鎌倉国宝館「源実朝とその時代」(2019.01.30)
2019年 01月 30日
出品リストの中で目を引くのは、やはり甲斐善光寺からの源実朝坐像だったでしょうか。
秦野の金剛寺からも、実朝坐像がお越しになってました。
鎌倉時代に武常晴が実朝の御首をこの寺に持参して埋葬したと伝わります。
退耕行勇を招いて木造の五輪塔を建てて実朝の供養をしたそうです。寺号は、実朝の法号金剛寺殿から。
金剛寺からは、ご本尊の阿弥陀如来及び両脇侍立像も出展されていました。
実朝の念持仏であったとか。三尊仏ですが、両脇侍(観音、勢至菩薩)立像が大変優美でおきれいでした。特徴はそれぞれ着衣が微妙に異なっていること。持ちものも。また、唐草表現されたそれぞれの光背も時代が古いのだそうです。
それに対し、中尊の阿弥陀様は造立年代が下るそうで。(画像なくて、残念)
頼朝が、実朝誕生の折、千葉常胤、三浦義澄に実朝の将来を願して盃酒を与えたことが記されている吾妻鏡第12(建久3、12月5日)や、二日酔いで気分のすぐれない実朝に栄西が一杯の茶を与え、喫茶養生記を献上した記述が載る吾妻鏡第20など(建保2、2月1?2?4日)、印象に残っています。
そうそう、喫茶養生記写本も。(南北朝時代・14世紀 所蔵寿福寺)
あとは、鶴岡八幡宮大階段での公暁による実朝暗殺を描いた「美談武者八景-鶴岡の暮雪-」(明治元年1868 所蔵鶴岡八幡宮)。
その他、実朝に近侍した毛利季光が発願、仏師慶禅造立による天州寺の聖徳太子立像(16歳の孝養像)(鎌倉時代・寛元5年)やら、八幡宮の国宝(沃懸地杏葉螺鈿太刀・朱漆弓・沃懸地杏葉螺鈿平胡籙・黒漆矢・籬菊螺鈿蒔絵硯箱)、源頼朝の寄進状(鶴岡八幡宮)やら見ておくべきものは沢山ありました。間に合ってよかった!