七福神に因んでー福神漬の由来を(2017.09.09)
2017年 01月 09日
二宮の吾妻山公園の菜の花が既に見頃だと聞き、晴れたら出かけてみようかしらと思っていたので残念でした。吾妻山公園は菜の花と富士山の2ショットが売りですものね。今回は空振り~。
ということで、自宅待機となり、写真がありません。何かないかしらと考えていて、先日友人が教えてくれた話を思い出し、ご紹介することにしました。
友人というのはガイド養成講座で同じ班だった、そうそう、大塔まんじゅうの友人です。鎌倉歴30数年とか。私より、はるかに物知り!それで、ちょくちょく教えを請うているというわけです。(^^ゞ
では、どうぞ。
福神漬の由来
・・・(前略)、さて、この福神漬、明治10年頃の発明とされる。発明者は延宝3年(1675)から現在まで続く老舗「酒悦」の15代目当主、野田清右衛門。彼は一風変わった人物で、断髪令が出たにもかかわらず、77歳で没するまで「ちょんまげ」を結っていたらしい。その一方で、山岡鉄舟、五代目菊五郎などと交友のあった文化人でもあったそうだ。彼は創意工夫の達人。明治維新以前には、「のり佃煮」を発明している。彼が福神漬で苦労した点は、塩漬しかなかったそれまでの漬物を醤油を使ったものにすることであった。彼は日夜蔵に籠もり、三回漬けの工夫をした上に、みりんを加え、満足のできる醤油漬けにするのに約10年もかけたのである。
福神漬の原料は大根、茄子、蕪、瓜、紫蘇、蓮根、刀豆(なたまめ)の七種類。当時、上野近郊でとれる良質のものを更に厳選し、使用したのである。醤油に関しても、特別にあつらえた三種類を使うというこだわりぶり。それゆえに庶民の間で大変評判になった。
福神漬の名前の由来は、原料が七種類の野菜であることから七福神にちなんで名付けられたのであるが、名付け親は当時の流行作家、梅亭金鵞(ばいていきんが)。不忍池に七福神の一人である弁天様がいらっしゃることから考えついたとのことだが、別の説によれば、福神漬は大変美味しいので他におかずのいらない、知らず知らずのうちにお金がたまる縁起の良い漬物のため、「福の神も一緒に漬けてあるのだろう」ということでこの名が付いたとも言われている。
福神漬が全国的に有名になったのは、日清・日露戦争時、兵隊さんの携帯食として用いられてからであったとされる。十五代野田清右衛門が創製以来、一世紀余り、激しい時代の変化の中にも連綿として庶民に親しまれている福神漬はまさに「日本の味の傑作」と言えるであろう。
この福神漬というユニークな発明を高く評価した当時の食品業界の有力者たちは、野田清右衛門を表彰。その記念として、西日暮里にある浄光寺に福神漬発明表彰の碑が建立され、現存している。何かの折に訪ねてみては如何でしょうか。(資料提供 株式会社酒悦)
*梅亭金鵞(ばいていきんが)
1821(文政4.3.30)~1893.6.30(明治26)
幕末から明治中期の作家・編集者。 滑稽本・人情本・啓蒙書・諷刺小説などを書いた。本名は瓜生政和(まさやす)、通称は熊三郎。
へぇ~って思われたでしょう?私も一つ賢くなりました!(^^) 10日はいよいよガイドデビュー。がんばってきます。(と言うか、ありのままで行くしかありませぬ~)