鎌倉市 津 御所五郎丸公園(伝屋敷跡)(2016.09.23)
2016年 09月 23日
私は鎌倉市民ではないので、雨降りならば、原則鎌倉へは行きません。もちろん、友だちと約束していたり用事があれば別ですよ。
そうじゃなくて個人的に歩く場合、やっぱり雨じゃない方がいいに決まってます。これまで雨なのに、鎌倉に行ったというのは梅雨時の1、2回位じゃないかしら。
でも、今回だけはしびれを切らしました!だって、ここ数週間ずっと雨なんですもの。(>_<)
それと、この週末、伊豆長岡に出かける予定なんです。(蛭ヶ小島や願成就院、真珠院など見て、帰りは石橋山古戦場へ、と考えています)
来週は何やかやで結構予定が入っているし、個人的に鎌倉へ行けるかどうか…。
よって、この日、雨にも負けず!鎌倉行きという次第。はい。
大船駅からモノレールで西鎌倉まで。
広町緑地に向かう際、二俣川にかかる小さな「五郎丸橋」を渡るのですが、その辺りにあるという御所五郎丸公園がまず最初のお目当て。
橋は知っていましたが、公園(御所五郎丸屋敷跡だそうで)はお初なんです。お初に惹かれて、はい参上~。
まずは橋をどうぞ。広町緑地の御所ヶ谷入口(管理棟がある場所)に向かって、橋の右欄干に「ごろうまるばし」とあります。
公園は、この橋を渡って次の十字路まで歩き、そこを右折(広町緑地へはまっすぐ)、次の右へ折れる道へ。
ちなみに、この道、昔、丹後ヶ谷せみ公園のアジサイを見に行って、そこで出会った方に教えていただき、チャリで下ってきたアジサイの小径です。
cf : 腰越 丹後ヶ谷せみ公園のアジサイ(2012.06.29)
え~と、次の右へ折れる道でしたね。OK、右折して歩くこと数分。右側にその公園が見えてきました。
はい、御所五郎丸公園です。
こちらがその碑。
御所五郎丸って、ご存知でしょうか?
日本三大仇討ちの一つとされる「曽我兄弟の仇討ち」に登場するんです。
小舎人童=コドネリワラワ=幕府の侍所で武家に使えて雑用をつとめた少年でした。
曾我兄弟は力を合わせて、長年の仇・工藤祐経を討ちとりその後も10人斬りの働きをしますが、とうとう兄十郎祐成が仁田忠常に討たれます。ここで弟の五郎時致を捕えるのが御所五郎丸というわけ。
ただね、この時、五郎丸は女装をして相手を油断させたと伝わります。武士道にあるまじき行為ということで、現在の南アルプス市の野牛島(やごしま)に流刑になったそうで。(>_<)
一説には、曾我兄弟に祐経の館を教えて、仇討ちに協力したのが御所五郎丸とも。時は建久四年(1193)5月28日のこと。800年経ってますものね。誰も、真相など判るはずもありません。
平家方だった伊東祐親も自害して果て、そしてこの仇討ちで工藤祐経もいなくなった後、伊豆で更に勢力を拡大することになったのが北条時政。だから、この仇討ち、黒幕は実は時政であったのではとの説もあるそうですが…。
公園には五郎丸屋敷の庭石だったという石も残されています。
「御所五郎丸 市川小団次」「曽我十良 中村宗十郎」1881年(東京都立図書館)
では、次の目的地へ。