高徳院・大仏後ろの笠塔婆(2017.06.16)
2017年 06月 17日
今回は大仏さまの真後ろにある笠塔婆をご紹介しますね。
皆さん、ご存知でした?源頼朝公の侍女であった稲多野局の供養塔になります。
平重衡による東大寺焼討後、源頼朝公は最大の支援者として、焼失してしまった東大寺の再興に力を尽くします。1195年(建久6年)の大仏殿の落慶法要にも列席しているんですよ。
つまり平城京である奈良に並ぶ都として、是非とも鎌倉に大仏を、と、その時考えられたとしても全然おかしくありません。
ただ、頼朝公は1199年(建久10年)に落馬がもとで死没。満51歳でした。
稲多野局は頼朝公の侍女、頼朝公の遺志を継いで大仏造立を呼びかけたそうです。そして、その費用は、僧の浄光が全国を回って勧請したと。文献が残っていないので、詳細は不明。
ただ、最初は木造で1238年(暦仁元年)に着工。完成まで6年掛かったということです。でも、1247年(宝治元年)大風で倒壊。それで再び、浄光がお金を集めて、1252年(建長4年)から、今度は銅造りで鋳造開始。出来上がったのはいつかわかっていません。10~11年後とも。大仏さまは高さ約40mと考えられる大仏殿の中に安置されていたそうです。
大仏殿はその後2度倒壊、その度に再建されましたが、最後1498年(明応7年)の大津波で流されて以来、再建ならず、以降、大仏さまは露座に、現在に至ります。もう500年以上経ちますね。
鎌倉のシンボルの大仏さまです。
おまけ:境内のアジサイが見頃を迎えていました。
3つほどご紹介しま~す。