梅香る三渓園に鎌倉ゆかりの史跡を訪ねる(2016.03.04)
2016年 03月 05日
JR根岸駅集合でバスに乗り、本牧市民公園前下車。まずは八聖殿を訪れました。
昔々訪れた時は、それしかなかったように思うのですが、現在は郷土資料館になっています。
たとえば、根岸湾は現在すっかり埋立てられていますが、以前は、この八聖殿・三渓園は崖上に位置していて、崖下は海でした。
これは、三渓園の展望台から見た景色。
崖の名残はまだ残っています。
八聖殿から三渓園南口に向う時の道沿い右側。
さて、三渓園は、生糸貿易で財を成した実業家・原富太郎(三渓)の元邸宅。53000坪という広大な園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物(国重文は10棟)が点在しています。
ガイドさんと一緒に沢山の建物を見て回りましたが、ここでは、2つのみご紹介しますね。
まずは内苑にある天授院(てんじゅいん 国重文 大正5年移築)。
心平寺と聞けば、鎌倉通なら、すぐ「済田地蔵」が頭に浮かびます。
一寸八分の小さい地蔵を信仰していた済田左衛門が無実の罪で斬首されかけたのですが、何度刀を振り下ろされても、左衛門の首には届かず。彼は、日頃信仰していたその小さな地蔵を髪の髻(もとどり)の中におさめていて、刀がその小像にあたり、つまり地蔵像が左衛門の身代わりになって命拾いしたというわけです。左衛門は地蔵の加護に感謝し、心平寺地蔵の頭中に、その小像をおさめ、かつ、建長寺が創建された時、さらに小像を仏殿本尊の胎内にうつしたと伝わります。
この小さなお地蔵さま(=済田地蔵)は建長寺の秋の宝物風入れの際、展示されますが、とても人気があります。国宝の開山・大覚禅師(蘭渓道隆)の頂像や法語規則よりずっとね。
ということもあって、この建物、興味がありました。いつもはお堂の扉も閉まったままですが、特別公開。残念ながら中には上がれませんでしたが、それでも満足しました。
茅葺き、寄棟造。
内苑では、この他に、臨春閣(りんしゅんかく 国重文 三渓は豊臣秀吉が建てた聚楽第の一部「桃山御殿」と思っていましたが、その後の調査で、紀州徳川家の別荘「巌出御殿」ではないかとされています)、旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう 国重文 豊臣秀吉が母親=大政所のために大徳寺に建てた寿塔(生前に長寿を願って建てる墓)の覆堂)、聴秋閣(ちょうしゅうかく 徳川三代将軍家光が上洛した際、佐久間将監に命じ、二条城内に建てさせた茶亭)等、見学しました。
外苑の旧東慶寺仏殿に向う途中、三渓園のシンボルである三重塔に寄りました。ここからの池を見下ろす風景。
(観梅会は確か3月6日までだったかな)
臥竜梅から目と鼻の先、旧東慶寺仏殿(国重文 明治40年移築)になります。
どのような経緯があったのでしょう、茅葺き、寄棟造の堂々たる仏殿です。
この旧東慶寺仏殿に限り、三渓園の特別顧問という方からご説明を受けました。戦時中、この建物の屋根に爆弾が落ち、被害を受けたことなども教えていただきました。
床は四半敷き(しはんじき)。
天井は格天井(ごうてんじょう)でした。
南口から入園して正門で解散。半日ツアーだったんですが、13:30になっていました。
三渓園には昔々2、3度来たことがありますが、これほど園内を隈なく歩き回ったことは初めて。池の畔のみフラットな歩道ですが、他はアップダウンが多い上、決して歩きやすい道でもなく、結構疲れました。
感想: 歴史を大切にする心、文化を愛する気持ちを持つこと、肝に銘じました。
それにしても、三渓さん、莫大な財産をお持ちだったんですね。生糸貿易、おみそれしました。
おまけ: 正門付近からの景色になります。