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金沢八景 上行寺ー上行寺東遺跡(2016.06.17)

さて、金龍禅院をあとにして、横須賀街道の六浦交差点を鎌倉方面に右折。しばらく歩くと、右側、上行寺です。
こちらは風情ある山門。
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鎌倉時代の初め頃の創建で、もとは真言宗の金勝寺と言われ、浄願寺の子院の一つでした。
*浄願寺とは?
平安時代末期か鎌倉時代初期、当時の領主・和田義盛によって建てられたが、和田氏滅亡後、衰退。1257年~59年ごろ、律宗の忍性が律宗寺院として再興。
ただし、浄願寺は源頼朝と文覚によって、瀬戸神社の別当寺として六浦山中に建立された旨、別論も。

その後、房総から鎌倉を目指した日蓮が六浦の浜に到着した縁で、日蓮宗に改宗。
ここらの経緯ですが、建長6年(1254)、千葉介胤の有力な被官であった富木五郎胤継公が鎌倉幕府へ参勤の折、下総二子の浦から船出して鎌倉へ戻られる日蓮聖人と乗り合わせ、船中で仏法の法論に及び、結果、胤継公は日蓮に帰依して、胤継公の祈願所であった金勝寺を日蓮宗に改宗したと伝わります。(→船中問答の由来)

こちら、船繋ぎの松跡です。(昭和22年枯死して、身替りとか)
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つまり、現在はこのお寺、バスの路線もある県道23号に面しているのですが、往時は、山門前は海原だったんですね。(びっくり)

そして、ご本殿手前左側、妙法院日荷上人の墓所になります。
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墓所は日荷上人が身延山より持ち帰られたという伝説の榧(カヤ)の木の下にあります。
引いて撮ると、こんな感じです。
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大きく横に枝を張った立派な木。木全体に実がついていました。
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では、その伝説、ご紹介します。
日蓮宗に改宗後、一時荒廃した時期があったそうで、その時代に荒井平次郎景光(光吉)という豪商がいました。千葉県中山の法華経寺第3世日祐上人を師と仰ぎ、六浦妙法と名乗りました。ある日、称名寺の仁王尊二体を身延山にお連れするようにと、お告げを受け、直ちに称名寺へ仁王尊の譲渡を懇願しに行くのですが、もちろん相手にしてもらえません。なんとか、称名寺住職に、賭け碁で勝てたならば仁王尊を譲ろうと約束をとりつけ、勝負をしたところ、守護の力を得て、勝利し、仁王尊二体を背負って、三日三晩歩き通し、身延山に納め、所願成就されました。これに驚いた身延山主は、六浦妙法に日荷の法号を授与され、その徳を称えて、木像を刻み、山門の仁王尊のそばに安置して供養したそうです。
*榧(カヤ)の木はそのとき持ち帰ったとされる霊木。
この伝説、おもしろいですが、それじゃ、称名寺の現在の仁王像は何なのでしょう??(笑)

また、上行寺は、徒然草の著者・吉田兼好ゆかりのお寺なんですって。
ご本堂の裏山の一角に兼好法師居住跡があるそうです。(兼好の兄・兼雄は金沢北条氏二代顕時公、貞顕公に執事として仕えました)

もう一つエピソードがあります。
扇ガ谷上杉氏の執事であった太田道灌が称名寺で狩りをした際、笠を借りようと立ち寄った農家の娘にヤマブキの花を差し出されたという伝説がありますが、それはこのお寺辺りであったということです。

お待たせしました~。こちら、ご本堂。
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寺紋は日蓮宗の「井桁に橘」。千葉氏の月星紋も見られました。

ご本堂に向かって左に広がる墓地ですが、広くて驚きます。
とても美しい形状の宝篋印塔が一基、ありました。
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壬申(じんしん)銘が入り、銘文から文和元年(1352)に造立と考えられるそうです。深沢の「泣塔」にも似ているとありました。どうでしょう?
また、崖には、やぐらも見られます。
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すごいでしょう?
背後の山の斜面に沿って墓地が広がり、辿っていくと、頂上の尾根道に出ました。(ちゃんと上りました~)
また、このお寺の隣には、上行寺東遺跡(復元)=「寺院跡とやぐら」が残されています。
位置関係はこんな感じ。
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遺跡は上行寺を見下ろす高台に位置します。
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こちら、復元されている寺院跡(マンションの下が実際の場所)とその横にあるやぐら群。
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(昭和59年のマンション建設の事前調査で発見されました)
鎌倉時代から室町時代初期の遺跡だそうです。発見された遺構は、やぐら43基、建物跡7基、墓壙18基、井戸2基、池状遺構と思われる不定形土壙1基など+多量の陶磁器類、石塔類、古銭、銅製品など。

おまけ:六浦藩を治めたのは米倉氏。初代藩主は米倉忠仰(ただすけ)氏。(初名は柳沢保教、柳沢吉保の六男)
六浦に陣屋を置いたため、武州金沢藩や武蔵金沢藩とも呼ばれますが、金沢八景駅近に、今でもお住まいがあります。
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さてさて、何処でしょう?
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by b_neige | 2016-06-18 20:04 | かながわ散策 | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)