舞岡・古御堂跡からの鎌倉「中の道」探索(2018.10.18)

やっと時間がとれたので、再び舞岡に行って来ました。
こちらは、南舞岡小学校(鎌倉中の道を小菅ヶ谷から歩いてくると、舞岡公園の先に在ります)脇に残された馬頭観音になります。
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こんな具合に南舞岡小学校六年生による案内板がありました。
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それによると、鎌倉時代、ここは、日限山-柏尾-平戸への道=「中の道」と丸山-馬洗川-最戸-弘明寺への道=「下の道」の分れ道と言われていたそうで、これは馬の安全を守るために建てられたものだと。
ちょっとアップにしてみますよ。
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頭の上には馬頭が載せられていたのかと。もう判別するのは難しくなってますね。

上の案内板には説明がありませんでしたけど、実はこの場所は、臨済宗円覚寺派長福寺にある観音堂に祀られている尼将軍北条政子念持仏の十一面観音が当初祀られていたという場所跡になるそうでして。=古御堂跡
古御堂は現在は、地名を表していますけど、元来はその古御堂が在った場所なのだと。
長福寺からはそんなに離れてません。500m位かな。(長福寺からは南)
元々、この場所の古御堂に祀られていた観音さまが一夜にしていなくなられて、村人総出で探したところ、長福寺の櫻の木の枝に引っ掛かっていたのだとか。
それで相談の末、その櫻の木で新たに観音堂を造り(=櫻堂)、長福寺にお移しすることになったのだそうです。

地図を載せます。
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下の南舞岡小学校の脇に赤〇をうちました。「馬頭観音」です。長福寺は北の方向。黒線は鎌倉中の道になります。
古御堂跡を確認したので、中の道を辿ることにしました。
南舞岡小学校からは京急ニュータウンを抜けて歩くことになります。
日限地蔵尊に寄ってみました。
参道からお大師さまが見えて、
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こちらがご本堂。
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創建は慶應3年(1867)、高野山真言宗のお寺。飯島勘次朗翁が持病の癪(しゃく)に苦しんでいたところ、旅の僧から、三島の蓮磬寺(れんけいじ)の日限地蔵を信仰すると治ると教えられお参りしたところ治ったので、その日限地蔵を勧請してこの地に祀ったのだそうです。その後、昭和3年、ご子孫がお堂を修復して真言宗のお寺にしました。
昔は賑わっていたんですって。

さて、鎌倉中の道に戻りますね。中の道はこの地蔵尊の裏を通り柏尾方面に向います。地蔵尊の裏のコスモ橫浜日限山というマンションとメガロン戸塚日限山というマンションの間の道。
ここで見かけた柿の木です。
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そう言えば、今年は柿の当たり年ですよね。あちこちで柿が沢山成っているのを見ます。
(井の頭の実家の柿の木も50個以上、色づいて、収穫しました!)
この先ですが、道なりに進むと、☆印の地点でその先が行き止まりになっています。ここの画像をどうぞ。
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つまり、中の道はあの突き当たりまで残っているんですけど、そこから右へ下りて行けないのです。仕方ないので、黄色い矢印の道へ。
上の地図で、わかりますでしょうか?
中の道は黒線ですが、途中道が無くなっているので、赤線の道を歩いたということです。
鎌倉中の道は、この先、老人ホーム芙蓉苑の西側から再び続きます。

舞岡公園付近から歩いてみることで、この一帯の地形が頭に入ったように思います。
長福寺の観音堂=櫻堂は、お寺周辺の地名としても残っています。
では、次は桜堂庚申塔を探してみることに。
by b_neige | 2018-10-18 17:00 | 横浜歩き | Comments(0)
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