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戸塚区柏尾町 護良親王所縁の王子神社(2017.02.20)

王子神社への道ですが、前述の四つ杭跡の碑のところで、スマホを取り出し、マップ確認をしたところ、何故か王子神社が出てこないのです。仕方なく、通りがかった方に道をお尋ねすることに。
さて、その通りに歩きました。つまり、浄土真宗・成正寺の前を通り過ぎてから(後で、このお寺の境内を抜けても王子神社へ行けるとわかりましたが)、程なく左側に見えてくる坂道を上りきって、左下方の王子神社へ下りるルートです。

こちらの画像は坂を上りきったところから。
戸塚区柏尾町 護良親王所縁の王子神社(2017.02.20)_e0245404_8222919.jpg
左下方に見える森が王子神社になります。
前のレポート:「鎌倉ハム」に載せましたが、英国人ウィリアム・カーティスは王子神社付近に観光ホテル「白馬亭」(異人館)を開いたそうです。そして、その敷地内でハム等の製造にあたったと。イコール、牛や豚などの家畜を飼育していたわけで、多分それは、この辺りだったのではないかしらね。

道路1号線(東海道)から見ると、ポーラ化粧品やALSOKの工場の向かい奥になります。王子神社前という信号だってありました。これまで何度となく車で通っている道なのに、全く気がつかず…。(道沿いは見ていても、その奥はねぇ。。。)
ちなみに1号線から、この王子神社の森がどう見えるかも確認しました。こんな具合。
戸塚区柏尾町 護良親王所縁の王子神社(2017.02.20)_e0245404_8231275.jpg
鎌倉ハムの元祖カーティスがここでハムを作っていたとはね。そして、王子神社には、鎌倉所縁の護良親王が葬られているとは…。(伝承ですが)ほんとつゆ知らず…。驚きました。

さて、では王子神社の方に行ってみましょう。
これは、入口の角にあった「御料馬控處」。
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その左、王子神社案内板。
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祀神として、第96代後醍醐天皇第一皇子護良親王命とあります。
そしてその左に正面鳥居。
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杉の木立が続く立派な参道。
大分拝殿に近づいてきました。
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右側に大変立派な手水舎があります。
こちらです。
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実はその反対側、つまり参道左側に記念事業手水舎奉納の大きな碑があります。(建武中興650年記念・昭和60年)
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これによると、護良親王がご活躍された地・奈良県吉野郡大塔村の吉野檜と、親王の御手足に触れたと偲ばられる黒木御所跡の流れの岩石を用いて、手水舎を造営とありました。
手水をとって、拝殿前に。
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あのね、この拝殿(後ろに弊殿、本殿)の下に護良親王が葬られたと伝わります。
それは伝承にすぎないのですが、いささか平常心ではいられませんでした。

このお社の左側に残された「護良親王御しるしお鎮の松」。
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御首を一時隠し奉った所だそうです。「御墓」といって老松があったそうですが、明治末年に落雷で焼損したとか。

実は、この日は主人を誘ったのですが、断られまして、一人でした。よって、この時点で大分薄気味悪くなり、早々に退散。

最後に忠魂碑の前にあった、護良親王の鎮魂碑をどうぞ。
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そうそう、神奈川県神社庁の王子神社のページの最後に、社殿は当初西北に向いていたのが、東海道の往来の関係で現在の東南向きに変えたとありました。
1号線から見ると、正面の鳥居はぐるっと後ろから回りこむ形なんです。往来の関係というのがよく分からず…。

帰りの道。これなど往時の雰囲気が残っているようです。
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鎌倉街道なんでしょうかね。この道の先は成正寺の墓苑でそれを抜けると、お寺の境内でした。

南北朝時代、この柏尾の辺りには、斉藤・岡部・益田家という有力な豪族がいたそうです。そのうち斉藤家・益田家は鎌倉ハムの創業者としても名を連ねてます。
この日の最後、先日新聞(朝日2/18)に載った益田家のモチノキを見ておくことにしました。
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by b_neige | 2017-02-22 06:51 | かながわ散策 | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)