上総介塔(2016.08.25)

養成講座の実地研修の後で。

こちらは、鎌倉側から朝夷奈切通を歩き、県道23号線(環状4号線)に出たら、逗子方面へのバス停「朝比奈」の先にある上総介広常の五輪塔です。
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毎回、朝比奈切通から出ると、鎌倉方面へのバス停に向かってしまうので、この五輪塔を目にするのはお初でした。(お初はいつでも嬉しいです)
新編鎌倉志によれば、朝夷奈切通の途中(大切通と小切通との間、田の中)にあったそうです。
<大切通とは、磨崖仏のある場所、つまり熊野神社への岐路辺り。そこから下りてくる細い小径が小切通>
近年、県道23号線沿いに移されていたようなのですが、行方知れずになり?、今はこちらに。
さて、新しいもの?その無くなったというもの?(判りません)
とりあえず、上総介塔とあります。

上総介広常邸は朝夷奈切通の近く、十二所果樹園の方にあったと伝わります。
頼朝政権内部では、東国独立論を主張する広常ら有力関東武士層と、頼朝を中心とする朝廷との協調路線派との矛盾が存在していて、両者はやはり相容れないものがあったのでしょう。頼朝から命じられて、梶原景時は、この広常を暗殺します。1183年(寿永2)12月のことでした。
*鎌倉側から朝夷奈切通方面へ向かうと、切通の手前に梶原太刀洗水ってありますよね。(画像は以前撮ったもの)
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梶原景時が上総介広常を討った後、刀を洗い流したという伝説が残されています。(鎌倉五名水の一つ)

年が明け、正月17日、上総一宮から広常が納めた「小桜皮縅(おどし)鎧」が頼朝のもとに届きます。そこには頼朝に忠誠を誓う願文が結び付けられていて、これにより広常に謀反の心はなかったことが明らかになって、頼朝は悔やんだと伝わりますが…。

房総平氏惣領頭首であった上総介広常。石橋山の戦いに敗れ、安房に逃げ延びた頼朝にとって、東国最大最強の勢力であった広常の加担は、何より心強かったはず。おかげで、頼朝の平氏打倒の再挙兵は大成功に終わりました。
でも、頼朝と合わなかったんですね。上総介広常公、合掌。
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by b_neige | 2016-08-28 07:36 | 鎌倉歩き | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)