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埋蔵文化財発掘調査中ー山ノ内上杉邸跡(2017.11.15)

北鎌倉駅を円覚寺側に下りて、鎌倉方面に線路沿いを進んだ左側。埋蔵文化財発掘調査中の看板を見つけました。
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ネットのフェンスに囲まれてまして、看板が見づらいのですが、遺跡名に「山ノ内上杉邸跡」ってあるんです。ちょっとアップにしてみましょうか。
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ビミョウですかね?<(_ _)>
それでも、ちょっと驚くでしょう?「山ノ内上杉邸跡」ですよ。
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上杉氏の祖は上杉重房といいます。
藤原高藤(たかとう)より数えて、13代の子孫に藤原重房という人がいて、第8代執権北条時宗の時、初の第6代親王将軍として、宗尊親王をお迎えしますよね。その宗尊親王に従って鎌倉に下向し、丹波国上杉荘に領地をもらったので、上杉氏と名乗ったんです。
上杉氏は沢山の家に別れていきますけど、中でも、山ノ内、扇ガ谷、宅間、犬懸は上杉4家と呼ばれて勢力が強く、鎌倉公方の補佐役としての関東管領職を継承していきます。
ちなみに宅間、犬懸上杉氏は早くに没落し、山ノ内、扇ガ谷の上杉氏が両上杉氏と呼ばれて、
次第に対立。扇ガ谷上杉氏の家宰(執事)には、あの太田道灌が就任し、どんどん強大化していくんです。主君よりも。だから主君に睨まれて、暗殺されちゃったんですね。(対向する山ノ内上杉氏の入れ知恵とも言われています)

お話を元に戻して、つまり、山ノ内=北鎌倉には室町時代、山ノ内上杉氏の屋敷があったということなんです。
発掘調査をしているのは線路脇。
これまで、山ノ内上杉氏の屋敷跡=管領屋敷跡は明月院通りの東西と思っていました。
たとえば、明月院手前の東の山側には何故か平場があって、
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地形的に見て、あの辺りかしら、なんてイメージしてたんです。
発掘の場所から近いといえば近いですが、ちょっと予想外の場所!?
そう言えば、安達家だって、甘縄神明社辺りとばかり思っていたけれど、無量寺ヶ谷方面まで広がっていたと先日教えてもらったっけ。
ましてや管領屋敷ですものね。土地は広大だったのでしょう。認識を新たにしました。

ネットのフェンスの端からちょっと発掘現場を見学。
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何の跡かしら、興味津々~。

おまけ:円覚寺入口辺りの紅葉です。
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史跡めぐりガイドは今週土曜なんですけど、お天気がねぇ。。。降水確率90%ですって。(泣)
by b_neige | 2017-11-15 17:44 | 鎌倉歩き | Comments(0)
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