カテゴリ:〇〇先生の会( 8 )

永安寺址の碑→瑞泉寺(2-017.12.25)

瑞泉寺の前に立ち寄ったのが、「永安寺址の碑」。
e0245404_18536100.jpg
この碑については、以前にご紹介しましたね。
永享の乱で足利持氏は、このお寺で自刃したと伝わります。
cf : 永安寺址の碑(2016.05.23)
碑の前に置かれたものは、植物を冬の寒さから養生する囲い。ゴミじゃありません。念のため~。
紅葉が一部残っていました。

永安寺には三重塔があって、持氏の正室やら女官やらが籠もっていたそうですが、火攻めにされ、凄惨な最期を遂げられたと聞きました。
それで、もしかして、この岩の残骸がその三重塔の礎石では、ということで、一応写真撮った次第。
e0245404_188081.jpg
山側にそのままに放置されています。確かに加工された石材のように思いましたけど、果たして…??

はい、瑞泉寺到着。
下の境内から上の境内の仏殿が屋根のみ、ちらりと見えます。
e0245404_188188.jpg
ちょうど、陽が当っています。
こちらは、石段手前のアオキの実。
e0245404_1883135.jpg
時折、達磨形の実があるということで、「達磨の木」という別名もあるんだそうです。

石段は、まだまだ秋色、素敵な風情。
e0245404_189033.jpg
山門にかかる瑞泉蘭若の扁額です。
e0245404_1892239.jpg
蘭若の扁額は日本でここだけだそうで。
蘭若=梵語でここは静寂で修業に適しているということ。

そして、鐘楼の脇からは、富士山(のテッペン)をわずかに望むことが出来ました。
e0245404_1894085.jpg
写真じゃ無理でしたけど、肉眼では、〇の中に確かに富士山のテッペン、確認出来たんですよ。
徧界一覧亭からじゃないと富士山は無理と思っていました。ちゃんとビューポイントあったんですね。知らなかった~。

鐘楼の辺りで、安国利生塔やら、むじな塚やらのご説明を伺いました。
こちらはね、六地蔵が周りに配されているでしょう?
e0245404_18101621.jpg
元々は石幢(せきどう)だったと考えられるんだそうです。後に燈篭になったようで。円覚寺黄梅院には、正真正銘の石幢が置かれているんですって。今度、ちゃんと確認してみますね。

仏殿にお参りして、
e0245404_18103859.jpg
後ろの夢窓疎石による岩庭を見学。大きな岩盤を穿って造りだした岩庭。
永福寺の浄土式庭園、池の周りを歩いて楽しむ庭園から、今度は坐って一ヶ所から眺める禅宗の庭園へ。違いがわかりますね。
そうそう、無量寺谷にあった岩庭は、この瑞泉寺のより、70年ほど古いそうですが、同じように一つの岩盤を穿って造りだしています。瑞泉寺のこの庭は夢窓国師の作庭ということですが、そのような流れが既にあったということですね。→書院庭園へのさきがけ。

今は18曲りは歩けるようになっていませんけど、いつか機会があれば、そこを経由して徧界一覧亭へと上ってみたいです。(真正面が富士山だそうで)幹事さんにお願いしておきました!

大佛次郎氏のエッセイの中に、この徧界一覧亭でダイヤモンド富士を楽しんだという下りがあります。-大佛次郎エッセイコレクション2「人間と文明を考える」(小学館刊)

〇〇先生の◇◇の会、今年はこれにてお開きでした。
by b_neige | 2017-12-27 18:24 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

鎌倉宮→永福寺跡へ(2017.12.25)

鎌倉宮を出て永福寺方面へ。
こちらは、鎌倉宮を出た辺りに立つ石標。
e0245404_22443758.jpg
ちょっとアップにしてみますよ。
e0245404_22445044.jpg
左 北条家御一門なにやらとありますね。これは、偏界一覧亭後方にある北条家の首やぐらのことですって。
これまでちっとも気がつかず…。(どこ見て歩いているのやら)

紅葉の名残が。
e0245404_22451653.jpg
こちらは、脇から眺めた鎌倉宮神苑の最後の紅葉。
e0245404_2245349.jpg
今年も暮れて往きますね。

途中、四ツ石という地名が残る場所を教えてもらいました。少し前までは標識があったらしいのですが、今はそれらしきものは何も。

青空、清々しい空気に満ちていた永福寺跡。
e0245404_22455078.jpg
ほぼ一周しました。
鎌倉のお寺は谷戸に建てられているので、細長い伽藍が普通ですけれど、このお寺だけは、中央に二階大堂、その右に薬師堂、左(手前)に阿弥陀堂と3つの大きなお堂が横一直線に並ぶ伽藍配置。そして、その前には浄土式庭園が広がります。池泉回遊式庭園です。
源頼朝公が義経&奥州藤原泰衡らの供養のため建立したお寺。でも、最初はそうでも、結果的に、花見をしたり、蹴鞠、酒宴、歌会、雪見等、迎賓館的役割を果たしたお寺です。さぞかし、華麗壮大な寺院だったんでしょうね。
基盤と池のみの復元。せめて、もう少し桜の木を植林しなくっちゃと思います。

では、通玄橋を渡って、
e0245404_22463343.jpg
瑞泉寺へ。この橋を渡っただけで、大分冷えてきました。奥深い谷戸はひんやりしています。
by b_neige | 2017-12-26 19:43 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

鎌倉宮鳥居前の河津桜と紅葉の碑(2017.12.25)

25日は〇〇先生の会でした。
実は△△先生の会というのが別口であるんですけど、そちらは、散策なし。もっぱらお話を伺う会。こちらは、〇〇先生とご一緒に鎌倉を歩く「◇◇の会」でして…。ややこしいですね、どうも。(^^ゞ

遅ればせながらメリークリスマス。☆☆
ということで、久しぶりの鎌倉散策、10時に大塔宮集合でした。
ちなみに、大鳥居前の河津桜は左側、既に満開。
どうぞご覧下さい。
e0245404_16553567.jpg
e0245404_16554672.jpg
e0245404_16555723.jpg
左側はまさに最盛期でしたけど、右側は陰になるのでしょう。まだまだこれから。左右合わせて花期は長いですね。

さて、鎌倉宮で伺ったお話は、この碑についてのみでした。
e0245404_16571811.jpg
まだ、このブログではご紹介してませんでしたね。
この碑は紅葉の碑と言います。後ろの紅葉、既に終わっていてごめんなさい。<(_ _)>
以前、史跡めぐり下見の折、先輩ガイドさんに教えていただいたっけ。
(ですから、既に知っていた碑になります)

こちらアップで。
e0245404_1658322.jpg
なかなか記されている文字が読み難いんですよ。

鹿島萬兵衛(かじままんべえ)という方が77歳に成られた折、そのお祝いに、鎌倉に秋色が乏しいというので、紅葉を千株、鎌倉宮と鶴岡八幡宮に植えたということが記されています。

鹿島萬兵衛は嘉永2年(1849)に江戸堀江町に生まれました。
父は日本紡績業会の先達。萬兵衛は父とともに維新期の通商業会に活躍、北海道の開拓事業に携わり、海産物の製造・販売に従事するなど多方面に活躍しました。明治20年には、函館に日本昆布会社を設立。明治22年には、東京紡績会社取締役となりました。対清貿易を中心に活動を行って、大正期には台湾高雄に製材所を設立しています。昭和3年没

碑は日蓮宗研究家の田中智学によるもので大正14年11月吉蓂(きちみょう)とあります。
蓂は「こよみぐさ」のことだそうです。

田中智学氏と鹿島萬兵衛翁は面識はなかったそうですが、その風流に共鳴されたそうで。

それでは、次の場所、永福寺跡へ向かいます。
by b_neige | 2017-12-25 17:16 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

鎌倉歴史文化交流館へ(2017.11.27)

今日は〇〇先生の会で、先月予定されていた鎌倉歴史文化交流館へ。(先月は先生の勘違いもあって?、明王院を訪れたっけ)
歴史文化交流館へは、ほら、旧古我邸の前を通って、分れ道を右に行けばOKですけど、お近くにお住まいの方々へのご迷惑を考慮して?、これまでは甘味処雲母の前から入館してました。
だけど、この日は堂々と?、閑静な住宅街を歩いた次第でして…。
途中のお宅のイヌビワ=イタビです。
e0245404_22274619.jpg
イヌビワはビワの仲間ではなく、イチジクの仲間なんです。ほら、実を割ってみると、白い液が出ます。(実は黒くて固いです)(割って見せてもらいました)
e0245404_2228922.jpg
細かい種子があるので、ジャリジャリっとするようですが、甘いそうで。(今回は食べてません!)笑
見かけ、トベラの実に似てますけど、葉の形が違います。トベラはもっと丸~い葉。

歴史文化交流館に到着です。
e0245404_2228328.jpg
本館のエントランスから入って、通史展示室、中世展示室、近世/近現代展示室とみて、次に別館の考古展示室で開催されている「蘇る永福寺-史跡永福寺跡整備記念-」へ。
交流室で永福寺のCG動画も視聴しました。
(ちなみに、歴史文化交流館へは2度目)

これはCG動画で見た、永福寺の浄土式庭園で庭石をかつぐ畠山重忠公。
e0245404_22295274.jpg
個人的に御家人の中では、この畠山さん、好きなんですぅ。♪♪(笑)

永福寺跡地から出土した柱になります。
e0245404_22301939.jpg
e0245404_22304416.jpg
永福寺って、珍しい伽藍配置ですよね。鎌倉のお寺って、谷戸に建てられているから、山門から奥へ細長く続くのに、このお寺は横一列にお堂が並んでます。
壮大華麗な大寺院だったんでしょうね。

永福寺(廃寺)とは?
e0245404_22473927.jpg
奥州合戦で命を落とした源義経や藤原泰衡らをはじめとする諸霊を供養するため、源頼朝が建立した寺院。
奥州平泉で毛越寺や中尊寺の二階大長寿院などの壮大な伽藍を目にした頼朝は、大倉御所の近隣にそれらの堂宇を参考にした寺院の建立を決意、そのため、大倉山周辺を見て回って霊地を探しました。建立を決意してから作事に入るまで2年要したそうです。
庭造りの専門家を京都から呼び寄せたり、二階堂の扉と壁に画を描かせたりしました。
庭造りに関しては、庭石の位置の指示を出すなど、並々ならぬ意思が見られたようで、さぞかしこだわりの大寺院だったのだと思います。

CG動画に登場していた発掘の様子です。
e0245404_22325721.jpg
e0245404_223389.jpg
さて、一通り展示物を見終わった後は、こちらやぐらを望む庭へ。
e0245404_22334651.jpg
こんな風に岩盤を穿って造った庭と言えば瑞泉寺ですけど、あそこの岩庭より70年ほど早い時期なんだそうです。
鎌倉時代の御家人安達氏の菩提寺無量寺が建つ谷戸だったということで、無量寺ヶ谷。
そして、この場所は以前に発掘調査が行われて、今は石畳が敷かれてますけど、岩庭の一部だったそうです。
確かに瑞泉寺の景観と似ているところありますよね。
往時の流行スタイルだったのでしょうか?

この場所、江戸時代には相州伝の刀工正宗の後裔である綱廣の屋敷が在った場所なんだそうです。それで、一段高くなった場所には刀を打つ際の合槌稲荷社があったそうです。
それは、葛原岡神社に移転しているのですが、再びお社が造立された模様。つまりは現在、合槌稲荷社は3ヶ所にあるようで。。。(@_@)
cf : 葛原岡神社ー銭洗弁財天辺りを歩いて(2016.09.05)
cf : 有志会 扇ガ谷・佐助の七神社めぐり(2015.01.23)
ちなみにその時の参道は(→)と考えられるそうです。
e0245404_22342537.jpg
大正時代に入ると、この場所、三菱財閥第4代当主岩崎小弥太の所有に。母親のための別荘を構えていたようです。岩崎氏はかつて祀られていた合槌稲荷社を復興したそうで、参道、鳥居、社祠なども整備したそうです。
(実は稲荷社へ続く上りやすい参道(アプローチ)もちゃんとあって、散策できるようになってます)
それとね、上の画像の3つ並んだアーチ状の横穴ですけど、これは岩崎氏が所有者だった頃、防空壕として造られたものではないかと伺いました。

そして、岩崎氏の次ですけど、平成12年(2000)にセンチュリー文化財団がこの土地を買い、新たな建物が建設されたということで。それがイギリスの著名な建築家ノーマン・フォスター氏が代表を務めるフォスター+(アンド)パートナーズ設計の建物というわけ。
cf:無量寺ヶ谷の(仮称)鎌倉歴史文化交流センター(2016.10.7)

さて、この後は銭洗弁財天へ。歴史文化交流館脇の隧道辺りの紅葉になります。
e0245404_22353811.jpg
そして、こちらは、佐助隧道手前で先生が教えて下さった「洞忍」=ホラシノブ(シダ)の紅葉。
e0245404_22355535.jpg
葉先が丸いそうで。こちらネットからお借りしました。
e0245404_22363599.jpg
コモチシダも見かけたので、ご紹介。
e0245404_22371599.jpg
銭洗弁財天への上り坂の下で見かけたのは、ヒイラギナンテン。
e0245404_22373190.jpg
この株、立派ですよね。

昭和になって整備された銭洗弁財天鳥居前。
e0245404_22375523.jpg
お金は洗いませんでしたけど、どうぞご利益ありますようにとお参りしました。(^^ゞ
by b_neige | 2017-11-27 22:40 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

飯盛山寛喜寺明王院五大堂へ(2017.10.17)

先月は所用にて抜けてしまった〇〇先生の会に参加しました。
10時の集合時間でしたけど、雨はまだ上がらず…。一体、いつから降り続いているんでしたっけ。梅雨と違うのは冷たい雨だということ。
そして、先生ですけど、なかなか現われず。。。(笑)
代表の方が連絡をとってみると、駅の反対側でお待ちとのこと。(笑)
確か、この日は歴史文化交流館入館だったと思ったのですが、先生の勘違い?
なんでも、先生が、通常は28日しか拝めないお不動様のいらっしゃる明王院の特別拝観をご予約して下さったということで、あらあらミステリーツアーに。(笑)
皆が予期していなかった明王院へおじゃますることになった次第です。
(歴史文化交流館はいつでも行けますけど、明王院はそうじゃないものね)

バス乗車。泉水橋で下車。明王院の前に、梶原井戸へ。(久しぶり~)
こちらは、井戸の手前、右側にある酔鯨館のクジラ。
e0245404_17115434.jpg
健在ですね。(笑)

そして、はい、梶原井戸です。
e0245404_1712788.jpg
結構大きい井戸なんですよ。
e0245404_17123755.jpg
谷戸の奥にあります。
梶原景時は、十二所の入口となる辺りに屋敷を構え、大江広元邸もご近所。
上総介広常邸も朝夷奈切通方面だったし、800年前は、名だたる御家人がいらしたお屋敷街の一角。

こちらは、明王院方面へ戻る時に発見した、今時チョー珍しい木の電信柱!
e0245404_1713461.jpg

(雨、降ってました!)

釘貫(くぎぬき)門(冠木門じゃない!)の明王院拝観です。
(現在では混同されている!?)(釘貫門:2本の門柱の上部に貫を通す 冠木門:2本の門柱の上に横木をのせる)  
e0245404_1714770.jpg
(ここから撮影禁止~)

雨でしたけど、ご本堂を開けていただき、中で副住職のお話を伺いました。以前、28日のお不動さまの縁日の時におじゃまして、お堂の中を見させていただいたことありましたけど、
cf : 28日はお不動さまの縁日-明王院(2016.05.28)
あの時は大勢の方がお座りになられていて、奥のお不動様をちらっと拝見するだけで精一杯でした。
だから、今日は思いがけず、御法話も伺えて、おまけに、すぐ近くで(内陣で)五大明王様、じっくり拝ませていただけて、いいことありました!

まずは、その前にご法話の内容を記しておきます。(概要)
「こちらの飯盛山明王院は4代摂家将軍であった藤原頼経公が造られた鎌倉幕府の祈願寺(檀家なし)。幕府が造ったお寺で現存しているのはこちらだけ(えっ?補陀洛寺は??)
頼経公は時頼公と権力争い → 後に京都に追放される

ご本尊の不動明王様は、縮れた髪を弁髪でまとめて、片方に垂らしています。釈迦族とは違う人種。諸刃の剣と羂索を持たれた坐像。(鎌倉時代)
お不動様を日本に最初に紹介したのは弘法大師空海。
こちらの仏さま、東日本大震災後、国宝館展示がきっかけとなって、短期間のうちに国の重要文化財になられたそうです。
(京都で修造された折、剥落した破片をよく保存していたと褒めていただいたと。。。)
仏師は肥後の定慶。4代将軍頼経と関わりが深かった。(定慶は、運慶・快慶後の時代を代表する慶派の仏師)

明王院のこれまでで一番大きな法要といえば、鎌倉時代の蒙古襲来の際に行われた異国降伏の祈祷。メンバー、供え物、使用された香、座席表など、いってみれば事務記録のような文書が残されている。」
こんな感じだったかな。

そして、お待ちかね。内陣で仏さまを拝ませていただきました!
(お参りするのにどうぞって、塗香もつけて下さって)
お不動さまを真ん中に水牛に乗った大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王、
お不動様以外は正徳2年(1712)再興です。一番右端に木造薬師如来(室町時代)一木造り 彫眼 一番左にはお厨子に納められた稲荷大明神 一木造り 彫眼(もとの大倉稲荷のご神体とか?大倉稲荷って、あそこの??)
cf: 「大蔵稲荷社」から山ルート、祇園山ハイキングコースへ(2012.12.16)

仏さま達、じっくり拝ませていただけました。とても美しく素晴らしい仏さま達で、ご紹介できないのがほんとに残念なくらい。

後ろ髪を引かれる思いでお堂を後にしました。

明石橋のところでは、覚一検校=明石検校(明石覚一)(=平家物語作者)がこの辺りに所領を持っていたことから、地名となって残っていると教えていただきました。足利氏と関わりがあったのだと。
また、二ツ橋検校とも呼ばれたことから、明王院の前の橋を二ツ橋というそうです。
大江広元邸跡の石碑を見て、光触寺へ。(トイレ休憩のみ)
そうそう、光触寺の山門前で「ケンポナシ」の実を教えてもらいました。
それが、私の耳がおかしかったのか、「テンボナシ」と聞こえてしまって...。(+_+)
PC検索すると、「ケンポナシ」でそれらしきものが出ていたので多分「ケンポナシ」だと思いますぅ。
これに関しては、また後日、レポにすることにしますね。
近くで見かけた柿の木です。
e0245404_174543100.jpg
こんな美しい塀が続く小径を歩き、
e0245404_17355130.jpg
大江稲荷を外から確認してお開きに。
e0245404_17254312.jpg
実はね、相当昔、十二所神社に初めてお参りした時、間違えて、あのお稲荷さんのところまで上ったことがあります。ブログを始める前だったかと。(笑)
そうなんですね。あそこ、大江稲荷って言う名称なんですね。文字通り大江広元公を祀ってるんですって。うわぁ~、今度ちゃんとお参りしてみよう!!!
by b_neige | 2017-10-17 18:02 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

暑い最中の鎌倉山散策(2017.07.28)

7月の〇〇先生の会後半のレポートです。

夫婦池公園から道なりに下って三島神社鳥居前へ。
e0245404_1753075.jpg
笛田の鎮守。
(石橋山の合戦で頼朝軍を圧倒した)大庭景親再建と伝わります。昔、笛田にあったものを水源地に祀れ、ということで現在地に移されたそうです。
また、昔は近くの仏行寺が別当ということで管理していたそうですが、今は長谷の御霊神社の管理下にあるとか。
でも、1月15日には、仏行寺の僧侶が、神前でお経を上げると聞きました。
ご祭神は大山祇神。伊予大三島社(この神社には参詣したことがあります)、伊豆三島大社を経て信仰を広げたとされます。
cf : 大三島 日本総鎮守・大山祇(おおやまづみ)神社参拝(2014.04.09)

鳥居を眺めただけで、スルーしてしまいました。なにしろこの暑さ。無理は禁物!?。
でもね、ちょっと上ってみたかったです。いつも鳥居前を素通りしていたので。
またしてもまたの機会に、で~す。(´。`)

さて、最終目的地、仏行寺へ。
e0245404_1754483.jpg
日蓮宗のお寺です。この時季に訪れるのは初めてかも。
門前のハスです。
e0245404_17542342.jpg
e0245404_17543619.jpg
北米ハスと東洋ハスの混合種ですね。なんてきれいなんでしょう。
ご本堂にお参り。
e0245404_17545415.jpg
こちらでもハス、見頃なのがありましたよ。
e0245404_1755756.jpg
裏に回る途中に見かけたヤマユリ。
e0245404_17552398.jpg
目を見張りますね。
はい、ご本堂裏からの眺め。
e0245404_17554918.jpg
つつじがきれいにお手入れされています。
下の池には睡蓮が沢山咲いてました。
e0245404_1756510.jpg
e0245404_17562818.jpg
ちなみに、睡蓮の花は終わると、水中に沈んでしまうのだそうです。蓮根はなし!

つつじの山には散策路があって、上には墓苑があります。そして、その後方には梶原景季の腕塚=源太塚があるのですが、無理はしません。(笑)

そうそう、仏行寺で日蓮宗の三十番神信仰というのを教えていただきました。手広に残るという三十番神堂も。
神仏習合の表れですね。手広のお堂、いつか確認してみたいです。(お寿司屋さん?スパゲッティやさん?の裏とか)

このまま深沢方面に歩いて、解散となりました。
途中のオミナエシとヒマワリをどうぞ。
e0245404_17564945.jpg
e0245404_1757046.jpg
暑い盛りの散策、終了~~。
by b_neige | 2017-07-30 16:36 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

〇〇先生の会ー鎌倉山へ(2017.07.28)

毎月一度の〇〇先生の会に参加。昨日位の凌ぎやすい日だったらよかったんですけど、朝から陽射しが出て、かんかん照りに。(>_<) 暑かったこと。参りました。
でも幸い、この会はあまり無茶をしません。ゆっくり、ぼちぼち、という感じ。
(それでも陽向は耐えがたい暑さでした~)

バスで鎌倉山へ。バス停「若松」で降りて、まずは「しのぶ塚」を見ました。
e0245404_1703111.jpg
梶原景時の息子景季の妻の塚です。
景季が景時と共に、駿河清見関で討たれ、夫の死を嘆き悲しんだ信夫は自害しました。
当初は仏行寺の裏山に葬られたと伝わりますが、いつの頃からか、こちらに。仏行寺にある源太塚(景季の腕塚)と向かい合っていると聞きますが。。。
そう言えば、阿仏尼の墓も、浄光明寺にある息子・冷泉為相の墓と向かい合っているって聞きますよね。ほんとに??

ブラブラと歩いて、ご存知、鎌倉山記という大きな碑のところまで。
e0245404_172255.jpg
碑文には平将門の天慶の乱から鎌倉山が開発され住宅地となった昭和初期の頃までの歴史がコンパクトに記されています。

この碑の裏から階段を降りて、夫婦池公園へ。
途中で教えていただいた「カラムシ」です。
e0245404_1724457.jpg
以前緑の会で「イラクサ」を見ましたが、この「カラムシ」もイラクサ科。ただ、イラクサの茎は触ると痛そうなくらい棘がありましたけど、こちらにはありません。
茎の皮から繊維がとれ、昔から親しまれている植物ということです。
昔は、蹴鞠のユニフォーム!?(笑)になったそうです。戦時中は軍服にも。丈夫な繊維で、船舶用綱、消火ホースなどのほか、小千谷縮などもつくられるんですって。(知りませんでした)

それから、この時季の夫婦池公園にはハンゲショウの群生が見られます。
e0245404_1752232.jpg
ただ、もう緑に戻りつつあります。
e0245404_1753737.jpg
この場所、ハンゲショウの次はツリフネソウです。
e0245404_1754880.jpg
夫婦池ですが、こちらが上池。
e0245404_176365.jpg
そして、下池。
e0245404_1764781.jpg
江戸時代、笛田村、手広村は水田地帯でしたけど、水に苦労していた為、代官であった成瀬重治が灌漑用に掘らせたもの。
2009年に、夫婦池公園として整備されました。
下池の向こう側には防空壕があります。

上池の畔のアシ。
e0245404_1775858.jpg
葦(アシ)の葉って、風になびいて?片葉に見えますよね。
八幡太郎の立てた片羽の白矢が根を生じたものとか、熊谷直実の馬が葉の片方を食い残したなど、種々の伝説があるそうです。
ちなみに、アシは「悪し」につながるので、「ヨシ」ともいわれます。→ ヨシズ

こちらは、下池の亀。
e0245404_1785434.jpg
鯉もいましたけど、亀も多かったです。
続きます
by b_neige | 2017-07-28 17:14 | 〇〇先生の会 | Comments(0)

尾藤ヶ谷?の烏森稲荷神社(2017.06.19)

19日(月)午前中、〇〇先生の会に初めて参加してみました。
そこで教えていただいたのが、北鎌倉の烏森稲荷社。これまで、全く知りませんでした。びっくり!!
場所は、踏切を渡って、鎌倉に向かって右側、道沿いに晴明石があるでしょう?そのすぐ先を右奥へ。細い小径があって、奥に見えています。
こんな具合。
e0245404_21583071.jpg
ちょっと小高い場所にあります。
せっかくなので上ってお参りしました。左側には庚申塔が2基並んでいます。
e0245404_21591255.jpg
文化9年(1812)の銘のあるものと天保2年(1831)の銘のもの(右)。

ちゃんとお世話をされている方がいらっしゃるようです。〇〇先生がおっしゃるには、霊感のするどい方には、ここのお稲荷様が怒ってらっしゃることがわかるそうです。
つまり、この細い小径の出入り口が生ゴミ収集場所になっているそうで。神様って、清浄な場所がお好みよね。だから怒ってらっしゃると。(紫の煙が2本立ち上っているんですって)

そして、こちらは、その先の建長寺の第六天社の掲示板に貼られていたものなんですが、なんだと思われますか?
e0245404_2201146.jpg
第6天社で盗難にあった佛さまたちですって。こんなに!?

どの寺社にも入山することなく、2時間ばかりそぞろ歩き。鶴岡八幡宮脇の道元の碑のところで一時解散となりました。
肩の凝らない会で、初めての参加でしたけど、居心地はすこぶるよかったです。
by b_neige | 2017-06-19 22:05 | 〇〇先生の会 | Comments(0)