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鎌倉婦人子供会館 美術講座に出席(2017.02.25)

25日(土)、鎌倉婦人子供会館で開催された美術講座「ルネサンス絵画の魅力-レオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子像-」に出席。(講師は多摩美術大学教授の松浦弘明先生)
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ルネサンス絵画を年代別に見ているシリーズの講演会で、前回は昨年11月にあったそうです。この日はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の第1回目。
第1次フィレンツェ滞在期(1469頃-1482頃)の絵画、ヴェロッキオ工房の《キリストの洗礼》とレオナルドの《ブノアの聖母》を中心としたお話でした。

まず、レオナルド・ダ・ヴィンチという名称ですが、イタリア北部、エンポリ郊外にあるヴィンチ村出身ということからダ・ヴィンチと呼ばれます。通常はレオナルドのみ。
ヴィンチ村は、なだらかな丘陵が広がる風光明媚なところで、気候も穏やかだそうです。

レオナルドは1469年頃、ヴィンチ村からトツカーナ地方フィレンツェへ移り、ヴェロッキオ工房に弟子入ります。(17歳頃)
そこで《キリストの洗礼》という絵画の制作に携わるのですが、その前に、同じヴェロッキオ工房による《トピアスと天使》(テンペラ 1475年頃 ロンドンナショナルギャラリー)と、
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ライバル関係にあったポッラィオーロ工房による同じ主題の《トピアスと天使》(テンペラ 1460年 トリノ サバウダ美術館)を比較してみましょう。
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両方共、右が父トビトから言われてメディア地方へ赴く(借金の取り立て)トピアス。左が大天使ラファエル。
ヴェロッキオ工房の作品は人物の描き方に特徴があります。トピアスや大天使の表情、それに大天使の足の運び等。つまり、人物に関しては断然、ヴェロッキオ工房に軍配が上がるそうです。

背景や、作品の細部(天使の羽など)に関しては、ポッライオーロ工房が勝るとのこと。チグリス川の描き方が全然違うし、羽など一目瞭然とか。
また、この背景ですが、人物を小高い丘に据え、背景を見下ろす形に描くことをプラトンコンポジションと言うそうです。樹が小さいでしょう?

では、次にレオナルドが関わったとされる《キリストの洗礼》(油彩 板 177×151cm  1472-76年頃 フィレンツェ ウフィツィ美術館)に移ります。
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この作品はヴェロッキオの兄が仲介してフィレンツェのサンサルヴィ聖堂から工房に依頼がきました。
流行の油彩です。前のテンペラ画とは技法が異なります。この作品について、ヴァザールの美術家列伝(1550)の中に、「サンサルヴィ聖堂で、レオナルドはヴァロンブローザの修道士達のために板絵を描き、レオナルドはとても若かったが、衣服を持つ天使を描いた」と記載があるそうです。
上の作品の左側の天使(金髪の波打つ髪の)に注目して下さいね。
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確かに表情など違います。またその上部の背景などもレオナルドが描いたとされているようです。頷けます。

若干20歳頃のレオナルドの豊かな才能-優美で繊細な表現に師であるヴェロッキオは打ちのめされ、これ以降、絵画の制作には取り組まなかったと伝わります。(→彫刻専念へ)

さて、第1次フィレンツェ滞在期における2番目の作品が《ブノワの聖母》(1478-80頃 油彩 48×31cm サンクトペテルブルグ エルミタージュ)です。
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大変小さい作品です。ブノア(フランス人画家)という人が所蔵していたからブノアの聖母というらしいです。

この作品の手本とされたのが、約10年前に描かれた、フィリッポ-リッピの作品《聖母子と二天使》(画家の妻と息子がモデルとされています)(1465年頃 テンペラ フィレンツェ ウフィツィ美術館)。
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窓の前にマリアを置いた構図。家族的-世俗的ですが、俗っぽくはありません。品格を失わない聖母子を描いた、最初の作品と言えるそうです。聖母マリアの表情がとっても人間的。

また、ヴェロッキオ工房の作品にも、《聖母子と天使》(1476-1478年頃)があります。
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レオナルドの作品と比較すると、テンペラ画と油彩で色味が違います。それと、下の2作品では子ども=イエス-神に向いマリアは手を合わせています。対して、レオナルドの作品はアパートの一室に斜めにマリアを座らせる構図。奥に窓があります。光輪を薄く描いているのはリッピを模したようですが、光のグラデーションは大変細かく、レオナルド特有のスフマート(ぼかし技法)が見て取れます。立体的で陰影を施しています。
マリアが手にする花は十字架を表し、白い色は死を象徴しています。つまり幼子イエスは十字架上での死という自らの命を予見しているということです。更に、マリアのもう片方の手にあるオリーブは受難を表しています。

レオナルドによれば、絵画における人物には、心に抱いているところを十二分に表現するだけの動作が必要だそうです。見る人がその人物の態度によって容易に彼らの気持ちがわかることが原則。

以上、レオナルドがヴェロッキオ工房に弟子入りする17歳の頃から、1482年にミラノへ移住する30歳までの第1次フィレンツェ滞在期のお話でした。
正味1時間半であっという間。次回は3、4ヶ月後?何といってもルネッサンスを代表するレオナルドの話だけに興味は尽きません。楽しみ!!
ちなみに、次回は第1次ミラノ滞在期。《岩窟の聖母》(1483-86頃 パリ ルーブル美術館)と《最後の晩餐》(1495-97年頃 ミラノ S.M.グラーツィエ聖堂)を中心としたお話のようです。
by b_neige | 2017-02-27 08:03 | その他 | Comments(0)

横浜市港北区 大倉山梅林2(2017.02.22)

大倉山梅林の続きです。
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沢山の種類の梅、楽しみましたよ。
月影
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玉簾
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春日野
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紅千鳥
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白加賀
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園内では写生をしてらっしゃる方々も多かったです。
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万葉集では、桜より梅。きっと、中国から伝わってもの珍しさもあったのでしょう。いやいや、そうじゃなくて、ほのかな春の香り?厳寒に咲く気高さ?気品?
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梅の四貴(老、痩、蕾、希)思い出しました。

十分見頃ですけど、豊後梅とか、まだまだこれからの梅も。2月いっぱいまでは楽しめるのではないかしら。

大倉山梅林、老木の梅にあまり花つきが良くなかったのが気になりましたが、週日だし、あまり混んでなかったこともあって、ゆったりとした気分で梅を楽しめました。◎

おまけ:春色のミツマタです。
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梅春がゆっくり往こうとしています。
by b_neige | 2017-02-25 07:26 | 横浜歩き | Comments(2)

横浜市港北区 大倉山梅林(2017.02.22)

大倉山公園梅林に行ってきました。
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説明板にあったのは、①東急電鉄が、昭和6年梅林として公開したのが始まりで、昭和9年に東横線の駅名が太尾から大倉山に改名されたのを機に大倉山公園となり、最盛期の昭和12年頃には白梅を中心に14種1000本を越える一大梅林(約3ヘクタール)であったこと、②戦争を挟んで、昭和40年代までは、大いに賑わったものの、徐々に梅の木の衰退が目立つようになり、昭和62年横浜市が東急電鉄から現在の梅林の大部分を買収した折に、再整備され、梅の木の補植などが行われたこと云々。
1.1ヘクタールの敷地に紅梅白梅合わせて約20種150本、草花や他の花木も植えられ年間通して楽しめる公園になっています。

今年は、湯河原梅林、熱海梅園を梯子しましたが、珍しいところで、こちらの梅林に。
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大倉山の駅から10分ほどでアクセスにも恵まれています。(坂があるけど)

それでは、この日の梅をどうぞ。
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この日は午後からお天気が崩れるということだったので、10時頃到着。人出はこんなものでしょうかね、まぁまぁ。

一番きれいだったのは、山の麓にある淡路枝垂れ。この木です。
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そうそう、保育園や幼稚園の子ども達多かったです。賑やかでしたよ~。(笑)それにしても、この紅枝垂れ、美しかったです。
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枝垂れ梅はもう一本、ありました。
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こちらは、柵の奥の方にあって残念ながら近づけず。。。
そう言えば、片瀬の常立寺の枝垂れ梅、今年はどうだったのかしら。先日、江ノ島に出かけた時、ちょっと寄ってみればよかった。後悔先に立たず~。(>_<)
続きます
by b_neige | 2017-02-24 07:11 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚区柏尾町 益田家のモチノキ(2017.02.20)

では、2月20日のレポートの最後になります。
その前に、この日、肉のさいとう(斉藤牛肉店)で購入した鎌倉ハムなんですけど、
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その晩の食卓にのぼりました。
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厚切りですよ~。添えたのはカシスのマスタード。お陰様で、家族に好評でした!

さて、それでは、益田家のモチノキです。
2月18日の朝日新聞・神奈川面に「名木伐採 揺れる街道のまち」のタイトルで大きな記事が載っていました。
県の天然記念物に指定されている柏尾町のモチノキの一部が10日、所有者の意向で伐採されたというもの。
昨秋の県教委の調査では倒木の危険性は薄かったようですが、7年ほど前から弱っていたようで、安全な維持のためには定期的に選定などの手入れが必要と指摘されていたとありました。
ことの経緯は分かりかねますが、神奈川県HPの記者発表資料のページに記載がありました。(http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p1110776.html

この場所、不動坂交差点付近ですが、工事中でして、中には入れてもらえず。。。
問題のモチノキは小高くなった場所にあります。
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下からだと、どうにも一部伐採された箇所が見えないです。
向かいの高台から、チャレンジしてみます。こんな感じでどうでしょう。
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左側の株には葉があります。でもさほど元気に茂っているわけじゃありません。そして右側の株は、ここからだと見づらいのではっきり確認は出来ませんが、葉がついてないようにも見えます。樹齢300年ということですが、寿命が近づいているのでしょうか。
 神奈川県指定天然記念物「益田家のモチノキ」(昭和56年7月17日指定)
 モチノキ(モチノキ科)は暖地に育成する雌雄異株の常緑広葉樹で、高さは通常
 3~8メートルに達し、4月ごろに黄緑色の群生した小さな花を咲かせ、球形の果実
 を付けて赤く熟する。この樹皮より鳥もちを作ることからモチノキの名の由来があり、
 古くから人々によく親しまれている木である。 指定された「益田家のモチノキ」は、
 国道1号の旧東海道に面し、樹高18メートル、目通り2.4メ-トル、根回り3.1メー
 トルの雌株と、これより0.75メートルほど離れて並ぶ、樹高19メートル目通り3.2
 メ-トル、根回り4.9メートルの雌株の2本である。これほどまで生長した大木は他
 にほとんど類を見ないばかりか、共に美しい樹冠で接しているのも珍しい。
 「相模モチ」の愛称で郷土の人たちから愛され、なじまれてきたこのモチノキ2本は、
 稀有な大木となって今なお樹勢もきわめて旺盛であり、旧東海道に面してきたという
 歴史的背景もあるので、将来にわたり永く保護することが望ましく、神奈川県指定天
 然記念物に指定するものである。(神奈川県教育委員会)

2株とも雌株。そして、この益田家のモチノキは、益田家のご先祖が、護良親王所縁の吉野・黒滝村から苗木をもらい、植えたものと伝わります。この木の今後が気がかりです。

近くの桜。
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これは奉祝の桜。昭和34年4月10日の皇太子殿下御成婚記念だそうです。
御成婚30年を記念して木標が建てられるも、更に伊勢神宮第61回式年御遷宮の「お白石持」(=式年遷宮によって新しく建設された伊勢神宮の正殿の敷地に、白い石を敷き詰める行事)に一日神領民として奉仕した記念で、改めて石標!建立となったようです。王子神社氏子中とありました。

不動坂交差点を戸塚側に入ると(こちらの道)、
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前のレポートに載せた斉藤家の鎌倉ハム倉庫方面。(途中、「史蹟への小径」の石碑あり)
                         
それでは、ラスト。この不動坂交差点脇にある柏尾の大山道道標をご紹介しておきます。
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旧東海道から大山への入口、古道の起点だそうです。道標は4基で、ほかに燈篭1基と庚申塔1基。(近代になってからこの地に集められたと考えられると説明板にありました)
お堂の中には道標に乗られた不動明王がお祀りされています。

正味2時間余りですが盛り沢山のレポートになりました。戸塚区には、ほかにも鎌倉関連の史跡があるようで、またの機会にでも。♪♪
by b_neige | 2017-02-23 06:44 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚区柏尾町 護良親王所縁の王子神社(2017.02.20)

王子神社への道ですが、前述の四つ杭跡の碑のところで、スマホを取り出し、マップ確認をしたところ、何故か王子神社が出てこないのです。仕方なく、通りがかった方に道をお尋ねすることに。
さて、その通りに歩きました。つまり、浄土真宗・成正寺の前を通り過ぎてから(後で、このお寺の境内を抜けても王子神社へ行けるとわかりましたが)、程なく左側に見えてくる坂道を上りきって、左下方の王子神社へ下りるルートです。

こちらの画像は坂を上りきったところから。
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左下方に見える森が王子神社になります。
前のレポート:「鎌倉ハム」に載せましたが、英国人ウィリアム・カーティスは王子神社付近に観光ホテル「白馬亭」(異人館)を開いたそうです。そして、その敷地内でハム等の製造にあたったと。イコール、牛や豚などの家畜を飼育していたわけで、多分それは、この辺りだったのではないかしらね。

道路1号線(東海道)から見ると、ポーラ化粧品やALSOKの工場の向かい奥になります。王子神社前という信号だってありました。これまで何度となく車で通っている道なのに、全く気がつかず…。(道沿いは見ていても、その奥はねぇ。。。)
ちなみに1号線から、この王子神社の森がどう見えるかも確認しました。こんな具合。
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鎌倉ハムの元祖カーティスがここでハムを作っていたとはね。そして、王子神社には、鎌倉所縁の護良親王が葬られているとは…。(伝承ですが)ほんとつゆ知らず…。驚きました。

さて、では王子神社の方に行ってみましょう。
これは、入口の角にあった「御料馬控處」。
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その左、王子神社案内板。
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祀神として、第96代後醍醐天皇第一皇子護良親王命とあります。
そしてその左に正面鳥居。
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杉の木立が続く立派な参道。
大分拝殿に近づいてきました。
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右側に大変立派な手水舎があります。
こちらです。
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実はその反対側、つまり参道左側に記念事業手水舎奉納の大きな碑があります。(建武中興650年記念・昭和60年)
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これによると、護良親王がご活躍された地・奈良県吉野郡大塔村の吉野檜と、親王の御手足に触れたと偲ばられる黒木御所跡の流れの岩石を用いて、手水舎を造営とありました。
手水をとって、拝殿前に。
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あのね、この拝殿(後ろに弊殿、本殿)の下に護良親王が葬られたと伝わります。
それは伝承にすぎないのですが、いささか平常心ではいられませんでした。

このお社の左側に残された「護良親王御しるしお鎮の松」。
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御首を一時隠し奉った所だそうです。「御墓」といって老松があったそうですが、明治末年に落雷で焼損したとか。

実は、この日は主人を誘ったのですが、断られまして、一人でした。よって、この時点で大分薄気味悪くなり、早々に退散。

最後に忠魂碑の前にあった、護良親王の鎮魂碑をどうぞ。
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そうそう、神奈川県神社庁の王子神社のページの最後に、社殿は当初西北に向いていたのが、東海道の往来の関係で現在の東南向きに変えたとありました。
1号線から見ると、正面の鳥居はぐるっと後ろから回りこむ形なんです。往来の関係というのがよく分からず…。

帰りの道。これなど往時の雰囲気が残っているようです。
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鎌倉街道なんでしょうかね。この道の先は成正寺の墓苑でそれを抜けると、お寺の境内でした。

南北朝時代、この柏尾の辺りには、斉藤・岡部・益田家という有力な豪族がいたそうです。そのうち斉藤家・益田家は鎌倉ハムの創業者としても名を連ねてます。
この日の最後、先日新聞(朝日2/18)に載った益田家のモチノキを見ておくことにしました。
by b_neige | 2017-02-22 06:51 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚区柏尾町 護良親王の首洗井戸(2017.02.20)

さて、鎌倉ハムの斉藤家倉庫からほど近い路地の入口にこんな碑がありました。
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碑の裏を見ました。
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護良親王の首洗井戸とあるでしょう。それでは、この小径を辿ることにします。

少し歩いた右側に、神宮拝領の檜という碑がありました。
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伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神社から賜わった檜だそうです。

そこからまもなく見えてきたのが護良親王の首洗井戸。
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ところで、鎌倉で護良親王といえば、鎌倉宮ですよね。
護良親王は足利尊氏との勢力争いに敗れ、捕えられて、東光寺(廃寺・現鎌倉宮)に幽閉されてしまいます。(鎌倉宮の本殿裏には、親王が幽閉されていたとされる土牢が残っています)
翌1335年(建武2)、北条高時の子・時行による中先代の乱の際に、足利直義が家臣の淵辺義博に命じて、大塔宮護良親王を斬首。
鎌倉宮の境内には、恐ろしくなった淵辺義博が御首を投げ捨てた(置いた?)という御構廟(御首塚)が残っています。
その後、理智光寺(廃寺)の僧侶が御首を拾い、山上に埋葬したことになっているのですけど…。
護良親王の立派なお墓は宮内庁管轄で理智光寺址にあります。(大町・妙法寺の山上にもありますけどね)
どうしてまた、戸塚区に???

横浜市戸塚区HPのタイムトンネル第2回(平成9年12月号掲載)にはこうあります。

タイトル:動乱の悲劇を伝える首洗い井戸(柏尾町)
前略 
親王の首を奪い取った側近は、山の道なき道を伝い、皇子救出のため柏尾で待つ仲間のもとへ逃れる途中、この井戸で首を洗い清めたと伝えられています。
この付近の字名は「よつぐひ」といい、側近が鎌倉から山を四つ越えて逃走したルート「よつごえ」からきたという説と、親王の首を清める際、井戸に四本の杭を打ち祭壇としたためという説があります。
動乱の世でなければ、異郷の地で非業の死を遂げることもなかったであろう親王。その無念の霊は、近くの王子神社に祭られています。


側近ですって。護良親王には数多くの側室もいたということですから、側室のお一人かもしれませんね。雛鶴姫の名前も挙がるようです。また、こちらの南北朝時代の有力者・斉藤氏(鎌倉ハムの創業者の祖)を頼って逃れてきたとの説もあるようです。

井戸の中をのぞいてみましたが、枯れ果てたのか、すっかり埋め尽くされていました。

ここで写真を撮っていたら、ご近所の方が出てらして、週末にはちょくちょく史跡巡りのグループが来ているとのこと。そうなんですね。私は、これまでちっとも知らなくて…。
その方が教えてくれました。
昨今、井戸の傍に蝋梅を植えたと。これです。
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10年も経ったら大きな木になって、蝋梅が美しいでしょうね。護良親王の供養になること間違いなし!
ちなみに、神奈川県神社庁の王子神社の頁には、「井戸の傍の大杉は伐採しても不思議に新芽を生じたが、昭和35年頃焼損した」とありました。

この井戸の先には、親王の御首をお祀りしたという四つ杭跡の碑がありました。(山を四つ越えてきたのか、四本の杭からきているのか、2説あり)
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碑の脇に立つ梅の木が盛りだったので、あえて遠望です。
碑の裏面をご参考までに。
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それでは、王子神社に向かいます。

 
by b_neige | 2017-02-21 17:31 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚区柏尾町 鎌倉ハム発祥の地(2017.02.20)

鎌検のテキストに載っている、鎌倉ハムの記載は以下の通りです。

日本におけるハム製造のルーツは、明治時代にイギリス人のウィリアム・カーティスが鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区)で外国人向けに製造したことにある。カーティスはその製法を秘密にしたが、地震で工場から出荷した際、村人が消火活動をしてくれたことに恩義を感じ、初めて日本人に製法を伝授した。製法を学んだ一人で、現在も駅弁を作っている「大船軒」の経営者だった富岡周蔵は、1871年(明治4)に欧米を視察し、のち首相となった黒田清隆からサンドイッチの話を耳にし、カーティスからハムを仕入れ、1899年(明治32)に大船駅でサンドイッチを販売した。これが人気を博したので、富岡は「鎌倉ハム 富岡商会」を設立し、ハム製造を始めた。その後、ハムの製法は日本中に広まったが、本格手作りハムの伝統を受け継ぐ企業として「鎌倉ハム」はハム発祥の地名を冠した商標となった。

横浜市戸塚区のHP、タイムトンネル(平成10年1月号掲載)にも、この鎌倉ハムの記載があります。

タイトル:文明開化の香りを運ぶ鎌倉ハム倉庫(柏尾町)
横浜の開港で、西洋文化が急速に入ってきた頃。
柏尾の東海道沿いに、当時の人々が「異人館」と呼ぶ外国人専用の旅館がありました。
異人館の主人カーティスが行っていたハム製造を自分達の手で行い、村に産業を、と考えた斉藤満平さんたちは、カーティスの妻加藤かねさんの協力で製法を学び、明治10年代中頃、日本人として初めて、ハムの製造を始めました。
時は「文明開化」のまっただ中、人々の暮らしの洋風化と共にハムは飛ぶように売れ、当時戸塚は鎌倉郡に属していたので「鎌倉ハム」として全国的に知られるようになったのです。
この倉庫は、ハムの冷蔵に使われていたもので、所有者の斉藤さんによれば横浜港にある赤レンガ倉庫と同じ頃、明治20年代の建造とのことです。
壁の厚さが1メートルほどもあり、関東大震災にも耐えた堅牢な作りです。
現在、ここでのハムの製造はおこなわれていませんが、斉藤さん宅の自家用貯蔵庫として、今でも現役とか。
それで、その「鎌倉ハム倉庫」を見に行ってきました。
(先日発見した丹後局供養塔から、そう離れてないんですよ。あの供養塔にも驚きましたけど、こちらの鎌倉ハム倉庫にもびっくり。これまで全く、気がつきませんでした。1号線からちょっと入った場所。車で何度か行き来している場所なのに。)
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カーティスの妻の加藤かねさんは、斉藤家の奉公人だったというご縁もあるのかもしれません。斉藤満平さんはカーティスからハムの製法を学び、この辺りで作っていたんですね。つまり鎌倉ハム発祥の地ということです。もちろん、斉藤系ですけど。
倉庫の入口にはちゃんとポストもありました。

こちらは、「斉藤牛肉店」。(倉庫の手前、戸塚寄り)
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そして、左手10m先にあるという「さいとうハム製造本舗」。
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せっかくですもの、ハム、購入しました!!(本格的でしょ?美味しそうです)
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もう一つ、ウィキペディアからも、鎌倉ハムの歴史の記載を載せておきます。

歴史:
1874年(明治7年)、イギリス人技師ウィリアム・カーティスが神奈川軒鎌倉郡で畜産業を始め、横浜で外国人空いてに販売を行う。1876年(明治10)上柏尾村の戸塚街道に面した場所に観光ホテル「白馬亭」を開業。敷地内でハム・ソーセージや牛乳、バター、ケチャップなどの製造を行い、主に横浜居留地の外国人向けに販売した。この時点でカーティスは一切の製法を秘密にしており、日本人は工場へ立ち入ることを許さなかった。
1884年(明治17)に起こった地震の際に工場が出火し、これを近隣住民が消火作業にあたったためその恩義に応えるべく、カーティスは益田直蔵らに製法を伝授。またカーティスの妻かねが奉公人時代に世話になっていた地元の名家・斉藤家の当主斉藤満平(「万三」説あり)にも伝授した。
鎌倉郡発祥のハムなので「鎌倉ハム」と呼称するが、現在の鎌倉市域の発祥ではない。発祥地の現在の住戸表示は横浜市戸塚区上柏尾町である。従って、観光地としての「鎌倉」の土産にはあたらず、また特産物でもない。だが、名称から鎌倉の産品と見なされ「鎌倉」の土産や贈答品としても用いられている。

3つの記載を読んでいると、鎌倉ハムって一つの企業(会社)が作っているわけじゃないことがわかります。少なくても、斉藤系、益田系、富岡商会。。。

そしてね、ウィリアム・カーティスが開いた観光ホテル「白馬亭」(「異人館」とも)はどうやら、この近くにある王子神社付近と考えられるそうです。
その王子神社には、なんと鎌倉所縁の護良親王の御首が葬られているそうで。
またしても、戸塚区に!驚きの連続です。
続きます。
by b_neige | 2017-02-20 17:02 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚区上矢部 丹後の局供養塔(2017.02.16)

ひょんなことから横浜市戸塚区上矢部に丹後の局の供養塔があることを知りました。
丹後の局ですよ。どうしてまた戸塚区に??

まずは、丹後の局ですが、妙本寺でお馴染み、比企能員の妹?姉?に当たります。比企掃部允(=かもんのじょう)と比企尼の娘。
源頼朝の寵愛を受け、身ごもるのですが、北条政子によって鎌倉を追われたようで。。。その丹後の局が鎌倉を逃れ、どうやらこの場所で産気づいて男子(後の島津家の祖・島津忠久)を産んだということなのです。
ほんと???(笑)だって、この伝承は、史実とは言えないようだし。。。(笑)
ちなみに、丹後の局の伝承は、この上矢部以外にもあります。(伝承っておもしろいですね)

場所を調べて、行ってきました。戸塚駅東口のバスターミナル、6番三ツ境・弥生台駅行きのバスで「上矢部」下車。(乗車時間は10~15分位)
バス停からすぐ。5分もかからなかったかな。資材選別センターのフェンス脇です。
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う~ん、せめてもう少しスペースをとって、木なり何なり傍に植えて体裁を整えて?欲しかったかな。フェンス脇、まともに道路に面した場所にあります。

丹後局供養塔。以下碑文。

源頼朝ノ愛妾丹後局ノ事蹟ヨリ起リシモノナリ 丹後局ハ頼朝ノ寵愛厚く妊娠ノ身ト成リ夫人政子の嫉妬ヲ碎ケテ当地二至リ伊勢宮ノ瑞籠二隠レテ憩フ處二シテ男子出生又丹後局安産ノ古蹟ヨリ丹後山ト称セリ 又丹後局ノ墓ト言伝エラルル塚有リテ局終焉ノ地ト思ハルル処ナリ爾来幾星霜ヲ経テ当地ハ急激ナ発展ヲ来シ団地造成開発サルル二当リ塚ヲ改葬シ永ク古蹟ヲ遺スト共二局ノ霊ヲ慰ムル為共有者一同供養塔ヲ建立スル者也

丹後の局が伊勢宮=丹後山神明社の境内で無事に赤子を出生したことから丹後山と称するようになった云々、また丹後の局の墓と伝わる塚が残されていた云々。ただ、びっくりです。
辺りは、ほんとに急激な発展!を遂げたようで、ちょっとした小高い丹後山は残されているものの、住宅地というか工業団地の一角という印象。

碑文にも出ていた、伊勢宮=丹後山神明社(御祭神 天照大御神)にまわってみました。(徒歩10分ほど)丹後山の北西、麓に位置します。
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鳥居の左前にあった説明板によると、
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丹後の局がこの境内で出産したと。
その赤子(後の島津忠久)が使ったとされる産湯の井戸も、かつては残っていたそうです。(戸塚区HP

ちゃんと石段を上って、お社のところまで行きましたよ。
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例大祭は11月23日だそうです。

神明社を過ぎ、山裾を南に移動。
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全景が見渡せる場所から丹後山を。
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山というか、丘というか、ビミョウですけど。
この先には篠塚八幡社があります。
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鳥居の前から丹後山方面を。
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丹後山神明社と丹後の局の供養塔はこの山の反対側になります。

それにしても、丹後の局に所縁のある場所が、戸塚区にあるなんて!ほんとに驚きました。
by b_neige | 2017-02-18 07:11 | 横浜歩き | Comments(0)

DANDELION鎌倉店-こだわりのチョコレート屋さん(2017.02.15)

鎌倉駅西口の地下通路側に、Dandelion(ダンデライオン)というチョコレート屋さんが先週オープンしました。
「dandelion(ダンデライオン)」とはタンポポのこと。由来はフランス語から。「dent de lion」=ライオンの歯→ギザギザした葉からの連想
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開店2日目の午後にちょうど通りがかったところ、お店は若い人達でなかなかの賑わい。雪が降る寒い日だったので、ココアをいただいてみようと店内に入りました。
2Fが喫茶スペ-スになっているんですけど、なんと満席でしたよ。人気あるんですね。びっくり。アメリカのサンフランシスコからの出店だそうです。(鎌倉の店舗は日本3号店)

さて、この日は2度目。前回はハウスメイドのホットチョコレート(=ココア)を飲みましたが、今回はスパイスが効いているというミッションホットチョコレートをお願いしてみました。
実は、一度目のココアは個人的には?ぬるすぎたんです。で、2度目の今回は熱く!と最初にお願いしました。接客のお兄さんが「熱めに作りましたので、お気をつけ下さい」と。(^^ゞ
熱めじゃなくて熱くていいんだけど、と心の中で思いながら(笑)、セルフサービス、お盆を持って階段を2Fへ。
はい、こちらがそのココア。
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ホットチョコレートには、ちっちゃな丸いクッキーが付いてくるんですけど、四角いプレーンのマシュマロは、下でココアを手渡してもらう時、自分で好きなだけ、ガラス容器から取りだす形。2個でも十分かと。(^^ゞ
このココアにはアーモンドが入っているそうです。
スパイスは確かに効いていました。熱さ加減はね、前のよりずっとよかったですけど、それでも個人的には、もっと熱くてOK。次は熱々で、とお願いしてみよう。皆さんも、熱いのがお好きだったら、作ってもらう際、一言おっしゃった方がいいと思いま~す!
(器が分厚い分、器で冷えてしまうのかもしれませんね)

この日、2Fにはお一方いらっしゃっただけ。だから、写真が撮れました!
はい、こんな感じの店内。
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鎌倉駅西口広場のとんがり帽子の時計台の裏から見渡す景色です。
窓が大きくとってあるので、春の陽光が燦々と差し込んでいます。先日入った時は雪が舞う極寒の午後だったから、この日と大違いでした。
もう片側の窓からは駅のホームが見えま~す。♪
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なかなか楽しめるでしょう?

ダンデライオン、カカオ豆の選定から買い付け、選別からチョコレートバーを作る工程のすべてを、自らのファクトリーで行う、こだわりのチョコレート屋さん。
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鎌倉に根付けるといいですね。
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画像は1Fの店内に生けられたお花。きれいね。
by b_neige | 2017-02-17 06:53 | 鎌倉歩き | Comments(0)

海蔵寺の梅春(2017.02.15)

浄智寺から海蔵寺に行くなら、葛原ヶ岡ハイキングコースの最初の分れ道を下りるのがいいかもしれません。ただ、細くて滑りやすい小径だし、第一ハイキングコースから外れています。
新しいショートカットの道、発見ですが、いざという時のためにということにでもしておきましょう。

さて、海蔵寺の梅も観てきましたよ。
はい、山門のところから。
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手前の枝垂れ梅が見事でしょ?
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ちょっとピンクがかっていてとてもきれい。

鐘楼の前の梅も美しかったですよ。
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手前に白、奥に薄紅色の梅ですが、画像ではあまりよくわからず...。<(_ _)>
ちょっと近づいてみます。
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手前の白梅、ほんとに見頃。
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これだと、奥のピンク、どうかしら?
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海蔵寺も梅春で~す!
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福寿草は、葉っぱも結構出てきました。
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日ごとに大きくなって、春を告げています。
底抜ノ井の脇に咲く、優しい感じの椿も素敵でした。
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もうじき、ミツマタも花をつけるだろうし、通用門辺りのユキヤナギも蕾が膨らんでました。
あともう少し!本格的な春の訪れが待たれる境内です。
by b_neige | 2017-02-16 17:09 | 鎌倉歩き | Comments(0)