東慶寺の夏目漱石参禅百年記念碑(2017.07.05)
2017年 07月 07日
管長・釈宗演のもとに参禅したのですが、公案(=禅問答での課題)にうまく答えることが出来ず下山。(この時の課題 → 父母未生以前の本来の面目)
それから18年後、漱石46歳の9月2日(大正元年)、菅虎雄へ手紙を書きます。
「満鉄総裁-中村是公から、《満州に来て修養上の講話をしてくれる人》の相談を受けたので、宗演禅師を推薦した。小生は其後音信不通の有様なので、君から都合を聞いてくれぬか」
それで、9月11日、是公らと3人(あとは漱石+
上段が宗演和尚の書簡、下段が漱石の文「初秋の一日」になっています。
やがて車夫が梶棒(かじぼう)を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に茅葺の山門が見えた。Zは石段を上がる前に、門前の稲田の縁(ふち)に立つて小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行つて顰(ひん)に倣った。(略)この碑を建立した東慶寺先々代のご住職は〈つれションの碑〉とおっしゃっていたそうです。
老師に會ふのは約二十年振である。…老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐ夫(それ)と解つたが、先方では自分を全く忘れて居た。…他は昔の儘のS禅師(ぜんじ)であつた。
「私ももう直五十二になります」
(略)夫でも老師は知識(ちしき)であつた。知識であつたから、自分の眼には比較的老けて見えたのだらう。(略)
*漱石はそれから5年後の12月9日、胃潰瘍が悪化し、永眠。12日、青山斎場で葬儀。
(中村是公の依頼を受け、導師は宗演和尚が務めました)
漱石の戒名「文献院 古道 漱石 居士」は宗演和尚の撰によります。
東慶寺の門前に咲く「クチナシ」の花、漱石に手向けたいと思います。