金沢八景 龍華寺へ(2016.06.17)

金沢八景・文庫の史跡巡り、いよいよラストのお寺・龍華寺です。
e0245404_15545381.jpg
境内の観音立像と銅瓦葺きの本堂の屋根が見えていますね。山門もとても立派。

こちらのお寺、上行寺でも出てきた浄願寺がはじまりとされています。
(果たして源頼朝と文覚によって、瀬戸神社の別当寺として建立されたのでしょうか?それとも、和田義盛??)
いずれにしても、明応8年(1499)、焼失した浄願寺を、州崎(=現在の地)にあった光徳寺と併合して、ここに龍華寺として創建と伝わります。
真言宗御室(おむろ)派 総本山は京都・仁和寺 それ故、寺紋は「二つ引きに桜」
e0245404_136852.jpg
鎌倉では見かけない紋章です。

こちら、ご本堂。
e0245404_1363225.jpg
右手の青々とした桜は「御室(おむろ)桜」になります。
龍華寺のHPに写真が出ていましたので、お借りします。
e0245404_1365015.jpg
白い桜のようですね。関東では珍しいとありました。(仁和寺からいただいたのかしら?)

それと、こちらのお寺、牡丹寺と呼ばれています。上の画像にも、お手入れの行き届いた牡丹の葉が見えますね。(残念ながら、花時は5月上旬なので、終わってますぅ)

境内で観ておかなければならないのは、金沢文庫の企画展でお馴染みになった「永島家」一族のお墓。
(約350年前、永島泥亀が、金沢の内海を埋め立てる神田開発に取り組み、大雨や洪水で苦労を重ねること200年、子孫達が6代にわたって努力し、完成しました。)
e0245404_1374948.jpg
泥亀さんの墓碑は右端です。

辺りには、江戸時代のものと思われる古い石仏が沢山並んでいました。
とても好きだった仏さまです。
e0245404_15591524.jpg
それと、称名寺で出てきた篤志家の大橋新太郎氏を覚えていますか?こちらは、その夫人、須磨子さんが建立したという関東大震災で犠牲になられた方々の供養塔。
e0245404_138463.jpg
手水舎の脇でハンゲショウを見つけました。
e0245404_139056.jpg
葉がきれいに白く染まっています。
e0245404_139884.jpg
こちらは地蔵堂。
e0245404_1392562.jpg
木造地蔵菩薩坐像(室町時代・大永4年(1524年)作 像高76cm 寄木造 仏師は上総法眼=鎌倉の仏師で、江ノ島の八臂弁財天の彩色や大長寺の北条氏綱夫人坐像を造立)と「まわり地蔵」が祀られています。
「まわり地蔵」とは?
今から180年ほど前、一人の村人が海岸で波に打ち上げられたお地蔵さまを見つけ、持ち帰って、厨子に納め祀りました。身の丈はわずか17cmほどの小さな木造のお地蔵さまですが、子授かりや子育てに御利益があるといわれ、一回り大きな箱に納められて、いつしか州崎村をまわる風習が生まれました。
お地蔵様の入った箱の引き出しには、「御信仰ハ三日間ニテ御巡回願ヒマス」と書かれた張り紙が残されているそうです。
ネットでこんな画像、発見しました。
e0245404_1395613.jpg
まわり地蔵さま(金沢区州崎町・龍華寺蔵)

文化財としては、県指定重要文化財の「梵鐘」が鐘楼脇のガラスケースの中に納められていました。
天文10年(1541)古尾谷重長寄進の銘あり。実は鎌倉時代末期、銘文を入れず、つまり仕上げせずにおかれていたもので、この年に龍華寺の鐘として銘文が刻まれたと考えられているそうです。

その他、数多くの貴重な仏さまが安置されているお寺。収蔵庫=龍宝殿、不動明王堂(太田道灌公が奉納)もありました。ボケ封じ観音さままで。
最後に徳川家康のエピソードをご紹介しておきますね。
天正19年(1591)、徳川家康が参詣の折、誤って龍源寺と聞き、「立源寺」の響きがあって吉兆だと喜び、寺領を五石与えたと伝わります。江戸時代には塔頭4院、末寺20を有し、武蔵国密教教学の中心として繁栄しました。

本当は、龍華寺の先にある安立寺(上行寺と同様、船中問答が伝えられます)にも行ってみたかったのですが、この日はこれにて、散策終了~。とにかく、陽ざしがきつく暑い一日で、まいりました。((+_+))
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by b_neige | 2016-06-20 16:32 | 鎌倉歩き | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)