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有志会 石造物により鎌倉の文化を知る Part1・光明寺(2017.01.30)

久しぶりに(もしかして2年ぶりかも)有志会に参加しました。
タイトルは「石造物により鎌倉の文化を知る Part1・材木座方面」で、コースは:光明寺→五所神社→来迎寺(解散)です。
今回の史跡巡り、100%お客様です。では、早速ご紹介しますね。

最初の光明寺では、石造物として、『板碑』を拝見。(場所はご本堂の右手前、網引地蔵さまの右横)
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この板碑は、阿弥陀一尊種子板碑。鎌倉時代中期、黒色粘板岩製、高さ130.0cm。弘長年間(1261~1263)と読み取れる刻銘あり。。
画像でも判りますが、上下二片に割れているのを接着してあります。頂部は欠損。
周りに二重線の輪郭があります。上方に天蓋、下方に蓮華座があり、共に薬研彫り(やげんぼり)。(=断面がV字形になるように彫ること)
天蓋と蓮華座に挟まれて、種子(梵字を組み合わせて仏尊を表したもの)が刻まれ、この種子はキリーク=阿弥陀如来。
蓮華座の下には、現在は読める状態でじゃありませんが、無量寿経の偈(げ)が刻まれているそうです。
また、光明寺のこの板碑は五所神社の板碑ととてもよく似ていて、一対と考えられるとか。(五所神社の板碑は扉のついた収容庫の中で保護されていますが、こちらのは野ざらし)

先を急ぎます。本堂裏から裏山の天照山に上り、歴代ご住職、開基・北条経時の御廟所へ。
その前に展望台からの一枚です。
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光明寺のご本堂、山門の向こうに相模湾、材木座・由比ガ浜海岸、稲村ガ崎が望めます。江ノ島は稲村ガ崎に被ってしまいました。そして、晴れてはいましたが、この日、気温が高く、富士山は残念~。

では、御廟所。正面中央が開山・然阿良忠上人=記主禅師の無縫塔=卵塔になります。
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総高208.0cm、台座は六角台、「開山、記主、禅師」の銘あり。
卵塔でこんなに大きいのは、あまり見たことがありません。

御廟所の一角に建つ、開基・北条経時の宝篋印塔。
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総高216.0cm。基台正面に「当山願主、蓮華殿、安楽大居士」の銘あり。

では、今回の目玉、内藤家墓地の特別拝観に移ります。そう、いつもいつも外から見るだけだった内藤家墓地。とうとう、敷地内に入って見学が出来たんです。
昔ご紹介したレポートもご参考までに。
cf : 秋本番までカウントダウン(2012.09.18)

さて、こちらが、通常見るアングルからの内藤家墓地。
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申し訳ありません。以下のレポート及び画像を事情があり、削除させていただきます。
関係者の方々にご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫びします。


by b_neige | 2017-01-31 07:16 | 鎌倉歩き | Comments(2)

九段下 Don Gaucho(ドンガウチョ)で新年会(2017.01.28)

28日はIBS(IBSインターカルチャー:http://www.ibs-ic.com/)の新年会でした。
場所は、ほら12月初めにうかがった九段下のBBQレストラン「Don Gaucho(ドンガウチョ)」。
cf : 九段下 Don Gaucho(ドンガウチョ)(2016.12.02)
今回はディナータイムにおじゃましました。あのボリューミーなお肉、再び楽しんできましたよ。♪♪

まずはね、前回気がつかなかった、この焼酎と日本酒のボトルをご紹介します。
こちらが29=肉で焼酎。
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そしてもう一種類、94=串で日本酒。
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へぇ~、おもしろいって、高いところにあるボトルの写真を撮っていたら、写真が撮りやすいようにって、お店の方(我らがdirectrice Yさんの息子さんです!)がわざわざおろして下さって。
ほ~ら、ご覧の通り。
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パーフェクトでしょう?これでちゃんと撮れなかったら最低ですぅう。(^^ゞ
息子さんはサービス精神旺盛で、とっても愉快な方。トークも最高!
お店のカード、もう一度ご紹介しておきますね。
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この日は出席者14名。全員、日本語教師のお仲間。和気あいあいの雰囲気。もう長いお付き合いなんです。ただ、お互い、それぞれに生徒さんを教えているわけで、こんな風に一度に大勢の先生方とお会いする機会はめったにありません。だから、近況報告に始まって、それぞれの生徒さんのことやら、日本語レッスンの情報交換やら、話は尽きません。延々とおしゃべりが続くわけでして。はい。
(そうそう、お店は貸し切りにしていただいたんです。有り難いことです)

さて、お料理ですが、ブラセーロのコースで、まずはアミューズ。
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おしゃれでしょ?オリーブにドライイチジクのピックが生ハムやサラミに合って、文句なしに美味しかったです。◎

次のお皿は前菜。パテだけでも十分なところに、盛り沢山の野菜付き、おまけにエッグベネディクトのソース、オランデーズソースって言うんでしたっけ?多分あのソースと思うんですけど、それがたっぷりかかったボイルドエッグまで添えられています。
とってもしっかりいただく前菜っていう感じ。ご馳走さま~。
ここまでで、お腹は早、満足気味~~。薄くスライスしたフランスパンだって、お代わりをお願いしちゃった位だから。(^^ゞ

そして、来ました。ブラセーロのてんこ盛りのお肉!!
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すごいでしょう?
お肉は全て、炭火で焼いて、十分油がとれています。だから食べやすいというか、塩胡椒のシンプルな味付けだし、さっぱりしてるしで、いくらでも、あっという間にいただけちゃうのかな。
ちなみに、画像のお肉は4人分です。それにしてもすごくないですか?(笑)
お肉には、口直しの意味もあるのでしょうか、また違ったサラダも付いていました。特にこの日は女性ばかりだからって。心憎いサービスに感動。

最後におしゃれなイタリアンドルチェ・カッサータをいただいて、
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美味しい珈琲で締め。
忘れてました、ドリンクフリーだったんですけど、メニューにない飲物だって、ちゃ~んと作ってもらえるんですよ。私、グレープフルーツサワー、ジョッキーで2杯もいただいちゃいました。

動くのが苦しいほど、お腹一杯になって、どうしようと思った位。つい食べ過ぎちゃいます。そういう感じのお店!気分は若く若くいられます。お肉料理って、そうですよね。(笑) 

14人分のお肉を心をこめて焼いて下さったご主人、ありがとうございました。
14人元気に揃って乾杯出来て、美味しいお料理をいただいて、沢山おしゃべりをし、楽しい新年会が出来ました。素晴らしい夜でした!

Don Gaucho(ドンガウチョ)のお料理で皆さんも幸せを味わってみませんか?
ほんとにオススメ。そして、どうぞ、ご贔屓に。053.gif
by b_neige | 2017-01-29 07:53 | フランス語、IBS関連 | Comments(0)

訪問ガイド研修-葉山文化財研究会「葉山堀内地区の文化財巡り」(2017.01.26 part3)

さて、ゴールの森戸神社まであとわずか。
西東三鬼の句碑をご紹介しておきます。
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陽が当たって、記されている文字が読めません。こちらで少しはお分かりになるでしょうか。
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*西東三鬼(1900-1962)
1933年、医師業(歯科医)のかたわら、外来の患者の誘いにより俳句を始める。「三鬼」はこの時から。(英語のサンキューのもじりとも)戦後、現代俳句協会を石田波郷らと設立。
山口誓子主宰の「天狼」初代編集長をへて、27年「断崖」を創刊。32年総合誌「俳句」編集長となる。昭和37年4月1日死去。61歳。
こちらが終焉の地。
「春を病み 松の根っこも 見飽きたり」(かかりつけの病院が近くにあったそうです)

北条高時が開基という臨済宗・長徳寺の前を通り過ぎます。
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こちら無住のお寺。(柵があって、入れません)
ただし、ご本尊の毘沙門天木像は町指定文化財。
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三家橋を渡ります。
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名前の由来は、当時、別荘のあった入沢達吉(ベルツの弟子の医学博士)、村井貞之助(タバコ王村井吉兵衛の義弟)、恒藤規隆(つねとうのりたか)(植物・地質学者、農学博士)の三家が私費を投じて石橋を架けたことから。平成21年、道路拡張で今の形に。

そして、堀口大学邸前。
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そもそも大学という名前は、出生地が本郷の東京大学の近所であったことから名づけられたそうです。こちらのお宅には今は、娘さんのすみれ子さんご家族がお住まい。
ガイドさんからは、宮中歌会始で詠んだ歌「深海魚 光に遠く 住むものは つひにまなこも 失ふとあり」が昭和天皇には喜ばれたものの、天皇を揶揄していると解されもしたと伺いました。
葉山町の名誉町民で文化勲章受章者。
個人的には、堀口大学はフランス文学者。フランス近代詩(アポリネール・コクトー・ボードレール等)を翻訳し、日本に紹介したことで知られます。

海辺に戻って、森戸海岸へ。アカウミガメが産卵した際のエピソードなど伺った後は、森戸川手前から森戸神社を拝見します。
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権現造。流れ向背。
画像右下、森戸川河口に、再び西東三鬼の歌碑があります。
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「秋の暮 大魚の骨を 海が引く」
大魚とはアンコウのこと。名句だそうです。この句、皆さんはどう解釈されますか??

ここから森戸神社の飛柏槇(ひびゃくしん)を観察。
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ここから見るのが一番見易いのだとか。飛柏槇は、頼朝公が参拝の折、三嶋神社から種子が飛来し発芽したものと伝わります。海側にせり出て、下から添え木で支えられています。
森戸神社のご神木。町指定天然記念物。

みそぎ橋を渡って、はい、こちら正面参道からお参りします。
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参道を進んで右手にある庚申塔。
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猿田彦神を祀った珍しいものだそうです。(庚申塔に猿田彦神はよくあると思うのですが)
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お社の正面。
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ご祭神は大山祇神・事代主神。
治承4年、平家打倒の旗上げに成功し、天下を治めた頼朝公が、三嶋明神の御分霊をこの地に勧請しました。

社殿裏の千貫松です。
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頼朝公が衣笠城に向かう途中、岩上の松を見てほめたところ、和田義盛が「千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたという云われから。現在の松は4代目。

この境内の海寄りには、沢山の顕彰碑や歌碑が並んでいます。
堀口大学の歌碑もあるし、葉山発展の祖・イタリアのマルティーノ公使とベルツ博士の碑も。

お馴染み、石原裕次郎の碑。
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ほんとにいい場所すぎて、ヒンシュクを買うかも。。。

最後に、今回初めて気がついたこの碑のご紹介。
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頼朝公の別邸、ここから西の海上百間許りとあります。
1間が6尺。約30cm×6=180cm×100=18.000cm 180mということ。
そうすると、こちらの画像、裕次郎灯台の向こう、名島の鳥居辺りらしいですよ。
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ちゃんと岩に柱の跡が残っているそうです。

以上、お天気に恵まれたガイド研修。葉山のガイドさんにすっかりお世話になりました。
前回より詳しいお話が沢山伺え、楽しいひとときを過ごせました。
by b_neige | 2017-01-28 23:21 | ガイドの仕事 | Comments(0)

訪問ガイド研修-葉山文化財研究会「葉山堀内地区の文化財巡り」(2017.01.26 part2)

葉山港から葉山マリーナへ。オープン当時はリゾート施設だったそうです。その一角に昔の浦賀道に面して(つまり今のバス道に背を向けて)、鈴木三郎助(味の素の創業者は二代目。こちらは葉山マリーナを建設した三代目)の銅像があります。こちら、ガイドさんとその銅像。
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二代目の創業者の銅像とばかり思っていました。(^^ゞ
屋敷がバス通りの山側にあって(今は高級マンションに)、最初の工場(逗子駅近くの延命寺辺り)以前はこちらで製造していたことから味の素発祥の地とされています。(現在の工場は川崎市鈴木町)

ここから海辺(昔の浦賀道の名残)を歩きました。
富士山の絶景と、
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ワカメを茹でるのにお忙しそうな漁師さん達。
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生ワカメ、売られていました。

海辺から少し入ったところにある浄土宗、清浄寺。
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確か、このお寺の右側辺りに高橋正風別荘跡があったかと。ガイドさんが、正風は宮中の歌所の長官だったこと、「わが宿は 相模の海を池として 富士大島を庭の築山」と歌ったことを教えていただきました。(ほんとに風光明媚な場所です)

さて清浄寺については、以前のレポート、コピペします。<(_ _)>
本尊は阿弥陀如来像(室町時代)で左足を少し前に出して立っている珍しい仏像だそうです。幕府に篤く庇護された寺で、屋根瓦などに三つ葉葵の紋所が。
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大正天皇が皇太子時代によく、馬で寄られたそうです。

妻飾りも凝ったものでした。
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境内の「徳本上人の名号碑」。
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徳本上人は江戸時代中期の浄土宗の僧。「南無阿弥陀仏」を唱えて日本各地を行脚しました。

さて、再び海沿いに出て、防波堤の七桶の碑のところに。
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この画像は以前のもの。レポートもついでに。<(_ _)>
防波堤の上の小さい碑は、七桶岩のあった場所(大正6年の台風で崩壊)で、欲張りな老婆が大蛸に命を取られたという伝説があります。
(老婆が大蛸を見つけ、急いでその足を1本切り取り、家に持ち帰り桶に入れると、大きくてそれだけで桶がいっぱいになったそうです。老婆は欲を出し、翌日もその次の日も、と同じことを繰り返し、七つの桶が蛸の足で満たされました。強欲な老婆は8日目に最後の足を取りに行ったところ、急に大蛸が暴れ、8本目の足に巻かれて海へ引きずりこまれ、死んでしまったということです。)

この日は、近くの七桶地蔵堂にも寄ったのですが、何も祀られておらず。。。
こちらは、ガイドさんの資料から。
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七桶地蔵堂(同じく大正6年の台風で崩壊)にあったお地蔵さまの画像(昔、漁師の網にかかったものと伝わります)。

アンコールで、再度富士山を。
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穏やかな海。白い帆のヨット。右手に江ノ島。最高でした。

岸辺の方ですが、以前はこちらに、手前からイタリア公使レナード・デ・マルティーノの別荘、そしてその向こうに医学博士エルウィン・ベルツの別荘が並んでいたそうです。
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両者共に葉山を近代的な保養地と推奨しました。(この辺りが三ヶ浦と呼ばれます)

さて、ここから海辺を離れ、堀内会館(堀内学校の移転先でした)へ。その隣にあるこの公園から、
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約1000年程前の丸木舟が出土したそうです。

こちらは相福寺本堂裏の墓地ですが、
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今建設工事中の場所辺りが、慶應義塾の創始者・福沢諭吉と日産コンツェルンの総帥・鮎川義介の別荘のあったところ。
明治時代は、ここら辺り(葉山)に、各界の名士達がこぞって、別荘を持ったのでしょう。
中でもこの日、素敵なお宅、拝見しました。桐島カレンさんが住まれたという洋館、素晴らしかったです!

相福寺を正面から。
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浄土宗。ご本尊は昔は阿弥陀如来立像。今は坐像。
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鎌倉・材木座の光明寺から下付されました。光明寺の秘仏であったとか。
堀内学校として葉山の学校教育発祥の地。また、ご本堂の大屋根の棟に見える紋は、間宮氏の「隅立四つ目結」か?
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境内の枝垂れ梅と、
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慶應義塾水泳部の施設は、その昔、この本堂への参道右側にあったそうです。
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福沢諭吉先生の別荘地はこのお寺の裏・右手でしたから、もしくはその別荘地跡が水泳部の施設だったのかしらね?
続きます
by b_neige | 2017-01-28 07:18 | ガイドの仕事 | Comments(0)

訪問ガイド研修-葉山文化財研究会「葉山堀内地区の文化財巡り」(2017.01.26)

かながわボランティアガイド協議会には訪問ガイド研修というのが年に数回あるそうです。
26日(木)は、葉山文化財研究会主催による「葉山堀内地区の文化財巡り」でした。
確か3年ほど前、同じ葉山文化財研究会主催で、「大山詣での道」を歩いたっけと思い出し、なんだか懐かしくなって参加してみました。
cf : 葉山文化財研究会-葉山・大山詣での道3(2013.11.27)
cf : 葉山文化財研究会-葉山・大山詣での道3(2013.11.27 part2)
cf : 葉山文化財研究会-葉山・大山詣での道3(2013.11.27 part3)

集合場所は鐙摺バス停とありましたが、鎌倉ガイド協会として合計××名で参加することになった今回は、逗子駅集合。(海岸回り一色行のバス)
そして、4班に分かれて、鐙摺(あぶずる)の小浜海岸から研修スタートです。

ただ、今回のコースを振り返ると、前回(前回は一日コースでしたが、今回は半日)の、
(上のレポートpart2からpart1までの)コースと全く同様。つまり、個人的には、あの時のおさらいとなったわけです。(前回スタートの森戸神社が今回のゴール)
それでは、前置きはともかく、ご紹介しますね。(前のレポートとほんと同じ絵になるかと)<(_ _)>

まずは日影茶屋です。(峠の茶屋→旅籠→料理旅館→日本料理屋&和菓子舗)
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江戸時代中期(寛文元年=1661)創業。
大正5年11月に起こった大杉栄(1885-1923 明治・大正期における日本の代表的なアナキスト ファーブル昆虫記の翻訳で知られる)の「日影茶屋事件」(=四角関係のもつれ!?)で有名。
ウィキペディアからの大杉栄の写真、貼っておきますね。
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*現在の日影茶屋は昭和初期の建物で事件当時のものとは違うそうです。(逗留したのは2階向かって右端)

この建物の右側にある蔵。
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逆光だったので、お見苦しいですよね。ごめんなさい。<(_ _)>
こちらの蔵、石造り。房州石と言って、鋸山で切り出されたものだそうです。今でも現役。内部はカウンター式のバー風になっているとか?

この後は対面にある旗立山(町指定文化財)に上りました。
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あまりいいアングルから写真が撮れず。。。(>_<) 3年前の写真はこちら。
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ついでに、3年前のレポートもコピペ。<(_ _)>
①治承4年(1180)、源頼朝が石橋山で旗揚げした時、これに加勢した三浦義澄がこの地で旗を立てて気勢を上げたことから旗立山という。
②治承元年(1177)、三浦義澄から「父三浦大介義明よりこの山頂に城を築くよう云われている」と聞いた頼朝が、ここを通ってみた際、馬の鐙(あぶみ)が地に摺れたことから
「鐙摺(あぶする)山」ともいわれた。
③永正9年(1512)、三浦同寸義同が北条早雲に攻められて、退却する途中、ここに登り、敵情を視察したことから軍見(いくさみ)山ともいわれる。

頂上にある伊東祐親公の供養塔です。こちらが以前の写真。
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そして、今回の写真。
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いずれにしても、五輪塔の形は台座のみ??残っているようで。
伊東祐親公は北条時政公と共に、伊豆・蛭ヶ小島に配流された頼朝公の監視役でした。娘・八重姫と頼朝の悲恋でお馴染みだし、曽我兄弟の仇討ちのエピソードにも登場。ガイドさんのご説明にも力が入りました。
cf: 頼朝との悲恋哀し、八重姫を偲んで-真珠院(2016.09.25)

そうそう、頼朝と愛妾・亀の前の逸話も伺ったっけ。妻・北条政子に知られるところとなって、頼朝の怒りを買った牧野三郎宗親(北条時政の後妻・牧の方の父)が髻を切られて武士の面目をなくし、それ故、時政が怒って伊豆・韮山へ引揚げる騒ぎとなったこと云々。

頂上からの富士山。
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絶景ですね。今はこの場所、旗立山となっていますが、稲村ガ崎同様、昔は日影茶屋背後の山と尾根続きだったそうで、往時は、海沿いに浦賀道が通っていました。(現在は一部のみ残る)

旗立山を下り、小径を入って海宝寺へ。
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浄土宗。ご本尊は聖観音さま。お厨子の中で拝見出来ず。(日影茶屋さんから奉納されたという紫の丸二引紋入りの幕が印象的。丸二引紋は日影茶屋さんの家紋だそうです)
*日影茶屋さんには丸二最中という家紋入りの御菓子があります。

それと、珍しいとされる奪衣婆の石像もどうぞ。
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お次は、海宝寺の隣の須賀神社です。
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熊野那智神社系。
ご神体は「須佐之男命」。お祀りされているのは、肥え柄杓で、(それで流れ着いたご神体をすくい上げたとか)今はその柄杓のみ安置されていると、伺いました。
水引虹梁の上の妻飾りは浪うさぎ。
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やはり海と関係してますよね。

さて葉山港に到着。
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慶應義塾水泳部の学生達が水泳訓練の併走としてヨットを走らせたのが最初だそうです。

この碑の前にある慶應義塾大学の施設。(昔は相福寺脇に在ったのがこちらに移動)
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続きます。
by b_neige | 2017-01-27 07:25 | ガイドの仕事 | Comments(0)

Yahooのニュース(2017.01.24)

今日のYahooのニュース、読まれましたか?
こんなニュースです。
<徳島県警>スマホ写真、被害者の瞳に容疑者の顔 解析成功(毎日新聞)- Yahoo!ニュース

【容疑者から押収したスマートフォンに保存されていた被害者の写真を徳島県警鑑識課が解析した結果、写真を撮影した容疑者の姿が被害者の瞳に映っていることが判明し、重要な証拠となった事件が昨年あった。同課によると、瞳に映った姿が証拠になるケースは大変珍しいという。以下略】

このニュースを読んで、昨年アップしたかまくらむかしばなしの『目玉に映っていた影』をすぐ思い出しました。
cf : こんばんは(2016.09.18)

この話では、目を見開いたまま亡くなった英国人の目の玉をえぐり出して?、なんとか処理をして?、その目玉を写真に写してみたところ?、容疑者の姿がバッチリ写っていて、早急な事件解決につながったということでしたが、まさにそれを地で行く話。むかしばなしが現実の世界で!!

びっくりして、読んですぐ、主人に教えたのですが、おもしろいことに、昨年その本を貸してくれた友人からも即座にメールが入って。。。(笑)
大塔まんじゅうの友人です。
ほんとに、へぇ~っていうニュースでした!005.gif
かまくらむかしばなし、最高~!☆☆☆
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by b_neige | 2017-01-24 15:43 | 鎌倉歩き | Comments(0)

横須賀・秋谷 立石公園→円乗院へ(2017.01.21)

立石公園に到着!
では、素晴らしい絶景をお楽しみ下さい。
まずはかながわの景勝50選「秋谷の立石」=「立石&真ん中に富士山&松」をどうぞ。
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この時ね、富士山の上の雲が動かず…。しばらく待ってみたんですよ。でもダメ~。(>_<)
ほんと残念でした。
こちらは立石の説明板。
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立派な岩です。言うことありません。
画像に見えている突き出た松のところへ移動しますね。
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散策路の脇にあった泉鏡花の文学碑になります。
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若命家長屋門のところでご紹介した泉鏡花の作品「草迷宮」の一に出てくる一文が記されています。
〈大崩壊(おおくずれ)の巌(いわお)の膚(はだ)は、春は紫に、夏は緑、秋紅(くれない)に、冬は黄に、藤を編み、蔦(つた)を絡(まと)い、鼓子花(ひるがお)も咲き、竜胆(りんどう)も咲き、尾花が靡(なび)けば月も射(さ)す〉泉鏡花
長者ヶ崎の辺りの描写、美文に酔いしれるばかり。
(鎌倉じゃ、泉鏡花は材木座の妙長寺にエピソードが残ります)

ここから、その長者ヶ崎方面を望んで。
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江ノ島も見えています。背後の山並みは丹沢。

そして富士山(真ん中)。
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ほんと残念でした。
海に向かって咲く水仙。
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しばし景観を楽しんだ後は、円乗院へ。
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海上山 円乗院 三浦不動尊-第22番札所・三浦地蔵尊-第21番札所 真言宗のお寺
ここもお不動さまが祀られています。ということは、立石不動院同様、今年12年に一度の御開帳というわけ。楽しみですね。個人的に、不動明王さま、好みなんです。

また、このお寺は、へちま加持で有名。
*へちま加持とは?
へちまに災いや願い事を託して海に流すもの。真言密教の秘法。円乗院で約90年続いている。
毎年中秋の名月の日に行われ、引き潮の時間に合わせ、久留和海岸から流されます。
「譲渡証をつけたへちま」、おもしろい行事ですよね。(どうしてへちまなのか知りたいです)

境内には弘法大師の石碑やら、
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閻魔堂やらありました。
石碑の後ろに見えているのが閻魔堂。
閻魔堂の横のヒメユズリハ(姫譲葉)。
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ユズリハよりは全体的に小型。新しい葉が出てくると、古い葉が落ちて交代します。だから譲る葉→ユズリハ。お正月の飾りにも使われます。

境内には、真言宗のお寺ですから、お大師さまの銅像ももちろんありました。
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ただね、そのへちまを流すという海岸、久留和海岸、チェックし忘れました!(>_<) <(_ _)>

立石公園からは海沿いの道を歩きます。180度開けた眺望、雄大な海の景色が楽しめます。
気分爽快、心身共にリフレッシュ、心豊かな時間を過しました!
by b_neige | 2017-01-23 20:13 | 横須賀歩き | Comments(0)

秋谷神明社&若命家長屋門→立石不動院(滝不動)(2017.01.21)

秋谷神明社の鳥居前には「若命家(わかめいけ?わかめけ?)長屋門」があります。
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画像の右下にそれを解説する標柱があるでしょう?
横須賀市指定市民文化遺産 若命家長屋門
屋根は瓦ぶきで、壁は漆喰、腰はなまこ壁の長屋門。入口正面に向かって左手には納屋、米蔵があり、右手には畳部屋が附属する。建立年代は江戸末期と伝えられる。
とありました。
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一見とてもきれいです。最近修復工事が行われたよう(2006年)。(今も若命家の門として現役!)
ちなみに門扉は内開きのケヤキの扉。以前は木の部分に、風雨から保護するため柿渋が塗られていたそうです。(この扉はめったに開かれず、通常は画像、右側に見える切戸と呼ばれる小さな通用門から出入りする)
屋根は元々は茅葺き。(関東大震災後、瓦葺きに)
若命家は、江戸時代、秋谷村の名主役を務め(本陣の役目も)、門前の広場は年貢米の徴収の際、使用されました。

泉鏡花のエピソードもあるんですよ。
泉鏡花は逗子に滞在していた明治41年、「草迷宮」という物語を執筆します。主人公・葉越明が、幼い時に亡き母から聞いた手毬歌をもう一度聞いてみたいと、諸国を遍歴する旅に出て、ついに三浦郡秋谷の里、黒門と称する村の庄屋の別宅で探し当て......とそんなテーマ。この若命家長屋門が作品中のその屋敷のモデルとされています。
(余談ですが、泉鏡花の文体って、どう思われますか?よほどの国語力がないと読破出来ませんよね。今回も手元に本はあるのですが...。集中するのみなんでしょうかねぇ...、溜息です。)

なまこ壁の立派な門、ちょっと下田の古い町並みを思い出しました。

さて、では鳥居をくぐって、秋谷神明社にお参りです。
神社の由緒書に、元弘元年(1331)に若命基盛が祭神を奉戴し、こちらの秋谷に移り、以降氏神として村民に敬崇されているとありました。
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つまりは若命家のご先祖(桓武平氏の流れの出)は約700年前にこちらに来られたということ。

鳥居をくぐると、長い石段!
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両脇の椿がちらほらと花をつけて、とにかくのどかな感じのところでした。
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ちなみに海を背にしています。お社の前からは、はるか遠くに伊豆半島の達磨山辺りが望めました。

はい、こちらが拝殿になります。
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海老虹梁、水引虹梁の彫り物はなかなか凝ったものです。
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こちらの画像は拝殿脇から撮ったもの。
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拝殿の後ろにご本殿(神殿)がある形。
そして、おもしろいと思ったのは、参拝の手順図に、本殿(神殿)の後ろをぐるっと周り、裏壁をコツコツたたいて歩くって記されていたんです。どうして??
伺おうと思ったのですが、どなたもいらっしゃらなくて…。どなたか教えていただけると嬉しいです。

さて、この次ですが、立石公園の手前にある立石不動院(滝不動)へ。
矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)がのっかった山門です。確か今泉の称名寺でも、この手の門、見かけましたね。
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お寺の方でしょうか、お婆ちゃまにお会いしました。よくお参り下さいましたって。
こちら、門から入って左側のお堂。
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残念ながらお不動さまのお姿は見られず。(>_<)
参道が奥へと続いています。再び門。今度はお不動さまがのっかってます。
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一段、高い場所にある不動堂。こちらが滝不動さまかな。
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手前の狛犬、ユニークです。なんか、スターウォーズに出てくるみたいな。。。(ちょっと笑える)
不動堂の中はうかがえず。実は、今年、三浦不動尊霊場の12年に一度の御開帳があるんです。
その時を楽しみにしておきましょう。

そして、こちらが滝。
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水量があまりないのか、この日はあまり滝って感じはしませんでした。岩肌に幾筋か水が伝わって落ちてるかなって具合。
最近雨が降りませんからね。仕方ないです。こちらも、次の来訪の時を楽しみに。

それじゃ、次は立石公園と思って、こちらの不動院を後にしたのですが、帰宅して気がつきました。庚申塔とか拝見するの、全く忘れてました~。(>_<)
だから、またいずれってことです。はい。
by b_neige | 2017-01-23 06:59 | 横須賀歩き | Comments(2)

横須賀・芦名 浄楽寺→正行院へ(2017.01.21)

逗子駅から2番乗り場のバスで浄楽寺バス停下車。
スタートは浄楽寺。
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そう、あの運慶仏5体をお祀りするお寺です。浄楽寺には昨年2度ほどお参りしているので、この日はパスさせていただきますぅ。
cf : 横須賀・芦名 浄楽寺へ-運慶の仏さま拝観(2016.08.05)
cf : 横須賀・芦名 浄楽寺へ 続き(2016.08.05)
cf : 横須賀・芦名 浄楽寺の開きの縁日(2016.10.19)
週末だからでしょうか、左側の駐車場の一角には地場野菜やら三浦の海の幸やら市が出ていました。荷物になるのでやめようとは思ったのですが、あまりに安くて新鮮な野菜に目がくらみ、ものすごく立派なカリフラワー、一房まるごと求めました。200円。(リュックはそれで満杯に…。)
ついでといってはなんですが、浄楽寺まで来たら、あのパン屋さんですよね。芦名ベーカリー、もちろん忘れていません。
午前中だし、品数多かったですよ。
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野菜のドーナツ?アンチョビとオリーブのフォカッチャ?わぁ、楽しい!

失礼しました。それでは散策開始。浄楽寺から正行院というお寺へ。
バスで来た道を少し戻った先にある前田橋の信号を右折します。
途中の水仙。
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今年は暖かいのかどこでも水仙が満開です。
そして、この道の正面に見えた富士山です。
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めちゃめちゃきれいでしょ?
さて、前田橋の信号を右折すると、お国橋という橋があり、ここがどうやら前田川遊歩道の起点のよう。
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ここから川辺に下りて、上流方面へ歩くんですね。
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この前田川遊歩道、なかなか楽しめそう。大楠山ハイキングコースとリンクしているようだし、いつか、そのうち終点まで歩いてみたいと思います。

さて、今回は、遊歩道には下りず、このまま道なりに、高台にある上行寺まで。
坂の右側に並ぶ沢山の石仏。
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子供を亡くした方々が納められた供養のお地蔵様とか。
山門左下にも。
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ご本堂へは、更に石段を数段上ります。
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はい、こちら。
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紫雲山 秋谷寺 正行院 浄土宗のお寺。(三浦地蔵尊三十八札所の第20番札所)
鎌倉幕府の御家人・和田義盛ってご存知ですよね。実は和田義盛は木曽義仲の盟友?巴御前を妻にしたと伝わります。
(宇治川合戦で木曽義仲は敗れ、自刃しますが、巴御前を逃がすのです。その後捕えられて頼朝のところに連れてこられた際、和田義盛が引き取り、その巴御前を母に朝夷名三郎義秀が生まれたとか、確かそんな伝説があったかと…。)
和田義盛は、三浦半島西海岸の秋谷・乗越海岸に、その巴御前の菩提寺を建てたと伝わり、それがこちらの正行寺の前身なんだそうです。
びっくりでしょう?あの話って、本当だったのっていう感じ。(笑)
お堂の中に巴御前の所縁のものがあればねぇ。。。
ちなみに、この日、お堂は閉められていましたが、靴が並べられていて、何やら法要?中から、お経のお声が聞こえました。

ご本尊は阿弥陀如来さま。その他、薬師如来及び十二神将、閻魔大王坐像なども。
こちらの閻魔像は身の丈1.2mもあるそうです。(以前秋谷海岸にあった閻魔堂より移転・寄進されたものとか)
残念ながら画像がありません。<(_ _)>

ご本堂の屋根の唐獅子。
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寺紋は浄土宗ですからね、抱茗荷でしょうか。
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そうそう、こちらのお寺、明応年間に後土御門天皇の勅許を受けて、お十夜法要が始まったそうで、歴史があるお寺なんですね。

*帰宅して分かったことですが、正行院の石垣には「鈴木三郎助」と刻まれた寄進を表す石が埋め込まれているそうです。二代目「鈴木三郎助」は味の素の創業者。母・ナカさん(初代「鈴木三郎助の奥様」)がこちらの出身(秋谷)で、ご実家が正行院の檀家だったことに由縁しています。

ではここから、秋谷神明社に向かうことにします。ルートはバス通りです。バス道に出ると、秋谷神明社は目と鼻の先でした。

おまけは途中の河津桜と水仙。
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歩いていて汗ばむほどの小春日和です。
by b_neige | 2017-01-22 07:16 | 横須賀歩き | Comments(2)

年明け最初のフランス語レッスン(2017.01.20)

20日(金)は原則2週に一度のフランス語レッスンの日。
午後から一時、雪が舞ったようにも思いましたが、どうだったんでしょう。
鉛色の空の下、こんなに冷えているのに、早満開だった飯田橋プラーノの前の寒紅梅です。
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さて、レッスンの前の恒例のスイーツですが、まずは、富山の老舗、創業宝暦2年という五郎丸屋の薄氷=干支の薄氷)をどうぞ。
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なんでも、宝暦2年の冬、五代目五郎丸屋八左ェ門が庭のネコヤナギに気を取られて思わず水たまりの薄氷を踏み割り、その際に不定形に砕けた氷の美しさをイメージして、銘菓「薄氷」が生まれたそうです。
千鳥の形→荒波を乗り越える→夫婦円満&家内安全、また千を取るという意味で縁起物なんですって。
それにしても、なんてきれいな色合いの御菓子!見とれちゃいます。さすが、匠の国、日本ですよね。いただいてしまうのがはばかられて…、と言いながら口の中に。。。(^^ゞ

もう一つ、同じく富山の高岡ラムネ。創業天保9年、高岡木舟町大野屋のもの。
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こちらはユネスコ無形文化遺産に登録された「御車山(みくるまやま)」。象られているのは、御車山鉾留(ほこどめ)の鳥兜、やなぐいに弓矢、五鈷鈴、胡蝶、太鼓に鶏、釣鐘、桐、御車山を先導する源太夫獅子、御車山の車輪、前田家の家紋・剣梅鉢。(一つ、どなたかが取られて...)
目がまわりそうな位丁寧できれいでしょう。そして優しいお味。。。ほんとに大人が楽しめる御菓子です。匠の技にただ感嘆するばかり。
〈御菓子は、生徒(全員お仲間の日本語教師)のお一人が富山に行かれて、そのお土産でした〉

フランス語もがんばりました!
今日の先生のお話の中で印象に残ったのは、フランス本国でのフランス語教育がレベルダウンしているということ。元々、フランス語の表記って、発音しない文字を綴らなければいけないし、単数から複数にする時だって、例外も多く、簡単じゃありません。昔は文法上の誤りだったものが、今は容認されつつあるとか。レベルダウンというか、決まりがゆるく寛容になったというか...。
言葉はその国の文化の基盤。それが揺らいでいるとはね。
日本だって同じ。この先は一体…。あまり考えたくありません。(>_<)

本日の例文: この小説の主人公のモデルは、あの人に相違ない。
Le modèle de personage principale de ce roman, c’est certainement lui-même(elle-même).
この時、lui もしくはelleとしただけじゃ、フランス語としては物足りないんですって。
-mêmeをつけるってこと。面白いね。
by b_neige | 2017-01-21 07:17 | フランス語、IBS関連 | Comments(0)