鎌倉観光文化検定試験2012(2012.11.25 part2)
2012年 11月 27日
今回は記述30問のうち10問落として散々な出来でしたが、残り20問は出来た訳です。
その中で、我ながらほんと、よく出来た(思い出した)問題をご紹介したいと思います。
よろしければお付き合い下さい。(笑)
(32) 公文所・政所別当をつとめた(①)は、その兄弟で、相模国の武士に育てられた(②)が源頼朝に仕えていた縁で、源頼朝に招致され、出仕することになった。
① 大江広元 ②中原親能 特に②、よく思い出して漢字もよく書けたと。(^^) ◎
(33) 結城朝光が「忠臣は二君につかえず」と発言したことを(①)が咎めて将軍頼家に讒訴しようとしていると、(②)の妹阿波局が朝光に忠告してくれた。これに狼狽した朝光は、三浦義村、安達盛長などに相談して、多数の御家人らによる弾劾連判状を提出した。これが、(①)の失脚の契機になったのである。
① 梶原景時 ② 北条政子 特に②、よく思い出しました。(^^) ◎
(52) 鎌倉文士のリーダー役の一人(①)は関東大震災の翌年から94歳の天寿を全うするまでの数十年間鎌倉に住み、鎌倉のみならず日本文壇の長老として君臨した。(②)監督の映画「秋日和」の原作者でもある。
① 里見弴 ② 小津安二郎 ①、よく書けました。(^^) ◎
(57) 大正時代、鎌倉の銘菓である鳩サブレーが徐々に人気を博していったのは小児医学博士が幼児の離乳食に最適と推薦し、現在の(①)小学校の地にあった鎌倉御用邸からも用命を受けたためである。また。発売当初、丸い形をしていたサブレーが鳩の形になったのは、豊島屋の初代(②)が鶴岡八幡宮本殿の揚額の「八」の字や、境内の宮鳩からヒントを得たことによるといわれている。
① 御成 ② 久保田久次郎 ②、よく思い出しました。(^^) ◎
この4問はほんとに良く出来たと思います。でも、他がひどかった。
やっぱり、鎌検1級はそう楽じゃありませんねぇ。来年リベンジです。