再び高徳院の大仏さま(2017.09.01)
2017年 09月 01日
ハリル(=親友)ホジッチ(=指導者の子孫)監督の喜びようったら。(笑)重責でしたものね。願わくば、本戦の予選を勝ち抜けられますように!(気が早いかな)
あっという間に9月。8月は気持ち、夏休みで、詠みたい本や、ちょっとまとめておきたい事などそれなりにあったのですが、大したことも出来ずに時ばかり過ぎてしまいました。目の前のことばかりに追われるようじゃいけませんね。まっ、引き続きなんとかあがいてみるつもりですが...、う~ん。(>_<)
さて、今朝は早起きしたので、何かアップしま~す。と言っても写真がないのですよ。(^^ゞ
とりあえず、以前の写真になりますが、ご存知、長谷・高徳院の大仏さま。
cf : 高徳院の大仏さま(2017.06.07)
cf : 高徳院・大仏後ろの笠塔婆(2017.06.16)
cf : 高徳院-源頼朝公の供養塔(2017.06.30)
真ん中の「大仏後ろの笠塔婆」のレポートで、この大仏さま、前身は木造だったこと、ご紹介していますね。1238年(暦仁元年)に着工と。
個人的には、《深沢の大仏》は、周8丈(約24m)で、仏頭をもつ巨大なものであったが、宝治元年(1247)の大風で仏像、殿舎ともに倒壊した、という認識でした。
だから、実を言うと、現在の銅造のものより大きかったのだとばかり…。でも、それが本当であるならば、大仏殿は40mどころか更に大きな高さでなければならず、それってあり??と、内心ではジレンマでした。→ 浅学故の誤りでして…。<(_ _)> <(_ _)>
周8丈の周とは周尺のことで、現在の尺の8寸弱、19.91cmを言うそうです。だから高さは約16mということになるそうで、しかも高さとは立った場合の高さをいい、坐像の場合は実際にはおよそ、その半分だから8mと考えればいいのだとか。
それは結局、現在の大仏よりやや小さな大仏ということ。
以上のこと、7月に納得した次第です。(忘れないよう、レポートにしておきます!)
今思い出しても、汗、汗!