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静岡県伊東市ー舟守弥三郎の屋敷跡・蓮慶寺(2018.04.03)

先日の伊東へのドライブの途中、立ち寄ったお寺、最後にもう一つ、アップしておきますね。
俎(まないた)岩に流された日蓮聖人をお救いした地元の漁師、舟守弥三郎の屋敷跡に建てられたというお寺、「蓮慶寺」です。
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県道109号線沿いにあるので、目立ちますし、すぐ判ると思います。

まずは、ご本堂の前の枝垂れ桜ですけど、ちょっと残念。
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ほとんど葉桜でした。
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今年は桜、ほんとに早かったですよね。

さて、弥三郎ですけど、罪人の身の日蓮聖人を俎(まないた)岩からお助けし、自らの命を顧みることなく、漁の道具等を納めておく洞窟内に30日余りおかくまいし、人目を忍びつつお世話をされました。

山号の舟守山。
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そして、ご本堂の裏山中腹にある弥三郎の墓所になります。
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中央が弥三郎ご夫妻のもの。
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日蓮聖人から、法華経の文に因んで、弥三郎は「清信」、妻は「妙清」の法号を賜ったそうです。
左右は、この蓮慶寺を建立した弥三郎の5代目の子孫・蓮慶上人ご夫妻のもの。
弥三郎死後から百数十年後の話です。

蓮慶寺の日蓮聖人像。
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この御尊像は千葉小湊清澄寺旭ヶ森に建立されている御尊像の御分身とのこと

なお、「御岩屋祖師堂」といって、日蓮聖人が籠もられた洞窟ですが、川奈港の奥にあるのだとか。この場所からさほど遠くないとは思いましたが、時間的に無理だったので、またいずれとパスさせていただきました。
以上、伊東へのドライブ記、完。
by b_neige | 2018-04-12 19:29 | 旅行 | Comments(0)

静岡県伊東市ー千鶴丸を祀る富戸三島神社(2018.04.03)

産衣石から富戸三島神社に戻りました。
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なかなか立派なお社です。
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そして、こちらが、拝殿手前左側の千鶴丸所縁の「橘」になります。
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案内板もどうぞ。
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全く泣けてくる話ですよね。言葉もありません。

富戸三島神社
御祭神は事代主命と若宮八幡(千鶴丸)
源頼朝が伊豆・蛭ヶ小島に配流された当時の祈願社十七社中の一社。

こちら、お社の内部になります。
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拝殿前から望む海。
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千鶴丸が宇根岬に流れ着いたのは、まだ鎌倉幕府が開かれる以前、今から850年ほど前の遠い遠い昔の話です。
千鶴丸、南無。
by b_neige | 2018-04-10 07:06 | 旅行 | Comments(0)

静岡県伊東市ー千鶴丸の産衣石(2018.04.03)

伊豆・蛭ヶ小島に配流された源頼朝は、頼朝の監視役であった伊東祐親が大番役で3年間京都に赴き留守にしている間に、その娘・八重姫との間に一子、千鶴丸をもうけました。
大番役から戻った、平家方の伊東祐親にとって、それはあってはならないことでした。
千鶴丸は腰に石を付けられ、川に投げ込まれてしまうのです。

案内板はこちらになります。
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ちょっと読みづらいですかね?
 
「永暦1年(1160年) 伊豆に流された源頼朝は伊東祐親の三女・八重姫と人目を忍ぶ仲となり男の子が生まれた。

この子は千鶴丸(ちづるまる、せんつるまるの説あり)と名付けられたが、平家の管領である祐親は清盛に知られては一大事と、千鶴丸を八重姫からうばい家来に命じて伊東の八代田の川に千鶴丸の腰に石をつけて沈めて殺した。(この処を後に稚児渕と云う)

沈められた千鶴丸の腰の石がとれて、川を下り海へ出て富戸の海岸(この地・宇根岬)に着き、ここで釣りをしていた甚之右衛門が見付け、引き上げた処、高価な着物をつけており、これは高貴な御子であると丁重に扱い、遺体をこの石の上に安置し着物をかわかして念ごろに葬ったと云う、これよりこの石を「産衣石(うぶぎいし)と云うようになり、千鶴丸は若宮八幡・氏神となり、ここの三島神社の御祭神三島大明神の相殿として祀られ、御例祭には鹿島踊りが奉納され、村人の平穏無事と五穀豊穣大漁が祈願され、三島大明神と共に二年に一度神輿の御渡があり、御旅所(おたびしょ)として此の石に据え、しばし御休息をし千鶴丸にも祈りが捧げられる。

又甚之右衛門は、千鶴丸が握っていた橘の枝が余りにも見ごとであったので、これを三島神社の社殿の前に挿した処、千鶴丸の怨念で根づいたが、数年後にして枯れたので、同じ物を植えたのが現在に至り毎年香り高い花を咲かせ、当時を偲ばせてくれる。千鶴丸がにぎっていた橘は千鶴丸が稚児渕につれてゆかれる途中鎌田神社の境内に丁度香り高い匂いをつけた橘の枝をせめてもの慰めにと家来が持たせたと云う。

後に知った頼朝は甚之右衛門を呼び出して賞賛の言葉と、生川(うぶかわ)の姓と杯を授与されたと云う。
生川(うぶかわ)の姓は今では 生川(なまかわ)という屋号で、甚之右衛門の生家は現在の三好伍郎家である」

こちらがその産衣石になります。
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それにしても悲しいお話です。

この石の先に見晴らし台が整備されていました。「宇根岬」(写真、撮り忘れました)
こちらの場所の地図をどうぞ。
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吊り橋があった門脇崎からほんの少し北上した辺りになります。
海に突き出た展望台に立って、その左側。
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ここも大室山から流れてきた溶岩が海まで流れ着いた場所です。
もっと手前はこんな感じ。
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柱状節理が確認できますね。
風が強く吹き抜ける場所でした。
展望台から下りて、産衣石をもう一度。
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奥に見えている石段の上には小さなお社がありました。海の傍だから、漁師さん達の為でしょうか。
辺りでみかけた花です。
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民家の玄関先には、観葉植物のストレリチア(極楽鳥花)が。
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露地なのに、すごい、陽射しが十分なんですね、驚きました。

この場所、109号線からは道が細くて入ってこれません。それで、富戸三島神社の駐車場?(近くのスーパーのかも)に車を置いて、行きました。
すぐです、5分位かな。

次回、もう一ヶ所、富戸三島神社のレポ、載せます。

by b_neige | 2018-04-09 07:16 | 旅行 | Comments(0)

静岡県伊東市、門脇崎で-吊り橋(2018.04.03)

こちらは蓮着寺の山門前にあった、案内板から。
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俎(まないた)岩の場所は日蓮崎の傍です。奥の院とか、場所、判りますよね?
もう一枚あった別の地図もどうぞ。
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ここから、北上して、門脇のつり橋に向かいました。車だからあっという間です。
はい、門脇崎の名所、門脇の吊り橋になります。(長さ48m、高さ23m)
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高さがあるので、やっぱり真下を見るのはこわかったですぅ。
見えている門脇灯台にも上ってみましたが、この日は、ちょっとガスがかかり、伊豆七島までは見えず…。
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こちらは日蓮崎の方向。
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俎岩は一番奥に見えています。
吊り橋方面です。
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約4000年前、噴火した大室山の溶岩が相模湾に流れ込んで、海を埋立てたんだそうです。その溶岩の先端が城ヶ崎海岸ってこと。

おまけです。
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磯料理「鰡納屋」の二色丼、いただきました。鎌倉と変り映えしませんで、どうも~(^^ゞ
by b_neige | 2018-04-06 07:09 | 旅行 | Comments(0)

静岡県伊東市ー俎(まないた)岩と蓮着寺(後半)(2018.04.03)

さてご本堂です。(最初にお参りしました)
俎(まないた)岩に置き去りにされた日蓮聖人にちなんで、後の伊東庄のお代官・今村若狭守がこの付近の土地(約700.000m2)を寄進し、そこに祖師堂(=奥の院)を建立したのが蓮着寺の始まりとされます。
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石段の下からも立派なご本堂が見えるでしょう?
石段の上右側ですけど、樹齢1000年というヤマモモの巨木。(天然記念物ー日本最大ですって)
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すごい大きさに圧倒されます。
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この一帯は、昔からヤマモモの群生地として有名なんだそうです。それにしても、大きく育ちましたね、びっくり。
ヤマモモの実って、夏頃成るんですよね。こんなに大きな樹だから、その頃は壮観と思います。
(樹皮は染料として価値が高かったということです)

こちらは、ご本堂の手前左手にある三十番神とぼけ封じのお地蔵様を祀るお堂です。
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お地蔵様はお釈迦様がお亡くなりになった後、56億7000万年後に弥勒菩薩様がお出ましになるまで、気の遠くなるような長い間、ずっと衆生をお守り下さる有難い菩薩様です。

鎌倉のものより、幾分痩せてお見受けする日蓮聖人の銅像です。(ご本堂手前右側)
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そして、ご本堂の扁額、「俎岩山(そがんさん)」。
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すごい!
お堂の中をガラス越しに拝ませていただきました。比較的大きな日蓮聖人像があって、その後ろ上段に一塔(=お題目)両尊(お釈迦様&多宝如来)四士(=日蓮宗の四体の菩薩様)
という内陣。とても立派でした。
それがね、お堂の写真も、全て、忘れた次第でして~。(>_<)<(_ _)>

こちらは、石段の下の広場から、日蓮袈裟掛けの松(右)を見て。
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実は袈裟掛けの松は山門から上ってくる坂道の途中にあるんです。大きいでしょう?
日蓮聖人は、先ほどの俎岩で漁師の舟守弥三郎に助けられて、渚に上がり、傍にあった松の枝に海水に浸かって濡れたお衣を掛けられたそうです。
その松はね、奥の院の前庭にあって、昭和9年の大火により、枯死してしまったとか。
で、この松は、ここに移植された二代目。
根元の方から見上げて。
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というわけで、俎岩、蓮着寺のレポでした。
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おまけ:境内で咲き始めていた躑躅です。
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今年はほんと早いですね。
by b_neige | 2018-04-05 07:35 | 旅行 | Comments(0)

静岡県伊東市ー俎(まないた)岩と蓮着寺(前半)(2018.04.03)

桜春、お天気、延々と続いています。花冷えなんて言葉、今年は要りませんね。
昨朝はちょっと曇っていたけれど、雨の心配は全くなし、徐々に陽射しが戻ってくると聞いたので、それではと、ちょっと遠出することにしました。

目的地は静岡県伊東市城ヶ崎海岸付近の、①産衣石と三島神社=頼朝と伊東祐親の娘八重姫との間に生まれた子・千鶴丸関連 ②俎(まないた)岩と蓮着寺=日蓮聖人の伊豆の法難関連

今回もかなり?マイナー?な旅でございます。
では、最初に②の俎(まないた)岩と蓮着寺から、ご紹介しますね。

伊東市に入ってから、海岸沿いを随分南下したと思います。
場所はどこかというと、サスペンスの舞台でお馴染み?城ヶ崎海岸でございます。(笑)
門脇灯台や門脇つり橋ってご存知でしょうか。
そこから海岸線付近を歩くハイキングコースが整備されています。(ピク二カルコース&その先が自然研究路)
ですけど、今回はそんなに時間がないので、まずは直接、「俎(まないた)岩」が奥の院から見下ろせるという蓮着寺に向かいました。

つまり、日蓮聖人は、立正安国論を説いて、法華経の布教に努めたわけですけど、幕政を批判し、他宗徒たちを攻撃し、と甚だ過激でして、最初は松葉ヶ谷の法難といって、当時住まいのあった松葉ヶ谷の草庵を焼討ちにされてしまいます。=松葉ヶ谷の法難
そしてその次が、鎌倉の材木座海岸(豆腐川河口)から伊豆に流罪となる、伊豆の法難。
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上の絵で舟の櫂で打たれているのは、日蓮聖人のお弟子さん、日朗上人=のちの日蓮六老僧のお一人になります。
私も一緒にお連れ下さいとおっしゃっているのだと。日朗上人はこの時、櫂で肩を打ち砕かれて、一生肩がご不自由だったそうです。

一方、伊豆に流された日蓮聖人ですが、伊豆半島を南下し、伊東沖の俎岩のところで置き去りにされてしまうんです。
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徐々に、潮が満ちてきます。日蓮聖人は、お題目「南妙法蓮華経」を一心にお唱えになったようです。
腰まで海水に浸かってしまう日蓮聖人。。。その時、間一髪で地元の漁師舟守弥三郎に助けられるんです。
その俎岩を、それではどうぞ。
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意外と岸から近いでしょ?波は荒いですけどね。
日蓮聖人は安房の漁師の子でした。だから、泳げたんじゃないかと、そんな声もありますね。
ただね、ほんとの俎岩はもっと沖にあって、干潮の時だけしか姿をみせないのだという説も。
(実際のところはよくわからず)
ただ、奥の院近くの展望台には、ほら、こんな風に「俎岩」の説明がありました。
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奥の院とは、日蓮聖人が漂着したこの場所に建てられた、蓮着寺というお寺の最奥にあるお堂。
ご本堂に拝観後、自然研究路を少し辿ると、
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俎岩を望める海辺の岩場の上に出るんです。
こちらは、その途中からの眺望。
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展望台はこの裏側と思います

こちらは、奥の院のお堂の中に掛けられていた額です。(昇堂OKでした)
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肝心のお堂の写真、忘れました。<(_ _)>

それと、奥の院へ向かう途中目にした、石食いのモチノキをどうぞ。
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よ~く見て下さい、幹の下の方です。
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石が挟まってるでしょう?どうしてこんなことになってしまったのかしら。
この樹が生長する時に、きっと石が落ちてきたんですね。不思議、不思議。(日蓮聖人とは関係ないかと)
続きます。
by b_neige | 2018-04-04 07:11 | 旅行 | Comments(0)

3月下旬の箱根湿生花園で(2018.03.20)

こぬか雨が降り続く湿生花園、ガイドさんと1時間半ほどでまわったんですけど、真冬に逆戻りの気温に、指先がかじかみました。
あとで、ガイドウォークの感想などアンケートに記入するのに、なかなか手が思うように動かせず、字が書けなくて困った位。(手袋、母に貸しちゃった為~)

それじゃ、水芭蕉以外の植物も、ご紹介します。(とても全部じゃありません)
カタクリはしとしと雨の中、花びらを閉じていました。
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株は沢山あったんですけど、みんなこんな感じで、ちょっと淋しかったです。

こちらの黄色いジンチョウゲみたいのは、「ナニワズ」というそうです。ジンチョウゲ科。
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北海道、福井以北の日本海側山地で見られる落葉小低木とありました。

春といえば、ネコヤナギ。
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ふわふわとした毛先が始めは赤、ついで黄色くなります。

お次はエゾエンゴサク(蝦夷延胡索)ケシ科。
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春らしい植物でしょう?
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可愛らしい花姿は、春の妖精のようです。

個人的に、好きなのは、コシノコバイモ(越乃小貝母)ユリ科。
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つまりバイモユリの小さいバージョン。福島、新潟、富山、静岡等の山地林に点在するとありました。だから越乃??
ガイドさんが、小さなミラ-を地面に置いて、花の中を写してくれました。バイモユリもそうだけど、花の中が素敵!

ショウジョウバカマも見つけました。
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小さくて可愛いこの植物はミツバノバイカオウレン(キンポウゲ科)。
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葉っぱがミツバになっているでしょう?
こんなに沢山咲いていました。
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あとは、こちら、セントウソウ(仙洞草)セリ科。
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とってもとっても、小型。目立たないけど、よ~く見ると実に愛らしい植物です。

これも同様、可憐な植物。セリバオウレン(芹葉黄蓮)、キンポウゲ科。
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本州、四国の山地林に映える多年草だそうです。

最後に箱根でようやく出始めたフキノトウです。
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この日は、寒いとは感じましたけど、霧がかかっていたので、だから雪にはならないと、思ってました。それがね、翌日目が覚めたら、ビックリ仰天!既に10cm以上の積雪。
こちら、宿の前の道。
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とんでもない寒さ、そして、とんでもない春の雪でした。
車は動かせず、ケーブルカーや(それも次の便で運航停止)、登山電車で(強羅駅で乗り換えでしたが、雪による倒木で復旧に長い時間がかかり)小田原に下りたのは、夜になってからのこと。
待ちくたびれた一日、でも事故もなく、皆元気で、無事帰宅出来たので、よしとしま~す。◎
by b_neige | 2018-03-23 18:22 | 旅行 | Comments(0)

箱根湿生花園の、まずは水芭蕉(2018.03.20)

20、21日と箱根に行ってきました。
ちょうど真冬並みの寒気団が通り過ぎる時。最初の日はまだよかったんです、春雨だったから。
もっとも、午前中は結構降っていて、仕方ないので、宮ノ下で車を停め、富士屋ホテルをうろうろ。お茶飲んだりして時間をつぶし…。
これ、ケーキセットのケーキです。春らしいでしょう?
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お昼過ぎにようやくこぬか雨になってきたので、それでは、と仙石原の箱根湿生花園へ。

この時季に訪れるのは初めて。
水芭蕉が見頃でした。
写真はプライベートの旅行だったので、あまり撮らなかったんですけど、何枚かアップしますので、よろしければお楽しみ下さい。

まずは、水芭蕉です。サトイモ科。
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「夏の思い出」の歌でお馴染み、尾瀬の水芭蕉は5月末から6月ですけど、箱根ではこの時季なんですって。
そりゃあ、尾瀬より箱根の方が温暖ですからね。
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白いのは花を包んでいる苞(ほう)=葉が変形したもの
苞の中にある棒状のものが花の穂で、300個以上の小さな花が集まっているのだそうです。
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いかがですか?
個人的には水芭蕉というネーミングからして、水辺に咲く花と思っていました。
だから、上の画像で、枯葉の上で花を咲かせているのを見た時は、ちょっとあれぇ~と。(笑)
もちろん、地面というより、湿地なんでしょうけどね。
だから、私的には、こちらの方がしっくりきました。
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水芭蕉の「芭蕉」は、花が終わったあと、どんどん巨大化する?大きな葉が芭蕉のようだからということです。
いつも、その大きな葉ばかり見ていたので、今回は清らかな白い花を見られて、(非常に寒かったですけど)満足でした。
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おまけは、ザゼンソウです。サトイモ科。(別名:ダルマソウ)
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苞の中の花穂が坐禅をしているダルマさまのようだから、ですよね。
ユニークですねぇ、お初でした。
by b_neige | 2018-03-22 17:53 | 旅行 | Comments(0)

下曽我駅前で五郎力餅(2018.02.03)

曽我兄弟ゆかりの下曽我を歩いてきました。
3日から小田原梅まつりも始まっています。曽我梅林は別所、中河原、原という3地区で構成されているんですが、別所会場には食堂もあるし、売店も並んでいます。
曽我のお土産物といったら、そうですね、やっぱり一番は梅干し(十郎梅)ですよね。
梅みそ、梅肉、梅ジャムと色々とりどりの梅商品、目立っていました。
地元の小田原みかん、ネーブルやキンカン、レモンなどの柑橘類も。キウイフルーツも見かけましたよ。
その他、やっぱり農家が多いですからね、朝取れ新鮮野菜も。大根やフキノトウなど美味しそうでした。

その中で、今日は下曽我駅前のお店、曽我乃正栄堂(創業は明治38年とか)の五郎力餅をご紹介します。(今日は花より団子!?)
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こちらは包装紙。
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十郎祐成(すけなり)(兄)、五郎時致(ときむね)(弟)という曽我兄弟ですが、やっぱりゴロがいいのか「五郎力餅」というネーミング。兄十郎の方は養父曽我祐信の曽我荘を嗣ぐということで、幼少の頃より曽我で育つのですが、弟五郎は箱根権現に預けられ、将来は出家してお坊さんに、と考えられていました。ところがどっこい、逃げ帰ってしまいます。母からは勘当されて…。きっと力を持てあましていたんでしょう。
菩提寺の城前寺の先には、五郎が病から快復した折、自らの力の衰えを試そうと、石を素足で踏みつけたところ、石に大きな足形が残ったという伝説の「沓石(くついし)」なるものが残っています。
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(錦絵:豊国 国立国会図書館蔵)
亡父を忘れることなく、17年後に工藤祐経を仇討ちし、無念を晴らした曽我兄弟、お菓子は、やさしい甘さでした。
by b_neige | 2018-02-04 11:32 | 旅行 | Comments(2)

高知市介良 源希義公のお墓(2017.09.05)

さて、主人が帰宅して、言うには、源希義公のお墓探しはなかなか大変だったそうです。
聞くところによれば、空港からまずは、タクシーでJA介良支社に向かったそうです。多分目印として都合がよかったのかと。
JA介良支社は介良川の手前(西側)。そこで対岸の「朝峯神社」の場所を教えてもらい、そこまでは苦労することなく、徒歩10分位で到着したそうです。
ちなみに、介良川の西側からの写真です。
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向こう側に見えている山の中に希義のお墓があるんだそうです。
さて、朝峯神社付近で、どなたかに希義公のお墓の場所を確認しようと思っていたとのことですが、誰もいなかったそうで、仕方なく、近くの民家に寄ってみたところ、おじいちゃんが出てらして、教えてもらえたのはいいのですが、主人がその通り歩いていっても、教えていただいた源希義墓、西養寺跡うんぬんという標識が見つからなかったとか。。。(>_<)
とうとう、今度は高知新聞販売所にお尋ねしてみたそうです。
どうやら、おじいちゃんが教えて下さった標識は現在はもうなくなっていたようで、主人がやっとこさ見つけたのは、こちらの標識。
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この上の赤いのが矢印になってるんです。ほら。
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さて、ここを入っていくと、正面にこんな歌碑があったそうです。
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これは、小松石に刻まれた十八代山内豊秋氏による歌碑とか。(読めなかったそうです)
歌碑の横に並ぶ案内板です。一つは小松石の由来。
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もう一つは山内氏の由来。(山内氏と言ったら、平治の乱で亡くなった山内首藤俊通の菩提を弔うため、息子経俊が建立した明月庵(=明月院の前身)が真っ先に思い浮かびますね)
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そうなんですよ。初代土佐藩主山内一豊の祖は北鎌倉・山ノ内荘の山内氏です。
ついでに付け加えますと、山内首藤経俊は石橋山の戦いの際、源氏方につかず、平家方についてなんと頼朝公に矢を放っているんです。(鎧の袖に当った)
その後、捕えられるのですが、母が頼朝の乳母であったということで(母が頼朝に直訴して)、許されています。(以後も経俊はぱっとせず…)

案内板ですけど、ほかに、清和天皇家系図というものもあったそうです。希義公のこと、分かりやすくなりますものね。
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さて、主人が撮ってきてくれた次の写真はこちらです。
山の中へと誘う小径はこんな感じだったと。
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蜘蛛の巣がものすごかったそうです。
そして、鳥居が見えてきて、
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石段の上に希義のお墓をようやく見つけたということです。
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こちら西養寺跡無縫塔
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案内板にもある通り、西養寺は希義のために創られたんですよね。だから、そこにある無縫塔はやはり希義のお墓と考えていいのではないかしら。
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悲運の希義公、南無。

案内板がもう一つ。
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鎌倉の頼朝公のお墓の傍らにも、これと同様のことを記した案内板が立ってますよね。(少し気持ちが和みます)

それから、こちらは、無縫塔の傍らの歌碑。
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いたはしや 同じ 枝葉の末ながら 咲かで朽にし 跡のしるしは
山内豊房
介良高知市合併二十周年記念実行委員会

神社、多分源希義神社というのだと思います。
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神社の正面から見た写真はありません。主人曰く、何もなかったと。(>_<)

平成2年9月25日に源希義公八百八周年命日祭が行われたようですが、それより後はどうなのかな。案内板の朽ち果て様が寂しいですね…。
(高知は、坂本龍馬さんをお構いしないといけないしね)

それでは、主人が撮ってくれた、とても面白い案内板になります。最後にどうぞ。
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ほんとかしらね??
by b_neige | 2017-09-05 17:36 | 旅行 | Comments(0)