九ツ井(いど)(2017.08.25)

今月中旬だったと思いますが、史跡めぐりご案内の勉強をしているうちに、九ツ井(いど)に興味を持ちました。

桓武平氏長尾氏の紋は左三つ巴九曜紋といいますが、
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それは長尾氏の本貫(=本拠地)長尾台に湧く霊泉の水が左巻きの渦を作っていたので、九曜紋を左三つ巴で表すようになったとか。長尾台に湧く九つの井(いど)を表しているそうです。
ただ、井戸が九つあるというわけじゃなくて、沢山あるという意味の九ツ井。
さて、九ツ井といったら、お蕎麦屋さんの「九つ井」ですよね。田谷には「九つ井」の本店があります。
え~っ、あのお店って、長尾氏と関係あるんだわとびっくりした次第。
ちなみにお店のパンフにある九つ井の由来です。
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パンフに記載されている『玉縄城に相対して、ここ田谷の山上に平戸御前という豪族が居を構えていた』というのは、長尾砦(城)のことかと。

更に、「戸塚の歴史散歩」という本の中に、九ツ井の跡という案内を見つけ、百聞は一件にしかずです。行ってみました!

九ツ井は、神奈中の「田谷」バス停付近にある〇〇商店の裏にまわり、道なりに歩きます。実は、戦国時代、長尾砦として長尾台が機能していた頃、貴重な水源ということで管理を任されていた家が、まだ存在しているんです。どんつきにある、そのお宅にお寄りして、井戸のこと、伺ってみました。出てらしたのはおばあちゃま。とても気さくなおばあちゃまで、なんと井戸まで案内して下さったんです。(正確には井戸が見える場所まで)
井戸の場所までは、こんな感じの小径を行きます。
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右側には青々とした水田が広がる谷戸です。
井戸の場所は画像の→の辺りなんですが、
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井戸まであと10メートルというところで、小径がなくなります。そのまま左の畦のようなところ?を歩けばいいのですが、傾斜があって歩きづらいので、平らな場所を歩こうと右足をおろしたところ、ズボッと足首まで水に浸かりました。長靴だったらよかったんですけど、ちょっと甘くみてました。(汗)

こちら、九ツ井になります。
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この井戸だけではなく、手前にも井戸がありましたし、ここまで来る道中にも井戸が見受けられました。まさしく九ツ井です。

そして、蕎麦処「九つ井」のパンフにも記載がありましたし、上の画像にも、九ツ井平戸御前使用の井戸ってあります。(もちろん、戸塚の歴史散歩・九ツ井の跡にも)
さて平戸御前とは??
ご案内いただいたおばあちゃまに伺ってみました。なんでも玉縄城に関係した方で長尾砦(城)にお住まいだったと。
こちら、鎌倉市史の考古編から、長尾砦辺り。
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平戸山って記載があるでしょう。もしかして、この地名に由来している方でしょうか。玉縄城主の奥方??興味は尽きません。

最後にもう一度、井戸をちょっと離れた場所から。
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(追記)
おばあちゃまに伺った話で面白かったのは、かれこれ40年ほど前、「九つ井」の方が、お店に、名前を貸して下さいとお願いに来られたとか。その時はおばあちゃまのお父様がご健在の頃で応対されたそうです。
まさしく、この場所がお店の名称のルーツということ。
これまで全然知りませんでした。ちょっと賢くなった感じがしないでも。。。(笑)

by b_neige | 2017-08-25 16:07 | 鎌倉歩き | Comments(4)
Commented by tamanawa at 2017-08-27 13:13 x
はじめまして。こちらの記事と無関係ではなく、ご訪問までいただきありがとうございます。

不思議な事に、ちょうど同日にこちらの記事にご紹介いただいたのを知り、心より御礼を申し上げたく。
おそらく、わたくしどもが無関係ではなく、こちらへ以前ご挨拶に伺ったことがあります。

「九つ井戸」にも感謝のしようがありませんが、また、触れていただいた方がちょうどいらして、お知らせしてくださったのか?知る余地もないので、ふと昨日、不思議でなりませんでしたが、心より御礼申し上げます。




Commented by b_neige at 2017-08-27 18:02
もしかしたら、「九つ井」のお店の方でしょうか?
こんな拙ブログのレポートに、お礼を寄せて頂き、恐縮します。

私こそ、長尾砦の九ッ井がお店の由来とわかり、驚きましたが、面白かったです。

いつも美味しいお蕎麦をありがとうございます。
Commented by tamanawa at 2017-08-27 22:20 x
ご返信ありがとうございます。現在の九つ井戸の方々は、あまりこの一帯の歴史から存じてなく、土地も一部大半は移住者の方が多く、田谷の方ですと幾分、土地の古い方々がおられるようで詳細は水番人に仕えておられた北条家臣で実際あられた方から伺え、以前に御礼のご挨拶に伺ったことがあります。

九つ井の前の店主の方の時に地域の歴史上、店名としてご申請されたようです。そのおかげで伝承してくださり、玉縄城と相対してミステリアスな今だ謎も多く、約500年も前の事ですから、わたくしどもの一部ルーツも解り、長崎の平戸から鎌倉時代の海上貿易や幕府時下に平戸(松浦)からの流入もあってのことかと思われます。

江戸時代には、既に東戸塚の平戸(旧、東海道)現:平戸国道(旧:平戸村)に北条勢力の時分より現在の久良岐(当時、磯子寄りの東京湾防衛ラインとして)移動してきたのではなかろうかと。北条陣屋跡地も現在の久良岐能舞台がある一帯がそうだったようです。

船山様という方も長らく30年?も探索してくださってたようで、平戸御前にもふれていてくださり。しらゆきさんの最新記事まで嬉しく、不思議なもので1年半ぶり?にふと見た時がご掲載いただいた同日でした。

弘明寺観音も古く、探索後に商店街とお楽しみいただけましたら幸いです。商店街(鎌倉街道沿い側)出てすぐ角の和菓子屋さんでは、観音型の最中がお土産に最適でした。
Commented by b_neige at 2017-08-28 00:05
鎌倉下の道は9月の史跡めぐりでご案内があります。
あの辺り、久良岐郡と言うんでしたね。
興味が出てきました。勉強してみます。
どなた様かわかりませんが、感謝します。
ありがとうございました。
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