東慶寺の二十三夜供養塔(2011.11.28 part2)
2011年 11月 29日
それで昨日、受付の方にお尋ねしてみました。
(昨日は宝蔵庫が閉館日で他にお寺の方がいらっしゃらなかったので。)
受付の方によると、あれは飾りだということでした。(>_<)
内心、そんなことはないと、帰宅して調べてみたところ、どうやら二十三夜供養塔だということが判りました。
(石標の横に二十三○○○と書かれていたのがヒントになりました。)
二十三夜信仰とは?
江戸時代の文化・文政の頃、全国的に流行した信仰だそうです。
二十三夜塔・・・・・府中市郷土の森博物館展示解説シートNo.10「二十三夜塔と月の満ち欠け」より
二十三夜塔は、月待ち行事「二十三夜講」に関する石碑。月待ちの行事は、旧暦の十五夜、十六夜、二十二夜、二十三夜など特定の月齢の夜に、人々が集まって月の出るのを待って、供物を供え、飲食を共するもので、これを記念して塔が造られた。二十三夜塔は全国に普及し、特に関東地方や長野県に多く見られる。
また二十三夜は、「三夜待ち」「産夜」とも呼ばれて、多くは女性の講だともいわれている。
娯楽が少なかった当時の庶民の楽しみだったのでしょうか。月を拝んで、安産祈願だったり、病気平癒祈願だったり、要するに、悪霊のお祓いをしたのだと思われます。
群馬県吾妻郡嬬恋(つまごい)村門貝では、月齢23の月-二十三夜さまは子どもの神さまで、子どものできない人が信心すれば子どもに恵まれると伝えられていたそうです。
また、月待塔における主尊ですが、、ほとんどが仏教の教義に基づいていて、十九夜と二十二夜では如意輪観音、二十三夜は勢至菩薩、そして二十六夜が愛染明王とほぼ決まっているとか。
ということは、この東慶寺の二十三夜塔に刻まれている方は、勢至菩薩さまなのでしょうか?
私には、子どもの神さまのイメージかなぁ、とも思われるのですが。。。
二十三夜供養塔...。
いづれにしても、尼寺で、女人救済のお寺だった東慶寺にぴったりの雰囲気。と妙に納得しました。
もっとも、これはお寺の方に一度ちゃんとお尋ねしなくては、ね!
実はほんとに飾りだったりして? (>_<)
受付の方の言葉に??と疑問に思うあたり、いやぁ~スゴいです!!
私、いつだったか、頼朝墓所付近にある大江広元供養塔の前で30分もっとかしら、歴史談義して下さった方にお会いしたことがあります。(お願いした訳ではありませんよ!)
帰ろうにも帰れなかった覚えが...笑
達人はほんとにほんとにスゴイです!
そして、絶対私じゃありません。