カテゴリ:横浜歩き( 34 )

下永谷市民の森に残された「かまくらみち」(2018.10.29)

芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅」中道編によると、下永谷市民の森の中の旧街道を行くと、途中に馬頭観音があると記されているんです。
何回か歩いているんですけどね、気がつかず…。それで、この日は、よ~く注意して歩いてみようと確かめに。

こちら、五山見亭側からの公園入口。
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このちょっと先、左側奥に五山見亭という小さな四阿(あずまや)があるんです。
昭和47年にこの公園が出来た当初は、きっとここから五山が見えたのだと思います。でも残念ながら、現在は樹木が茂って五山どころか、何も見えず…。
ただ、尾根道なので、見晴らしが開けたところからは、富士山が見えます。
ちょっと逆光だったし、あまりはっきりしてませんけど、こんな感じです。
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絶景ですよね。(午前中だったら、もっと見易いかと)

ちゃんと注意して歩いてみました。それでもやっぱり馬頭観音は見つからず。芳賀善次郎著の鎌倉街道中道は昭和56年の初版。それから30年以上経ってますものね。片付けられちゃったのかも。
公園の西側に残された中の道、往復して歩いてみて、諦めました!
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それにしても、この道、いい具合でしょう?かまくらみちって感じ、残ってますね。◎
by b_neige | 2018-10-29 21:04 | 横浜歩き | Comments(0)

いたち川沿いの風景(2018.10.23)

天気予報では24℃ということでしたけど、午前中は肌寒かったですね。一気に季節が進んだように思います。
先週から風邪をひいてしまい、咳が出始めて鼻水も出るわで、どうなるかと思いましたが、日曜日に踏みとどまって昨日の月曜からは、咳もどうにか治まったので23日(火)、いたち川周辺を歩いてきました。

一枚だけ、ご紹介しますね。證菩提寺の山門からいたち川下流方面の景色です。
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いたち(鼬)川は本来は「㹨」川。
橫浜市栄区長倉町の「橫浜自然観察の森」と瀬上沢奥を水源として、庄戸・上郷・中野・桂・小菅ヶ谷・笠間を経て柏尾川に注ぐ全長約7.2kmの水流をいいます。栄区の東西を流れる二級河川でして、鎌倉公方が武蔵国に発つ折、この川辺で休憩したことから、「出立(いでたち)川」とも呼ばれました。
吾妻鏡には元仁(げんじん)元年(1224)、6月6日の「㹨川」が初見。その後も、2度記載があり、いずれも㹨川で霊所七瀬祓(ななせのはらい)が行われたことが記されています。
(天皇の除災を目的として、禍を追わせた人形(ひとがた)を七人の勅使に命じ七ヶ所の河海の岸に持たせて祓をした例を模したもので雨乞いなどもその一つ)
この行事で有名になった㹨川を、「(吉田)兼好法師集」では、
〈さかみの国いたち河といふところにて このところの名を句のかしらにすゑ(え)てたひ(旅)の心を〉
かに我 (立)ちにし日より りのゐて ぜ(風)たに閨を らはざる覧
と、詠みこんでます。

兼好の兄・民部大輔兼雄が称名寺(金沢文庫)の僧をしていたからか、兼好は何度か関東に下向したようです。
親鸞聖人や一遍上人もこの川岸を通られたのだとか。
鎌倉下の道や中の道も近くを通ってますからね!
by b_neige | 2018-10-23 20:25 | 横浜歩き | Comments(0)

桜堂庚申塔(2018.10.18)

桜堂庚申塔は、桜堂交差点から日限地蔵尊前の交差点へ上る桜堂坂の途中にあります。
前回使用した地図を再度載せますね。
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緑の△印です。お蕎麦屋さんの前。
はい、こちらの画像をどうぞ。
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右から、阿弥陀如来型庚申塔、駒形道祖神、五輪塔と言いたいけれど、石は四つしかないので多層塔??
左のお堂の脇に、こんな風に説明書がありましたけど、
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如何せん読みにくくなってしまっています。(>_<)
調べてみました。
右の庚申塔は寛文2年(1662)で戸塚区内(現在の戸塚区、瀨谷区、泉区、栄区)で3番目に古いそうです。下に三猿もついています。
真ん中は天保12年(1841)の道祖神。
でも、ちゃんとお堂があって、中に納められている左側の石塔に関しては何も。五輪塔だとしたら、もう一つの石は何処へ??

坂を下って、桜堂交差点で左に曲がると、じきに長福寺です。江戸時代には鎌倉郡33観音霊場めぐりも盛んだったといいます。長福寺は第19番札所。ということで、相模国鎌倉郡舞岡村のこの辺り、行き交う人の往来があったのでしょうね。
ちなみに、長福寺山門前にも道標が残されています。
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by b_neige | 2018-10-20 06:38 | 横浜歩き | Comments(0)

台風24号の影響って、スゴイ~!!(2018.10.18)

先日テレビで目黒川の桜並木が取り上げられていて、なんでも台風24号の影響で、桜の葉がほとんど落ちてしまい、その中で何本かが、季節を間違えて、花をつけていると聞きました。
そんなこと、あるのかしらって思ってたんですけど、18日(木)、舞岡を歩いた時、京急ニュータウンの並木道でびっくり。
ほら、これどう見てもコブシの木でしょう?
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春と間違えて花をつけてるんです。
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なんと、なんと。びっくり!!葉が全部落ちて気温が上がったから??
それにしても見事というか、何て言ったらよいのやら。。。この木、来春、再び花をつけるんでしょうか??
by b_neige | 2018-10-19 06:57 | 横浜歩き | Comments(0)

舞岡・古御堂跡からの鎌倉「中の道」探索(2018.10.18)

やっと時間がとれたので、再び舞岡に行って来ました。
こちらは、南舞岡小学校(鎌倉中の道を小菅ヶ谷から歩いてくると、舞岡公園の先に在ります)脇に残された馬頭観音になります。
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こんな具合に南舞岡小学校六年生による案内板がありました。
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それによると、鎌倉時代、ここは、日限山-柏尾-平戸への道=「中の道」と丸山-馬洗川-最戸-弘明寺への道=「下の道」の分れ道と言われていたそうで、これは馬の安全を守るために建てられたものだと。
ちょっとアップにしてみますよ。
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頭の上には馬頭が載せられていたのかと。もう判別するのは難しくなってますね。

上の案内板には説明がありませんでしたけど、実はこの場所は、臨済宗円覚寺派長福寺にある観音堂に祀られている尼将軍北条政子念持仏の十一面観音が当初祀られていたという場所跡になるそうでして。=古御堂跡
古御堂は現在は、地名を表していますけど、元来はその古御堂が在った場所なのだと。
長福寺からはそんなに離れてません。500m位かな。(長福寺からは南)
元々、この場所の古御堂に祀られていた観音さまが一夜にしていなくなられて、村人総出で探したところ、長福寺の櫻の木の枝に引っ掛かっていたのだとか。
それで相談の末、その櫻の木で新たに観音堂を造り(=櫻堂)、長福寺にお移しすることになったのだそうです。

地図を載せます。
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下の南舞岡小学校の脇に赤〇をうちました。「馬頭観音」です。長福寺は北の方向。黒線は鎌倉中の道になります。
古御堂跡を確認したので、中の道を辿ることにしました。
南舞岡小学校からは京急ニュータウンを抜けて歩くことになります。
日限地蔵尊に寄ってみました。
参道からお大師さまが見えて、
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こちらがご本堂。
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創建は慶應3年(1867)、高野山真言宗のお寺。飯島勘次朗翁が持病の癪(しゃく)に苦しんでいたところ、旅の僧から、三島の蓮磬寺(れんけいじ)の日限地蔵を信仰すると治ると教えられお参りしたところ治ったので、その日限地蔵を勧請してこの地に祀ったのだそうです。その後、昭和3年、ご子孫がお堂を修復して真言宗のお寺にしました。
昔は賑わっていたんですって。

さて、鎌倉中の道に戻りますね。中の道はこの地蔵尊の裏を通り柏尾方面に向います。地蔵尊の裏のコスモ橫浜日限山というマンションとメガロン戸塚日限山というマンションの間の道。
ここで見かけた柿の木です。
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そう言えば、今年は柿の当たり年ですよね。あちこちで柿が沢山成っているのを見ます。
(井の頭の実家の柿の木も50個以上、色づいて、収穫しました!)
この先ですが、道なりに進むと、☆印の地点でその先が行き止まりになっています。ここの画像をどうぞ。
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つまり、中の道はあの突き当たりまで残っているんですけど、そこから右へ下りて行けないのです。仕方ないので、黄色い矢印の道へ。
上の地図で、わかりますでしょうか?
中の道は黒線ですが、途中道が無くなっているので、赤線の道を歩いたということです。
鎌倉中の道は、この先、老人ホーム芙蓉苑の西側から再び続きます。

舞岡公園付近から歩いてみることで、この一帯の地形が頭に入ったように思います。
長福寺の観音堂=櫻堂は、お寺周辺の地名としても残っています。
では、次は桜堂庚申塔を探してみることに。
by b_neige | 2018-10-18 17:00 | 横浜歩き | Comments(0)

舞岡・長福寺の末寺だった東光寺の薬師堂で(2018.10.12)

舞岡に櫻岡(おうこう)山長福寺という臨済宗円覚寺派のお寺があります。600年以上の歴史をもった古刹です。
以前は、この長福寺の末寺として林光寺と東光寺というお寺が、同じ舞岡にあったそうですが、今は廃寺となっています。
林光寺にあった子育て地蔵は、現在長福寺観音堂脇に移されていますが、東光寺にあったお薬師様は、隣山に堂宇を建てて、お祀りされているということで、いつだったか長福寺の墓苑が広がる裏山の方を探してみたのですが、分からず、和尚さんに伺って、舞岡公園の方にあると教えていただきました。

その後、その薬師堂の場所を調べ、またご開帳日が毎年10月12日だと知り、やはり同じ日にご開帳の別のお寺のお薬師さまと併せて、先日訪ねてみましたので、その顛末を記しておきますね。

場所はね、地下鉄舞岡駅近くの交差点「道岐橋」から南下。途中右側に舞岡八幡宮があります。寄ってみたかったのですが、何しろ、時間がなくて…。急いでいる日もあります。(>_<)
片側にせせらぎを利用した舞岡町小川アメニティが続く、とても歩いていて気持ちのいい散策路でした。約1.2kmあるそうで。
ほんとに急いでいたので、写真、撮ってないんです。<(_ _)>

そこを過ぎて、更に舞岡公園方面へ。右側には森林が広がり、畑など見えますが、左側はぎっしり整然と並んだ住宅地。
ほら、手書きの小さな看板を見つけました。薬師堂って。
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多分、ここのはずと思い、上っていくと、はい、こちら薬師堂です。
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あれぇ、開扉されてない、どうして?って思いました。
そしたら、扉の左上に張り紙、発見!
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うっそ~って。(笑)
ちょうど12時頃だったんです。
しかも、この日は13時半から用事があって、どうしても戻らなければならず…。がっかり...。
せっかくここまで来たのに、ほんと残念でした。

お堂の中ですが、拝見しました。そしたら、奥に小さな厨子が。小さかったです。だから、お薬師さまも小さいお薬師さまだと。そうですね、30cmないかもしれない。
地元の小学生によるこんな案内板が立っていました。
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眼病に効くお薬師様なんですね。了解!ありがとうございます。♪♪
お堂には立派な扁額も揚げられていました。
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お堂の前に並ぶ六地蔵や石仏。
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古い時代のものですね。
お不動様もいらっしゃいましたよ。
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お薬師様と一緒に東光寺から移されたんでしょうね。
隣山ということでしたけど、ここから見下ろす住宅街はこんな感じ。
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山という感じではなかったですぅ。
ばたばたしていて、ほんとに申し訳ない限り。舞岡はとてものどかな場所なんです。
鎌倉歩けのふれあいウォークで、何回か来ています。次はゆっくりご紹介しますね。
by b_neige | 2018-10-14 08:21 | 横浜歩き | Comments(0)

昔日の中ノ道を戸塚・舞岡から柏尾まで(2018.09.18)

舞岡から柏尾までの鎌倉往還=中の道ですけれど、先日再び歩きました。
cf: 戸塚・舞岡から柏尾までのもう一つの鎌倉道(2018.08.28)
cf: 戸塚・舞岡から柏尾まで(2018.08.21)
cf: 鎌倉往還「中の道」を舞岡から戸塚へ(2018.08.14)
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舞岡から繋がる黒線の尾根道(=鎌倉古道)を歩いてくると、最後、道がなくなって、アスファルトの舗装車道に出ます。坂道の上になります。
私たちのグループは総勢5名でして、大変珍しかったのか、道端で話し込んでいた地元の方に(お二人でした)、どこから来たのとお声をかけられたんです。(笑)
(この時、私たちは青い線の道を通って、国道一号に向かおうとしていました)
『鎌倉中の道を歩いて、王子神社へ向かうんですよ』ってお答えしたら、この道(青い道)は鎌倉古道じゃないよって。
えぇぇ???びっくり!!あとは、橫浜柏尾郵便局の前を通って、山崎製パン工場前に出るものだとばかり。

鎌倉古道はこの上にまだ残っているよと教えていただいた次第です。(汗)
ちょっと戻って、赤線の道を発見!!!
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わぉぉ~、またしてもこんな細い、忘れられたような道が!!!
特に赤線部分ですけど、最高でした。やっぱり地元の方はスゴイです。恐れ入りました。そして大感謝。☆☆☆
by b_neige | 2018-09-20 06:40 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚・舞岡から柏尾までのもう一つの鎌倉道(2018.08.28)

こちら、戸塚区舞岡から柏尾に至る、もう一つの鎌倉中の道です。
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港南区では早駆けの道としている尾根道の中の道からみて西寄り。西の尾根というか尾根下というか、つまり若干上り下りがある道。
画像は柏尾方面に向っています。

地形図で確認してみますね。
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東の黒線が本来の鎌倉中の道です。ちょうど戸塚区と港南区の区境。このまま北に進むと下永谷市民の森です。
対して、西側の黒線がもう一つの鎌倉中の道とされています。
尾根筋というか尾根下というか。
中先代の乱の折、足利直義が家来の淵辺義博に命じて、東光寺の土牢に閉じ込めていた護良親王の首をはねますが、側近(南の方とも)が秘かにその御首を持ち運んだという、そのルート。

元舞橋に出てくるんです。もちろん、伝承です。
でも、横浜市戸塚区は旧相模国鎌倉郡。鎌倉からそんなに離れているわけじゃありません。
伝承が残る理由はいくつでも考えられます。
by b_neige | 2018-08-29 07:22 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚・舞岡から柏尾まで(2018.08.21)

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この地図は、何かというと、赤線が鎌倉往還中の道でして、戸塚区舞岡町から同区柏尾町までの尾根道になります。
この区間、早駈けの道とも呼ばれるようで。いざ鎌倉っていう折、鎌倉幕府の御家人たちが駆け上った路になるのでしょう。
高台を通るので、見通しはいいですよ。冬には富士山がきれいに見渡せると思います。

基本的に、鎌倉街道って、尾根道なんだそうです。
石橋山の合戦の時、当てにしていた三浦一族が雨で増水した酒匂川を越えてくることが叶わず、痛い敗戦をしてしまった頼朝公は、二の足を踏むようなことを避けたのだと思います。
尾根や坂道では掘割状の凹道、そして、目的地まで基本最短距離の道を選んだと。

さて、上の地図の黒線ですけど、もう一つの鎌倉道って、呼ばれています。
歩いてみましたけど、尾根道じゃありません。尾根下道。
街道には枝道ってありますよね。その一つじゃないかしら。そして、このもう一つの鎌倉道には、面白い話が伝わっているんです。
この黒線の道は舞岡川にかかる元舞橋(元町と舞岡の境故の命名)に出るのですが、その先、道なりに北へ、一号線にでるまでの区間が旧東海道。
その旧東海道を辿ると、東にある、護良親王の四つ杭碑跡・首洗いの井戸、更に親王ゆかりの成正寺、王子神社へと続くってわけです。
つまり、鎌倉で斬首された護良親王の御首を側近の方が、鎌倉から秘かに持ち運んだという道なんだそうで。

スゴイでしょう?そりゃあ、伝承ですよ、でも、護良親王の伝説・伝承って、そんなにそこらに転がっているわけじゃありません。
この辺りは、交通の要衝だし、前回のレポートでご紹介したように、そんな風な鎌倉所縁の伝承が生まれても可笑しくない場所だってことです。
鎌倉時代末期から南北朝の頃の話。700年前が偲ばれます。
by b_neige | 2018-08-21 17:59 | 横浜歩き | Comments(0)

戸塚区柏尾町の浄土真宗本願寺派成正寺(2018.08.19)

このお寺、最初は江戸時代創建のお寺と思ってたんです。
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でも、調べてみると、前身のお寺は、なんと鎌倉時代の創建。
開山は法印海順阿闍梨(当地領主斎藤武蔵守秀周の伯父、秀周は源頼朝の御家来)。
(戸塚の寺院誌より)*武蔵守というのが気になりますが...。
開基は秀周の兄である斎藤兵部尉入道成正。
聖徳太子ご自作の十六歳守屋退治のご尊像を祀り、また入道成正の守り本尊である薬師如来をご本尊としたとありました。
前身の寺の名称は「天台宗柏尾山法萬寺」。*「天台宗」に注目!

建立の場所は現在地ではなく、柏尾谷戸大池の東南奥で、つい最近まで「法萬寺谷戸」とか「法萬寺屋敷」と伝えられていたところだそうです。
今の柏尾小学校の北側辺りでしょうか。

面白いのは、ここから。
建武元年(1334)、護良親王が鎌倉に捕らわれの身になった時、天台宗比叡山の座主は、法印長勧を関東に下し、親王救出のため当寺に忍び居らせていたと。
親王は、建武2年(1335)7月、斬首となり、親王の側近がひそかに御首を奪って、近くの井戸(=首洗いの井戸)で洗い清め、弔ったと伝わります。
その場所が今の王子神社。
その折に、この成正寺も再建し、親王の尊像を彫刻し安置していたそうです。(のちに焼失)

第15世覚順の代に、浄土真宗本願寺派第8代蓮如上人が関東に下向され、改宗。
蓮如上人より、地名をとって東谷山成正(法萬寺開基)寺と賜ったそうです。
→ご本尊は阿弥陀如来に。
法萬寺のご本尊であった薬師如来は、覚順の弟、柏善禅師が柏尾山善念寺を開いて、お祀りしていたものの、廃寺となり、現在はこの成正寺に薬師堂を建立し安置されています。

成正寺は貞享3年(1686)と明治13年に火災により、ことごとく堂宇焼失。明治15年に仮本堂が復興し、昭和37年になって本堂再建の運びとなりました。

成正寺も、やはり護良親王ゆかりの寺だったようで。ふ~む、面白いです!
by b_neige | 2018-08-19 07:23 | 横浜歩き | Comments(0)