緑の会の下見日(2021.11.26)
2021年 11月 26日
生田緑地の下見日でした。下見はこれで完璧かと。本番は3週間後。
紅葉は見頃でした。果たして3週間後は如何に??ただ、全く何も残っていないということはないと思います。。。本日は快晴で枡形山展望台からの景色は上々、これまでで一番よく見えました。
メタセコイヤの林で。
紅葉のピークではなかったけれど、いい感じでしょう。木が大きく高く空に抜けるように感じました。
ススキとオギの原で。
プラタナスの大きな木。もう大分葉っぱが散ってます。
枡形城跡の展望台から東京方面をどうぞ。
もちろん東京タワーやら、スカイツリーやら確認できましたよ。
ほんとにこの場所、関東平野を見渡せる素晴らしい立地環境です。ここは枡形城址と呼ばれて、鎌倉時代源頼朝の重臣として活躍した武将・稲毛重成の居城がありました。多摩川沿いの多摩丘陵には、西から小沢城、枡形城、作延城、井田城、加瀬城などの多くの山城が鎌倉の防衛線として造立されていて、この枡形城は多摩川が堀、この展望台がある山頂が詰めの城でした。(廣福寺が居)
稲毛三郎重成は小山田有重の子。畠山重忠の父の弟。北条時政の娘、つまり政子の妹を妻としました。頼朝の2度目の上洛の帰り道、稲毛重成の妻が危篤という知らせを受け、重成は心配した頼朝から賜った馬に乗り先に帰りますが、残念ながら妻は亡き人に。その妻の供養にと、相模川に架けた橋供養に頼朝を招いた際、鎌倉への帰途、頼朝は落馬がもとで亡くなってしまいます。重成はその後、畠山重忠の乱で、重忠が討たれた折、偽りの招きで重忠を陥れたとして処刑されました。悲劇の最期ですね。
枡形城は稲毛氏が滅びたあとも、江戸時代に廃城となるまで、戦国時代の武将・北条早雲や今川氏親などが利用した歴史が残ります。錦秋の紅葉と歴史を楽しみました。