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東慶寺の夏目漱石参禅百年記念碑(2017.07.05)

東慶寺の山門下の広場には、夏目漱石の円覚寺参禅100年(平成6年12月9日)を記念する碑が建てられています。
東慶寺の夏目漱石参禅百年記念碑(2017.07.05)_e0245404_1827746.jpg
漱石(28歳)は、明治27年12月23日から翌28年1月7日にかけて円覚寺に参禅し、塔頭・帰源院に止宿しました。(親友の菅虎雄の紹介)
管長・釈宗演のもとに参禅したのですが、公案(=禅問答での課題)にうまく答えることが出来ず下山。(この時の課題 → 父母未生以前の本来の面目)

それから18年後、漱石46歳の9月2日(大正元年)、菅虎雄へ手紙を書きます。
「満鉄総裁-中村是公から、《満州に来て修養上の講話をしてくれる人》の相談を受けたので、宗演禅師を推薦した。小生は其後音信不通の有様なので、君から都合を聞いてくれぬか」
それで、9月11日、是公らと3人(あとは漱石+菅虎雄 犬塚信太郎理事 7/16訂正)で東慶寺に釈宗演和尚を訪問。(円覚寺管長を辞した後、釈宗演和尚は東慶寺の住職になっていたため)

上段が宗演和尚の書簡、下段が漱石の文「初秋の一日」になっています。
東慶寺の夏目漱石参禅百年記念碑(2017.07.05)_e0245404_18302213.jpg
 やがて車夫が梶棒(かじぼう)を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に茅葺の山門が見えた。Zは石段を上がる前に、門前の稲田の縁(ふち)に立つて小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行つて顰(ひん)に倣った。(略)
 老師に會ふのは約二十年振である。…老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐ夫(それ)と解つたが、先方では自分を全く忘れて居た。…他は昔の儘のS禅師(ぜんじ)であつた。
 「私ももう直五十二になります」
 (略)夫でも老師は知識(ちしき)であつた。知識であつたから、自分の眼には比較的老けて見えたのだらう。(略)
この碑を建立した東慶寺先々代のご住職は〈つれションの碑〉とおっしゃっていたそうです。

*漱石はそれから5年後の12月9日、胃潰瘍が悪化し、永眠。12日、青山斎場で葬儀。
(中村是公の依頼を受け、導師は宗演和尚が務めました)
漱石の戒名「文献院 古道 漱石 居士」は宗演和尚の撰によります。

東慶寺の門前に咲く「クチナシ」の花、漱石に手向けたいと思います。
東慶寺の夏目漱石参禅百年記念碑(2017.07.05)_e0245404_1847547.jpg

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by b_neige | 2017-07-07 07:05 | 鎌倉歩き | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)