との待ち合わせに。私、お伴です。ならまちの割烹で、美味しい夕食をいただきました!
by b_neige | 2015-11-23 17:55 | 奈良のお寺 | Comments(4)

奈良の旅1日目 元興寺(2015.11.18)

奈良にはお昼前に到着。最初は小雨模様でしたが、段々に本格的な雨に。このところ旅行初日はまず雨です。この間の箱根も、春に行った福島も。どうしたこと??(>_<)

e0245404_12304587.jpgならまちの入口、柿の葉寿司たなか本店でお昼をいただき、ついで、茶寮万年堂で、かの有名な「まほろばパフェ」をお願いしました。
すっごいボリューム!奈良に来たんだなっって、実感しますぅ。(笑)

さて、雨の中、どうするか考えます。ほんとは室生寺・長谷寺まで遠出しようと思っていたのですが、それはまたの機会にして、ならまち辺りを散策することに。
と言っても、2年前に来た時、主人と待ち合わせの空き時間でこの周辺をぶらぶらしたんですけどね。

この日は元興寺を訪れることにしました。(近鉄奈良駅から徒歩15分位)
平城遷都に伴って、養老2年(718)、飛鳥の法興寺(=日本最初の仏寺)が移されて元興寺になりました。創建当時は大変大きいお寺で現在の猿沢池の南端からならまち一帯が境内だったそうです。

途中立寄った猿田彦神社。
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小さいんですけど、平安時代に元興寺の鎮守として創建された古社。勝負事の神様としても知られているそうです。

元興寺東門になります。
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応永年間に東大寺西南院四脚門を移建したもの。鎌倉時代風。重文。大きくはないのですが、立派な門です。

ここから入ってすぐの極楽堂。
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寄棟造り。屋根は飛鳥時代からの瓦を使用、柱等は奈良時代のもの。鎌倉時代に作り直され、後ろにある禅室と区切られました。国宝!

雨が結構降っていて、画像からは、あまり歴史の古さが伝わらないかと思いますが、奈良のお寺の丸瓦屋根、美しい甍です。
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昇殿して、お堂拝観。(ご本尊は厨子の中に納められた智光曼荼羅)

本堂の向って左手に収蔵庫があり、ここに沢山の歴史ある仏さまが安置されていました。
国宝の五重小塔も。(お寺のHPよりお借りします)
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これは大変精緻なもので、奈良時代に全国に造営された国分寺の五重塔のモデルと考えられるそうです。
光背が美しかった薬師如来坐像(鎌倉時代)です。(絵葉書から)
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こちらは、収蔵庫の隣にある小子坊と呼ばれる極楽院旧庫裡の内部。(現在は休憩所)
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収蔵庫と小子坊の前、つまり極楽堂本堂と後ろの禅室(こちらも国宝)の間には、こんな風に沢山の小さな五輪塔やらが並んでいます。
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お寺の方がおっしゃるには、この小径の奥から禅室と極楽堂の屋根をご覧下さいとのこと。
では、どうぞ。
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瓦の色合いが違っているでしょう?
こちら、飛鳥時代からの瓦なんですって。
元興寺の前身は飛鳥・法興寺=日本最初の仏寺。百済の国王は、この日本最初の仏寺建立を援助します。この時派遣されてきた瓦博士の作った日本最初の瓦が、現在の本堂・禅室の屋根に数千枚使用されているのだとか。
悲しいかな、降りしきる雨で、どんよりした空の下、その色合いが今ひとつ際立ちません。
ちょっとアップにしてみますね。
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1400年前というはるか遠い昔の瓦、バックが優しい水色の空だったら、もっと柔らかくいにしえを感じる趣に見えると思いますが。。。

このような瓦の敷き方=行基葺き
行基は奈良時代の僧ですが、数多くの寺院の建設にも携わり、土木・建築技術者としても一流でした。行基が発明したわけではないようですが、彼が活躍した時代に多い、この瓦葺きの屋根をこのように呼ぶそうです。
手前の瓦葺きと比べてみましょう。
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違うのが分かりますか?左側が本瓦葺き。
行基葺きの瓦は一方が細く出来ていて、そのまま重ねていきます。見映えが少々でこぼこ?それに対し、本瓦は見かけがスマート。こちらが主流になっていったわけです。

さて、禅室は外から拝観するのみ、ぐるっと後ろをまわって、反対側から。
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ハギがまだ刈り取られずに残っています。初秋の頃は美しいでしょうね。
早々と椿が咲いていましたので、どうぞ。
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こちらは本堂に向って右手に置かれた「かえる石」
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これは大阪城のかえる石だそうです。太閤秀吉が気に入り、大阪城に運び込まれたとか。
どんなご縁でこちらにあるのやら。

元興寺は、観光客が押し寄せるお寺じゃありません。ひっそりした静かな佇まい、はるか昔を思い起こさせる古寺でした。
お次は徒歩すぐの今西家書院へ。
by b_neige | 2015-11-23 07:08 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅3日目 弘仁寺(2015.11.20)

さて正暦寺を後に、弘仁寺へ。両寺は分岐をはさんで、そう離れているわけではありません。(2kmほど) 対で訪れたいお寺です。

正暦寺同様、山間にあるお寺。(標高183mの虚空蔵山麓)
こちら、お寺に向う途中で。
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至るところで、たわわに実った柿の木を目にしました。小さい実なので、このまま、収穫はしないのかもしれません。

弘仁寺の縁起は2説あるそうです。
弘仁5年(815年)春、嵯峨天皇が見られた夢のお告げによって建立されたという説、もう一つは、同年、虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が霊山として開いたという説。お寺の名称は先の正暦寺同様、建立された歳にちなみます。(真言宗)

境内でひと際目を引いた公孫樹。
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まさに黄金色。敷きつめられた落葉も美しかったです。
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ここから望む本堂。(創建は古いですが、戦国時代に焼失し、江戸時代に再興されています。1629年)
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意外なほど大きく立派なお堂です。その右手に見えているのが、明星堂(この地に明星=流星が落ち、一堂を建立したと伝えられます・・・2説目の縁起 同じく江戸時代に再興)。
この明星堂内部には仏師・運慶の作と伝わる大日如来像、また不動明王像など祀られていますが、残念ながら拝観は不可。手前に、賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)など。
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さて本堂ですが、
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真ん中に大きなお厨子が置かれ、虚空蔵菩薩が安置されていました。通常、御簾が下ろされていて秘仏の扱い。でも、お参りの方がいらっしゃると、少しだけ御簾を上げて、お焼香のあとちらっと拝観させていただけるようです。
虚空蔵菩薩とは、広大な宇宙のような無限の知恵と慈悲を持った仏さま。十三詣りのお寺としても有名だとか。中学進学を前に、その十三詣りでお払いに訪れた小学生たちが納めたのでしょう、漢字一字をしたためたお習字が仏前に多数、貼られていました。
また、虚空蔵菩薩は丑年、寅年の守護仏。丑年寅年生まれの方々の厄年のお参りも多いそうです。
ご本尊の左右には2体づつ、四天王も祀られています。内側の2体が平安時代のもの、外側の2体は鎌倉時代のもの。(4体共に等身大、重文)美しい仏さま達でした。

境内に咲く、春の桜やシラン、夏のノウゼンカズラ、秋のシオンなど、四季折々の花木を楽しみに訪れる拝観者も多いと聞きました。
弘仁寺、創建1200年を越えた古刹、奈良のお寺は実に長い歴史を持っています。

さて、正暦寺、弘仁寺をまわり、奈良駅へ戻ったら既にお昼過ぎ。今回の奈良への旅、お名残惜しいですが、これにて終了です。(またいずれ次回に)
実は、私、父も母も奈良県出身なんです。だから、奈良に来ると、何となく懐かしさを覚えて...。言葉もそうですが、雰囲気が妙にしっくりくるというか。。。(笑) 

ランチもそこそこに、奈良駅からみやこ路快速に乗り、一路京都へ。東福寺で途中下車で~す。♪
by b_neige | 2015-11-22 18:14 | 奈良のお寺 | Comments(0)

奈良の旅3日目 正暦寺(2015.11.20)

奈良3日目は、紅葉を探して、奈良市郊外のお寺へ。最初に訪れたのが、「錦の里」と呼ばれる正暦寺です。
(奈良から車で30分もかからなかったと思います)
992年(正暦3年)、一条天皇の勅命により創建されたお寺。創建された年号がお寺の名称になっています。駐車場からこんな道を辿ること数分。
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菩提仙川の渓流をはさんで山間に、当時は、86坊もの塔頭が立ち並んでいたそうです。さすがの勅願寺ですね。
まずは、こちらの門をくぐり、
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福寿院客殿(こけら葺きの屋根・数奇屋風建築)を拝観します。画像、撮り忘れですみません。<(_ _)>
ここには、孔雀明王という珍しい仏さまが祀られていました。孔雀に乗ってらっしゃるんです。(画像、お寺のHPより)
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孔雀明王は、人間にとって毒である「苦しみ」や「災危」、「煩悩」を取り除いて下さる厄除け祈願の仏さまなんですって。(孔雀が毒蛇コブラの天敵であることから)
孔雀には、そのような意味があるのですね。鎌倉・光則寺の孔雀はそこから?これは初耳でした。

赤い毛氈が敷かれたこの客殿からの景色。
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自然風景式庭園と伺いました。
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深山幽谷という感じですね。特に左側に何本かある大きな柿の木が素晴らしくて…。
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モミジの色ですが、お寺の方がおっしゃるには、今年は暖かい日が多くて、あまり、と…。
少々茶色っぽいのは残念ですが、十分見映えがする景色、素敵でした。

客殿壁際に立てかけられた、京狩野3代目という狩野永納の描いた欄間や襖の絵等が目を引きます。
こちら、「八重桜に三光鳥」
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とても上品な趣でしたよ。

客殿の後ろには護摩堂があって、そちらへ移動する際撮った一枚。
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美しい借景ですよね。
護摩堂の不動明王さまを拝観してから、今度は更に参道を上に辿り、
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本堂へ。
拝観チケットを見せて、長い石段(観世音菩薩の誓願の数33段と阿弥陀如来の誓願の数にちなんだ48段、合計81段。)を上ります。
こちらはその石段から振り返って。
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公孫樹の黄色が華やか。
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モミジは12月初旬まで楽しめるそうです。

さて、石段の上には鐘楼と、ご本堂がぽつんと佇んでいました。(本堂は大正5年の再建)
こちらでは昇殿してお寺の秘仏・薬師如来倚像(いぞう)(白鳳時代 国重文)を拝観。台座に腰をかける倚像型式の金剛仏で、こちらも大変珍しいものと伺いました。(お厨子の中の小さな仏さま)

帰りがけ、そうそう、清酒発祥の地の石碑を見つけました。
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本来、寺院での酒造りは禁止されていましたが、鎮守や仏像に献上するお酒として自家製造されていたそうです。(僧侶が醸造する酒=僧坊酒)
なかでも、正暦寺での酒造技術は大変高く、近代醸造法の基礎となる技術が早くから確立されており、室町時代の古文書にも記されていることから、清酒発祥の地と言われるのだとか。
菩提仙川の水=やまとの水(古くから地域の人々の生活と深く関わり守られてきた清澄な水)も一役買っているのでしょう。

現在は、大規模ではないものの、毎年1月に酒母の仕込みが行われ、「奈良県菩提酛(もと)による清酒製造研究会」の蔵元がその酒母を持ち帰って醸造した清酒が、福寿院入口で販売されています。
なんとなんと、お寺でお酒の販売とはね。びっくりぽん!
by b_neige | 2015-11-22 07:24 | 奈良のお寺 | Comments(2)

奈良公園 興福寺へ(2013.05.10 part2)

東金堂前では中金堂再建中。
発掘調査の結果に基づき、創建当初の姿・規模にこだわって、再建されるそうです。平城宮跡の大極殿にも劣らない大きさだとか。5年後に完成予定と聞きました。
興福寺は火災の多かったお寺。100回をはるかに越えるんですって。そう言えば、鎌倉・教恩寺ゆかりの平重衡ら平氏軍による南都焼き討ち(東大寺・興福寺)もありましたね。
その都度再建されてきたとは...。長い歴史に驚きます。

五重塔を見上げながら、
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南円堂に向います。こんなポスターも貼られていました。
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南円堂(重要文化財)。
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西国三十三所観音霊場第9番札所。(修学旅行の生徒さんも多いですが、お遍路さんで賑わっています。)
弘仁4年(813)藤原冬嗣が父内麻呂追善のために建立。以来4度目の建物で寛保元年(1741)に柱が立てられました。唐破風が付いているなど江戸時代の細部様式も表しているのが特徴。

堂内のご本尊、不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)坐像(国宝)(パンフより)
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鎌倉時代 康運作 木造 像高336.0m
「手に持つ羂索(けんさく=綱)で、人々の願いを空しいものにしない誓願を持ち、すべての人々を救って下さる仏さま。髪を高く結い、宝冠に阿弥陀如来の化仏をつける。眉間に一目をつけ三目とする。上半身に鹿皮を斜めにまとう。
文治5年(1189)に約15ヶ月を費やして、仏師・康慶とその弟子達により再興。」

また、ご本尊を取り囲むように、四天王立像(国宝)が安置されています。

そして、北円堂(国宝)。
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養老4年(720)に亡くなった藤原不比等の菩提のために、元明太上天皇と元正天皇が建立を発願、長屋王に命じて完成させました。(八角堂は廟堂としても意味を持つ)その後2度火災で焼失するも、承元4年(1210)に復興。興福寺伽藍の中で最古の堂。

堂内のご本尊、弥勒如来坐像(国宝)(ネットより)
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鎌倉時代 運慶作 木造 像高141.9cm
「弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿。台座内枠には源慶、静慶、運賀、運助、運覚、湛慶、康弁、慶運、康勝ら慶派仏師の名が墨書されている。彼らを統率していたのが巨匠・運慶。運慶晩年の名作として知られる。」

脇侍に無著・世親菩薩立像(共に国宝・運慶)を従え、四隅に四天王立像(国宝)が安置されています。

運慶は日本の彫刻史上最も有名な仏師ですが、現存する仏像は少なく、興福寺ではそのうち4体も拝観出来るわけです。(もう一体は国宝館の木像仏頭)
* 鎌倉には伝運慶作という仏像が何体かあります。が、「伝」とは果たして??(@_@。

北円堂を出ると、お昼過ぎになっていました。ざっと見たつもりなのに。
興福寺は仏像の宝庫。ほんとに素晴らしい仏さまたちに時間を忘れたひとときでした。

おしまいは興福寺の鹿さん。
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鹿さんは動き回るので、写真が難しい!

この後、ならまちをぶらぶら。3時過ぎ帰路に。

今回の旅、
1.奈良時代の日本の中心地、平城宮跡
草原の真ん中、第二次大極殿跡の見晴らしのよい基盤で寝そべってみた時、往時と変わらぬ青い空、昼下がりのまどろんだ空気がありました。遠い昔...。皆はよりよい国造りを目指して意気盛んだったのかしら?時代の熱い空気はあったのかしら?1300年前...。日本の若い時代を偲びました。

2.興福寺の仏像
特に国宝館は見応えがあります。2010年にリニューアルし、文化財に与える悪影響が極力少ない照明が採用されたことから、多くの仏像をガラスケースなしで間近に拝観できます。素晴らしい美仏さまばかり。これは印象に残りました。

ハプニングはあったものの(^^ゞ、楽しい旅でした。
by b_neige | 2013-05-14 07:09 | 奈良のお寺 | Comments(0)