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八王子という名称は(2019.06.24)

八王子という地名は全国にあるそうです。
それは、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子(八王子)を祀る信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社が建立されて地域の信仰を集め、同時に、地名として定着していったから。
牛頭天王を祀る信仰は、元々インドから中国を経て伝わりました。
* 牛頭天王=疫病や農作物の害虫、そのほか邪気を払い流し去る神=厄除けの神
中世には、その8人の子を眷属神として、あらゆる人間の吉凶をつかさどる方位の神として全国に広がっていきました。

八王子にある八王子神社の由緒ですが、

平安時代の延喜13年(913)の秋、京都から訪れた妙行(みょうこう)という僧が深沢山(ふかざわやま=後の八王子城)山頂の岩屋で修行をしていたところ、ある晩、妖怪が現われたり大蛇が降りてきたり不思議なことがありました。夜が明けると、八人の童子を伴った神が現われ、妙行の徳に感服したので、この地に留まるように、また自らは牛頭天王で伴っているのは八王子ですと告げると、姿を消してしまいました。
妙行は更に修行を積み、延喜16年(916)深沢山を天王峰、周囲の8つの峰を八王峰とし、それぞれに祭祠を建て、牛頭天王と八王子を祀ったといいます。翌年には深沢山のふもとに一寺が建立され、伽藍も整備されていきました。

以上が八王子神社の由緒とその神宮寺となった牛頭山神護寺(後の宗関寺)の縁起になります。
ただ、八王子神社を中心とした地域が、いつ頃から「八王子」と呼ばれるようになったのかははっきりしてないそうです。記録として残されているのは、永禄12年(1569)5月8日付けの北条氏康の書状が初見。この中に、八王子城という表現が出て来るのだそうです。

八王子城(小田原北条氏の三代・氏康の三男である氏照により築城)は天正18年(1590)6月23日、秀吉軍の圧倒的攻勢のもとわずか1日で落城してしまいます。
落城後は前回ご紹介した通り、徳川家康の代官大久保長安によって、新しい横山十五宿が建造され、発展していきます。
八王子という地名は、八王子信仰の広がり、そして八王子城の築城で定着した地名・名称だったんですね。

氏照の山城・八王子城、その城跡に興味が湧いてきました。いつか機会があれば、訪れてみたいものです。
八王子という名称は(2019.06.24)_e0245404_18432773.jpg
*この間、小田原に出かけたのに、氏政・氏照の墓所に寄らず…。全く~~!!
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by b_neige | 2019-06-24 19:47 | 東京 | Comments(0)

フランス語は趣味です。フランス人に日本語を教えていましたが’17.6月より中断中(教師歴14年)。 鎌倉歴はある方に言わせると初心者だそうで...。(汗)


by b_neige(しらゆき)