戸塚区柏尾町 護良親王所縁の王子神社(2017.02.20)
2017年 02月 22日
さて、その通りに歩きました。つまり、浄土真宗・成正寺の前を通り過ぎてから(後で、このお寺の境内を抜けても王子神社へ行けるとわかりましたが)、程なく左側に見えてくる坂道を上りきって、左下方の王子神社へ下りるルートです。
こちらの画像は坂を上りきったところから。
前のレポート:「鎌倉ハム」に載せましたが、英国人ウィリアム・カーティスは王子神社付近に観光ホテル「白馬亭」(異人館)を開いたそうです。そして、その敷地内でハム等の製造にあたったと。イコール、牛や豚などの家畜を飼育していたわけで、多分それは、この辺りだったのではないかしらね。
道路1号線(東海道)から見ると、ポーラ化粧品やALSOKの工場の向かい奥になります。王子神社前という信号だってありました。これまで何度となく車で通っている道なのに、全く気がつかず…。(道沿いは見ていても、その奥はねぇ。。。)
ちなみに1号線から、この王子神社の森がどう見えるかも確認しました。こんな具合。
さて、では王子神社の方に行ってみましょう。
これは、入口の角にあった「御料馬控處」。
そしてその左に正面鳥居。
大分拝殿に近づいてきました。
こちらです。
手水をとって、拝殿前に。
それは伝承にすぎないのですが、いささか平常心ではいられませんでした。
このお社の左側に残された「護良親王御しるしお鎮の松」。
実は、この日は主人を誘ったのですが、断られまして、一人でした。よって、この時点で大分薄気味悪くなり、早々に退散。
最後に忠魂碑の前にあった、護良親王の鎮魂碑をどうぞ。
1号線から見ると、正面の鳥居はぐるっと後ろから回りこむ形なんです。往来の関係というのがよく分からず…。
帰りの道。これなど往時の雰囲気が残っているようです。
南北朝時代、この柏尾の辺りには、斉藤・岡部・益田家という有力な豪族がいたそうです。そのうち斉藤家・益田家は鎌倉ハムの創業者としても名を連ねてます。
この日の最後、先日新聞(朝日2/18)に載った益田家のモチノキを見ておくことにしました。