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厳寒の大巧寺で(2018.01.28)

28日(日)、朝は寒かったですね。
由比ガ浜の事務所に行く前、大巧寺に寄ってみました。
そしたら、南天桐の木が赤い実を沢山つけて、彩りが少ない冬の庭の中で異彩を放っていました。
この木です。
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実は、この木、前から何ていう木なんだろうってずっと思っていたんです。
cf : ガイド協会史跡めぐり-大巧寺本堂天井絵・妙本寺本堂特別拝観(2013.10.17)

今日は、この木に木札が掛けられていて、それで南天桐って、やっと分かったんですよ。嬉しくなりました。
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南天の実にそっくり。
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それにしても、今年はこんなに沢山実が成って、すごい!
だって、これまで大巧寺には何度も来ていると思いますが、こんなに見事に赤い実がついているのって、見たことありません。
ちょっと感動しちゃいました。

ミツマタはこんな具合。
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大巧寺にはロウバイは3本ほどあるけれど、3本とも見頃でした。
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白梅もちょうどいいあんばい、あまり上手に撮れてませんけど、どうぞ。
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梅はこれ位が美しいと思います。
この白梅と南天桐を入れて。
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両脇の椿は今日はきれいなのがなくって。。。

仏殿前のお庭では、ほら、蓮の鉢がこんなに凍っていました。
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分厚い氷でしょう?
傍らに咲く水仙も寒いのか?ちょっと控えめ??
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山門の上の夏ミカン?は、幾つ成ってるのかわからない位、いっぱいくっついてました。
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採るの大変だろうなぁって…。(^^ゞ
by b_neige | 2018-01-28 20:47 | 鎌倉歩き | Comments(0)

KALDIのバレンタインギフト(2018.01.28)

今年のカルディのバレンタイン向けギフトセットです。
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何が入ってるのかというと、珈琲とチョコ。え~と、ドリップパック8袋(バレンタインブレンド-エンジェル)とリンドールのリンツチョコです。
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チョコは、ミルクとストロベリーとヘーゼルナッツ、ココナッツ、マンゴーにホワイトチョコの6種。
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このところ寒い日が続いてますよね。今朝もほんとに寒かった。
今晩はね、これから2月の史跡めぐりの勉強です。珈琲とチョコをお供に。♪♪
by b_neige | 2018-01-28 19:52 | ティータイム | Comments(0)

伝大姫供養塔(2018.01.24)

皆さんは岩船地蔵堂ってご存知でしょう?
頼朝公の娘・大姫の守り本尊をお祀りするお堂ですよね。
ただ、以前にもご紹介したことありましたけど、別の説もあるんです。
cf : スマホが鎌倉ガイド(2014.03.17)
祀られている木造の小さなお地蔵様の胎内に銘札があって、そこには「源頼朝の息女の守本尊」とだけ記されているのにとどまるから、「大姫」または、次女の「三幡=乙姫」なのか、論議が分かれるところでもあります。

個人的には、次女の三幡の方じゃないかと思ってはいるんですけど、大姫の方が、木曽義仲の長男・義高とのエピソードに触れられるし、断然話が面白くなります。だから、ガイドの時も、「大姫」で通してはいます。(^^ゞ

最近、中国学の大家・内藤湖南(東洋史学者・京大教授、1866-1934)がおっしゃったという名文句を知りました。
「日本を知りたいならば、室町以降を知れば充分である。それ以前の日本は、まあ外国みたいなものですな」
作家の司馬遼太郎は、この名言をその通りとほめています。
室町時代に始まったものって、いろいろあるんですよね。生け花、茶の湯、水墨画、能、狂言、座敷、床の間、掛け軸、庭、醤油、砂糖、饅頭、納豆、豆腐…。
それ以前は納豆、豆腐がないから、「外国みたい」ということで。(笑)
つまり、室町時代前の鎌倉時代のことは、よく分かってないわけだから、「大姫」だろうが「三幡」だろうが、説は色々あって当然。
歴史学者はやきもきするだろうけど、作家さん達は自由に描けて楽しいかもしれないですね。♪♪

ということで、これからが今回の本題。
実は伝大姫の供養塔という五輪塔?層塔?を見せていただいたんです。
場所は、とある個人宅のお庭で。個人のお宅ですので、場所はごめんなさい、小町近辺ということだけで控えます。
ではどうぞ。
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立派でしょう?大きいんですよ。がっしりしたもの。時代もありそうでした。頼朝の墓より風格があるかも??
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2代前のご先祖様がある時、西の方角の山から持ってこられたそうです。(どうやって??)
内緒ですけど、私が見つけたんだったら、同じように持ち帰るかと。(笑)

その時、伺ったお話です。
所有者の方が、その昔、鶴見大学の大三輪龍彦氏に鑑定していただいたところ、残念ながら大姫のものではないだろうという見解だったそうで。
*大三輪龍彦氏は鶴見大学教授で浄光明寺のご住職だった方。(1942~2006)

それでも、立派な石塔です。それなりの地位にあった有力な御家人のものとも思われます。さて一体、だれ??場所から推測するに、千葉氏?安達氏?こうなるとロマンの世界。(笑)

中に納骨穴とかあるのでしょうかと伺ってみたら、この時代にはなかっただろうとのことでした。
伝大姫五輪塔、楽しみました。鎌倉は面白い!!
by b_neige | 2018-01-26 21:02 | 鎌倉歩き | Comments(0)

大雪警報!無事帰宅出来ましたか?(2018.01.22)

今日は、3月末にある史跡めぐりのL下見だったんですけどね、寒かったですぅ。
9時半過ぎには早くもポツンポツンと冷たい雨が降り出し、次第にみぞれに。薬王寺に着く頃には雪に変わりました。弥生から卯月、桜春のコース下見だったんですけど。(>_<)
それでも、一時は小降りになり、空も明るくなって、あれぇ、天気予報では夕方から本格的な雪って言ってたのに、空振りに終わったのかしら、なんて見くびってました。
下見が終了して、やれやれと昼食休憩の頃から、窓の外が怪しく。。。大ぶりの雪が風に煽られて、これって、吹雪??レストランを出た時には、既に雪が積もり始めていました。

明日の史跡めぐりは一体、どうなることやら。
幸い、私の出番は今月ないのですが、明日のリーダーさんは大変です。だって、まず、明日の交通の便がどうなるのか読めないし、それにお寺や神社は、たとえ明朝お天気が回復していても、境内の整備(雪かきとか)が追いつかず、閉門される場合があるんです。わぁ、ほんと相当気を揉まれているかと…。困った事態です。

画像は、雪が舞いだした長谷の光則寺で。
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この頃はそんなでもなかったんです。

こちらは、昼食後、江ノ電で鎌倉に戻る時、長谷駅で。
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結構降りしきっていました。雪が積もり始めているのがわかりますか?

とりあえず、明朝は足元、要注意です!
by b_neige | 2018-01-22 18:08 | 鎌倉歩き | Comments(0)

今月のガイド終了(2018.01.22)

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(画像は永福寺跡に残る、鎌倉時代初期の御家人・畠山重忠が1人でかついで池中に置いたという石とイメージ図)イメージ図に見える右の人物は頼朝公が京都から呼び寄せたという庭師静玄か?

先週あった遺跡めぐりの個別ガイドはお陰さまでどうにか無事に終了しました。
移動距離が長いわりに時間が制約されていて、やきもきしましたが、遺跡を勉強するよい機会にもなりました。

鎌倉は埋蔵文化財包蔵地が市内全域の60%以上もあるんです。だから、深さ60cm以上掘り起こす、新築や立て替え等の土木工事の際は届け出が必要。個人宅の場合は、鎌倉市が発掘の費用を負担してくれますが、法人の場合、費用は全額法人側。大変です。
それとね、届け出の順番があるから、たとえば、個人宅で、そんなに待ってられないという方、いらっしゃいますよね。順番を急ぐならば、やっぱり個人宅でも自らお金を出さなければいけないそうです。それ何百万円単位ですって。驚いてしまいます。まっ、1度調査してあれば大丈夫とのことですけど。

永福寺跡では、頼朝公の時代の地層は60cm下で二階大堂や薬師堂、阿弥陀堂の前に広がる瓢箪池は30cmのかさ上げですって。でも、大倉幕府跡付近は3mも掘り起こさないと、鎌倉時代初期の地層は出てこないそうです。それ、大変な作業ですよね。おまけに、一般の個人宅だと、敷地面積が限られるから、なかなか全容解明には至りません。大倉幕府跡には、寝殿造りの建物跡発見が期待されているけど、それは一体いつになるのやら、なかなか難しいのが現状のよう。

そうそう、これまで考古学の分野からは、鎌倉が別荘地として栄えていた頃(近現代)の様子等、発表されることはなかったということですが、平成23年に実施された今小路西遺跡の発掘調査では、その時代の、たとえば、磁器を中心とする食器類(海外からの輸入品も含む)、ガラス瓶、玩具、金属製品、木製品が出土したそうです。
海外からの輸入品を含むという点で、やはり明治以降富裕層が多く別荘を持ったという鎌倉の特徴がみられると、伺ったような。。。
別荘地時代の鎌倉研究には文献やら写真やら、今に残る建築が不可欠ですけれど、こうした考古学的資料も今後増えてくるかもしれないですね。

さぁ、来月は再び個別ガイドもありますが、史跡めぐりCにスタンバイです。私は15日出番。今回は鎌倉じゃないんです。国府津から曽我の郷へ。勉強が。。。(汗)
by b_neige | 2018-01-22 07:15 | ガイドの仕事 | Comments(2)

神楽坂Bisous(ビズ)で送別会(2018.01.20)

今日は、IBSの先生方のお一人で最初からずっとご一緒だったSさんが、ご実家の京都にお戻りになる(ご夫妻で)=つまり東京での日本語教師の仕事をお辞めになるということで、送別会メインの新年会でした。

でも、Sさんは、長年西荻でピアノを習ってらして、それと、お馴染みの歯医者さんがいるので3ヶ月に一度は東京に出てくるのだとか。ということは、それに日にちを合わせたら、新年会だって、暑気払いだって、忘年会だって、全然問題なしなんですけど、まっ、長年東京で大勢の生徒さんを受け持たれて、それがひとまずここで終止符ということで、参加した私たちもやっぱりしんみりしました。

終わりのご挨拶で、2年ほど前の生徒さん(日本人の奥様がいらっしゃる)が会社の部下の方の結婚式で読まれたという日本語のスピーチを紹介して下さって。

Sさんがその方に日本語を教えていた時に話題に上ったことがある「サザエさん」にかこつけたスピーチで、日本人でも感動してしまうぐらいの立派なスピーチでした。スゴイとしか言えない位の。
つくづく嬉しかったそうです。
こういう時、ほんと日本語の教え甲斐を感じますよね。

教え甲斐を感じることって、実はあまりないのかもしれない。(>_<)
私は14年間で、考えて見たら2人位?? Sさんが羨ましい~??

今日のレストランはフレンチで神楽坂Bisous(ビズ)。
bisousはフランス語のbise(挨拶の時の軽いキッス)から。両方のほっぺにするので、複数形でbisous

飯田橋界隈にお住まいのフランス人の間で人気のレストランだそうです。小さな気取らないレストラン、15人ほどで一杯になってしまうような。(12名で貸し切りでした)
こちら、前菜のローストビーフと、
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真鱈のパイ皮?包み焼き。
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お値段もリーズナブルなんですよ。美味しくいただきました。
by b_neige | 2018-01-20 17:00 | フランス語、IBS関連 | Comments(0)

金沢文庫 特別展「運慶」(2018.01.17)

金沢文庫で今月13日(土)から開催中の特別展「運慶」に行ってきました。
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昨年秋に上野・東博であった運慶展とは、また少し異なる視点による運慶展でした。
今回のテーマは『鎌倉幕府と霊験伝説』。運慶と鎌倉幕府との関係、運慶仏が霊験あらたかなものとして信仰されたことに注目を置いた展示ということです。
最初にレクチャールームで学芸員さんのお話(見どころなど)を15分ほど?、伺いました。

それでは、とりあえず、目玉となる3点をご紹介しておきますね。
まずは、栃木県足利にある光得寺所蔵の大日如来坐像。
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眞如苑の大日如来坐像ととてもよく似たお姿の仏さまです。(共に鎌倉時代)
足利義兼が願主なんですが、こちらが(光得寺の)大日如来さまの胎内X線写真。
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お身体の中心に薄い影で五輪塔のような銘札が写っています。(運慶の特徴)
学芸員さんに教えていただいたのは、その上になんだか焼き鳥の串のようなものがついていて、それが足利義兼公の歯なんだそうで。びっくりしました。

次の仏さまは今回の展示会のポスターとしても使われている愛知県岡崎市にある滝山寺の梵天立像。
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四面四臂のお姿。それぞれ三眼。左手の一手に蓮華、右の一手に武器の独鈷杵を握っています。
滝山寺には運慶作と伝わる3体の仏像、聖観音像&梵天像&帝釈天像がお祀りされているのですが(頼朝公の3回忌に造立)、学芸員さんがおっしゃるには、X線画像で、この梵天さまの胎内に、源頼朝公の遺髪が納められているとわかったそうです。源頼朝公の遺髪とは恐れいりました。
この梵天さま、江戸末期から明治にかけて彩色し直されたということですが、白いお肌が美しいですよね。(個人的には彩色されてない方が好みです)
像高106.5cmとありました。堂々とした仏さまです。運慶・湛慶父子作。

最後は金沢文庫・称名寺の塔頭「光明院」の大威徳明王像。
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像高21.2cmの小さな、あまりにも有名な仏さまです。
腕などが破損していまして、恐らく長い間、そのままの状態になっていたのではないでしょうか。平成10年に再発見され、18年から19年に保存修理されたところ、像の中から納入品が発見され、その中にあった奥書から、源頼家・実朝の養育係であった「大弐局(だいにのつぼね)」という方が建保4年(1216)11月、運慶に造らせたものであるということが判明したそうです。
まさに驚きの発見でしたね。
私的には、この仏さまが運慶仏だとは、あまり感じないのですが、晩年の運慶の作風で、引き締まった体つき、端正なお顔立から明らかなんだそうです。生涯瑞々しい感性で制作にあたっていたことが読み取れるそうで、運慶の真作は数が少ないことから、すごい発見であったことがわかります。

会場で、その他、印象に残ったのは、横須賀の曹源寺の十二神将。
cf : 三浦一族ゆかりの衣笠を歩く-曹源寺(2017.05.12)
確か、あの時も立派と目を見張ったのを思い出しました!
12神将のうち「巳」神将が他の神将より大きめに造られているんです。
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源実朝公が巳年生まれだということから。運慶仏かもしれないという学芸員さんのお話でした。
ここで一つ疑問だったのは、それぞれの神将の頭の上に十二支の動物が付けられているのですが、どう見ても、そうじゃないでしょうという神将さまがいらして…。これは、製作当時、その十二支がよく知られておらず付けられてしまったことに由来するそうで…。(意外でした)

鶴岡八幡宮所蔵の舞楽面、瀬戸神社の舞楽面(抜頭面)も展示されていましたよ。源頼朝公が上洛した折、東大寺から賜ったものでしたよね。

横須賀・浄楽寺の運慶仏の銘札(月輪形の)と伊豆・韮山・願成就院の銘札(五輪塔形の)もありました。

それと、鎌倉・十二所、光触寺の頰焼阿弥陀三尊と縁起絵巻も!
なかなか拝見できる仏さまではないし、縁起絵巻も実物はお初だったかもしれません。嬉しかったです。

あとは、大町・教恩寺の阿弥陀三尊も、いつもははるか遠くからしか拝見できないのに、間近でよく観ることが出来て、またとない機会でした。

修禅寺の大日如来さまもいらしてました。
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像高103cm、ヒノキ寄木造り、玉眼、漆箔。
平素は本堂・須弥壇に安置されていて、一般には公開されてないそうです。年に一度、10日間のみ一般公開されるとか。どうりで、修禅寺には2度お参りしているけど、記憶になかったわけです。

頼家の妻辻殿発願とありました。あれ、頼家の妻って若狭の局じゃなかったって。(辻殿というのはお初)
運慶の流れ・慶派の仏師である実慶の作で、頼家公の7回忌の折造立されたものだそうです。
2人分の髪の毛が納められていたそうで、辻殿と母であった北条政子でしょうか??

会場はそれほど広くないので、疲れず観ることが出来ます。充実した内容でよかったです。
by b_neige | 2018-01-18 17:50 | 展覧会など | Comments(0)

畠山重忠邸址の石碑はほんとにその場所!?(2018.01.17)

忘れないうちに書いておきますね。

鶴岡八幡宮には流鏑馬道がありますよね。
あの道の東の鳥居を出た向かい辺りに、畠山重忠邸跡という石碑が建っています。
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以前ご紹介したレポートになります。(画像はその時のもの)
cf :  畠山重忠邸址の碑(2017.08.16)
実はね、畠山重忠邸はこの場所じゃなかったって、そんな説がありまして、それじゃ、どこにあったのって、思ってたんですけど、この場所じゃないという根拠がわかったんです。

それはね、この場所を含む一帯が、鶴岡八幡宮の境内であったということ。
境内の中には屋敷なんて造りませんよね。そういうこと。

それじゃ、地図で見てみましょう。
こちら、江戸時代享保17年(1732)作成の「鶴岡八幡宮境内図」
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右(東)の鳥居を出た辺りですけど、ビミョウ??

こちらは、江戸時代貞享2年(1685)、水戸光圀公によって編纂された新編鎌倉志の鶴岡八幡宮図
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右側が切れちゃってますけど、此道東畠山屋敷とあります。う~ん、なんとも。。。

最後に八幡神を検索していて、手に入れた鎌倉期の鶴岡八幡宮寺全景です。
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この絵図だと、右(東)の鳥居向かいの畠山重忠邸の石碑が建つ辺りは八幡宮寺の敷地!!
その先に十字路があります。つまり畠山重忠邸はこの道から東ということかしら?

どうですか?畠山重忠屋敷跡は、厳密に言えば、現在石碑が置かれている場所ではないみたい!?まっ、近隣だったとは思いますけどね。(^^ゞ

宝戒寺の前の道辺りまで、八幡宮寺の境内だったのでしょうかねぇ~??
by b_neige | 2018-01-17 15:47 | 鎌倉歩き | Comments(0)

無量寺の庫裡?裏の庭園跡(2018.01.15)

無量寺があった無量寺ヶ谷ですが、ノーマン・フォスター設計による赤尾さんの別荘が建設される折、埋蔵文化財包蔵地ということで、届け出が出され、発掘調査が行われました。

別館後ろの岩盤前辺りですが、13世紀末頃に創建されたとみられる安山岩の礎石建物の遺構が発見されています。その西側には山裾の岩盤を直接穿って造られたとみられる池の遺構も。中央付近には中ノ島も彫られていたそうです。
北側の山裾からは遣水を呼び込み、池底には相模川周辺から持込まれたと考えられる玉砂利が敷き詰められていたんですって。

こちらの画像、遣水はこんな具合にきていたのかしら??
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今じゃ、池の遺構は埋め戻されて石畳が敷かれています。だけど、画像には写ってませんが、左にももう一つ、中世のやぐらが顔をのぞかせているんです。(右の3つは岩崎氏による防空壕)
つまり、やぐら、岩盤の庭&岩盤を穿った池ときたら、多分皆さんもピンときますよね。
そう、鎌倉の奥座敷、瑞泉寺の岩庭です。全く同じ要素と思われませんか?
この無量寺跡の池遺構は、その瑞泉寺より70年前のものだそうです。夢窓国師による瑞泉寺の岩庭は鎌倉に残る唯一の鎌倉時代の庭園とされ、のちの天龍寺の庭園や西方寺の庭園のルーツとされますけど、それより70年前に、既に同様の庭園が生まれていたんですね。
へぇ~と感心してしまいます。

更に驚くことは、池の畔にあった庫裡とおぼしき建物は火災にあって全焼していて、かわらけを大量に含む土で埋立てられているのだそうです。池の上も同じ土ということで、それはつまり、建物と池が同時に廃絶しているってこと。かわらけの形式から、その火災の時期は14世紀の第2四半期前半だそうです。14世紀の第2四半期前半といったら、もしかして1333年の鎌倉幕府滅亡の頃??興味は尽きません。

思うに、鎌倉時代のことって、古くてよく分かってないそうなんです。=ナンとでも?考えられますと言ったら、乱暴???

by b_neige | 2018-01-15 16:56 | 鎌倉歩き | Comments(0)

BS朝日「百年名家 古我邸」を観て(2018.01.14)

本日12時からのBSを観ました。
冒頭、古我邸ではなく、お隣の鎌倉歴史文化交流館(旺文社の創業者・赤尾氏別荘だったところ)も紹介されていました。
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実は今週、遺跡跡を歩く個別ガイドが入ってまして、歴史文化交流館も訪れる予定なので、あれっと興味深く観た次第。

歴史文化交流館についてのレポートをブログ内検索しましたら、2つありました。
cf : 鎌倉歴史文化交流館へ(2017.11.27)
cf: 無量寺ヶ谷の(仮称)鎌倉歴史文化交流センター(2016.10.7)

そもそもこちらの場所には鎌倉時代、無量寺というお寺があったとされています。江戸時代(天保年間)作成の扇ヶ谷村絵図の中に、今小路に面して、無量寺という記載があるんです。
水戸光圀公編纂の「新編鎌倉志」では、「吾妻鏡」に無量寺にて安達義景(盛長の子、泰盛の父)の13回忌を行ったと記載があり、江戸時代には既に廃寺となっていたものの、この辺りまで、往時は甘縄の内であったのであればこの無量寺であろうと言っています。
覚園寺に伝わる「覚園寺文書」にも、正確な場所や創建・廃絶年は不明だけれども安達氏と関係が深い寺院、とあります。

結局、今の甘縄神明社付近にあったという安達邸は、鎌倉時代、今小路辺りまでその敷地が広がっていて、この無量寺がその近隣にあった(この辺りまで甘縄)と考えてよさそう。

その後、この無量寺があった谷戸=無量寺ヶ谷には、江戸時代、相州伝正宗の血を引く刀工・綱廣の屋敷があったそうです。→綱廣ヶ谷とも(高台に刀工の屋敷には欠かせない合槌稲荷が祀られていました)

更に大正時代、その場所を取得したのが、三菱財閥関係第4代当主岩崎小弥太。病弱だった母のために療養所を兼ねた別荘を建てたそうです。谷戸のほぼ全域にわたる広大なものだったとか。
また岩崎氏は、敷地内にあった合槌稲荷を再興して、参道・鳥居・石狐・祠を整備しています。

そして、最後に旺文社創業者の赤尾氏の所有に移るですが、氏が亡くなった後は、ご親族がノーマン・フォスターというイギリスの著名な建築家の設計で別荘をお建てになりました(2004)。
この時、老朽化していた合槌稲荷社は再び再建されたと聞きます。
当初、赤尾氏の美術コレクションを収蔵するミュージアムの建設も考えられたようですが、結局それは都内に建設されることになり、2013年、鎌倉のこの別荘も、鎌倉市に譲られたと言うわけです。
(合槌稲荷社は、現在は葛原岡神社境内に移されています。お社の左手前)

合槌稲荷社が元、祀られていた場所は今は見晴らし台になっていて、TV番組の冒頭のシーンはそこからの景色でした。
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それじゃ、次のレポートで、無量寺時代のこの谷戸について、まとめてみたいと思います。
by b_neige | 2018-01-14 15:37 | 鎌倉歩き | Comments(0)