カテゴリ:鎌倉歩き( 831 )

大雪警報!無事帰宅出来ましたか?(2018.01.22)

今日は、3月末にある史跡めぐりのL下見だったんですけどね、寒かったですぅ。
9時半過ぎには早くもポツンポツンと冷たい雨が降り出し、次第にみぞれに。薬王寺に着く頃には雪に変わりました。弥生から卯月、桜春のコース下見だったんですけど。(>_<)
それでも、一時は小降りになり、空も明るくなって、あれぇ、天気予報では夕方から本格的な雪って言ってたのに、空振りに終わったのかしら、なんて見くびってました。
下見が終了して、やれやれと昼食休憩の頃から、窓の外が怪しく。。。大ぶりの雪が風に煽られて、これって、吹雪??レストランを出た時には、既に雪が積もり始めていました。

明日の史跡めぐりは一体、どうなることやら。
幸い、私の出番は今月ないのですが、明日のリーダーさんは大変です。だって、まず、明日の交通の便がどうなるのか読めないし、それにお寺や神社は、たとえ明朝お天気が回復していても、境内の整備(雪かきとか)が追いつかず、閉門される場合があるんです。わぁ、ほんと相当気を揉まれているかと…。困った事態です。

画像は、雪が舞いだした長谷の光則寺で。
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この頃はそんなでもなかったんです。

こちらは、昼食後、江ノ電で鎌倉に戻る時、長谷駅で。
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結構降りしきっていました。雪が積もり始めているのがわかりますか?

とりあえず、明朝は足元、要注意です!
by b_neige | 2018-01-22 18:08 | 鎌倉歩き | Comments(0)

畠山重忠邸址の石碑はほんとにその場所!?(2018.01.17)

忘れないうちに書いておきますね。

鶴岡八幡宮には流鏑馬道がありますよね。
あの道の東の鳥居を出た向かい辺りに、畠山重忠邸跡という石碑が建っています。
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以前ご紹介したレポートになります。(画像はその時のもの)
cf :  畠山重忠邸址の碑(2017.08.16)
実はね、畠山重忠邸はこの場所じゃなかったって、そんな説がありまして、それじゃ、どこにあったのって、思ってたんですけど、この場所じゃないという根拠がわかったんです。

それはね、この場所を含む一帯が、鶴岡八幡宮の境内であったということ。
境内の中には屋敷なんて造りませんよね。そういうこと。

それじゃ、地図で見てみましょう。
こちら、江戸時代享保17年(1732)作成の「鶴岡八幡宮境内図」
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右(東)の鳥居を出た辺りですけど、ビミョウ??

こちらは、江戸時代貞享2年(1685)、水戸光圀公によって編纂された新編鎌倉志の鶴岡八幡宮図
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右側が切れちゃってますけど、此道東畠山屋敷とあります。う~ん、なんとも。。。

最後に八幡神を検索していて、手に入れた鎌倉期の鶴岡八幡宮寺全景です。
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この絵図だと、右(東)の鳥居向かいの畠山重忠邸の石碑が建つ辺りは八幡宮寺の敷地!!
その先に十字路があります。つまり畠山重忠邸はこの道から東ということかしら?

どうですか?畠山重忠屋敷跡は、厳密に言えば、現在石碑が置かれている場所ではないみたい!?まっ、近隣だったとは思いますけどね。(^^ゞ

宝戒寺の前の道辺りまで、八幡宮寺の境内だったのでしょうかねぇ~??
by b_neige | 2018-01-17 15:47 | 鎌倉歩き | Comments(0)

無量寺の庫裡?裏の庭園跡(2018.01.15)

無量寺があった無量寺ヶ谷ですが、ノーマン・フォスター設計による赤尾さんの別荘が建設される折、埋蔵文化財包蔵地ということで、届け出が出され、発掘調査が行われました。

別館後ろの岩盤前辺りですが、13世紀末頃に創建されたとみられる安山岩の礎石建物の遺構が発見されています。その西側には山裾の岩盤を直接穿って造られたとみられる池の遺構も。中央付近には中ノ島も彫られていたそうです。
北側の山裾からは遣水を呼び込み、池底には相模川周辺から持込まれたと考えられる玉砂利が敷き詰められていたんですって。

こちらの画像、遣水はこんな具合にきていたのかしら??
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今じゃ、池の遺構は埋め戻されて石畳が敷かれています。だけど、画像には写ってませんが、左にももう一つ、中世のやぐらが顔をのぞかせているんです。(右の3つは岩崎氏による防空壕)
つまり、やぐら、岩盤の庭&岩盤を穿った池ときたら、多分皆さんもピンときますよね。
そう、鎌倉の奥座敷、瑞泉寺の岩庭です。全く同じ要素と思われませんか?
この無量寺跡の池遺構は、その瑞泉寺より70年前のものだそうです。夢窓国師による瑞泉寺の岩庭は鎌倉に残る唯一の鎌倉時代の庭園とされ、のちの天龍寺の庭園や西方寺の庭園のルーツとされますけど、それより70年前に、既に同様の庭園が生まれていたんですね。
へぇ~と感心してしまいます。

更に驚くことは、池の畔にあった庫裡とおぼしき建物は火災にあって全焼していて、かわらけを大量に含む土で埋立てられているのだそうです。池の上も同じ土ということで、それはつまり、建物と池が同時に廃絶しているってこと。かわらけの形式から、その火災の時期は14世紀の第2四半期前半だそうです。14世紀の第2四半期前半といったら、もしかして1333年の鎌倉幕府滅亡の頃??興味は尽きません。

思うに、鎌倉時代のことって、古くてよく分かってないそうなんです。=ナンとでも?考えられますと言ったら、乱暴???

by b_neige | 2018-01-15 16:56 | 鎌倉歩き | Comments(0)

BS朝日「百年名家 古我邸」を観て(2018.01.14)

本日12時からのBSを観ました。
冒頭、古我邸ではなく、お隣の鎌倉歴史文化交流館(旺文社の創業者・赤尾氏別荘だったところ)も紹介されていました。
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実は今週、遺跡跡を歩く個別ガイドが入ってまして、歴史文化交流館も訪れる予定なので、あれっと興味深く観た次第。

歴史文化交流館についてのレポートをブログ内検索しましたら、2つありました。
cf : 鎌倉歴史文化交流館へ(2017.11.27)
cf: 無量寺ヶ谷の(仮称)鎌倉歴史文化交流センター(2016.10.7)

そもそもこちらの場所には鎌倉時代、無量寺というお寺があったとされています。江戸時代(天保年間)作成の扇ヶ谷村絵図の中に、今小路に面して、無量寺という記載があるんです。
水戸光圀公編纂の「新編鎌倉志」では、「吾妻鏡」に無量寺にて安達義景(盛長の子、泰盛の父)の13回忌を行ったと記載があり、江戸時代には既に廃寺となっていたものの、この辺りまで、往時は甘縄の内であったのであればこの無量寺であろうと言っています。
覚園寺に伝わる「覚園寺文書」にも、正確な場所や創建・廃絶年は不明だけれども安達氏と関係が深い寺院、とあります。

結局、今の甘縄神明社付近にあったという安達邸は、鎌倉時代、今小路辺りまでその敷地が広がっていて、この無量寺がその近隣にあった(この辺りまで甘縄)と考えてよさそう。

その後、この無量寺があった谷戸=無量寺ヶ谷には、江戸時代、相州伝正宗の血を引く刀工・綱廣の屋敷があったそうです。→綱廣ヶ谷とも(高台に刀工の屋敷には欠かせない合槌稲荷が祀られていました)

更に大正時代、その場所を取得したのが、三菱財閥関係第4代当主岩崎小弥太。病弱だった母のために療養所を兼ねた別荘を建てたそうです。谷戸のほぼ全域にわたる広大なものだったとか。
また岩崎氏は、敷地内にあった合槌稲荷を再興して、参道・鳥居・石狐・祠を整備しています。

そして、最後に旺文社創業者の赤尾氏の所有に移るですが、氏が亡くなった後は、ご親族がノーマン・フォスターというイギリスの著名な建築家の設計で別荘をお建てになりました(2004)。
この時、老朽化していた合槌稲荷社は再び再建されたと聞きます。
当初、赤尾氏の美術コレクションを収蔵するミュージアムの建設も考えられたようですが、結局それは都内に建設されることになり、2013年、鎌倉のこの別荘も、鎌倉市に譲られたと言うわけです。
(合槌稲荷社は、現在は葛原岡神社境内に移されています。お社の左手前)

合槌稲荷社が元、祀られていた場所は今は見晴らし台になっていて、TV番組の冒頭のシーンはそこからの景色でした。
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それじゃ、次のレポートで、無量寺時代のこの谷戸について、まとめてみたいと思います。
by b_neige | 2018-01-14 15:37 | 鎌倉歩き | Comments(0)

この日の鎌倉土産(2018.01.11)

この日の鎌倉みやげは、
和茶房 鎌倉 さくらの夢見屋 小町通り店のイチゴ大福とずんだ餡の串団子。♪♪
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個人的にずんだ餡、大好物なもんで。(^^ゞ

小町通りのこのお店のお団子、人気ありますよね。四色団子という変わり種もあるし、ほんとに選ぶのが困るほどメニュー豊富。食べ歩きしている若い方々も多いです。

鎌倉には行ってますよ。ただ、何やかやで写真は撮れず。。。
一年で一番寒い時期になります。どうぞくれぐれもご自愛下さい。
by b_neige | 2018-01-12 17:21 | 鎌倉歩き | Comments(0)

鶴岡八幡宮に初詣(2018.01.06)

さて、タリーズを出て、八幡さまに初詣。
1月6日、3連休の初日土曜日、お天気も申し分ありません。
だからでしょうね、結構な人出。三の鳥居前は混み合ってました。

赤橋の手前に一対のステンレスの燈籠があります。今日はそのご紹介をしますね。
画像は向かって左の方。
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左右共に、寄贈者は河合鋼商店=現(株)カワイスチール(株)カワイスチールホールディングの河合佐兵衛氏。制作者は徳増久五郎氏。(昭和15年6月6日奉納)
向かって右側がイギリス製でハンダ付けのステンレス、左側はアメリカ製でリベット(9200本)を用いたステンレスだそうです。

ステンレスは錆びにくいんですよね。きれいではありますが、鎌倉は海街。塩害があります。また、鳩の糞害も?
江戸時代の砂糖屋さんの石燈籠とどちらが長持ちするでしょうか??

参道で。
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舞殿前で1、2回ロープ規制がありましたが、そんなに待たされることもなく、大階段へ。
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今年もよい年になりますようにと、無事お参りを済ませました。

笛の合図で次のグループが上がって来ます。
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鎌倉一の観光?スポット、不動のトップは鶴岡八幡宮です。
by b_neige | 2018-01-08 07:22 | 鎌倉歩き | Comments(0)

鎌倉タリーズ鶴岡八幡宮前店=時房タリーズ(2018.01.06)

それでは、「時房タリーズ」と称される?鎌倉タリーズ鶴岡八幡宮前店のご紹介です。
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ごめんなさい、先月オープンかと思ったのですが、なんと10月5日ですって。(^^ゞ

前のレポートでご紹介した「北条時房・顕時邸跡」ですけど、その場所を初めて知ったのが、実は、11月初旬の鎌倉ガイド協会の11月のCコースで。
勉強になるかと思って、後ろに付かせていただいたのですが、その時、既にタリーズは出来ていたんですね。
だって、店内に、この辺りから出土した遺物など展示されているんです。あの時、話題に上ってもよかったんじゃないかしらと。。。
段葛を挟んで、ちょうど真向かいにあるM’s Ark Kamakuraビルに原位置再生保存されている北条氏邸跡のご紹介にまぎれてしまったのか、このタリーズのご説明はなく...。
まっ、お店の宣伝になってもいけませんけどね。(^^ゞ

入口から店内をどうぞ。
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間口は狭いんですけど、奥行きがある店内になります。
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そして、ほら、こんな具合に遺物がそうですね、約20点ほど展示されています。中には永福寺跡から出土した「永」という文字が認められる瓦も。(かわらけや青磁・白磁等焼物の破片、箸など)
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若宮大路の側溝護岸土台材や井戸枠材(横桟)もありましたよ。
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柱の根元部分。
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また、窓の外になりますが、鎌倉時代後半13世紀末頃から14世紀初頭に使われていたとみられる井戸跡も。(こちらは外からも見学可能)
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和の雰囲気漂う、このタリーズ店内、なかなか落ち着いた感じでゆっくり出来ます。時々、来ようかしらなんて思っちゃいました。(^^)
by b_neige | 2018-01-07 17:04 | 鎌倉歩き | Comments(0)

小町通りと若宮大路の間の☆きらり時房邸跡☆(2018.01.06)

昨年になりますが、小町通りと若宮大路の間に「北条時房・顕時邸跡」と記された、とある場所を初めて訪れたんです。
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ほんとに、これまで知らなかったスポットでした。
若宮大路からだと、この小池小路を入ったところ。
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小町通りからだと、駅からまっすぐ八幡さまに向かって進み、並行する若宮大路の若竹薬局が見えるあの曲がり角で右に折れ、(雪ノ下1丁目-9)の標識(=カレー屋の向かい)があるこの路地へ。
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どれ位歩くかしら、右側にこんな入口が見えたら、
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ここをくぐった場所。

こんな大きな説明板が出ています。
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若宮大路(段葛)の両側には鎌倉時代、武家屋敷が並んでいて、八幡さまに向かって右側が北条ご本家一族=得宗家、そして左側には有力御家人たちの屋敷があったということ。

こちら側、まずは和田義盛、そして北条時房、北条顕時、赤橋守時(鎌倉時代最後の執権)の屋敷だったそうで。
そうそうたる顔ぶれに驚きます。
中でも、「北条時房」って、皆さんは耳にされたことありますか?
ちょっとマイナーかもしれませんね。
ご参考までに、ウィキペディアから。
北条 時房(ほうじょう ときふさ)は鎌倉時代初期の武将。北条時政の子。北条政子・北条義時の異母弟。
容姿に優れた人物であり、所作もよく、源頼家、源実朝の和歌、蹴鞠の相手をつとめた。また後鳥羽上皇の前でも蹴鞠を披露し、それを上皇より気に入られて出仕するよう命じられ、京都で活動していたことがある。この京都での活動、経験は、後に時房が六波羅探題として手腕を発揮する際に生かされた。

時房は武蔵守となる一方、和田合戦でも活躍しているし、源実朝が暗殺されると、上洛して、朝廷と交渉、摂家将軍となる三寅(=藤原頼経)を鎌倉に連れてきます。承久の乱で上洛した後は六波羅探題南方となって、兄である義時の死後は鎌倉に戻り、3代執権泰時の補佐役となる連署に就任。
なかなかの人物でしょう?ナンと言っても「容姿にすぐれ、所作もよく」です!

その北条五郎時房さまのお住まい跡とはね。恐れ入りました~。

実はね、この小さな広場に面しているわけじゃないんですけど、この付近に(若宮大路に面して)タリーズの鎌倉第一号店が先月出来ました。そこ、「時房タリーズ」とヒソカニ称されているのだとか。
こう聞いたら、絶対!行かなければってなるでしょう。
初詣を兼ねて、6日(土)、行って参りました~。
続きます。


by b_neige | 2018-01-06 21:35 | 鎌倉歩き | Comments(0)

円覚寺・国宝洪鐘ー弁天諷経(べんてんふぎん)(2017.12.31)

正続院から洪鐘(おおがね)のある高台へ。
こちら、入口の鳥居。
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お寺の中に鳥居があるんですよ。まさに神仏習合ですね。
実は、国宝「洪鐘」は、その大きさ故、なかなか出来上がらなかったんです。(失敗2回)
時の執権・北条貞時は江ノ島弁財天に参籠し、そのご加護でようやく鋳造出来たということから、洪鐘の隣に弁天堂が建立され、円覚寺の鎮守となったわけです。
こちらの、江ノ島から招来した弁財天をまつる祭礼=弁天諷経(べんてんふぎん)は1年に一回、11月28日(夕方)。残念ながら、私はまだ見学?したことがなく...。

この、弁天諷経、11月28日の他は、大晦日の23時50分過ぎ頃からも行われるということで、長い石段をフーフーいいながら上り、洪鐘前に到着したというわけ。

法要がまさに始まろうとする時でした。見学の方は2、30人はいらしたかな。
いつも閉められている弁天堂に灯りが灯され、お坊さんが、左右に分かれてお座りになっています。真ん中の祭壇?の前に、円覚寺管長横田老師。
まずは般若心経だったかな。何回か繰り返しご唱和があって、その次が観音経だったと思います。
お経の合間に、お寺の半被を着た方が(もう、ベテランさんのようでした)、洪鐘を撞きます。
それでは、画像、行きますね。
弁天堂の中になります。左側。
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右側。
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そして、真ん中。背を向けられているのは円覚寺管長横田老師。
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弁天諷経とはね、普段は木魚でお経のリズムをとるところ、太鼓を遣うんですって。躍動感、高揚感のあるお経になるのだそうです。
円覚寺のHPに、その様子が紹介されてましたので、ご紹介しますね。
https://www.youtube.com/watch?v=dOOZC6X7zjY&feature=youtu.be
太鼓、画像でお分かりになりましたか?

肝心の除夜の鐘になる洪鐘、こちらです。
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大きな梵鐘でしょう?鎌倉で最大です。
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そして、この鐘の音色ですが、歴史を感じる?独特な響きでした。なんとも表現し難い。。。
お経は20分ほど続いたかもしれません。最後に参列されたお坊さん方が順番に、各々鐘を撞かれて終了でした。
見学出来てとてもよかったです。珍しい弁天諷経、忘れません。
おまけで、洪鐘の鎌牢くん、龍頭をどうぞ。
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2017年の除夜の鐘撞き、撞かせていただいたのは、今回は正続院(僧堂)の鐘のみでしたけど、記憶にしっかり残りました。◎

北鎌倉駅前の「侘助」でティーブレイク。あつあつの美味しい紅茶をいただいてから1時17分品川行きの横須賀線で帰りました。
by b_neige | 2018-01-02 07:11 | 鎌倉歩き | Comments(0)

2017年 大晦日の除夜の鐘-円覚寺・正続院(2017.12.31)

2018年穏やかな元旦を迎えました。昨日と比べると、いくらか暖かいです。
皆さま、どんなお正月をお過ごしでしょうか。
気持ちを新たに、今年も健やかに楽しく行きたいものですね。
佳い年になるよう、がんばらなくっちゃ。
今年も、どうかよろしくお願いいたします。

さて、大晦日、色々考えて、今回は円覚寺へ。
総門には、23時開門とありましたけど、5分前に入れていただけました。
総門前に並んでらした方々、一斉に足早に仏殿脇、妙香池脇を通り抜け、正続院前に。
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ここで、どれ位待ち時間があったかな。23時半までは待ったでしょうか。
正続院の梵鐘は、4名1組で撞かせていただけます。三年ほど前だったか、若夫婦とご一緒しましたが、
cf : 円覚寺での除夜の鐘(2014.12.31)
今年は同じ年位のご夫妻と。
ちなみに9番でした!(一桁ですよ!)
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この整理券、数字のみでいただいても嬉しくないです。しかも、撞かせていただく際、梵鐘脇に待機してらっしゃるお坊さんに戻すときてる。

正続院は日頃非公開の塔頭。宝物風入れ等、特別なイベントの折のみ入山可能な円覚寺で一番大事な場所です。境内奥に日本最古の唐様建築で国宝の舎利殿、開山堂があります。
23時半頃、中に入りました。
「萬年山」と書かれた扁額のかかった山門をくぐると、左手のロウバイが、こんなに花を咲かせていました。
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お坊さんが鐘楼の周りに立たれて、早速観音経のご唱和が始まります。
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除夜の鐘撞き開始!それにしても観音経は長いです。
お経の合間、何回かお坊さんが鐘を撞かれて、そうですね、10分ほど経ってからでしょうか、いよいよ一般の方々による鐘撞きになります。
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前回気がつかずに今回、気がついたことがいくつかありました。
まずはね、鐘を撞く棒?なんですけれど、いつだったかご紹介した棕櫚の木でした!
cf : 龍生九子の鎌牢くん-建長寺で(2017.12.07)
ほら、ご覧下さい。
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実は、この方々と主人と私、ご一緒に鐘撞きでした。
ゆっくり観察?できないのが難点~~。(゜_゜;)

それと、画像で思ったのですが、撞木の先に注目して下さいね。
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なにやら文様が入っているでしょう?「龍生九子の鎌牢くん」のレポートで書きましたが、撞木に鯨(クジラ)を付ける場合があるとか。今度機会があれば円覚寺のどなたかにお伺いしてみたいです。

今回の鐘撞きは、とても満足でした。やった!ですぅ。いい音したように思います。はい。
前のお二人と息が合っていたし。後で、佳いお年をお迎え下さいって、お互いにご挨拶。
(鐘をつかせていただいたのは、23時54分か55分頃でした)2017年の最後のお仕事終了。

その後、舎利殿に参拝して、(手前の唐門から)
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金色に輝くお厨子脇に安置されている観音菩薩さま、地蔵菩薩さま、確認できましたよ。
満天の星の下、有難いお参りでした。考えたら、ちょうど0時00分だったかも。

では、今回の2番目の目的場所へ移動します。国宝の洪鐘(おおがね)へ。
by b_neige | 2018-01-01 15:05 | 鎌倉歩き | Comments(0)