源氏山の紅葉(2011.12.12)
2011年 12月 12日
気になっているところは晴れているうちに行ってしまわないとね。
お天気はOKOK、最高です!
今朝はまず、葛原ヶ岡ハイキングコースから源氏山へ。
富士山、ビュースポットから。このところの冷え込みで雪が随分積もっています。
さぁ、源氏山。八幡太郎義家(源義家)が後三年の役の戦勝を祈願して源氏の白旗を掲げたことから「源氏山」と呼ばれるようになりました。
例年、この広場の紅葉とイチョウのコントラストがきれいなのに。。。少々、落胆 (>_<)
残っている紅葉。頑張って綺麗に見えるように撮ります。
そそくさと源氏山から、寿福寺方面に下りて行くことにします。(>_<)
英勝寺の裏手にあたる処かしら、それとも寿福寺?ハイキングコース沿いに太田道灌の首塚といわれる供養塔があります。
英勝寺のある場所に太田道灌の屋敷があったと伝えられているので、その関係でここに供養塔があるのかもしれません。ただ、あまりにも目立たない場所で、残念です。
だいたい、この供養塔自体、傾いてるし、ちょっと、あまりにもお粗末というか…。
整備し直して場所を移すべきでは。。。(ここを通る度に思います。)
*太田道灌とは?
江戸城を築城した武将として有名。主君は扇谷の上杉家でした。
当時、「関東管領」上杉家は山内上杉家、犬懸上杉家、宅間上杉家、扇谷上杉家の四つに分かれ、このうち山内家と犬懸家が勢力を持っていました。上杉禅宗の乱で犬懸家が没落した後は、山内家が主流となり、太田氏が仕えた扇谷家は山内家を支える分家的な存在でした。
道灌は優秀な武将として、扇谷上杉家の危機を何度も救い、勢力を増大させますが、下克上を恐れた主君、扇谷上杉定正によって暗殺されてしまいます。分家扇谷家の力を弱めるため、本家山内上杉顕定の画策に主君定正が乗ってしまったとも。
(出すぎた釘は打たれる、ということかな。)
道灌亡き後、やがて後北条氏=北条早雲が関東に進出し、早雲の孫、氏康により扇谷上杉家は滅ぼされ、山内家も関東を追われることになります。
さて、源氏山から下ること、15分、そろそろ寿福寺です。
ここの紅葉は如何でしょう。
寿福寺。仏殿。
素敵な仏殿ですよね。
寿福寺の参道も、例年紅葉が美しいんですけどね…。
総門から中門まで60~70mの石畳は両側の杉林に挟まれて、大変閑静な空間です。
鎌倉らしい?雰囲気なんですよ。
写生をする方達やカメラマンの人気スポットと言えます。ただし、この秋はダメ (>_<)
来年に乞うご期待!はい。
この後、獅子舞に向かいます。
続く。