戸塚区柏尾町 鎌倉ハム発祥の地(2017.02.20)

鎌検のテキストに載っている、鎌倉ハムの記載は以下の通りです。

日本におけるハム製造のルーツは、明治時代にイギリス人のウィリアム・カーティスが鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区)で外国人向けに製造したことにある。カーティスはその製法を秘密にしたが、地震で工場から出荷した際、村人が消火活動をしてくれたことに恩義を感じ、初めて日本人に製法を伝授した。製法を学んだ一人で、現在も駅弁を作っている「大船軒」の経営者だった富岡周蔵は、1871年(明治4)に欧米を視察し、のち首相となった黒田清隆からサンドイッチの話を耳にし、カーティスからハムを仕入れ、1899年(明治32)に大船駅でサンドイッチを販売した。これが人気を博したので、富岡は「鎌倉ハム 富岡商会」を設立し、ハム製造を始めた。その後、ハムの製法は日本中に広まったが、本格手作りハムの伝統を受け継ぐ企業として「鎌倉ハム」はハム発祥の地名を冠した商標となった。

横浜市戸塚区のHP、タイムトンネル(平成10年1月号掲載)にも、この鎌倉ハムの記載があります。

タイトル:文明開化の香りを運ぶ鎌倉ハム倉庫(柏尾町)
横浜の開港で、西洋文化が急速に入ってきた頃。
柏尾の東海道沿いに、当時の人々が「異人館」と呼ぶ外国人専用の旅館がありました。
異人館の主人カーティスが行っていたハム製造を自分達の手で行い、村に産業を、と考えた斉藤満平さんたちは、カーティスの妻加藤かねさんの協力で製法を学び、明治10年代中頃、日本人として初めて、ハムの製造を始めました。
時は「文明開化」のまっただ中、人々の暮らしの洋風化と共にハムは飛ぶように売れ、当時戸塚は鎌倉郡に属していたので「鎌倉ハム」として全国的に知られるようになったのです。
この倉庫は、ハムの冷蔵に使われていたもので、所有者の斉藤さんによれば横浜港にある赤レンガ倉庫と同じ頃、明治20年代の建造とのことです。
壁の厚さが1メートルほどもあり、関東大震災にも耐えた堅牢な作りです。
現在、ここでのハムの製造はおこなわれていませんが、斉藤さん宅の自家用貯蔵庫として、今でも現役とか。
それで、その「鎌倉ハム倉庫」を見に行ってきました。
(先日発見した丹後局供養塔から、そう離れてないんですよ。あの供養塔にも驚きましたけど、こちらの鎌倉ハム倉庫にもびっくり。これまで全く、気がつきませんでした。1号線からちょっと入った場所。車で何度か行き来している場所なのに。)
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カーティスの妻の加藤かねさんは、斉藤家の奉公人だったというご縁もあるのかもしれません。斉藤満平さんはカーティスからハムの製法を学び、この辺りで作っていたんですね。つまり鎌倉ハム発祥の地ということです。もちろん、斉藤系ですけど。
倉庫の入口にはちゃんとポストもありました。

こちらは、「斉藤牛肉店」。(倉庫の手前、戸塚寄り)
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そして、左手10m先にあるという「さいとうハム製造本舗」。
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せっかくですもの、ハム、購入しました!!(本格的でしょ?美味しそうです)
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もう一つ、ウィキペディアからも、鎌倉ハムの歴史の記載を載せておきます。

歴史:
1874年(明治7年)、イギリス人技師ウィリアム・カーティスが神奈川軒鎌倉郡で畜産業を始め、横浜で外国人空いてに販売を行う。1876年(明治10)上柏尾村の戸塚街道に面した場所に観光ホテル「白馬亭」を開業。敷地内でハム・ソーセージや牛乳、バター、ケチャップなどの製造を行い、主に横浜居留地の外国人向けに販売した。この時点でカーティスは一切の製法を秘密にしており、日本人は工場へ立ち入ることを許さなかった。
1884年(明治17)に起こった地震の際に工場が出火し、これを近隣住民が消火作業にあたったためその恩義に応えるべく、カーティスは益田直蔵らに製法を伝授。またカーティスの妻かねが奉公人時代に世話になっていた地元の名家・斉藤家の当主斉藤満平(「万三」説あり)にも伝授した。
鎌倉郡発祥のハムなので「鎌倉ハム」と呼称するが、現在の鎌倉市域の発祥ではない。発祥地の現在の住戸表示は横浜市戸塚区上柏尾町である。従って、観光地としての「鎌倉」の土産にはあたらず、また特産物でもない。だが、名称から鎌倉の産品と見なされ「鎌倉」の土産や贈答品としても用いられている。

3つの記載を読んでいると、鎌倉ハムって一つの企業(会社)が作っているわけじゃないことがわかります。少なくても、斉藤系、益田系、富岡商会。。。

そしてね、ウィリアム・カーティスが開いた観光ホテル「白馬亭」(「異人館」とも)はどうやら、この近くにある王子神社付近と考えられるそうです。
その王子神社には、なんと鎌倉所縁の護良親王の御首が葬られているそうで。
またしても、戸塚区に!驚きの連続です。
続きます。
by b_neige | 2017-02-20 17:02 | 横浜歩き | Comments(0)
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