稲村ガ崎 新渡戸稲造ゆかりの「アリスの家」(2016.12.12)
2016年 12月 13日
駅からだと、七里ガ浜方面、音無橋を渡って、江ノ電の線路を越えたところに入口の暖簾が見えますが、新渡戸稲造ゆかりの「アリスの家」はその橋の手前。
(ちなみに、レストラン「海菜寺」のある場所=高台は、女子教育の先駆者、津田塾大学初代塾長・津田梅子先生の別荘跡)
正面から撮ると、こんな具合。
この建物は、現在聖路加看護大学が管理しています。かつて新渡戸稲造博士の別荘が在った場所なんですって。
つまり建物自体は新渡戸が住んだ家そのものではありませんが、当時を彷彿させるような造りになっているものと思われます。
大正9年秋から半年ほど、新渡戸博士の教え子であった有島武郎のすぐ下の弟=有島生馬=里見弴の兄の一家(生馬夫妻&一人娘の暁子)が、この家を借りて生活していたそうです。
ついでに?説明してしまうと、有島家は、その後、このアリスの家の数件先にある「松の屋敷」に移ります。(大正10年12月)
この「松の屋敷」は、イタリア人が所有していた屋敷(The pines)だったのですが、有島生馬がすっかり気に入り手に入れたようです。
屋敷は後、上智大学の研修保養所になったのですが(生馬夫妻の長女・暁子さんが上智大で女子学生の指導に当たるなど所縁があったのだと思います)、この日の最大のサプライズに目が点になりました~。!!
だって、いつのまにやら、影も形も無くなっていたんです。つまり更地になっていて、今後老人ホームが新規建設予定とありました。最近のこと?、ほんとにびっくり。
話が飛びましたね。新渡戸の「アリスの家」に戻ります。
音無橋の欄干を入れて、「アリスの家」です。
こちらは、反対にR134側から見た「アリスの家」になります。
日本の教育者・農政学者。
札幌農学校に入学。クラーク博士は既に帰国していたが、同期の内村鑑三らと共に、影響を受け、キリスト教に入信する。卒業後、アメリカ・ドイツに留学。
一校校長・東大教授・東京女子大初代学長などを歴任。
国際連盟事務次長も務め、その著書Bushido:The Soul of Japan(=武士道)は、英文で書かれ、広く世界に日本を紹介しました。
享年72歳。妻は米国人・メアリ・エルキントン(日本名・新渡戸万里子)。
「アリスの家」、新渡戸博士の別荘だった当時は、広大な庭があり、裏門からすぐに海岸に出られたそうです。現在は少々異なってしまいましたね。
それにしても、新渡戸博士の奥様はメアリでしょう?何故、「アリス」??