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茅ヶ崎 成就院のナンジャモンジャの木(2018.04.30)

茅ヶ崎の成就院というお寺のナンジャモンジャの木が今年、素晴らしいと聞き、それではと行って来ました。
茅ヶ崎駅から①バス乗り場、文教大学又は湘南台駅行きに乗って、「甘沼」下車。徒歩5分ほど。

甘沼山成就院(高野山真言宗)はとても美しいお寺でした。
ほらね。
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きれいにお手入れされた樹木に囲まれて、見栄えがするでしょう?
だけど、まずは、ナンジャモンジャの木ですよね。本堂前をスルーして、墓苑の方にあります。
はい、どうぞ。
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すごいでしょう?真っ白に雪が積もったみたいって思われませんか?
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ほんとにびっくり、見事な咲きっぷりです。
ただね、近づくと若干盛りは過ぎてます。
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分かりますか?花房?に茶色いのが混ざっているでしょう?
きっと正真正銘のピークの時はもっともっと真っ白だったんじゃないかしら。(見てみたかったけど…)
ちょっとアングルを変えて。
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葉っぱが隠れる位花がいっぱい。ブラボーとしか言えません!

実はこの木の後ろにハンカチの木もあるんです。
けど、ハンカチの木は100%終わってました。残念~。

ハンカチの木と手前のナンジャモンジャの木の前には、テントが張られていて、テーブルと椅子が置かれ、お茶の用意もされています。飴玉を入れた小さなバスケットも。
見にいらっしゃる方が多いんですね。心憎いサービス。
傍らには、ナンジャモンジャの木についてのプリント資料もおかれていました。
それによると、ここのナンジャモンジャはヒトツバタゴ。
元東京大学総長であった茅誠司氏宅から、平成15年、成就院境内へ移植されたとか。
東京青山の六道の辻にあった、別名「六道木」と呼ばれたヒトツバタゴ(=樹齢百数十年の大樹で大正13年天然記念物指定)の子孫ということです。
(その青山のヒトツバタゴは昭和8年枯死)

ヒトツバタゴのナンジャモンジャだったら、鎌倉では円覚寺ですよね。
レポート検索したら、いささか前のですが、出てました。
cf:円覚寺-なんじゃもんじゃの木と黄梅院(2014.05.07 part2)

このお寺にはもう一本、若いナンジャモンジャの木があって、そちらはこんな具合。
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爽やか~って、感じですね。円覚寺のもこんな感じだったと。
それじゃ、老木になると??、花期は真っ白になるのかしら? う~ん、これ、ちょっと宿題にしますね。

花がすっかり終わっていたハンカチの木の代わりに、テントの後ろ、「カリカンサス」=ハートレッジワインという変わった花が咲いてました。(木の花です)
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では境内に戻って、こちら、ご本堂。
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こんな立派な塔が建ってましたよ。
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一言大師(=弘法大師)にお参りしたら、なんだかすごく芳しい香りが。この香りは、もしかしてと脇を見たら、「カラタネオガタマ」、発見!
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もうそんな季節なんですね。
では、最後に、ナンジャモンジャの木、アンコールでもう一枚どうぞ。
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素晴らしかったです。
by b_neige | 2018-05-01 07:08 | その他 | Comments(4)

嬉しいプレゼント(2018.03.11)

今朝、友人から、素敵なプレゼントが届いたんです。
お手紙もついてました。
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あらぁ、何かしらと、この私好みのきれいなリボン!がかけられた箱を開けてみたら、
まぁ、ほら、この時季にぴったりと思いませんか?
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淡い春の色合い、そして、真ん中にb_neigeって、私のハンドルネーム。
なんだか、ふわぁ~と柔らかな、優しげな春を感じて、
思わず、わっ、素敵~って。◎
これ、友人のお手製ですよ。忙しい折、時間をかけて作って下さったんです。
もう最高~。ありがとうございます。ほんとに嬉しい。

思いがけず足を怪我して、鬱陶しい毎日だったのが、うん、好転し始めた感じ。

足の方は、日にち薬とはよく言ったもので、お陰さまで3週間過ぎて、大分良くなってきています。
腫れも内出血もおさまり、見た目はほとんど判らなくなってきました。
まだ、ギュウと触ると、ほんの少し痛みますけど、きっともう少ししたら、問題ないかと。
ぼちぼち活動再開っていうとこかな。

くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
正岡子規

この歌、好きですけど、ちょっと早過ぎでしょうか。(^^ゞ
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@2014.鎌倉文学館
なんだか、元気になってきました。友人に大感謝ですぅ。(^^)/
by b_neige | 2018-03-11 13:35 | その他 | Comments(0)

カルディのクッキー缶(2018.03.06)

カルディのクッキー缶です。
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通りがかった時、目に止まって、あ~ら、可愛いと衝動買い。
ねっ、テーブルの上に置いておくのに、ちょっとヴィヴィットでいいと思いませんか?
フランス製。
Pont-Aven(ポン=アヴァンだけど、フランス語ではリエゾンしてポン=タヴァン)の
クッキー店「Traou Mad」さんのもの。
その町はね、フランスの西。
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地方色豊かで、川が流れ、穏やかな田園地帯が続く田舎。画家達がよく、そこに住んで絵を描きました。ゴーギャンとかね。ポン=タヴァン派って呼ばれます。
缶の絵は、その画家達の1人と思ったら、違いました~。今の画家さんで、Françoise MONPINとありました。タイトル:「2人のブルターニュの女たち」
ちなみに、缶の後ろにも、彼女の絵画もう一枚。「水辺で遊ぶ子ども達」
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缶の中には、日本でもよく見かける、バターたっぷりのブルターニュのサブレーが2枚ずつ組になって6コ、12枚入ってました。
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多分、すぐ無くなっちゃう。そしたら、別のクッキーでもチョコレートでも入れておけばOKね。

ちょっと目を引く缶、楽しげな缶、可愛らしい缶、大好きです。
by b_neige | 2018-03-06 20:42 | その他 | Comments(2)

つまらないです(2018.03.05)

大分春めいてきました。
花粉症の方には辛い季節となりますが、花粉症のない私は、やっと春かと嬉しくなります。
一時期、春が苦手だったこともありますが、やっぱり元気が出る季節かなと...。

さて、私の左足、怪我をしてから17日目、診ていただいてからちょうど2週間経って、今日は診察日でした。
まっ、順調なんだと思います。日にち薬でしょうか。このままひたすら時が過ぎゆくのを待つだけ。
患部を触ると、まだ痛みはありますが、足の腫れはほとんどわからなくなりました。
また、紫色の内出血もほぼとれました。
ただ、歩くのはどうかというと、ペッタンペッタンという感じ。
引きずって歩かなくなったけど、残念ながらまだ普通には無理。
あと1週間したら、違ってくるかな??
それにしても劇的に快復しないので、それがため息のもと。う~む。(=_=)

空海でも観に行こうかと思いましたが、大勢の人で溢れている横浜駅で足を踏まれたらいやだなと思い、やめました~。家でやるべきことはちゃんとあるんですけど、なんだか、ちょっと気分転換したくなって…。それにしても、気温はまぁまぁですが、空模様は今ひとつ。
午後、主人が喫茶店に誘ってくれました!(見るに見かねたか??)
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雨の日サービスで、珈琲のお代りが無料でした。◎
カフェラミルにて
by b_neige | 2018-03-05 19:04 | その他 | Comments(2)

国府津 曽我兄弟の旧蹟 締めくくり(2018.02.22)

暖かい日があったかと思うと、一転寒い日が。三寒四温が続くようになれば春が近づいてきている証拠ですね。
春よ来い~♪ 早く来い~♪ です。
自宅待機、何日目でしょう。。
今週はあれやこれやあったのを全部お断りして、家でおとなしくしているつもりですが、それでも、致し方ない場合があります。ほんとに、なんとも。。。(汗)

足は、よくなってきています。怪我した翌日は、這って移動してたんですよ。
今はまだ負傷した左足に体重はかけられませんが、引きずりながらだったら歩けるようになりました。
ただ、この歩き方だと、お尻が凝って凝って、疲れますぅぅ。(>_<)

さて、今日は、撮り貯めた写真の中からのご紹介です。

曽我兄弟の菩提寺は下曽我の城前寺。寺名は兄弟の養父曽我太郎祐信の館・曽我城の大手門前に位置することから。
仏殿裏にある曽我兄弟・父母の墓所になります。
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ちょっとこんもりした塚なんですが、曽我城の土塁跡だそうで。
右側の五輪塔が父母で、兄弟は左側。ちょっと判りづらいですよね。ごめんなさい。<(_ _)>
これらの五輪塔は、以前のレポートでご紹介した養父祐信の菩提寺であった崇泉寺跡辺りのハカンドと呼ばれる場所から多量に出土したもの。
cf : 国府津 曽我の郷で-崇泉寺跡(2018.02.12)
そして、兄弟の五輪塔の下には、昭和3年お花畑と呼ばれる地で見つかった曽我兄弟とみられる遺骨が納められています。
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cf : 国府津 曽我の郷で-お花畑と呼ばれる場所(2018.02.12)

そうそう、塚の手前の柵ですが、父母の方には、これは河津家の紋になるんでしょうか、「山形に木瓜(もっこう)」という紋が見られます。
ちなみに、鎌倉・実相寺は工藤祐経公の屋敷が在ったとされる場所で、あちらの紋は工藤家の「庵(いおり)に木瓜」です。
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敵・味方、同じ一族だから木瓜紋は共通、哀しい話です。
兄弟の五輪塔の前には、富士山(仇討ち決行は富士の裾野で行われた巻狩の晩)と千鳥と蝶の文様。
兄の方が千鳥です。千鳥と言ったら、浜千鳥とか〈磯〉を連想しますよね。大磯にいたという十郎祐成の愛妾〈虎御前〉を彷彿させる文様ということ。
泣けてきますねぇ…。
そうそう、虎御前ばかり出てきますが、弟の五郎時致にも仮粧坂に住む恋人「仮粧坂の少将」がいたとか。(新編鎌倉志)やっぱり虎御前と同様、出家して五郎の霊を弔う生涯を送っているようですよ。さてさて。

こちらは、塚の左手前に建つ曽我兄弟発願之像と願文碑。
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兄の十郎祐成が兄弟の守り本尊であった(城前寺本堂、厨子の中-5/28御開帳)不動明王に捧げたという願文(実に健気で涙を誘われます)が刻まれています。

国府津を歩いている折、見つけた関東タンポポです。
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曽我兄弟の仇討ちに登場するあらゆる精霊に手向けます。
by b_neige | 2018-02-22 18:27 | その他 | Comments(0)

診断結果は第5中足骨骨折でした(2018.02.19)

病院へ行ってきました。
そして、診断結果ですけど、左足の第5中足骨骨折でした。
ちょうどネットにどんぴしゃりの画像があったので、お借りします。
矢印の場所です。
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少し飛び出ている骨ですけど、その飛び出ている部分が割れてました。
ただ、そんなひどい状態ではないんです。ぽっきり離れて折れているのではないので、添え木をしなくてもいいとのこと。
ひどい場合は手術もあるんだそうです。(それは免れてよかった)
今日のところは湿布をした上から包帯できつく巻かれておしまいでした。包帯じゃなくても、市販のサポーターでいいから、はめておいてって。

全治は、一応1ヶ月半。まっ、2週間したら痛みもひき、徐々に治ってくるそうです。
歩いていいかどうかについては、歩いちゃダメってことはないけれど、最初の2週間は無理しないようにと。

とりあえず、今週は家にとどまるしかないみたい。まさか骨折とはね。全く嬉しくない人生初。(>_<)
他の方々に少なからず、ご迷惑をおかけするかと思うと、ひたすら気が重いです。ため息。

でも一方で、平昌オリンピックの小平奈緒選手、輝く金メダル、おめでとうございます。
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個人的には、前のソチの時、期待されながらも奮わなくて、もう止めてしまうのかしらって思ってたんです。なのに、その後オランダに武者修行。努力を続けて、この最高の結果。
スケートに対する半端ない気持ちに打たれました。拍手!☆☆☆
by b_neige | 2018-02-19 19:32 | その他 | Comments(4)

左足のケガの具合((+_+))(2018.02.18)

足の具合ですが、怪我をしたのは金曜の夕方です。
みるみる足が腫れて、靴が入らなくなりました。幸い左足だったので、運転は大丈夫、なんとか帰宅しました。
土曜は、一歩もうちから出られず。這って移動。
夜になって恐る恐る湿布をはがしたところ、左足、外側が紫色になって甲全体がむくんでました。腫れは治まったと思ったのですが…。
日曜朝も同じ感じ。ただ、足を引きずってなら、なんとか動けます。
明日、一応病院行ってきますね。
なんとか、今週中には歩けるようにならないと、色々支障が。(汗)

昨日は羽生結弦君、よかったですよね。
怪我をして3ヶ月のブランク、復帰第1戦がオリンピック本番という大変な事態だったのに、それを並々ならぬ精神力でクリア~。これまで身につけてきた高いスケーティング技術があったからこそですね。感動しました。素晴らしかった。
このブログには羽生君はまだ登場してないので、羽生君、載せます。
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この度は、ほんとうにおめでとうございます。そして、次のオリンピックも出来れば目指してほしいです。

あとはね、準決勝で羽生竜王を破り、その勢いで?決勝も制した将棋の藤井5段。なんとこの快挙で6段に昇段だそうで。
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ひそかに応援してました。おめでとうございます。
by b_neige | 2018-02-18 17:52 | その他 | Comments(0)

思いがけず、負傷(2018.02.17)

木曜に2月史跡めぐりが終わって、翌日金曜、実家に遊びに行ったところ、まさかの事態に。((+_+))

ブロック塀に囲まれた駐車場に車を停めて、駐車場を一歩出たところ、右側から全速力で走ってきた小学生と横からぶつかり転倒。(双方とも)

4年生くらいの女の子で、その子は、空中に舞うように吹っ飛んでいきました。
重量が勝った私は吹っ飛びませんでしたけど、お互いの足がもつれて、あの一瞬でどうなったのか気がついたら、左足外側の甲がみるみる腫れあがって…。

今朝は腫れは治まっているんですけど、痛みがあって、ほんとは、勉強会の日でしたけど、行けませんでした。
そうそう、女の子は、さすが身が柔らかいんですね。無傷で、それは安堵しました。

さて、困りました。月曜は田浦梅林の予定だったのに。。。
経過観察ですけど、いささか不安。ダメかもしれない。
火曜の史跡めぐり2日目は、空模様が今ひとつで失権とは思いますが…。(>_<)

朝から這って移動してます。どこも行けませんぬ~~。(>_<)

ただね、史跡めぐりが木曜に終わり、木曜夜から読み始めた小説が面白かったのなんのって。
道尾秀介の「月と蟹」です。
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昨晩、読み終わりました。よく書けてて面白かったです。主人公は小学生なんですけど、鎌倉が舞台。四分の三くらい読んだ時、この話はどんな風に終わるのかと、ドキドキしました。
いい本でした。おススメしちゃいます。

というわけで、自宅でおとなしくしてます。羽生君、ガンバ!
藤井5段、羽生さんに勝利とか。(そう思ってました!)
by b_neige | 2018-02-17 13:32 | その他 | Comments(2)

国府津 曽我の郷でーお花畑と呼ばれる場所(2018.02.12)

曽我兄弟の遺跡めぐり、お次はほんとにここも、難しかった、「お花畑」と呼ばれる地です。
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兄弟の叔父である、駿河国平澤寺の宇佐美和尚が兄弟の遺骨を持って曽我に戻るのですが、その時葬った場所が、曽我城=曽我館内の花園と呼ばれる所だったとか。(当時の花園=薬草園)
一般の村人の出入りは出来ない場所だったそうです。
(それは何故かというと、曽我兄弟の塚だった故??)
時代は流れ、昭和3年、お花畑と呼ばれるこの場所で、火葬骨の入った骨壺が発掘され、どうやら若者の遺骨だということから、後の昭和37年、城前寺境内の伝曽我兄弟の五輪塔下に納められたと聞きます。
この壺のふた石が、こちらの塚の供養碑に用いられていると、案内板にあり、供養碑はどこ、と探したのですが、多分、こちらじゃないかと...。
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大変小さな碑なんです。違うかな??この碑しか見当たらなかったんですよ。そして、いささか触れず...。

付近の梅林になります。
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もう一枚、梅の樹をどうぞ。
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この樹はね、曽我一族郎党の供養御堂の脇付近で。とても美しくて...。
曽我兄弟に手向けます。
by b_neige | 2018-02-14 07:11 | その他 | Comments(0)

国府津 曽我の郷でー崇泉寺跡(2018.02.12)

再び、JR国府津駅から御殿場線で一つ目の駅、「下曽我」発のレポートです。
「崇泉寺(そうせんじ)跡」の碑になります。
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この石碑も意外と見つけにくかったです。例によって、最後は地元の方に伺うハメに。(^^ゞ

「崇泉寺」は曽我兄弟の養父、曽我太郎祐信の菩提寺になります。
曽我氏が滅びたときに、一緒に焼失したお寺=廃寺になったお寺。盤谷山法輪寺の末寺だったので、お位牌は法輪寺に残っているそうですが…。

場所はキウイ畑の奥、山裾です。
ここから眺める景色が素敵でした。どうぞご覧になって下さい。
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鎌倉時代初頭ですからね、どんなのどかな景色が広がっていたのやら。

曽我太郎祐信は曽我兄弟の連座責任で処刑を覚悟していたのですが、お咎めは無し。頼朝公からは、曽我荘の年貢を免除され、その分兄弟の菩提を弔うようにとの沙汰だったんです。
本当は頼朝公は生き残った兄弟の弟、五郎時致を許したかったんだと思います。でも、寵臣・工藤祐経の子供で、頼朝公自らが烏帽子親になった「犬房丸」が泣いて悲しんだので、頼朝公としては致し方なく、五郎時致を処罰したのだと。五郎時致も犬房丸の姿に17年前の己を見たのでしょう。
仇討ちは美談かもしれないけれど、悲しみの連鎖ですね。

個人的に、一番憐れなのが、曽我兄弟の兄、十郎祐成の愛妾、虎御前と思います。兄弟が亡くなった時、19歳だったそうです。兄弟の100日法要の時、出家して、兄弟の仇討ち時の足取りを訪ね、一周忌の法要の後は、下野国や武蔵国の諸寺をまわっています。信州善光寺にも兄弟の遺骨を納めたとか。64歳で大往生するまで、曽我兄弟の菩提を弔った哀しいご一生でした。
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十郎祐成の千鳥の文様の衣を手にして涙する虎御前(曽我物語から)
by b_neige | 2018-02-13 20:36 | その他 | Comments(0)