極楽寺 阿仏尼邸旧蹟続き(2011.11.21 part3)

さて、阿仏尼のこと。
e0245404_1248248.jpg
画像、ネットより拝借。

*実父母は未詳。佐渡守平度繁の養女。藤原定家の子、藤原為家の側室。為相・為守ほかの母。
十代半ばで安嘉門院(後高倉院の皇女邦子内親王。後堀河天皇の准母)に仕え、はじめ越前、のち右衛門佐、四条と呼ばれた。若い頃失恋の痛手から失踪し衝動的に出家。その後御所に戻ったり遠江国に下向したりしたが、やがて再び出奔し法華寺などに住んだ。建長五年(1253)頃、すでに歌壇の重鎮であった藤原為家と知り合い、まもなく側室となって為相・為守を生む。晩年の為家は阿仏尼を寵愛し、為相に播磨国細川庄を与える旨の文券を書いたが、これが後に御子左(みこひだり)家の嫡子為氏との遺産相続争いの原因となる。建治元年(1275)の為家没後、為氏は細川庄の譲渡を拒絶し、阿仏尼は弘安二年(1279)、訴訟のため鎌倉へ下る。四年間の滞在後、事件の解決をみないまま、弘安六年(1283)四月八日、鎌倉で客死した(帰京後に没したとの説もある)。享年は六十余か。鎌倉英勝寺の傍に墓がある。法名阿仏。北林禅尼ともいう。
仮名日記文学の作者として名高く、若き日の失恋と放浪の手記『うたたね』、鎌倉下向の際の紀行『十六夜日記(いざよいにっき)』、また歌論書『夜の鶴』などの著作がある。
以上、ネットより

あづまにてすむ所は 月かげのやつとぞいふなる
浦近き山もとにて 風いとあらし
山寺のかたはらなれば のどかにすごくて浪の音松のかぜたえず
「十六夜日記より」
山寺とは極楽寺のことでしょうか。雅な京の都からやって来た阿仏尼の目には、この月影ヶ谷の住まいは淋しく心もとなかったのかもしれません。

ちなみに、息子の藤原為相(ためすけ)も遅れて鎌倉にやってきます。まず母、あとから息子。
元気なお母さんだったみたい。(笑)阿仏尼はこの月影ヶ谷、そして息子は鎌倉の藤ヶ谷に住まいを構えました。先日、ガイド協会で最後にまわった浄光明寺辺りです。浄光明寺の門前には、こんな石碑が建っていました。
e0245404_1224577.jpg
藤ヶ谷の黄門(中納言)、というのは藤原為相のことです。為相は勝訴の判決を勝ち取り、和歌の発展に貢献し冷泉家の祖となりました。お墓は浄光明寺の裏山にあります。(まだ、私行ったことありません。)対して、母、阿仏尼のお墓は英勝寺を出て、海蔵寺方面に向かう道沿い、左手にあります。
e0245404_16164162.jpg
浄光明寺裏山の為相のお墓を見上げているよう。
立派な息子を亡くなった今でも見守っています。すごいお母さんです。
# by b_neige | 2011-11-24 08:40 | 鎌倉歩き | Comments(2)

極楽寺 熊野新宮-針磨橋-阿仏尼邸旧蹟(2011.11.21 part2)

さて、月影地蔵堂を後にして、駅から来た道を戻ります。
右手に八百屋さんが見えるところまで来ました。道の角には「熊野新宮」の道標が建っています。
e0245404_954438.jpg
この道を左折します。少々、鎌検の勉強に。(笑) 実際、今回の旅はいささかオタク?
まぁ、おつきあい下さい。
突き当たりに熊野新宮。
e0245404_955937.jpg
極楽寺の鎮守です。
熊野新宮・・・・・鎌検公式テキストより
1269年の創建とされ、新宮社ともいわれる。この地には以前、熊野新宮のほか、八雲神社と諏訪明神が祀られていたが、いずれも関東大震災で倒壊したため、1928年、熊野新宮に合祀された。

鎌倉時代、極楽寺全盛期の頃、ここは極楽寺の鎮守として大きなお社が建っていたようです。また、鎌倉幕府滅亡後も、1335年には、足利尊氏の弟、直義から土地が寄進されています。足利からも保護されたんんですね。
古いお社です。拝殿の立派な彫刻が目を引きます。
e0245404_957251.jpg
e0245404_9571567.jpg
e0245404_9573385.jpg
左手にあった小さい石仏。
e0245404_1012635.jpg
普段は訪れる人もないような静かな境内。でも、極楽寺、稲村ガ崎一帯の鎮守として7月の天王祭、9月の鎌倉神楽と、地元をあげて大きな祭典を催し、殖産興業の守護神となっているようです。

極楽寺駅に戻り、今度は稲村ガ崎方面に道を下って生きます。
ほどなく鎌倉十井の一つ、針磨橋。
e0245404_10333114.jpg
針磨橋(はりすりばし)・・・・・鎌検公式テキストより
別名、我入道橋とも。極楽寺川に架かる橋で、その名の由来は、昔、辺りに針金を磨いて針を作る老婆が住んでいたことにあるとも、近くに我入道という僧侶が住んでいたからとも。

鎌倉時代、七里ヶ浜は砂鉄の採集場でした。特に極楽寺川、音無川の河口で砂鉄が採れたそうです。そのため、鎌倉では刀などの鍛冶産業が発展しました。(名刀正宗の五郎入道正宗)今でもその技術が受け継がれています。(正宗工芸)
針金を磨いて針を作っていた老婆というのも真実味がありますね。

ここで、私大チョンボ。
橋の道標?○○橋という石標の写真撮るの忘れてしまいました。最悪~。
実は、この道、過去に2回歩いているのですが、先程の道端に建っている針磨橋の石碑でさえ、2回とも気がつかなかったんです。よそ見していたのでしょう。やれやれ。

次に、行きますね。この石碑の角を右折して、江ノ電の踏み切りを渡ったすぐのところ、左手に「阿仏尼邸旧蹟」の碑が建っています。
e0245404_11235798.jpg
この先が「月影ヶ谷」。あのお地蔵さまと露童女のお話を生んだ場所、阿仏尼の住まいがあった処です。
次回はまず、阿仏尼のことをレポートしますね。
# by b_neige | 2011-11-23 09:53 | 鎌倉歩き | Comments(2)

極楽寺 月影地蔵さま(2011.11.21)

鎌倉二十四地蔵の一つ、第二十一番、月影地蔵さまに会いに行きました。初めてです。
最寄の駅は江ノ電、極楽寺駅。
極楽寺駅から、赤い桜橋を渡ると、右手に地蔵堂があります。
e0245404_22584663.jpg
広い縁側があるお堂です。いつもガラス戸が閉まっていますが、お賽銭を入れるところだけ、少しガラスが切ってあって、中の様子が窺えます。正面に少し前屈みのお地蔵さまが。このお地蔵さまは導き地蔵さま(第二十番)。このお地蔵さまの視野に入る場所では、子ども達に災難が起きないと言われています。

この地蔵堂を横目に大方の人は左折して極楽寺に行きますが、今日は、この先をまっすぐ更に西に進みます。稲村ガ崎小学校の先、行き止まりになったら左折。道も細く、山あいになってきます。
ここに「月影地蔵堂」があるんです。お堂の感じは導き地蔵堂と似ていますね。
e0245404_22593737.jpg
ここの地名ですが、「西ヶ谷」で「月影ヶ谷」とは違います。月影ヶ谷は極楽寺駅から反対側、稲村ガ崎の方に下った辺りです。
実は、「月影ヶ谷」には鎌倉時代、十六夜日記の作者「阿仏尼」の住まいがあり、そこにあったお地蔵さまをこの地に移した(火災のため)のでこの名があるそうなんです。
「月影ヶ谷」 。。。極楽寺切通の登り口には、鎌倉十井の一つ、「星の井」もあります。ここら一帯、星とか月とかなんかロマンチックです。
さて、月影地蔵さま。
e0245404_230233.jpg
どうですか?素敵でしょう?
このお地蔵さまには伝説があります。ご紹介しますね。

『昔々このあたりに北条業時の御所に仕える母娘がいました。母親は気性も荒く心によこしまなところがありましたが、露という娘は気立てもよく親思いの娘でした。あるとき井戸端で母親が高価な白磁のお皿を割ってしまいます。母親が疑われると露は自分が割ったと申し出ました。やむを得ず業時は親子に暇を出します。その時になって母親は自分の罪を白状したのですが、既に遅し、母親は追放に。業時は露の預け先を探し、屋敷を出る時「梅小紋の小袖」を露に与えます。でも、性悪の母親はそれを奪いどこかへ流れて行きました。露を預かった屋敷では大切に遇してくれましたが、露は母親と別れた悲しみに沈みます。まもなく病に倒れ、幼くして逝ってしまいました。辺りの人々はこれを哀れみ、この子の生まれた月影の谷戸に小さな墓をたてます。いつしかその墓に「梅の木苔」がびっしりと生えました。人々は一度も袖を通すことがなかった幸薄い子のために、梅小紋の苔衣を着せたのは、きっと月影地蔵の情けに違いないと噂したのでした』
(露童女の苔衣伝説より)

e0245404_23354657.jpg地蔵堂の左右には沢山の小さな石仏が並んでいます。
帰宅して、調べものをしていたら、なんとその露童女の石仏があるというのです。お堂に向かって左側に並ぶ墓石の中程にある舟形墓石浮彫りの石仏とか。「露童女」と「?童子」の二人の幼子を供養する石仏とありました。本当かしら?
う~ん。今度また確認に行かなくっちゃ。
(下調べはしておくのですが、その時は考えもしなかったということがよくあるんです。だって、弔われたのは月影ヶ谷でこちらは西ヶ谷だし・・・。更に調べたら、露の墓は現存するが、江戸時代に再建されたものとありました。じゃ、やっぱりあるんだ。また行かなくっちゃ!)(左の写真は向かって右側に並んでいた石仏の一つ)


この月影地蔵堂の裏を上がっていくと鎌倉山の方に抜けられるそうです。
その昔(終戦直後のことらしいです)、鎌倉山に住んでいた歴史学者の服部之総が同じく当時鎌倉山に住んでいた松竹の田中絹代に、ある夜、極楽寺駅で声をかけられ、二人して夜の山道を歩いたという有名な逸話が残っています。
(女の人が夜、1人で歩くのはかなり不気味な道だったんですね。うなづけます。)
今では、鎌倉山に行く立派な車道が出来てるので、この道の利用価値は無くなってしまったようですが・・・。歩く人はまずいないようです。けものみちになってしまってるみたい。
(いつか、それこそガイド協会でこの道を歩く企画があったら、参加したいものです。)

赤いお衣に身を包まれた月影地蔵さま、やっとお会いすることが出来ました。
お堂の戸は開け放たれています。間近でお目にかかれます。
きれいなお花がありました。
地域の方々に可愛がっていただいてるようです。
# by b_neige | 2011-11-22 08:50 | 鎌倉歩き | Comments(2)

ガイド協会史跡めぐり-瓜ヶ谷やぐら(2011.11.17 part3 番外編)

週末、寒くはないけれど、お天気パッとしませんね。
先日の「やぐら」めぐりの際の番外編の写真でもアップしますね。
e0245404_9351482.jpg
これは、北鎌倉山ノ内。民家の庭先?
稲を刈り取って干してあります。何段干し?すごいでしょう?天日干しするとお米、おいしくなるんですってね。
なんだか懐かしい光景。
e0245404_9354169.jpg
道端のみかん。だいだいかな。たわわに生っています。
e0245404_936255.jpg
やぐらの森を守る会のプレート。やぐらにお花をお供えするなど、管理されてる方がいらっしゃるのを初めて知りました。
e0245404_9363027.jpg
瓜ヶ谷(うりがやつ)付近。マイナスイオン出まくりです。
e0245404_9364614.jpg
葛原岡神社付近。少しづつ色づいてきました。もうじき紅葉本番。

鎌倉の紅葉は12月からと思います。
瑞泉寺とか妙本寺とかは本当にゆっくりです。12月末、お正月明けでもいいかも。でも、年が明けてしまうと、紅葉より梅ですよね。(笑)
今年は台風の影響で、今ひとつかもしれないけど、錦の秋が楽しみ!
# by b_neige | 2011-11-20 09:38 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(2)

ガイド協会史跡めぐり-瓜ヶ谷やぐら(2011.11.17 part2)

さて、昼食の後は、鎌倉七切通の一つ、仮粧坂を下ります。
e0245404_20432038.jpg
仮粧坂(けわいざか)・・・・・鎌検公式テキストより
その名の由来にはいくつも説がある。たとえば、平家の大将の首をこの坂で化粧して首実検したから、辺りに娼家があって化粧した女性たちがいたから、また、辺りの樹木が勢いよく生い繁っていたので、木生え(きはえ)、気勢(きはえ)といわれていたから・・・などだ。藤沢を経て武蔵方面に通じる(かまくら上の道)、戦略上きわめて重要な拠点だったことは、1333年、新田義貞が鎌倉攻めの際に、この仮粧坂に軍の主力を向け、激戦地になったことからも推測される。国指定史跡

仮粧坂は100mもありません。短い急坂です。おきまりの置石(岩)。
e0245404_20444198.jpg
e0245404_2044493.jpg
元気に小学生が上っていきます。

横須賀線ガード下をくぐって、岩船地蔵を過ぎ、左手の奥。「相馬師常(もろつね)墓地やぐら」です。
e0245404_20452288.jpg
相馬師常は、源頼朝の重臣、千葉恒胤(つねたね)の次男で、相馬氏の祖となった武将。
頼朝挙兵に父、常胤とともに加わり活躍し、その後も奥州藤原氏討滅などに多くの戦功をあげました。
被葬者が知られている、極めて稀なやぐらです。
中を覗くことが出来ます。
この名前、どこかで聞いたことがあると思ったら、寿福寺隣の八坂大神(扇が谷の鎮守)を勧請した人物でした。(自邸の守り神として勧請したそうです。)八坂大神、別名「相馬天王」とも。熱心な念仏行者で、即身成仏し、多くの人々が感動した逸話もあると聞きました。

さて、最後に近づきました。
現、浄光明寺墓地の「東林寺跡やぐら」を訪れます。東林寺は律宗寺院で、開山は浄光明寺開山真阿上人と伝えられていますが、詳細は不明。貴重なやぐらが数穴あります。
「舟底形天井のやぐら」
e0245404_2046171.jpg
天井の石を切った感じが切妻造で、奥壁には柱の跡や梁を渡した穴が見られます。わかりますか?
「アパート式やぐら」
e0245404_20461942.jpg
一階と二階が数個の個室=龕(仏像を納める厨子、がん)に分かれている、珍しいやぐらです。

余談ですが、この「アパート式やぐら」?のすぐ近くに、先だって亡くなった「井上ひさし」氏のお墓がありました。四角の中に「ひ」という平仮名が。家紋?

最後は浄光明寺に。山門です。
e0245404_20511241.jpg
もとは(彼岸花が美しい)英勝寺の惣門でした。瓦葺の四脚門で英勝寺が創建された寛永年間のものと考えられています。

10月25日から12月4日まで、ご本尊の阿弥陀三尊像が上野の「法然と親鸞 ゆかりの名宝」に出展されています。その為、普段は非公開の不動明王さま、愛染明王さまを特別拝観させていただきました。(残念ながら写真撮影禁止)
ここの不動明王さま、りりしくて素敵でした。(個人的に、不動明王さまが好きなんで。はい。)

仏殿付近には、英勝寺に仕えた人々(水戸徳川家家臣)を弔う墓地があります。英勝寺は尼寺なので、男性はこちらのお寺に埋葬されたようです。その近くにあるやぐらの入口には、ハスの花と蕾の彫刻が。珍しいものだそうです。

もうひとつの特徴あるやぐら、「地蔵やぐら」も見学させていただけるはずでしたが、先日の台風で被害があり、まだ修復中とのことで、残念でした。12月になれば、多分とのこと。

このお寺、下の境内はいつでも見られますが、上にある仏殿などには木曜と土・日・祝日しか入れていただけません。曜日のチェックが必要です。いつか、機会があったら、ゆっくりご紹介しますね。
e0245404_21284415.jpg
境内のツワブキ。

以上、約5kmの行程でした。さほどの距離ではありませんが、アップダウンは結構あったかな。
今回のガイドさん、お名前Iさん(女性)。とっても丁寧に説明していただき、満足出来ました。ほんとに、ガイドさんは物知り。感心します。
ではでは、これにて。

** やぐらの見学の時は、ペンライトでもいいから灯りがあるともっと内部がよく見えます。ガイドさんが照らして下さったけど、次は私も持っていこうって思いました。確か、前もそう思ったっけ。(笑)
# by b_neige | 2011-11-19 09:08 | 鎌倉ガイド協会史跡めぐり | Comments(2)


フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)

画像一覧

カテゴリ

全体
フランス語、IBS関連
鎌倉日仏協会関連
鎌倉歩き
鎌倉ガイド協会史跡めぐり
鎌倉歩け歩け協会
鎌倉ドラマ
他ウォーキング協会
横浜歩き
横須賀歩き
京都のお寺
奈良のお寺
旅行
展覧会など
映画
sakamoto人形
グルメ
ティータイム
レシピ いろいろ
ブログ
ガイドの仕事
〇〇先生の会
緑の会
その他

以前の記事

2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
more...

最新のコメント

う~ん、残念!行きたかっ..
by 花音 at 23:17
大分秋が進んできましたね..
by b_neige at 16:39
食べてみました! 殻が..
by b_neige at 23:38
今までドングリで一括して..
by ぽっきゅる at 22:34
前のプリンターよりどっし..
by b_neige at 23:13
ご訪問ありがとうございま..
by b_neige at 16:06
ぽっきゅるさん、こんばん..
by b_neige at 20:01
うーん、食べてみたいのは..
by ぽっきゅる at 17:25
まぁ、ありがとうございま..
by b_neige at 22:20
特別展、行きたいと思いな..
by 花音 at 00:14

検索

外部リンク

フォロー中のブログ

茶葉茶話日記

最新の記事

旧山本条太郎別荘の特別公開(..
at 2017-11-20 07:11
18日(土)、なんとかお天気..
at 2017-11-18 17:25
国立東京博物館 平成館 特別..
at 2017-11-18 07:12
明日は11月の史跡めぐり実施..
at 2017-11-17 19:56
覚園寺拝観ツアーに(2017..
at 2017-11-17 07:28
明月院通りの紅葉具合(201..
at 2017-11-16 07:19
埋蔵文化財発掘調査中ー山ノ内..
at 2017-11-15 17:44
上野・東京国立博物館「運慶展..
at 2017-11-11 21:14

記事ランキング

ブログパーツ

画像一覧

ブログジャンル

まとめブログ