ガイド協会史跡めぐり-龍口寺-(2012.01.24 part2)
2012年 01月 26日
西隣には昔の龍口明神社の鳥居と拝殿がまだ残されています。昔はこの地は鎌倉でしたが、今は藤沢市。お隣の龍口寺は藤沢市のお寺なんですが、この旧龍口明神社境内に限って、鎌倉市になっているそうです。飛び地とか。住所は鎌倉市津1番地。おもしろいですね。
龍口寺・・・・・ガイド協会資料より
日蓮宗霊跡本山 山号 寂光山龍口寺 開山 日法上人
この地は鎌倉時代には龍ノ口刑場であった。日蓮宗の開祖・日蓮は文永8年(1271)9月12日に処刑されようとした時、江ノ島方面から光の玉が飛び来たり、首切り役人は刀を取り落とし地に倒れたといわれる。
(この時の光の玉はハレー彗星だったという説もあるそうです。)
死刑は免れ佐渡への流罪に変更された。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。その後、延元二年(1337)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊跡」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮石を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。
龍ノ口刑場跡の碑。
(画像、左右の仁王像を連結しています。)
門の天井には龍が。
中国の故事にちなんだ素晴らしい彫刻が何枚も掲げられています。
そのうちの一枚。
実は正面に「龍口寺」、裏面に「寂光山」の扁額が掛っていましたが、昨秋の台風で落下。修理中だそうです。
裏面。
今年は辰年だし、しばらくこのままにしておくそうです。
大書院。
大本堂。ここも実は作秋の台風の被害で修理中。部分的に青いビニールシートがかかっているので、ネットから画像お借りします。(大変きれいな画像。この日は曇りでしたけど。)
大本堂正面の彫刻。
五重塔。
御法窟。
広い境内です。大書院2階大広間で須藤上人さまのご法話をうかがいました。龍口寺の由来(縁起)、龍神伝説など。(須藤上人さまはまだお若く、なんと187cmという上背。関係ないですね。はい。)
2階の大広間からは相模湾の海、目の前の江ノ島がよく見えました。
さぁ、次は弁天橋を渡って、いよいよ江ノ島、江島神社!
私は今まで、ふらっと寺社に立ち寄り、思いがけなく季節の花に出会ったり、境内をただのんびり歩く、というタイプでした。
こちらのブログに出会ってから、きちんと歴史や季節を調べ、ポイントをはずさずに見る楽しみ方を知りました。
龍口寺のこと、何も知らなかった自分に驚いています。(恥)
扁額が落ちたとは驚きです。龍が隠れていたのですね!早速見に行かなくちゃ。
ワッフルさんのように、素直に感じるままに、という見方もあっていいと思います。
私はね、ほら、鎌検あるから・・・。(笑)
龍について少し。
翼のある龍を應龍というとか。
東洋の龍は翼の無いものが普通ということですが、そういう龍もいるそうです。
『蛇が長い年月を経て虺(き)になり、それが500年経つと蛟(みずち)になり、さらに1000年経つと龍になる。そしてその龍が更に500年経つと角龍となり、更に1000年経つと應龍になる』とネットにありました。
つまり應龍が龍の最高ランクということになりますが、説は多々あるようですよ。