カテゴリ:鎌倉歩き( 886 )

暖かい秋(2018.11.11)

今年の秋は暖かいですね。
11月にもかかわらず汗ばむ陽気。
でも時折、本来の季節を思い出させるように冷たい風が吹いたり、雨模様だったりして…。
ついつい着るものの調整に怠り、肌寒く感じたり、暑すぎたりで、体調今いち。
皆さん、如何お過ごしですか?

アップが遅くなったんですけど、先日八幡宮内の国宝館を訪れた際の、大銀杏のひこばえを載せておきます。
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毎回、見ているはずなんですけど、この日は、このひこばえがやけに大きくなったと感じて。
ねっ、成長してますよね?
ご神木とされた親樹が倒れたのが2000年3月10日ですから、もう8年経ちました。
段葛の桜も若返ったけど、確か7年物の若木を植えたということだったから、ほとんど、この銀杏と同じなんですね。(まっ、銀杏と桜の生長の度合いはちがうでしょうけど)

今年は台風24号の風害(塩害)で、鎌倉の街路樹はさんざんな目に。こちらのひこばえも黄葉する前に大部分が茶色く枯れてしまいました。ところがね、樹って逞しいんです。葉が落ちて、暖かいから、また若葉が出てきてるんです。こんな具合。
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不条理ですけど、これもあり。

舞殿前広場でやっていた菊花展から2、3枚載せておきます。
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おまけは、国宝館横の銀杏の黄葉です。(上部は茶色く枯れちゃってます)
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いくらなんでも、そろそろ気温も平年並みに下がってくる頃かと。心静かに往く秋を楽しみたいですね。
by b_neige | 2018-11-11 16:11 | 鎌倉歩き | Comments(0)

朝から寄り道(2018.11.02)

2日(金)、この日も早朝から鎌倉です。
途中、ちょっとレンバイに寄って、出ようとしたら、パラダイス・アレイのお兄さんがクロックムッシューあるよって。なんだか笑えました。店内を見たら、誰も入ってなくて、それじゃあ、それとコーヒーといただいて行こうかなって。今日は一日、長丁場だし。

久しぶりに入りました。実は個人的に、この不思議な空間、お気に入りです。(天井にはミラーボール)
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ただね、ほんといつもなんとなく、入れないんですよ。
このブログに1回だけ、レポートありました!
cf : 金子サトさんの観音像(2013.12.24part3)

モーニングコーヒー、美味しかったです。
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今日も一日、なんとか終了!
by b_neige | 2018-11-02 22:33 | 鎌倉歩き | Comments(0)

鶴岡八幡宮の三の鳥居上の白鳩(2018.11.01)

霜月突入。1日は橫浜市営地下鉄阪東駅徒歩5分にある金刀比羅大鷲神社の『一の酉』だそうです。もう酉の市って、早過ぎですよね。だけど、今朝は冷えました。
家を出た後、あぁもっと暖かい上着、着てきたらよかったって。風邪をひかないようにしないと。というか、完全には治りきってない風邪がぶり返さないように、ですぅ。

段葛を久しぶりに歩きました。朝の8時半頃。
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人通り、まだあまりありません。
両側の桜の木、葉っぱが全部落ちてしまっているでしょう。台風24号の風害というか、海街鎌倉では=塩害です。
桜の葉の紅葉も美しいのに、残念としか。

三の鳥居前で。
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あのね、鳥居の一番上の笠木(笠木の下は島木と言います)に注目して下さい。
白い鳩が沢山とまってるんです。
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もうちょっとアップで。
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すごいでしょう?
白い鳩は八幡宮の境内の中、特に旗上弁財天に多いです。今朝は旗上弁財天お社前の木に沢山とまっていて、まるで白い花がついているかと錯覚するほどでした。

ちなみにこの鳥居上の白鳩、鎌倉駅の地下ギャラリーでやっている「鎌倉」プロモーションフォトコンテスト2018の応募作品にありました。確かね、賞をとっていたかと。(5日まで)
構図、マネしちゃいました~。(^^ゞ
by b_neige | 2018-11-01 21:20 | 鎌倉歩き | Comments(0)

大町妙法寺の特別開帳(2018.10.28)

大町の妙法寺で熊本城修復支援の一環としてご本堂の特別開帳がありました。
午前に1回と午後に1回。私はなんとか時間をつくって午前に。

妙法寺ご本堂の板絵や格天井が素晴らしいというのは、もうずっと以前から聞いてましたけど、お堂が開扉されることなんてないと思っていたんです。
いつだったか、ガイド協会の史跡めぐりで、妙法寺だけを訪れたことありましたけど、あの時も、開かずのご本堂で、お堂の前で立ったまま和尚さまの話を伺ったこと、記憶に新しいです。
だから、このお話伺った時は、びっくり。えぇっ、お堂の中に入れてもらえるのって!

さて午前の会ですが、定員は70名ということでしたが、どれ位の方がいらしてたかしら。なかなか盛況でした。
和尚さまのお経に併せて、参加者全員がそれぞれお焼香し、まずは、熊本からの報告、NPO法人湘南遊映坐代表による活動の紹介やら、高3の時熊本で被災し、後にR大学に入学して、自分には何が出来るだろうと模索しながら主にサッカーを通じて支援活動をしている20歳の大学生(子どもの時からサッカーに親しみ、中・高は、J2ロアッソ熊本のユースに所属していて日本代表にも選ばれ、キャプテンもしていたという経歴)の体験談など伺いました。大学、ロアッソ熊本、自治体等に積極的に働きかけて、支援の輪を広げていっている様子、自らが動かないと、何も変わらないと主体的に取り組んでいる姿勢に共感しました。

その後は、休憩を挟んで、大貫先生による妙法寺の沿革等のご説明。そして、お待たせしました、ご本堂の障壁画(板戸、欄間、天井、天蓋内面)についてのご案内。
妙法寺の入母屋造のご本堂は、肥後熊本藩主細川家10代細川業茲(なりしげ)公の愛娘耈姫(こうひめ)が文政9年に4歳で急逝したため、その供養で文政10年(1827)に建立、寄進されたもの。
(ちなみに法華堂は文化9年(1812)水戸家建立)
同じ時代の障壁画は、衛藤(えとう)勝夷(熊本藩御用絵師矢野派の5代矢野良勝に学び、衛藤良行にも師事し、養子となった)によるもの。大和絵ですけど中国道教の影響も受けているそうです。

初めて、拝見させていただきました。絵は200年経った今も、はっきりとした彩色で残っています。金箔銀箔が入って、重厚華麗ですごく立派。見応えがあります。
一枚だけ載せますね。(仏さま以外の撮影はOKでした)
格天井の一部になります。
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長崎から入ってきた植物も含んでいるそうです。花の文化史からみて興味深いとか。

あとは、仏さまですけれど、内陣も素晴らしく、荘厳華麗としか言えません。目を見張ります。
一塔両尊四士に、日蓮聖人、四天王、二体の普賢菩薩、日朗上人、日叡聖人等々。
下から上までぎっしり。豪華。本当に恐れ入りました。

おまけは境内高台にある、開山日叡聖人の父とされる護良親王のお墓から眺めた稲村ガ崎方面です。
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この日も汗ばむ陽気、富士山は霞んでいて見えず…。

そうそう、この植物、珍しいと思います。庫裡の玄関先の鉢植え。数鉢ありました。
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まず葉が君子蘭に似ているでしょう?ちょっと多肉植物みたい??
そして、花がまたユニーク。面白いですよね。
マユハケ(眉刷毛)オモト(万年青)というそうです。覚えました!
by b_neige | 2018-10-28 17:15 | 鎌倉歩き | Comments(0)

高砂(たかすな)稲荷社の補足(2018.10.21)

以前このブログで高砂稲荷社のこと、ご紹介しましたよね。
cf : 高砂(たかすな)稲荷社って、ご存知ですか?(2017.04.28)
え~と、一の鳥居付近で海に向って左側。
鎌倉の別荘地時代に松方正義公爵の別荘があった辺り。
小さいですけど、松方公爵が大事にされてたというお稲荷さんです。今でも、この付近の有志のお宅がお社をお護りしているそうですが、そのタイルのマークのこと、ひょんと思い出して、この間写真を撮って来ましたので、載せておきます。

まずは、ほら、稲荷社の手前に、はめ込まれているでしょう?画像、右下です。
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大きくすると、こんなタイルです。
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これはね、「花と木の由比ガ浜まち」のタイル。お稲荷さんの近くで探してみたら、数軒のお宅の玄関先に掛けられています。
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知る人ぞ知るタイルマークというわけです。

おまけはレンバイで見かけたカボチャ。
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要するにこれ、日本カボチャですよね。

もう一枚は高砂稲荷社で出会った台湾リスくんです。
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ビジュアル的に欲を言えば、尻尾を立てていて欲しかったんですけど。もう一つというとこでしょうか。
by b_neige | 2018-10-21 23:57 | 鎌倉歩き | Comments(0)

小坪の双体道祖神(2018.10.12)

小坪では双体道祖神を何基か見ることが出来ます。
地区全体で7基ほどあるそうです。
確認したのは、西町の神明社に3基、中里町の子の神社に1基、伊勢町八幡宮に1基、南町の諏訪神社に1基、あとは伊勢町の一の宮社に1基だそうですが、一の宮社で発見出来ず…。

ちなみにこちら、一の宮社です。(ちゃんと行って来たショウコ!)
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お参りしましたよ。
それがね、あとで判明したことなんですけど、正面に小さい祠がみえるでしょう?なんと、その中に、猿田彦大神と双体道祖神が安置されているんだそうで…。(>_<)
確認、怠りました~。ちっとも気がつかなかった。またの機会に、です。
但し、この一の宮社の双体道祖神、剥落しちゃってるそうです。

ちなみに、西町の神明社の3基の双体道祖神も、そのうちの2基はかなり剥落してます。
こんな感じです。
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奥の双体道祖神は見分けられるけど、手前の2基はかなりひどい状態でしょう?それに焼け焦げの跡も。
これ、どうしてだか分かりますか?

実は、小坪では、1月14日のどんど焼きの際、1年間の家々の災いをこの双体道祖神に背負ってもらって、火にくべたのだそうです。おまじない??終わると、元の神社に戻されたようで、大正時代末まで行われていたのだとか。
おもしろい風習に驚きます。
*道祖神って、村境などに悪霊やら、疫病やらが入り込まないよう祀られますよね。小坪では、「ドウロク(道陸)ジン」って呼ぶのだそうです。

一番気に入った双体道祖神をご紹介します。
南町の諏訪神社のものです。
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どちらが女神?笏を持っているのは男神とされますけど、そうなのかしら??

そうそう、諏訪神社は大崎公園への入口手前に移築されています。でも、南町のお寺、佛乗院裏手に小さなお社を残しているんですよ。これも、訪れたショウコに。(笑)
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おまけの一枚は小坪の入口で。
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右側に江ノ島がチラッと写ってます。
もう一枚、海前寺前に残された江戸時代の切道の名残。
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鎌倉から海沿いに小坪に出る、上は絶壁、下は深海の厳しいルートだったそうです。(つまり、この左側は、昭和になって埋めたてられた土地ということ)
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水難者の供養塔でしょうか。ここから先には進めないようです。
by b_neige | 2018-10-12 20:57 | 鎌倉歩き | Comments(0)

鶴岡八幡宮の崇敬者大祭(2018.10.07)

10月7日(日)にあった鶴岡八幡宮の崇敬者大祭のレポートをアップしておきます。
舞殿での神事から参列しました。
宮司による祝詞の後は、巫女さんお二方の雅な神楽。
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時折振り鳴らされる清々しい鈴の音が耳に心地よかったです。
こちらは神事が終了してご挨拶される鶴岡八幡宮の宮司さん。
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その後は午後からの流鏑馬見物の為、移動、席を確保します。どこがよいのやら全く分からず、とりあえずは一の的の近く(向かい)に決めました。

流鏑馬は13時からということでしたが、舞殿での流鏑馬神事(玉串奉奠、神酒拝戴、弓矢授与)の間はそのまま席にて待機。それが長かったです。小1時間位あったでしょうか。
その間は、マイクで流れる鶴岡八幡宮の歴史やら流鏑馬の説明などを伺いました。
7日は季節外れの暑さで、観客席は陽射しを遮るものがなく、いささかグロッキー。
*舞殿での神事の様子も興味がありました。儀式を見学してから、席に戻るという手もあったかもしれません。

ちなみに、舞殿での流鏑馬神事とは、
〇神事の無事を祈願し射手、諸役のお清めのお祓い
〇神事の滞りなきよう八幡神に記念する祝詞
〇奉行による祭文
〇玉串奉奠、拝礼
〇射手三名の神酒拝載、弓矢授与
そして馬場入りとなるわけ。(儀式はまた機会があれば…。来年以降??)

奉行は鎌倉文学館の館長さんでした。
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一の射手。
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二の射手。
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三の射手。
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いよいよ(やっと!)流鏑馬開始になり、的が掲げられます。
馬場の全長は254m。
馬場元(西門側)から一の的まで36m強、そこから二の的まで72m強、更に三の的まで78m強。
馬場には埒(らち)が立てられ、ロープが張られています。雄埒(おらち)と雌埒(めらち)です。雄埒の方が高くて1m強、雌埒は0.8m強で、その幅の中を馬が走るんです。
*らち(埒)があかないとは?=物事がはかどらず進まないとき

肝心の画像ですが、笑っちゃうんですけど、流鏑馬の写真はことごとくボツでございます。(汗)(>_<)(笑)

流鏑馬後にある、十八射手による騎射でようやく、何枚か撮るのに成功した次第でして。
2、3枚ほど載せておきますね。
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印象としては、流鏑馬の馬は速いということ。スピード感、半端なくありました。私は運良く最前列の席に座れたのですが、馬が通る時、舞い上がる馬場の砂がふりかかるほど。ダイナミックでした。
あとは、そうですね、次の射手までの間に馬場の安全の確認が終了すると、馬場元・末役が扇(紅と白)を揚げて合図するのを知りました。
流鏑馬、武家の古都・鎌倉の面目躍如です。

但し、流鏑馬は騎射。個人的には弓道の試合の方が好みだったかな。そうそう、射手の方々の弓ですが、皆さん、素晴らしい弓をお持ちで、目を見張りました。
by b_neige | 2018-10-10 21:10 | 鎌倉歩き | Comments(0)

小坪という場所(2018.10.06)

今年は本当に台風が多い年です。
関東地方はどうやら今回、台風25号の影響は免れたようで、何よりと思います。
鎌倉は、海街なので、台風の大風と塩害には弱いですね。先週の24号で、駅前の銀杏は茶色くチリチリになってますし、段葛の桜の葉も紅葉する前に散ってしまいました。
こんな状態は、このブログを始めた2011年以来かな。
cf : 台風15号によるダメージ(2011.10.03 part2)

ここ数日は来週火曜日に迫った小坪ガイドの勉強に追われていますぅ。(汗)
でも明日は鶴岡八幡宮の崇敬者大祭で流鏑馬見学の予定。但し、そんな訳で、ご紹介するレポートは少し先になるかと...。<(_ _)>

小坪という名称は、浜の周りを小高い丘陵が取り囲んで、小さな窪地みたいになっていることから、そんな風に呼ばれたんですって。吾妻鏡には、小窪とか、小坪、小壺って出てきます。

鎌倉時代には東国の大都市となった鎌倉の生活を支える漁業の村だったんですよ。
ほら、鎌倉大町には鎌倉七座、町屋があったそうですが、大町大路と小町大路が交わる現在の大町四つ角の先、魚町橋ってご存知でしょう?
あの辺りに魚町市場とかあって、この小坪で獲れた魚を出荷していた記録が残っているそうです。
また、1250年頃にはこの小坪にも魚座が開設されていたのだとか。漁港として賑わっていたんですね。伊勢、志摩、遠くは九州日向から大勢の漁師さんや海女さんが移り住んできたということです。
小坪の浜には、その漁師さん達の出身地ごとに?、南町、伊勢町、中里、西町という集落が生まれ、それぞれに一寺一社が出来たんだとか。面白いですよね。

こちらは、中里の小坪寺(しょうへいじ)といいます。
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浄土宗のお寺。実は、明治40年にこのお寺の前身となる報身院と香蔵寺(共に浄土宗)という隣り合う二つのお寺が火災で焼失してしまい、同43年に鎌倉高徳院の行念上人が開山となって二寺を合併し、新たに小坪寺として創建したのだとか。
当初は円覚寺の塔頭を譲り受け、本堂としたのですが、大正12年の関東大震災で被災。現在のお堂は、材木座光明寺の一切経のお堂=経堂を貰い受けて再建したそうです。
水引虹梁の両端の彫り物が可愛らしいんです。
向かって右側と、
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左側です。
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亀が見え隠れしてます。漁師町にぴったりでしょう?
庫裡の玄関にも、ほら、
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亀と龍。
「小坪海岸」、昔は鷺浦と呼ばれ、白浜が続いて鷺が舞う、そんな風光明媚な場所だったそうです。
by b_neige | 2018-10-06 16:05 | 鎌倉歩き | Comments(2)

富士山の絶景(2018.10.02)

10月2日(火)、台風24号の置き土産で、ようやく10月には入りましたけど、1日は猛暑日でした。2日はいくらかましでしたけど、それでも歩くと汗ばむ陽気。
ただ、朝からよく晴れて、絶景を楽しみました。

2枚、ご紹介しますね。
1枚目は江ノ島と富士山ですけど、これはどこで撮ったか分かりますでしょうか?
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このブログでご紹介してますよ。
cf : 歩け歩け協会ふれあいウォーク-住吉城址(2013.03.12)
そう、鎌倉には三大名城(いずれも山城)があったとされるんですよね。玉縄城と杉本城と住吉城。小坪にある住吉城址(住吉神社前)から撮りました。
うっすら見える富士山、分かりますか?

2枚目です、さて、こちらはどこからでしょう。
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逗子の、海を見下ろす公園と言ったら、披露山公園ですけれど、こちらはその手前の大崎公園から。
いつだったか、鎌倉ガイド協会の史跡めぐりで、まずは海で山田海人先生とビーチコーミングを楽しみ、その後、逗子の小さな寺社を廻って、最後大崎公園を訪れたことがありました。
(その時のレポート、探したんですけどね、何故かないんです。変だなぁ。。。)

どっちにしても、大崎公園から鎌倉方面の海を望んで、富士山が見えたのは今回が初めてだったと。(披露山公園からはあります)
富士山や箱根連山が随分遠くに感じられました。しかも富士山って、あれぇ、あんなに高かったかしらって。(笑)

次回の史跡めぐりガイドは9日(火)。今日のような空模様だと最高なんですけどね。
by b_neige | 2018-10-03 07:11 | 鎌倉歩き | Comments(0)

台風の被害を受けた「六角ノ井」(2018.10.02)

皆さんは鎌倉十井の一つ、六角ノ井って、ご存知でしょう?
今日、そこを通りがかったら、先日の台風24号でほら、ご覧の通り。
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屋根が破壊されちゃってます。
ちなみに、こちら、以前の佇まい。
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海が近いですからね、柱も細く、風通しのよさそうな造りですもの、大風が吹いて飛ばされてしまったんだと思います。あらあらです。(怪我人がでなかったのが幸い)

六角ノ井の名称の由来は、この井戸の枠組が八角形になっていて、その六分が飯島(鎌倉)側、2分が小坪(逗子)側だからということ。
でも、住居表示ではこの井戸は鎌倉側。そして、今は飯島という地名は使われておらず、材木座6丁目に当ります。

この井戸、その昔は矢の根の井と言ったそうです。
源頼朝公の父、義朝公の8番目の弟に為朝という、身長2mを越える巨体で気性の荒い弓の名手がいました。あまりに乱暴者だったので、父の為義公に疎まれ、九州に追いやられてしまいます。でも、そこでも手下を集めて大暴れ。一帯を制覇して鎮西八郎為朝と名乗ったそうです。
保元の乱で上皇方に付いたため、敗戦。でも、武勇を惜しまれて、助命され、伊豆大島に流されます。その時、弓が引けないよう、肘を外されるのですが、傷が癒えるや、力試しに?鎌倉光明寺裏山の天照山目がけて矢を引き、その矢が落ちたのがこの井戸と伝わるんです。
ちなみに伊豆大島から天照山まで、60kmはあるそうでして...。(^^ゞ

ウィキペディアの為朝公の画像です。
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十分、豪傑ぶりが感じ取れますね。
鏃が落っこちたこの井戸、海の近くにもかかわらず良質な水がこんこんとわき出るようになったんだとか。それが、後にその鏃を近くの鎮守の社におさめたところ、パタッと水が出なくなったということで、再び、井戸に戻されたということです。
奇っ怪な言伝えですねぇ。(+_+)
by b_neige | 2018-10-02 16:03 | 鎌倉歩き | Comments(0)