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10月も終わり(2016.10.31)

実は先日ね、極楽寺の忍性菩薩展が始まったというので、出かけたのですが、極楽寺じゃなくて、金沢文庫の称名寺でした~~~。なんてあわてんぼうなんでしょう。(^^;)

HP、ご紹介しておきますね。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenji.html

上記ページの中に、週末にボランティアさんによる展示解説があるということだったので、それに合わせて出かけたんですよ~~。(>_<) ほんとにそそっかしくて笑ってしまいますぅ。(汗)

その時、きれいと思って撮った写真です。
極楽寺のさくら橋の上から。
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ノアサガオですよね。11月になろうとしているのに、まだまだ元気。しかも一日中咲いてくれるんですよね。ネンピがいいお花だこと、感心しちゃいます。

それと、こちらの画像は本日31日(月)のレンバイで。
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白い小菊、爽やかでしょう?秋の深まりを感じますね。
ムカゴがありました。ムカゴご飯、大好きです!
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あとは収穫の秋!
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明日から11月ですね。そうそう、ハッピーハロウィン~。♪♪
by b_neige | 2016-10-31 19:04 | 鎌倉歩き | Comments(0)

またまた、かまくらむかしばなしをどうぞ(2016.10.25)

鎌倉に行けてないので、仕方ない、こんな時には奥の手、かまくらむかしばなしです。
確か、前回、目玉の話でしたよね。
cf : こんばんは(2016.09.18)
今回も、もう一つ、また違った目玉の話をご紹介します。ではどうぞ。
 奥州から江戸へ出て来た旅人が、ついでに鎌倉見物に来ました。雪の下の宿屋に逗留して方々見学して歩いていましたが、ある日、坂の下の御霊神社にお参りしました。
 その旅人がお賽銭をあげ、神前にぬかづいた途端、パチッと音がして左の目が針でもさしたようにひどく痛みだしました。びっくりした旅人はお参りもそこそこに、宿へ帰り、痛む目を冷やしたり、医者を呼んだりして、いろいろ手当をしましたがなかなか痛みは去りません。そのうちにどうやら痛みは取れましたが、視力は薄くなり、とうとう左の目は全く見えなくなってしまいました。
 旅人は嘆き悲しみながら、宿の亭主に、いったい、あのお宮には何が祀ってあるのかと、たずねました。亭主は、あれは鎌倉権五郎景政をお祀りしたお宮ですと答えました。
 それを聞くと旅人は、ああ、それではその祟りで目がつぶれたのだ。おそろしいことだと、身を慄わしながら言いました。
 亭主は不思議に思って、それはどういうことですか、と問いただすと、旅人は、実は私の遠い祖先は、後三年の役で鳥海の柵の戦いのとき、権五郎景政の左の目を射た鳥海弥三郎なのだ。だから子孫に当る私に神霊の祟りがあったにちがいない。同じ左の目がつぶれたのが何より証拠だろうと話し、この上どんな祟りがあるかもしれないと思うとおそろしくて、鎌倉にはもう一ッ時もいることはできないと、すぐさま江戸に引返し、荷物をまとめて奥州へ帰ってしまったそうです。
 これは滝沢馬琴の随筆に載っている話ですが、馬琴は話の後に、彼の息子宗伯(医者で松前侯のお雇いでした)がこれを聞いて、パチンと音がしてつぶれたのでは、それは風眼にちがいない、と診断したことを書き加えています。正直なところ、まだ藪にもなりきれない竹の子医者に過ぎなかった宗伯のこの怪しげな診断を、わざわざ書き加えているところに、不肖な倅になんとか箔をつけてやりたいという、馬琴のせつない親心がうかがえます。
 医者といえば、蘭学事始で知られた名医杉田玄白が、権五郎の目の疵について自分の診断を述べた話が残っています。
 ある人が、玄白に、鎌倉権五郎景政は目を射られた矢を抜きもせず、当の敵鳥海弥三郎を三日三晩追いかけた末、みごと射て取ったと伝えられるが、そのようなことが出来るものだろうか、とたずねました。
 玄白答えて、もし軍記ものなどに記されているように、目を抜射かれたのなら脳まで矢が突き通るから、即死するはずだ。しかし、矢を抜きもせず動きまわって、生命に別状はなかったのだから、拙者の診立てではきっと目尻のあたりを斜めに射られたものと思う。これならば矢を抜き療治をすれば助かる疵だ。と言ったそうです。
如何でした?このお話も楽しい話の中におさめられています。楽しい?でしょうかねぇ??

画像、一枚だけアップしておきます。
レンバイで(先週です)。
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色んな大根。どれがどれだかわかりますか?黒大根やわさび?大根、一体どんなお味かしらね。
by b_neige | 2016-10-25 06:58 | 鎌倉歩き | Comments(0)

横須賀・芦名 浄楽寺の秋の縁日(2016.10.19)

10月19日は横須賀、芦名の浄楽寺の秋の縁日。
(浄楽寺の運慶の仏さま達、一般公開は春の3月3日と秋の10月19日)

夏休みにこの浄楽寺の運慶仏さまを拝観したのですが、
cf : 横須賀・芦名 浄楽寺へ-運慶作の仏さま拝観(2016.08.05)
cf : 横須賀・芦名 浄楽寺へ 続き(2016.08.05)

あの時は、事前にお寺にご連絡して、収蔵庫にお祀りされている仏さま達を拝ませていただきました。私一人での拝観だったので、今思ってもありがたく、未だ感動の余韻が残っています。
実は、あの日、帰宅して主人にどんなに素晴らしかったか、報告したところ、主人が、それじゃあ、秋の縁日には是非に、ということになり、この日、私にとっては2度目ですが、主人のお供で浄楽寺再訪へ。

浄楽寺はバス停「浄楽寺」のすぐそば。山門から見えるご本堂です。
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ねっ、結構、賑わっているでしょう?
ご本堂前には軽トラックが2台ほど停まり、飲み物やら焼き鳥、焼きそばの類が売られていました。
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この右手に地蔵堂があるのですが、そちらでは、沖縄のほら、サーターアンダギーでしたっけ、素朴な揚げ菓子、あれも売られていました。

食べ物の話はさておき?、今回はご本堂が開扉されています。そして、中にお祀りされている阿弥陀如来さまのお手とつながる白い手綱が垂れ下がっています。まずは、そちらをしっかり握ってお参りです。
お堂の正面に掲げられた扁額にうっとり。♪
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頼朝さんが建立した、今はもうあるはずもない、鎌倉・大御堂の大寺院を思い起こさせます。

昇堂して、お堂の中を見せていただきました。
内陣の古い欄間には、優美に天女さまが舞う様子が彫刻されています。いにしえの、落ち着いた美しさに目を惹かれました。
そうそう、お供え物が素敵だったんです。今年収穫されたばかりのお米がたっぷり入った袋、ピーマンがはちきれそうに詰まった袋、きれいな里芋がいっぱい見えているビニール袋、マドレーヌのお供えもあったっけ。もちろんお酒だって。お檀家さん達からと思いますが(お名前があったので)、収穫の秋への感謝の気持ちですよね。ほのぼのした感じがとてもよかったです。

さて、お堂を出た後は、収蔵庫へ。
ほら、赤い幟が立っているでしょう?
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「御開帳 国指定重要文化財 阿弥陀三尊仏」、「御開帳 国指定重要文化財 開運毘沙門天」、「御開帳 国指定重要文化財 厄除不動明王」と、それぞれありました。
年に2回ですからね、訪れる方、ひっきりなしにいらっしゃいましたよ。石段を上がって、靴を脱いで、中へ。(志納金100円也)
写真はダメなので、残念。以前のレポートで、お許しください。m(_ _)m
今回は、この収蔵庫の中で、絵はがきやら写真やら販売されていました。で、購入したのが、こちらの阿弥陀如来さまのお写真。
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間近で拝見する阿弥陀様、やはり心打たれるものがありました。

さて、お初だった主人ですが、収蔵庫の中で、昔の(1997年)○○新聞の文化欄の記事(3週に渡って企画された運慶仏に関するもの)が紹介されているのを見つけ、OBとしては嬉しかったようです。

ついこの間は、伊豆の願成就院でやはり運慶の仏さま達、拝観してきました。そことこの浄楽寺以外に、東国の運慶作の仏像はありません。あとはね、奈良。
以前、奈良・興福寺(北円堂と国宝館)で4体、既に拝ませていただいています。
cf : 奈良公園 興福寺へ(2013.05.10 part2)

ということで、残すは、円成寺(奈良)の大日如来像と東大寺南大門の金剛力士像。
東大寺南大門の方は、そりゃあ、修学旅行の際とか目にはしてると思うのですけどね。。。(笑)
いずれそのうち~。

さてさて、おまけに移ります。
前回、浄楽寺を訪れた際、コメント欄でヒロリンさんに近くのベーカリーを教えていただきました。今回は忘れませんでしたよ。
ほんとに浄楽寺の山門から50mも行かないかもしれません。
「パン芦兵衛」
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ここのパン屋さん、ほんとに人気のパン屋さんのよう。私達、1時半過ぎだったと思うのですが、もうほとんどありませんでした。残っていたのこれぐらい。
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コーヒーをテイクアウトし(こちらのコーヒーも美味しかったです)、外のベンチでパンをいただいていたら、食べ終わる頃にはお店、closeになってしまいました。
(もう少し詳しく書くと、私達が外にいる間にアップルパイが焼き上がり、多分、その焼き上がりの時間を狙って?、お客様が次々にいらっしゃり、あっという間に売り切れになってしまったんです。)
お店の方、今日は早かったですって!私も、そのアップルパイ、欲しかったんですぅぅ。
by b_neige | 2016-10-20 23:00 | 横須賀歩き | Comments(2)

ふれあいウォーク-鎌倉の海岸を歩く(2016.10.18)

2ヶ月ぶりのウォークに参加しました!
鎌倉歩協のふれあいウォーク、タイトルは「鎌倉の海岸を歩く」で、潮風コースです。
西口広場→滑川の交差点→豆腐川→小坪海浜公園→天照大神宮→披露山公園(昼食)→古東海道→逗子海岸→東郷橋→逗子郵便局前(交差点)→逗子市役所(解散)

このコース、以前歩いたような記憶があるんですけど、この日は朝から抜けるような青空が広がり、海がきれいだろうなと、ちょっとルンルン気分。参加は129名とか。コースの説明やら、会長さんの挨拶やら、ストレッチの後、出発です。

まずは、若宮大路を南下。
ほうら、青空が素敵でしょう?
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若宮大路のどんつき。滑川の交差点です。
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ここから浜辺に下りて、
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逗子方面へ。
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海は穏やかでしたよ。
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潮が引いていたので、和賀江嶋の碑のところまで、磯伝いに歩けました。
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こちらが和賀江嶋の碑。
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そして、ほら、いつも船が何艘か留まっている、鎌倉時代の古い港の跡。
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和賀江嶋は日本最古の築港遺跡です。

ところで、今日は晴天だったのですが、気温が高くて。写真、あまりはっきりしないでしょう?
ちょっと霞んでます。m(_ _)m

稲村ヶ崎の方はこんな具合に見えました。
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さて、秋の趣たっぷりのススキを楽しみながら、逗子マリーナ方面へ。
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それにしても、夏空のような青空です。
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そして、今日のコースの前半の山!!、天照大神宮の石段です。(175段)
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つまり、今回は正面口からの参拝。階段、辛かったですぅぅ。
そして、社殿の前に辿り着くと、すぐお社なので、こんな風な写真しか撮れなくて…。
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申し訳ないですぅ。(^_^;)
以前、こちらにお参りした時は、石段を避けて、後ろから回りこんだ記憶が。ブログを始めるもっと昔で、あれは、ガイド協会の史跡めぐりだったかしら???

ここから披露山公園はすぐです。
披露山のお屋敷街を通り抜けます。
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なんて広い敷地なんでしょうねぇ。こんな大邸宅が延々と並んでいるんです。
披露山公園の上り口。
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ここからまたちょっと上りになりますがこれが最後の上りなので、がまん、がまん。
はい、展望台からのパノラマをどうぞ。
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(ここで昼食休憩でした)

逗子方面の景色も絶景でしたよ。
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森戸海岸が見えています。沖にある裕次郎灯台も見えていますね。(わかりますか?)
ちなみに逗子海岸は手前、左側。(このアングルからは見えません)

午後は、古東海道へ。
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この道、確かに以前も歩きました。
cf: 歩け歩け協会ふれあいウォーク-披露山から逗子海岸へ(2013.05.28 part2)

懐かしかったです。
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ただ、以前はほんとに海辺まで、この道続いていたんですが、今回は途中まで。(もしかして、マンションが建設されて歩けなくなっていたのかも)

新宿稲荷神社前を通って、逗子海岸に出ました。
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しばらく海辺を歩いて、
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逗子市街地へ入り、市役所前で解散。
気温は高めでしたが、汗びっしょりというわけではなく、やっぱり秋なんですね、青空の下、気持ちのよい爽やかウォークでした。
おまけは、材木座海岸で見つけた、サクラ貝。
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1月とか2月とかに沢山落ちてるんですよね。この日拾えたのはとってもちっちゃな貝、一枚はちょっとかけてて、穴もあいてる~。(T_T)
by b_neige | 2016-10-18 17:38 | 鎌倉歩け歩け協会 | Comments(2)

飢渇畠(けかちばたけ)の六地蔵さま(2016.10.14)

由比ヶ浜通りと今小路の交差点に並ぶ六体のお地蔵様、ご存知ですよね。
いわゆる「六地蔵」ですが、これまで、お姿をきちんと拝見したことがありませんでした。
神社の狛犬と同様、見ているんだけど見てないというか。。。(^_^;)
(そうそう、狛犬については、いつだったか、様々な形態があるということで、以後意識して見るようにはなったんですよ)

ただ、六地蔵に関しては、お地蔵様が六人並んでらっしゃる位の知識しかなく…。(>_<)

先日の養成講座で先輩ガイドさんにちらっと教えていただいたんです。六体のお地蔵様は六道を表し、それぞれ持ち物も異なるって。
あら、まぁ、そういうことなんですね。
それで、とりあえず、鎌倉に出たついでに?、六地蔵さまを改めて拝見しに行った次第でして…。(汗)

ではどうぞ。昔、形場があり、「飢渇畠(けかちばたけ)」と呼ばれる荒れ地だったという場所に立つ六地蔵さまです。
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今まで、「六地蔵」=六体のお地蔵様が並んでらっしゃるのしか見たことがありませんが、一つの石に六体彫られているものもあるし、色々なんですって。

持ち物は、蓮華や錫杖、香炉、幢(ばん=旗)、数珠、宝珠など。合掌しているものもあります。どのお姿のお地蔵様がどの六道に対応されているのか知りたいですよね。
でもね、結論から言ってしまうと、実は、持ち物も並ぶ順序も必ずしも統一されてないそうで。時代や宗派で違うのだとか。

☆ ただ、『大日経疏(ダイニチキョウショ)』によると、
1  宝珠 錫杖を持つお地蔵様は 大定智悲地蔵で地獄道を救う。
2  宝珠与願印(宝珠を持ち、掌を見せて下に下げる印) のお地蔵様は 大徳清淨地蔵で餓鬼道を救う 。
3  宝珠 如意宝珠を持つお地蔵様は大光明地蔵で 畜生道を救う。
4  宝珠 梵篋のお地蔵様は清淨無垢地蔵で 修羅道を救う。 
5  宝珠 施無畏印(掌を見せて上にあげる印) のお地蔵様は大清淨地蔵(持地菩薩)で人間道を救う。
6  宝珠 経巻を持つお地蔵様は大堅固地蔵で 天道を救う。
と、そのお姿が特定されています。
(でも、この大日経疏の六地蔵さまと飢渇畠の六地蔵さまを比べると、ちょっと違います)

なかなか簡単じゃありませんね。とりあえず、今度、また違う場所の六地蔵さまを見たら、観察してみたいです。

お地蔵さまの前に置かれた燈篭の足下に、とっても可愛い小鳥がいました!ほら、
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左右に一羽ずつ。
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こちらが燈篭です。
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お地蔵さまに小鳥。これまで全く気がつかなかった。何か楽しくなりました。♪
by b_neige | 2016-10-15 10:01 | 鎌倉歩き | Comments(0)

松平頼重建立ー英勝寺の山門(2016.10.07)

英勝寺の山門の写真が必要になり、ヒガンバナの花時を逃した(>_<)英勝寺へ。
ヒガンバナは、刈り取られてはいなかったけれど、全部萎れてました~。(^_^;) なんとも致し方ない、とにかく来るのが遅すぎですよね。来年は早めに来ようっと!

さて、山門の写真でございます。
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建長寺の山門、円覚寺の山門、光明寺の山門、そしてここ英勝寺の山門、4寺の山門に上らせていただきましたが、大きさ的には、この英勝寺の山門が一番しっくり?きます。なんかやさしい感じがして好きです。ただし、山門の楼上の雰囲気とかは円覚寺!これは譲れません。(笑)

こちら側からはどうでしょう?
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この山門ですが、英勝院の一周忌のために高松12万石初代藩主になった松平頼重が建立しました。
 *頼重は水戸初代藩主徳川頼房の長男。頼房の生母はお万の方。(妙本寺に杉並木を整えられた方で、妙本寺墓苑には、頼房と紀州初代藩主頼宣によるお万の方=養珠院の供養塔あり)
 *つまり頼房の生母はお万の方なのですが、家康との子「市姫」を亡くしたお勝の方(=英勝院)の養子になったんです。だから頼重にとっては、英勝院はおばあちゃん。そのおばあちゃんに頼重は(その弟の光圀も)とても助けられたんです。(→母が頼房の正式な側室ではなかった為、堕胎を命じられるも、頼房には隠したまま、英勝院が手をまわして育てる)
特に頼重は光圀より早くに生まれるも、水戸藩の嗣子には結局、光圀が入り、出家するはずのところ、英勝院の計らいで讃岐高松12万石の藩主となっています。

山門には頼重の感謝の気持ちがこめられているというわけ。そう思って眺めるとまた格別でしょう?? (^_^;)
ついでに?付け加えておきます。水戸藩は光圀が継ぎましたが、その後継者には頼重の子孫が入り、そして、頼重の後継者には光圀の子孫が入り、家督を継いでいます。頼重も光圀も優れた人物で、おばあちゃんの英勝院もさぞや、安堵したことでしょう。
山門には英勝院が生前希望していた、後水尾上皇による扁額「英勝寺」がかかっています。

ところで、ヒガンバナが終わった英勝寺の境内、めぼしいお花がありませんでした。
この山門の前にあった、名残の酔芙蓉くらい??
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あと、白いシュウメイギクが咲いてたんですけど、カメラ目線じゃなくて…、ほらね。
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残念~。(>_<)
上の境内の竹林をどうぞ。
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きれいにお掃除されてました。まだ落ち葉の季節には早すぎかしらね。

おまけ:寿福寺前の道ばたで。
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もう一枚は、英勝寺前の踏切で。
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秋の風情たっぷりでしょう?。
by b_neige | 2016-10-12 06:38 | 鎌倉歩き | Comments(0)

無量寺ヶ谷の(仮称)鎌倉歴史文化交流センター(2016.10.7)

来年春オープンとされるこの施設、皆さんはもうご存知でしょうか?
所在地は、鎌倉市扇ガ谷1丁目。
2012年にセンチュリー財団が15億円の助成金と土地2500坪を市に寄付し、隣接する旺文社創業者の赤尾家の別の土地約2000坪を市が購入する形で、ガイダンス施設や博物館としての建設計画が進められています。
*建物はノーマン・フォスター(英国人)の設計。こちらには当初、旺文社創業者の赤尾好夫氏のコレクション(絵画、彫刻など)を収蔵するミュージアム建設計画があったそうですが、ミュージアムは2010年、早稲田に。

ご参考までに鎌倉市HPからの資料です。
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え~とね、佐助隧道の手前にある甘味処の茶房「きらら」ってご存知でしょう?隧道の方に行かずに、そのまままっすぐ奥へ進むと、無量寺ヶ谷。こんな小さな隧道の入口に辿り着きます。
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ここをくぐると、ほら左側に見えてきます。
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こちらの施設、基本方針は鎌倉の歴史的遺産・文化的遺産への理解を深めるためのもの。

まずは、鎌倉歴史文化交流センターA、B棟として開館を目指し、将来的には全施設を(仮称)鎌倉博物館として整備していくそうです。鎌倉の新たな文化発信拠点となるわけですね。

こちらが、上の地図の③、(仮称)鎌倉歴史文化交流センターB棟。
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エントランス、受付のほか、考古資料等の収蔵庫や出土遺物展示、体験スペース、会議室(市民などが学習等に利用できる)が入る予定だとか。

そして、その横の建物が、地図の④、A棟。
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エントランス、受付、インフォメーション、体験コーナー、文化紹介スペース、歴史展示、事務室等が設置されるそうです。

また、両館共に、屋外空間には庭園的整備を行って、来場者の憩いの場やイベントスペース等としての活用も検討しているそうです。

ちょっと奥まで入らせていただきました。
まずはB棟後ろの山肌。
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やぐらが見えています。葛原岡神社の合槌稲荷社はこちらの山腹から移されたと聞きます。
cf : 葛原岡神社-銭洗弁財天辺りを歩いて(2016.09.05)

そして、こちら、A棟背後の風景。
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手前の石壁がじゃまですが、こちらにも山裾にはやぐらがありそう。
来春の開館が楽しみになりました。

A棟は奥行きがある大きな建物ですよ。ほら、道からはこんな風に見えます。
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この施設ですが、古都保存法の歴史的風土保存区域にあたり、周囲は閑静な住宅街です。
どうやったら、周辺にお住まいの方々のご迷惑にならず、利用できるのかしら?日曜・祝日が休館日と聞いていますが…。

おまけ:先日、無量寺ヶ谷にあったとされる正宗の井を教えてもらいました。佐助隧道の手前、民家の敷地にあるということは知っていましたが、これほど手前にあるとはつゆ知らず...。(道沿いです)
かなりオタクな画像ですよね。
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さて、どこでしょう?(笑)
もう一つ、おまけ。
無量寺ヶ谷の隧道手前の民家の庭に咲いていたシュウメイギク。
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日ごとに秋が深まります。
by b_neige | 2016-10-10 07:31 | Comments(0)

滑川にかかる橋、東勝寺橋(2016.10.7)

ようやく秋を感じるようになりました。
元気な夏が終わると、どことなく淋しさも感じますが、今年はやれやれとホッとした気分に。
だって、夏、ほんとに長かったですものね。お疲れ様でした~。(笑)
散策にはもってこいの季節到来。元気に参りましょう!

今日は橋のご紹介です。鎌倉市内を流れる最大の河川、滑川にかかる「東勝寺橋」。
鎌倉十橋ではないんですけど、ここを渡った葛西ヶ谷にあった東勝寺にちなんで東勝寺橋といいます。
関東大震災で倒壊し、震災復興期の大正13年に造られています。当時としては最新式の鉄筋コンクリート造でアーチ型の構造。ただし、橋の上に立つとせっかくのアーチ型がわかりません。
それで、この橋の袂に川面に下りる石段があるので、ちょっと下から撮ってみました。
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どうですか?なかなか雰囲気ある橋でしょう?
向こう側に見えている橋は宝戒寺橋(上流)
そして、こちらが下流方面。
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きれいでしょう?
この先の琴弾橋はここからは、まだ見えませんね。
水量が多い時はあぶないですけど、これぐらいだったら、橋の下から飛び石伝いに結構歩けます。きれいなロケーションで、鎌倉ドラマにも登場するスポットです。
皆さんもよかったら、お試しあれ。(^^)
by b_neige | 2016-10-08 06:58 | 鎌倉歩き | Comments(0)

石橋山古戦場(2016.09.26)

伊豆から箱根を経て、石橋インターで下り、そのまま熱海方面へ。蒲鉾の鈴廣を過ぎると、右に上っていく細い側道がみえてきます。迷うことなく、そちらへ。この道、スゴイ道ですが、そのまま道なりに。佐奈田霊社の無料駐車場が便利です。

さて、車を停めて、先ほど車で上ってきた道をちょっと下ります。古戦場の碑がありました。
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辺りは、相模湾を見下ろすミカン山の斜面。
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写真、沢山撮ったつもりだったんですが、帰宅して確認したら、これ以外なくて…。ほんと申し訳ない限り。。。m(_ _)m

道なりに南下していくと、こんな道標が。
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石橋山の合戦で佐奈田与一義忠が討死した場所。
佐奈田霊社でいただいた資料から:
佐奈田与一義忠は郎党15騎をひきいて先陣についた。その佐奈田の陣地へ敵の副大将俣野五郎景久が75騎を従えてきた。これが乱戦の始まりであった。雨闇の中なので敵も味方も声をかけねば相手がわからなく、義忠と景久は一騎討ちの勝負をした。馬から落ちて上になり下になり、ころがりねじれた事から地名「ねじり畑」がつけられた。
隙を見て義忠は景久の首を刺そうとしたが、どうしたことが刀をいくら抜こうとしても抜けない。前に数人の武士を斬ってきた為に刀に血のりがついていて抜けなかったのだ。そこへ平家方の長尾新五の弟・新六がかけつけて来て義忠の首を取ってしまったのであった。
右側に、この場所「ねじり畑」から上の方へと続く長い石段があります。
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登って行くと佐奈田霊社で与一義忠が祀られています。そちらは後で行くことにして、先を進みます。
この先には、義忠討死後、敵陣に斬りこみ、8人を討ち取って壮烈な戦死を遂げた郎党・文三家安が祀られているお堂・文三堂があるんです。
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石段を上った先のお堂です。
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お参りをして、来た道を引き返し、今度は、佐奈田霊社への石段へ。はぁはぁ、汗をかきながら登りました。
こちら、与一塚。
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吾妻鏡には、建久元年、頼朝が伊豆山権現を参詣し、その帰りにこの地を訪れ、墳墓の前で涙を流されたと伝わります。
風土記には、この与一塚の少し上にご神木の杉の樹があったとされます。ご神木、この樹のことでしょうか。
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社殿前に出ました。
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お社の手前左側にあった手附石です。
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佐奈田与一義忠は石に手をつけば手形がつくといわれるほどの大変な力もちであったそうです。(すごい~)

佐奈田霊社の方が、どうぞ中にお上がり下さいとおっしゃるので、昇殿させていただきました。(カメラもOKって)

佐奈田与一義忠の菩提寺は石橋にある石王山地蔵院宝寿寺。その草庵の旧跡に天正年間に開山真源和尚が真言宗のお寺を建立し、その後、古戦場内に与一義忠の霊を祀る社、佐奈田霊社を建立しました。

お社の内部です。
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正面の高いところに祀られた与一義忠公。
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その向かって左前に与一義忠公持仏として十一面観音菩薩さまが安置されています。
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寺宝として、建久2年に頼朝から、石橋山合戦での与一義忠の忠により、贈られた古文書。
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与一義忠に魁秀明神之号を贈られたものだそうです。
佐奈田与一義忠公、南無。

そうそう、与一義忠は持病の痰の為に大声を出すことが出来ず、郎党文三家安を呼ぶことが出来なかったと伝わり、のどの神様としても祀られています。
佐奈田飴、購入しました。
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境内から眺める相模湾。
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もう4時過ぎで、陽が落ちてきました。もう一度、先ほどの石段を下り、石橋山を眺めながら、駐車場へ。

石橋山古戦場って、こんな場所だったんだんですね。目の前に広がる相模湾。830年前の8月23日、頼朝はここで三浦一族や千葉常胤の援軍を待っていました。その中で始まった戦い。日も暮れようとしていました。しかも降りしきる雨。頼朝方300騎、大庭景親を大将とする平家方3000騎。これは厳しいですよね。(討たれなくてよかったの一言)
頼朝は安房の国へ逃れます。そこから源氏ゆかりの地鎌倉へ。この間、石橋山から1ヶ月後と伝わります。頼朝軍は5万余騎にもなっていたそうです。

旅行記、完。
by b_neige | 2016-10-07 17:19 | 旅行 | Comments(0)

韮山 本立寺(東慶寺の梵鐘)-韮山反射炉&江川坦庵邸(2016.09.26)

9/25-26の韮山・伊豆長岡への旅、残すは、26日に訪れた本立寺と韮山反射炉&江川坦庵邸のみとなりました。

それでは、本立寺です。
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何故、本立寺に行ったのかというと、北鎌倉・東慶寺の梵鐘がこちらのお寺にあるからなんです。
cf : 北条政子産湯の井戸-北条時政邸跡(円成寺跡)-堀越御所跡(2016.09.25)

時政邸跡に建立された円成寺にあった東慶寺の梵鐘なんですが、そもそも、一体どうして円成寺にあったのでしょう?
鎌倉幕府滅亡(北条家滅亡)後、北条高時の母・円成尼は、残された北条一族の妻や娘たちを引き連れ韮山に戻って、円成寺(尼寺)を建立し、一族の冥福を祈ります。その際、東慶寺から寄進されたのかもしれません。(だって、この梵鐘の大旦那は円成尼なんですもの)
そこのところ厳密には不明ですが、円成寺が焼失したのは江戸時代中期で、その時には円成寺に吊されていたということ。
その後、韮山の有力者・江川氏により、菩提寺の本立寺へ移されました。

本立寺は江川邸(今も残されています)から、ほど近い場所にあります。
こちら江川邸。(内部見学出来ます。ガイドさんがいらして詳しいご説明を窺えます。45分も!)
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江川家は清和源氏の流れをくみ、源満仲の二男・宇野頼親を祖とし、宇野姓を名乗りました。
6代目の親治が保元の乱(1156年)を避けて、その孫・親信が従者13人と伊豆の韮山に定住したと伝わります。(この13人の子孫は、現在でも江川邸周辺に居住しているとか)
親信の子・治信は、この地に流罪となっていた源頼朝の平家打倒の挙兵に応じて参戦して江川荘を賜わり、その後、15世紀中頃に狩野川の支流にちなんで、姓を江川と改めました。
28代・英長は徳川家康に仕え、伊豆が幕府の直轄地になるに及んで、代官としてこの地を統治することに。以後、明治維新まで、代々徳川幕府の代官を世襲して務めました。
特に、幕末の江川太郎左衛門英龍(坦庵)は、文化人、思想家、技術者として有名。
重要文化財 江川邸HP 江川坦庵の年表→http://www.egawatei.com/tannan.html

実は、この英龍を責任者として、韮山反射炉と品川台場の築造が決定されているんです。
ここで、韮山反射炉の画像、入れておきま~す。
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ガイドさんにくっついて20分ほどお話、うかがいました。
☆天保11年(1840)、アヘン戦争を契機に、日本では列強諸国に対抗するための軍事力強化が課題となる。江川英龍は海防政策を幕府に進言。鉄製砲を鋳造するために必要とされたのが反射炉だった。反射炉築造は順調には進まず、英龍はその完成を見ることなく亡くなったが、跡を継いだ息子の英敏が、安政4年(1857)、連双2基4炉からなる韮山反射炉を完成させた。
☆反射炉は、17世紀から18世紀にかけヨーロッパで発達した金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉。内部の天井がドーム状になった炉体部と煉積みの高い天井からなる。
炎と熱を反射するしくみから「反射炉」と呼ばれた。

明治日本の産業革命遺産として、エリア3韮山は世界遺産に認定されています。
(鎌倉はダメだったのにね)

お話を本立寺に戻します。
さて、本立寺は日蓮宗。
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そして、本殿手前右側、こちらが鐘楼で、
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はい、北鎌倉・東慶寺の元々の梵鐘です。
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ちょっとアップにしますよ。ほ~ら。
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銘文の最初に、「相陽山内松岡山東慶禅寺鐘銘」と刻まれています。文末には、「大旦那菩薩戒尼 円成」と。

ちなみに、東慶寺では、この鐘楼がなくなった後、補陀洛寺の梵鐘が吊されて現在に至ります。

それでは、最後に江川一族の墓地をどうぞ。
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この一角すべて江川家代々のもの。江川太郎左衛門英龍(坦庵)らの墓碑は一番高台にありました。
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お代官様ですものね。
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大変立派なものでした。南無。

以上、韮山・伊豆長岡、駆け足ですが楽しみました。一泊二日じゃ、少々時間が足りず、北条早雲の韮山城址や、頼朝・文覚上人ゆかりの毘沙門堂などにも行けずじまい、残念でした。またいずれ!?

帰路ですが、箱根越えで石橋山古戦場に寄りました。レポートは、次回に。
旅行記、あともうちょっとお付き合い下さいね。(汗)
by b_neige | 2016-10-06 21:39 | 旅行 | Comments(0)