浄妙寺と浄明寺(2019.01.29)
2019年 01月 29日
ここに庚申塔があることは以前から知っていたんですけれど、今日は久しぶりに通りがかって、改めて拝見。
年代は、宝暦二壬申歳(1752) 施主浄妙寺村とありました。
実はね、この隣の庚申塔(阿弥陀如来像+一猿)貞享二乙丑歳(1685)にも浄妙寺村とありました。
つまりですね、江戸時代にはこの辺り、「浄妙寺村」だったんですね。
だって、現在は「浄明寺」っていう地名ですよ。
これまで、鎌倉五山第五位の「浄妙寺」と同じ名称じゃ恐れ多いから「浄明寺」としたって、解釈していたんです。それなのにどういうことなんでしょう???
よくはわからないんですけれど、その答えの一つに考えられるのが、本日耳にした、足利尊氏逆賊説です。
第2代水戸藩主の徳川光圀は、その著「大日本史」の中で、南朝こそが正統であって、南朝と対立した足利尊氏は悪人であるとし、後醍醐天皇のために討死した楠木正成を忠臣と讃えたんです。尊氏は「悪者」となって、庶民レベルではそのイメージが定着していたそうです。
更に明治44年に南北朝の正統性をめぐる論争が決着して、南朝が正統となったため、尊氏は国家的レベルで逆賊とされました。
だからこそ、足利氏所縁の「浄妙寺」をそのまま使うことをよしとせず、「浄明寺」としたのでは、ということ。
これには驚きました。えっ!?? です。
視点を変えると、全然意味が違ってくるんですね。スゴイ! 新解釈、如何ですか??